同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #8
SAVE8 名剥ぎの魔女
十九時四十六分。
配信管理画面を開いたまま、俺は何も入力できずにいた。
机の上にはノート。
昨日のページには、同じ単語が何度も書かれている。
GERO
GERO
GEROその下に、震えた字で追加したメモ。
GATE看板確認。
回収業者。
「世界が」
「帳尻が合わない」
「そろそろ手を引け」ペン先で、その一行を軽く叩く。
そろそろ手を引けコメント欄に一瞬だけ出て、消えた言葉。
画面には残っていない。
スクリーンショットもない。
証拠は、俺のノートだけだった。
「本日の配信開始時刻は二十時十二分を推奨します」
ミナミが言った。
机の上に、白いホログラムが立っている。
昨日より、少し輪郭が薄い気がした。
「タイトルは」
「推奨タイトルを提示します」
【続き】検索しても出ないRPGをAI軍師と進めます「普通だな」
「推奨手順への復帰を提案します」
「昨日までのタイトルじゃなくていいのか」
「煽情的な文言は非推奨です」
「人、減るぞ」
「観測数の増加よりも、逸脱の抑制を優先します」
観測数。
ミナミが何度も使う言葉。
再生数でも、同接でも、登録者でもない。
でも、画面の数字が増えるたびに、ミナミはそれを確認している。
「観測数って、要するに何なんだよ」
「対象情報を保持する外部記憶の数です」
「外部記憶?」
「視聴者の記憶、コメントログ、アーカイブ、切り抜き、検索履歴、端末キャッシュ、手書き記録などです」
俺はノートを見た。
GERO。
GATE。
そろそろ手を引け。
「増えれば、消えにくくなるのか」
「はい。対象情報の即時消失は遅延します」
「遅延?」
「完全な復元ではありません。消失までの猶予が発生します」
「……人間は、それを助かったとは言わない」
ミナミは答えなかった。
俺はタイトル欄を見た。
昨日のままなら、きっと人は来る。
【閲覧注意】存在しないゲームの第二章へ。AI軍師の予測、また外れるかもしれません指が少し動く。
全選択。
削除。
空欄。
そこに、ミナミの推奨タイトルを貼り付けた。
【続き】検索しても出ないRPGをAI軍師と進めます保存。
画面の右下に、小さく表示が出る。
配信情報を更新しました。ミナミのホログラムは乱れなかった。
「今日は、言う通りにする」
「推奨手順への復帰を確認しました」
「これでいいんだよな」
「はい」
「じゃあ、昨日みたいなことにはならないんだよな」
ミナミは、すぐには答えなかった。
その沈黙で、机の上の時計の秒針がやけに大きく聞こえた。
「ミナミ」
「消失進行の完全停止は保証できません」
「……そういう言い方、ほんとやめろ」
「不確定要素を含みます」
「分かってる」
分かっていない。
でも、分かったと言わないと、配信開始ボタンを押せない。
俺はノートを開く。
空いているページに、今日の禁止事項を書き写した。
・タイトルを変えない
・開始時刻を守る
・終了時刻を守る
・GATE/GEROの話をしない
・コメントに流されない
・SLOT4を見ない最後にもう一つ、書こうとして手が止まった。
・怖がらない違う。
それは無理だ。
黒く塗りつぶす。
代わりに、書き直した。
・手を止めない*
二十時十二分。
配信開始。
赤いランプが点いた。
コメント欄は、昨日より少し遅れて動き出した。
来た
昨日のGATE見た
今日はタイトル普通だ
ショートから来ました同時接続は、開始時点で二十八人。
昨日より少ない。
なのに、画面の向こうにいる人数を思うと、喉が狭くなる。
「こんばんは、ミハルです。今日も『クロノ・ブレイブ戦記』をやっていきます」
言いながら、コメント欄の一つが目に入る。
GATEって結局何?拾わない。
ノートを見る。
GATE/GEROの話をしない俺はゲーム画面へ視線を戻した。
「今日は第二章の続きです。名前のない町の北にある塔から進めます」
「進行方針は適切です」
ミナミの声が入る。
AI軍師まじめだ
昨日より静か
