同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #7
SAVE7 GATE
朝、地図アプリを開いた。
検索欄には、昨日の文字が残っている。
GATE 中古ゲーム館親指で一文字ずつ消して、打ち直す。
GERO。
検索候補が出るまで、少し間があった。
画面の上で、読み込み中の丸が小さく回る。
一秒。
二秒。
三秒。
候補が出た。
GATE 中古ゲーム館GEROは、出てこなかった。
俺は検索欄を消して、もう一度打った。
G。
E。
R。
O。
候補は変わらない。
GATE 中古ゲーム館スマホを閉じる。
すぐに開く。
同じ画面。
同じ文字。
昨日、ノートには両方書いた。
GERO / GATE。
でも、画面の中では、斜線の左側だけが抜け落ちている。
俺は写真フォルダを開いた。
前に撮った店の写真を探す。
凪沙に「また変なゲーム買ってる」と送った時の写真。
店先の三百円ワゴン。
色あせたポスター。
ガラス戸。
佐伯さんの黒いエプロンの端。
それらは写っていた。
でも、看板の真ん中だけが黒く潰れている。
G■■E 中古ゲーム館GEROと写っていた写真を探す。
別の日、別の角度、レシートを撮った写真、ワゴンを撮った写真。どれも、店名だけが黒く潰れていた。
写真は残っている。場所も残っている。買った記憶も残っている。
なのに、GEROだけがない。
スマホの暗い画面に、自分の顔が近く映った。
俺が間違っているのか。
その考えが浮かんだ瞬間、指先に力が入った。
違う。
俺は買った。あの店で佐伯さんから買った。三百円だった。
クロノ・ブレイブ戦記。ぽよぽよ通。合計五百円。
頭の中で繰り返すたびに、単語の輪郭が少しだけ戻る気がした。
「……行くしかないだろ」
机の上で、ミナミのホログラムが起動した。
「現地確認は非推奨です」
「聞いてない」
「昨日も同様の回答を行いました」
「じゃあ二回目も聞いてない」
「追加の観測により、消失処理が進行する可能性があります」
「じゃあ、見ない方がいいってことか」
「はい」
「見なかったら、戻るのか」
ミナミは答えなかった。
その沈黙を見て、俺は上着を取った。
「戻らないなら、見に行く」
「ミハルさん」
「俺が覚えてるうちに、見に行く」
ミナミの輪郭が、ほんの少しだけ乱れた。
「差分を検出しました」
「それ、もう聞き飽きた」
*
家を出る前、リビングを覗いた。
凪沙はいない。
学校に行ったあとだった。
テーブルの上に、牛乳の空きパックが置かれている。
昨日、母さんのメモには「牛乳まだあるから買わなくていいです」と書いてあった。
でも、もう空だった。
凪沙の字で、メモが一枚足されている。
帰りに牛乳。
あと、カップ麺ばっか食べない。最後の一文には、やけに力が入っていた。
俺はスマホで写真を撮った。
撮ってから、なんで撮ったのか自分でも分からなくなった。
消えたら嫌だから。
そう書きかけて、頭の中で止めた。
写真フォルダを閉じる。
玄関に向かう途中、スマホが震えた。
通知。
ミハル切り抜き置き場
新しいショートが投稿されました足が止まった。
通知を開く。
【GATE?】ゲーム画面に現実の店名が出てミナミが壊れる
再生数:1,128昨日の配信から、まだ半日も経っていない。
サムネには、画面中央に一瞬表示された文字が使われていた。
GATE 中古ゲーム館その下に、俺の顔。
止まった表情。
口が半開きで、目だけが画面を見ている。
「……早すぎるだろ」
動画を再生しかけて、やめた。
投稿者名を見る。
ミハル切り抜き置き場。
知らない名前。
でも、切り抜かれている場面は、こっちが忘れたいところばかりだった。
スマホをポケットに入れる。
玄関のドアを開ける。
外の明るさに、目の奥が少し痛んだ。
スマホの画面を見すぎたせいか、商店街へ向かう道まで、薄いノイズがかかって見えた。
*
駅前へ向かう電車の中で、俺はスマホを握ったまま座っていた。
開けば、またGATEの文字が出る。
分かっているのに、親指は何度も画面を点けようとする。
そのたびに、反対の手でスマホを押さえた。
今見るな。
現地で見れば分かる。
そう言い聞かせている間にも、頭の中ではGEROという四文字が少しずつ遠くなる気がした。
*
駅前の商店街は、いつもと同じだった。
ドラッグストアの前には特売の旗。
古い喫茶店の窓には、手書きのモーニングの紙。
自転車で通り過ぎる高校生。
段ボールを積んだ台車を押す宅配業者。
何も変わっていない。
そう見えた。
俺は商店街の奥へ進む。
GEROは、ドラッグストアの隣にある。
中古ゲームのポスターが何枚も貼られていて、入口の横には三百円ワゴンが置いてある。