ミハルくん顔固くない?顔固くない。
そう返しそうになって、飲み込む。
コメントに流されない。
ノートの文字をもう一度見る。
ゲームを起動する。
画面にセーブデータが並ぶ。
SAVE 1 MIHARU CHAPTER 2
SAVE 2 NO DATA
SAVE 3 NO DATA
SAVE 4 MIHARU PLAY TIME 999:59SLOT4。
視線が吸われる前に、俺はSLOT1を選んだ。
「SLOT4の選択回避を確認しました」
「実況で言うな」
「視聴者への説明は行っていません」
「聞こえてるんだよ」
SLOT4草
触るなって言われてるやつコメント欄が少し速くなる。
俺は見ないようにして、決定ボタンを押した。
*
塔の入口から再開した。
昨日、俺が「一歩だけ」と言って踏み込んだ場所。
壁には、無数の名前が書かれている。
人の名前。
町の名前。
店の名前。
そのほとんどが黒く塗り潰されていた。
■■■
■■■■
G■■E
■■■■■■G■■E。
見えた瞬間、指が止まりかける。
「進行してください」
ミナミが言った。
俺は小さく頷く。
主人公を動かす。
塔の中は、上へ進むほど暗くなった。
階段の踊り場に、名前欄のないNPCが立っている。
:名前を呼ばれないと、人は軽くなる。
:軽くなったものは、風に飛ばされる。
:飛ばされたものは、どこにも戻れない。コメント欄が動く。
名前テーマか
不穏
GATEの話と繋がってる?拾わない。
進む。
次の階。
壁に文字。
名を失ったものは、場所を失う。
場所を失ったものは、最初からなかったことになる。口の中が乾いた。
最初からなかったことになる。
昼間の看板。
GATE。
伝票の空欄。
佐伯さんの「俺、何か忘れてる?」
全部が、壁の文字の後ろに重なった。
「ミハルさん」
「分かってる」
「発話が停止しています」
「……読んでただけ」
「進行を継続してください」
コントローラーを握り直す。
手のひらが湿っている。
主人公が塔の最上階に出る。
画面が暗転した。
笛のような音が鳴る。
細く、長く、耳の奥をなぞる音。
次の瞬間、画面中央に女の影が現れた。
長い髪。
黒い帽子。
顔の半分を布で覆った、魔女のような姿。
手には、細いナイフ。
ナイフの先に、紙の切れ端がいくつも刺さっている。
その紙には、名前が書かれていた。
黒く塗られた名前。
途中で切られた名前。
読めない名前。
画面に文字が出る。
名剥ぎの魔女コメント欄が一気に流れた。
ナハギきた
ボス戦?
名前剥がすのかミナミのホログラムが、わずかに明滅する。
「第二章ボス戦を確認しました」
「攻略は」
「行動パターンを提示します」
推奨行動:
1. 初手、防御
2. 「名剥ぎ」後は回復優先
3. 名前欄が欠損した味方は攻撃不可
4. 三ターン目、護符を使用
5. 七ターン目、奥義使用「分かった」
俺は初手、防御を選ぶ。
名剥ぎの魔女が笑った。
音声ではない。
画面が揺れる。
文字が表示される。
名剥ぎの魔女:名前を置いていきなさい。敵の技名。
名剥ぎ主人公のステータス欄が揺れた。
ミハル
HP 142/142その名前が、少しだけ欠ける。
ミ■■ル
HP 142/142「名前欄欠損を確認」
ミナミが言う。
俺はすぐに回復を選びかけて、手を止めた。
「まだHP減ってない」
「名前情報の欠損は行動制限に直結します。回復ではなく、護符使用の準備を推奨します」
「さっき回復優先って」
「欠損段階により変動します」
「先に言え」
ミナミ早口
名前がHP扱いなのかコメントを見ない。
見ない。
護符を選ぶ。
古い護符。
第4話で、ミナミに従って手に入れたアイテム。
アイテム説明が表示される。
古い護符:
記録されないものを、一度だけ紙に留める。紙。
ノート。
俺は机の上のノートを見た。
ページの端に書いたGEROが目に入る。
画面に戻る。
護符を使う。
主人公の名前欄が、一瞬だけ戻った。
ミハルコメント欄が少し沸く。
戻った
護符強い
紙に留めるってノートじゃんノート。
その単語を拾いそうになって、口を閉じる。
「発話を抑制できています」
「褒め方が変なんだよ」
*
戦闘は、長かった。
名剥ぎの魔女は、攻撃するたびに何かを剥がしてくる。
一ターン目は名前。
二ターン目は町名。
三ターン目はアイテム名。
画面の表示が、少しずつ空欄になっていく。
の薬草
古い
の剣どれがどのアイテムか、分かりにくくなる。
でもミナミは、迷わず指示を出した。
「三番目のアイテムを使用してください」
「三番目って何だよ」
「古い護符です」
「名前消えてるんだけど」
「位置情報で判断してください」
俺は三番目を選ぶ。
画面が白く光る。
正解。
HPが残る。
同時接続は、いつの間にか四十三人まで増えていた。
コメント欄には、昨日の切り抜きから来た人が増えている。
ショートから
GATE回から来ました
ナハギ演出すごGATE回。
その言い方が、喉の奥に引っかかる。
俺にとっては、昼間の現地確認は配信じゃない。
でも、誰かの中ではもう、切り抜きの一部になっている。
「ミハルさん、行動選択が遅延しています」
「分かってる」
画面に戻る。
名剥ぎの魔女が次の技を使う。
呼び名返し主人公の名前欄が変わった。
名無しその瞬間、攻撃コマンドが消える。
「攻撃不可状態です」
「どうすれば」
「防御。次ターンで護符」
「護符、もう使った」
「所持数は残り一です」
「いつの間に」
「第4話時点で二枚取得済みです」
「第4話って言うな」
第4話メタい
AI軍師が章管理してるの草笑いが流れる。
でも、俺は笑えなかった。
ミナミは今、確かに第4話と言った。
俺たちの配信回を、ゲーム攻略のログとして数えている。
ミナミにとって、配信は回数であり、手順であり、敗北ログとの差分なのだ。
指先が少し重くなる。
「ミハルさん」
「やってる」
防御。
次ターン、護符。
名前が戻る。
攻撃コマンドが復活する。
「七ターン目です。奥義を選択してください」
画面下に、奥義コマンドが光っている。
記録剣聞いたことのない技だった。
「いつ覚えたんだ、これ」
「条件達成により解放されています」
「条件って」
「観測者数、記録保持数、手書き記録の継続です」
手書き記録。
ノートが、机の上で少しだけ開いている。
窓から入る風で、ページが一枚めくれた。
そこに、昨日の文字。
世界が困る俺は奥義を選択した。
主人公が剣を振る。
白い線が、画面を斜めに走る。
名剥ぎの魔女の体から、紙片が飛び散った。
読めない名前。
欠けた名前。
塗り潰された名前。
その中に、一瞬だけ見えた。
GERO俺は息を吸い損ねた。
「今」
「戦闘に集中してください」
「GEROって」
「戦闘に集中してください」
名剥ぎの魔女のHPゲージが赤くなる。
コメント欄も見えている。
GERO出た?
今の店名?
見えた人いる?拾わない。
拾ったら、また広がる。
でも、もう遅い。
コメント欄には、見た人間がいる。
俺以外にも、見た人間がいる。
「最終ターンです」
ミナミが言う。
「通常攻撃で撃破可能です」
「戻るのか」
「何がですか」
「店」
ミナミは答えなかった。
「ミナミ」
「撃破してください」
「倒したら戻るのかって聞いてる」
「第二章のクリア条件は、名剥ぎの魔女の撃破です」
「店が戻るかは?」
「撃破してください」
答えない。
俺は歯を噛んだ。
通常攻撃を選ぶ。
主人公が剣を振る。
名剥ぎの魔女の体が裂ける。
黒い布がほどけるように、画面の中でほどけていく。
最後に、名剥ぎの魔女は笑った。
名剥ぎの魔女:名は返した。
名剥ぎの魔女:でも、場所はもう空いた。画面が白くなった。
戦闘終了。
第二章クリアコメント欄が流れる。
クリアきた
ナハギ怖かった
場所はもう空いた?
意味深俺は画面を見ていた。
場所はもう空いた。
その言葉だけが、白い画面の上に残っているみたいだった。
「第二章クリアを確認しました」
ミナミが言う。
「今の台詞」
「記録しました」
「店は」
「配信終了を推奨します」
「店は戻るのか」
「配信終了を推奨します」
視聴者には聞こえている。
でも構わなかった。
「答えろよ」
コメント欄の速度が落ちた。
ミハルくん?