高校の帰りに、何度も立ち寄った。
佐伯さんが、いつも黒いエプロンでレジにいた。
客よりゲームの話が長い店員。
俺が何も買わなくても、「今日は冷やかしかい」と笑っていた。
角を曲がる。
ドラッグストアの看板が見えた。
その隣。
俺は足を止めた。
店は、あった。
入口もある。
ガラス戸もある。
三百円ワゴンもある。
でも、看板の文字が違っていた。
GATE 中古ゲーム館声が出なかった。
出そうとして、喉の奥で止まった。
スマホを取り出す。
写真を開く。
現実の看板。
写真の看板。
見比べる。
現実にはGATE。
写真にはG■■E。
地図アプリにはGATE。
俺の頭の中だけに、GERO。
その並び方が、気持ち悪かった。
証拠を探しに来たはずなのに、証拠の方が俺を置いていく。
俺は検索欄にもう一度GEROと打った。
画面にはGATE。
看板にもGATE。
写真にもG■■E。
GEROは、どこにも出てこない。
手のひらに汗が滲む。
スマホの角が滑りそうになって、慌てて握り直した。
「……中、見れば分かる」
声に出した。
声にしないと、足が動かなかった。
店のガラス戸に手をかけて中に入る。
*
店内の匂いは、ほとんど変わっていなかった。
古い紙、プラスチックケース、少し湿った段ボール。
入口の横には三百円ワゴン。
奥にはレトロゲームの棚。
壁には色褪せたポスター。
全部、知っている。
なのに、ところどころ知らない。
レジ横のショップカード。
GATE 中古ゲーム館ポイントカードのスタンプ。
GATE買い取り案内の紙。
GATEでは古いゲーム機も買取中!フォントはGEROのまま。
色も、レイアウトも、紙の黄ばみ方も、そのまま。
文字だけが、すり替わっている。
俺は一枚ずつ、目で追った。
どこにもGEROはない。
探せば探すほど、ないことだけが増えていく。
「いらっしゃい」
レジの奥から声がした。
黒いエプロン。
少し長めの髪。
三十代後半くらい。
佐伯さんだった。
俺は息を吸うタイミングを間違えた。
「……佐伯さん」
「お、透くん」
佐伯さんは、いつも通り笑った。
いつも通り。
その顔を見た瞬間、足の裏が床に戻ってきた気がした。
「来てくれたんだ」
「はい」
「今日は何か探し物?」
「……確認したいことがあって」
俺はレジ前に立つ。
カウンターの角に手を置いた。
木の感触が、思ったより硬い。
「佐伯さん」
「ん?」
「この店、GEROですよね」
佐伯さんの手が止まった。
カウンターの上には、査定中らしいソフトが何本か並んでいる。
古いケース。
色褪せた説明書。
佐伯さんはその一本を持ったまま、俺を見た。
「……何だって?」
「GEROです。中古ゲームショップGERO」
「うち?」
「はい」
佐伯さんは店内を見回した。
レジ横のショップカード。
壁のポスター。
買い取り案内。
看板。
「GATEだよ」
「違います」
声が少し大きくなった。
佐伯さんが目を瞬かせる。
俺はすぐに口を閉じた。
違う。
佐伯さんに怒っても仕方ない。
でも、違う。
ここで引いたら、俺の方が間違っていたことになる。
「すみません。でも、違うんです」
「透くん」
佐伯さんは困ったように笑った。
「それ、前にも言ってた?」
「……言いました?」
「いや、分かんない。ただ、なんか」
佐伯さんはこめかみを指で押さえた。
「喉まで出てる感じがする」
「店名が?」
「いや、違うな。店名じゃなくて」
佐伯さんはカウンターの下を探った。
何かを取り出そうとして、手を止める。
「何探してるんですか」
「……分からない」
カウンターの下には、古いファイルが何冊も並んでいる。
佐伯さんはその一冊を開いた。
中には、納品書やレシート控えが挟まっている。
何枚かめくる。
途中で、手が止まった。
「これ、変だな」
佐伯さんが一枚の伝票を取り出した。
店名欄。
G E 中古ゲーム館真ん中が空いている。
印刷ミスみたいに。
でも、そこだけが妙に白い。
「うちの伝票で、こんな抜け方しないんだけどな」
その言葉を、俺は前にも聞いた気がした。
レシートの時。
クロノ・ブレイブ戦記の名前が空欄になった時。
佐伯さんは同じように首を傾げていた。
「佐伯さん」
「ん?」
「覚えてますか。俺が三百円のゲーム買った日」
「ぽよぽよ通?」
「それと、もう一本」
佐伯さんの表情が、少しだけ動いた。
「もう一本……」
「クロノ・ブレイブ戦記」
店の奥で、何かが落ちた。
小さな音。
棚の上の空ケースが、床に転がっていた。
佐伯さんはそっちを見た。
俺も見る。
床に落ちたケースには、タイトルがなかった。
真っ白な背表紙。
透明なプラスチック。
中身は空。