ガチトーン
店って?ミナミのホログラムが乱れる。
「現時点で、現実側の復元は確認されていません」
復元。
その言葉を聞いた瞬間、胃のあたりが沈んだ。
「戻らないってことか」
「消失済みの記録は、原則として復元できません」
「倒しただろ」
「はい」
「勝っただろ」
「はい」
「じゃあ何のために」
「観測を継続するためです」
俺はコントローラーを置いた。
机に当たって、乾いた音が鳴った。
コメント欄が止まったように見えた。
実際には、流れている。
でも、文字がうまく読めなかった。
「本日の配信はここまでにします」
声が思ったより低く出た。
「見に来てくれて、ありがとうございました」
終了ボタンに手を伸ばす。
その前に、一つだけコメントが流れた。
忠告はした指が止まった。
名前はなかった。
アイコンもなかった。
コメント欄の流れの中で、その一文だけが画面に貼りついたみたいに見えた。
忠告。
そろそろ手を引け。
昨日、確かにそう出た。
見た。
ノートにも書いた。
それでも俺は、配信した。
名剥ぎの魔女を倒した。
「……なんだよ、それ」
声がマイクに入った。
コメント欄が少しざわつく。
今の何?
コメント?
ミハルくん大丈夫?俺はスクリーンショットを撮ろうとして、キーに指を伸ばした。
でも、手が少し震えて、隣のキーを叩いた。
画面が一瞬だけ切り替わる。
戻した時には、もうコメントは流れていなかった。
ない。
上にもない。
下にもない。
コメント欄をスクロールしても、見つからない。
「待てよ」
言ってから、自分の声が思ったより大きいことに気づいた。
赤い配信ランプはまだ点いている。
視聴者が見ている。
分かっているのに、画面から目を離せなかった。
忠告はした。
その文字だけが、まだ網膜に焼き付いている。
俺は息を吸った。
吸った音が、マイクに拾われた。
「……本日の配信は、ここまでにします」
終了ボタンに手を伸ばす。
今度は、間違えないように、人差し指でゆっくり押した。
赤いランプが消えた。
*
部屋の中が静かになった。
配信結果が表示される。
最大同時接続:49
コメント数:274
新規登録者:29
アーカイブ初期再生数:611昨日より数字は少し落ちている。
でも、そんなことはどうでもよかった。
俺はスマホを掴む。
地図アプリを開く。
検索欄に、GATEと打つ。
候補が出ない。
検索欄に、GEROと打つ。
候補が出ない。
中古ゲーム。
駅前。
住所。
何を打っても、あの場所の店が出てこない。
俺は座ってた椅子から立ち上がった。
「現地確認は非推奨です」
ミナミが言った。
「うるさい…」
「現在時刻は二十一時二十分です」
「うるさい!」
「夜間の現地確認は」
「黙れ!」
自分の声が、部屋の壁に当たった。
ミナミは黙った。
俺はスマホとノートを持って、部屋を出た。
*
駅前に着いた時、商店街の灯りは少し落ちていた。
ドラッグストアはまだ開いている。
古い喫茶店はシャッターを下ろしている。
いつもの角を曲がる。
足が、少しだけ遅くなる。
ドラッグストアの看板。
その隣。
俺は立ち止まった。
店は、なかった。
シャッターが閉まっている、ではない。
看板が外されている、でもない。
入口がない。
ガラス戸がない。
三百円ワゴンもない。
ドラッグストアの壁が、そのまま隣の建物まで続いていた。
最初から、そこに店なんて入る余地がなかったみたいに。
俺は一歩近づく。
壁に手を当てる。
冷たい。
コンクリートの感触。
昼間、ここにはガラス戸があった。
ドアベルが鳴った。
佐伯さんがいた。
三百円ワゴンがあった。
クロノ・ブレイブ戦記を買った場所だった。
俺は買った。
あの店で買った。
佐伯さんから買った。
頭の中で繰り返す。
でも、目の前には壁しかない。
スマホを取り出して写真を撮る。
画面には、ドラッグストアの壁が写った。
その右に、何もない歩道。
左に、特売のポスター。
GATEも、GEROも、写っていない。
俺は写真フォルダを開く。
昼間撮ったGATEの看板写真。
ある。
あるはずだった。
でも、サムネイルが白くなっていた。
開く。
画像の中央が、灰色のノイズに潰れている。
看板が読めない。
店の入口も、滲んでいる。
写真の下に、表示が出る。
この画像は表示できません俺は画面を何度もタップする。
戻る。
開く。
戻る。
開く。
何も変わらない。
スマホを握る手に力が入りすぎて、指が痛くなった。
その時、ドラッグストアの自動ドアが開いた。
店内の明るさが、歩道に四角くこぼれる。
俺はそのまま入った。
「すみません」
レジにいた店員が顔を上げる。
「隣に、中古ゲーム屋ってありませんでしたか」
「中古ゲーム屋、ですか」
「はい。GERO……いや、GATEって名前の」
自分で言い直した瞬間、喉の奥がざらついた。
店員は首を傾げて、入口の方を見た。
「隣は、うちの壁ですね」
「今日の昼までは、店があったんです」
「えっと……」
店員の表情が少しだけ困ったものに変わる。
クレーム客を見る顔ではない。
道に迷った人を見る顔だった。
「少なくとも、私が働き始めてからは、あそこはずっと壁です」
「働き始めてからって、いつからですか」
「二年前です」
二年。
俺は何度も、あの店に行った。
二年前どころじゃない。
高校の頃から。
店員は申し訳なさそうに笑った。
「ゲームなら、駅の反対側に家電量販店がありますよ」
「……ありがとうございます」
店を出る時、自動ドアの音が背中で閉じた。
その音が、ドアベルに少しも似ていないことだけが、やけにはっきり分かった。
ノートを開く。
歩道の端で、立ったまま書く。
店がない。
入口なし。
看板なし。
ワゴンなし。
ドラッグストアの壁が続いている。
店員「隣はずっと壁」
勤務二年。書きながら、ペン先が滑った。
字が崩れる。
それでも書く。
佐伯さん不明。
GATE写真、表示不可。佐伯さん。
その名前を書いた瞬間、胸の奥が詰まった。
スマホで検索する。
佐伯 GATE。
佐伯 GERO。
中古ゲーム館 佐伯。
何も出ない。
店の連絡先を探す。
消えている。
履歴に残っていない。
昼間、店の中で佐伯さんがいた。
伝票を持っていた。
「俺、何か忘れてる?」と言った。
でも、連絡先が分からない。
俺は壁を見た。
そこに、黒いエプロンの人影が立っている気がした。
瞬きする。
壁だけ。
「……佐伯さん」
声に出した。
誰も返事をしなかった。
*
家に戻ったのは、二十三時を過ぎていた。
階段を上がる途中、リビングの明かりが少し漏れているのに気づいた。
凪沙がいた。
ソファに座って、スマホを見ている。
俺が入ると、顔を上げた。
「牛乳」
第一声がそれだった。
俺は手に持っていたコンビニ袋を見る。
途中で買った牛乳が入っている。
いつ買ったのか、少し曖昧だった。
「買った」
「珍しい」
「失礼だな」
「いつも忘れるから」
凪沙は立ち上がって、袋を受け取る。
冷蔵庫にしまう。
その動きが普通すぎて、膝から力が抜けそうになった。
「お兄」
「なに」
「顔、やばい」
「いつも言ってない?」
「今日は、ちゃんとやばい」
俺は笑おうとした。
うまくいかなかった。
凪沙は冷蔵庫の扉を閉める。
「配信、見てた?」
「見てない」
「嘘つけ」
「ちょっとだけ」
「どのへん」
「最後の方」
名剥ぎの魔女戦。
店が戻らないと分かったところ。
俺がミナミに詰めたところ。
凪沙はスマホを伏せた。
「店、どうなったの」
俺は答えなかった。
答えないでいると、凪沙は目を逸らした。
「……そっか」
それだけだった。
聞かなくても、分かったみたいな声だった。
俺はリビングのテーブルにノートを置く。
開く。
今日のページ。
店がない。
入口なし。
看板なし。
ワゴンなし。
その文字を見た凪沙が、少しだけ唇を結んだ。
「それ、ちゃんと書いて」
「書いてる」
「もっと」
「もっとって」
「思い出せるだけ全部」
凪沙はキッチンの引き出しから、別のペンを持ってきた。
俺の前に置く。
「お兄、字汚いから」
「今それ言う?」
「今言う」
凪沙は向かいに座った。
何も言わずに、スマホを伏せている。
俺はノートに書く。
佐伯さんの黒いエプロン。
三百円ワゴン。
ドアベル。
「また来てよ」
「いいの入ったら取っとくから」
書いている途中で、ペン先が止まる。
佐伯さんの顔が、少しぼやけた。
慌てて書く。
目元。
髪。
声。
客よりゲームの話が長い。
冷やかしでも笑う。
書く。
書く。
書いている間、凪沙は何も言わなかった。
ただ、時々、のど飴の袋をこっちに押してきた。
*
部屋に戻ると、ミナミが待っていた。
ホログラムの輪郭が、今までで一番薄い。
「現地確認結果を入力してください」
「もう書いた」
「共有を推奨します」
「ノートを読め」
「手書き情報は直接参照できません」
「便利じゃないな」
「意図的に不便な記録媒体であるため、残存しやすい可能性があります」
俺はノートを机に置いた。
「店は消えた」
「はい」
「名剥ぎの魔女は倒した」
「はい」
「でも戻らなかった」
「はい」
「勝っても戻らないなら、何をしてるんだよ」
ミナミは少し黙った。
「消失済み対象の復元ではありません」
「知ってる」
「未消失対象の保持です」
「知ってるって」
「現在、保持すべき対象は拡大しています」
「何が」
ミナミのホログラムが乱れた。
一瞬、顔の輪郭が二重になる。
「観測者です」
「視聴者?」
「はい」
「俺?」
「はい」
「凪沙もか」
ミナミは答えなかった。
その沈黙で、指先が冷えた。
「ミナミ」
「次回配信を推奨します」
「答えろ」
「次回配信を推奨します」
「凪沙も対象なのか」
ホログラムが一度、大きく乱れた。
白いノイズが、部屋の壁に薄く反射する。
「現時点で断定は非推奨です」
「断定しろ」
「断定は非推奨です」
俺は机を叩いた。
ノートが跳ねる。
ページがめくれる。
そこに、凪沙の字のメモが挟まっていた。
帰りに牛乳。
あと、カップ麺ばっか食べない。その文字を見た瞬間、息が止まった。
凪沙の字。
普通の字。
今日の朝、テーブルにあったメモ。
俺はそれをノートに貼った。
テープで端を留める。
「これも残す」
ミナミは黙っていた。
俺はノートの表紙を見た。
まだ、何も書いていない表紙。
ペンを取る。
表紙の真ん中に、大きく書いた。
忘れたら終わり書き終えた瞬間、手が少し震えた。
でも、文字は読める。
読めるならいい。
俺はノートを閉じた。
スマホが震える。
通知。
ミハル切り抜き置き場
新しいショートが投稿されました画面を開く。
【クロノ・ブレイブ戦記】ボス撃破後、ミハルの様子がおかしい
再生数:612投稿から、まだ十分も経っていなかった。
サムネには、俺が「倒しただろ」と言った瞬間の顔が使われている。
コメント欄を開く。
ガチでつらそう
演技ならうますぎ
店って何?
ナハギ怖いさっきのコメントは残っていない。
忠告はした。
あれを見たのは、俺だけだったのか。
いや、コメント欄には反応があった。
今の何。
コメント?
ミハルくん大丈夫?
誰かは、見ていた。
でも、残っていない。
見た人間がいるのに、記録には残っていない。
俺はスマホを伏せた。
忠告。
そろそろ手を引け。
手を引かなかったから、店が消えたのか。
じゃあ次は。
俺。
視聴者。
牧野。
佐伯さん。
ミナミ。
凪沙。
その名前が浮かんだ瞬間、椅子が床を擦った。
立ち上がったのか、自分でも一拍遅れて気づいた。
部屋の外から、凪沙の声がした。
「お兄、風呂入った?」
普通の声だった。
普通すぎて、返事が遅れた。
「……凪沙」
「なに?」
「今、そこにいるよな」
「は?」
「いや……いるよな」
ドアの向こうで、少し間が空く。
「いるけど。なに、怖いんだけど」
俺はドアまで歩きかけて、足を止めた。
開ければ確認できる。
でも、確認しなきゃいけないと思ったこと自体が、もう嫌だった。
「……なんでもない」
「ほんとに顔やばいよ。早く風呂入って寝な」
「分かった」
分かったと言ったのに、椅子には戻れなかった。
スマホを握ったまま、俺はドアを見ていた。
机の上では、ミナミのホログラムだけが静かに揺れていた。