「……その名前」
佐伯さんが言った。
「はい」
「聞いたことがある」
レジの奥で、蛍光灯が一度だけ瞬いた。
佐伯さんは伝票を見下ろす。
「でも、仕入れた記録がない」
「俺、ここで買いました」
「うん」
「佐伯さんから」
「うん」
「覚えてますよね」
佐伯さんは返事をしなかった。
伝票を持つ指に、少し力が入っている。
紙が小さく曲がった。
「覚えてる、気はする」
それは、覚えている、ではなかった。
俺はカウンターの上に置いた手に力を込めた。
指先が少し白くなる。
「じゃあ、なんで」
言いかけた時、店のドアベルが鳴った。
*
「お世話になりまーす」
入ってきたのは、作業着の男だった。
四十代くらい。
キャップを深くかぶっていて、胸には会社名のワッペン。
手にはタブレット。
後ろには、台車。
段ボール箱が三つ積まれている。
佐伯さんが顔を上げる。
「ああ、どうも」
「回収の件で来ました」
「今日でしたっけ」
「はい。レトロゲーム関連の在庫、指定分だけ」
男は店内を見回した。
目つきは普通だった。
営業スマイルも普通。
怪しい雰囲気はない。
ただ、普通の業者。
その普通さが、かえって画面のノイズみたいに見えた。
「そっちの棚ですかね」
「ええ、でも本当に持っていくんですか? あの辺、まだ売れるんですけど」
「指示なので」
「指示って、本社とかですか?」
「まあ、そんな感じです」
男はタブレットを操作する。
佐伯さんはレジから出て、奥の棚へ向かった。
俺はその場に立ったまま、二人を見る。
棚には、古いゲームソフトが並んでいる。
SFC。
GBA。
名前の薄れたケース。
値札の端が剥がれた箱。
佐伯さんが一つずつ段ボールに入れていく。
男はタブレットで確認している。
「これもですか」
「はい」
「これ、箱付きなんですけど」
「対象です」
「こっちは?」
「対象です」
「じゃあ、この辺ほとんどじゃないですか」
「そうですね」
佐伯さんは小さく息を吐いた。
「にしても、こんなレトロゲーム集めて何か意味あるんです?」
男はタブレットを見たまま答えた。
「困るんですよね」
佐伯さんの手が止まる。
「困るって、誰が?」
男は顔を上げた。
「世界が」
店内の音が、薄くなった。
蛍光灯の低い音も、外を通る自転車のブレーキも、レジ横の時計の秒針も、全部が一枚向こう側へ下がったみたいに聞こえた。
いま、世界って言ったか。
聞き間違いじゃない。
佐伯さんも、手を止めている。
俺だけが聞いたんじゃない。
世界。
ゲームの中でも、ミナミの説明でもなく、駅前の中古ゲーム屋で、作業着の男が普通の声でそう言った。
胸の奥が、一拍遅れて強く鳴った。
ここで何か言わないといけない。
何を。
分からない。
男は何も変なことを言っていないみたいな顔で、タブレットに視線を戻した。
「残ってると、帳尻が合わないので」
「帳尻って…?」
「在庫と記録です」
「はあ…」
佐伯さんは曖昧に頷く。
俺は動けなかった。
世界。
帳尻。
在庫と記録。
単語だけは普通なのに、並び方が変だった。
頭の中で、ノートのページが開く。
書かなきゃ。
今の言葉を。
世界が困る。
帳尻が合わない。
でも、ここでメモを取ったら、男がこっちを見る気がした。
ポケットの中のスマホに指をかけて、離した。
男は段ボールの中身を確認する。
「この棚の下もお願いします」
「はいはい」
佐伯さんがしゃがむ。
棚の下の箱を引っ張り出す。
中から、古いソフトが何本も出てきた。
その中に、見覚えのある背表紙があった。
黒っぽいラベル。
金色の文字。
でも、タイトル部分だけが滲んでいる。
俺は思わず一歩近づいた。
「それ」
佐伯さんが振り向く。
「これ?」
手に取られたソフトのラベルは、半分読めなかった。
クロノ・■■■■戦記喉の奥が鳴った。
「待ってください」
咄嗟に声が出た。
自分でも驚くくらい、乾いた声だった。
業者の男が振り返る。
「何か?」
「それ、俺が」
俺が買った。
そう言いかけて、言葉が止まる。
俺が買ったものは、家にある。
じゃあ、これは何だ。
同じタイトル。
同じラベル。
同じ黒い染み。
でも、ここにあるはずがない。
あるはずがないものが回収されている。
じゃあ、俺の部屋にあるあれは。
指先が冷たくなった。
「お客様の私物ですか?」
「……違います」
「では、回収対象です」
男がタブレットにチェックを入れた。
ピッ。
小さな電子音が鳴る。
そのあとで、男がこちらを見た。
目が合った。
黒目が、店の蛍光灯を映していなかった。
さっきまで普通の業者に見えていた顔から、表情だけが抜け落ちている。
喉の奥が、冷たいもので撫でられたみたいに縮んだ。
俺は一歩下がろうとして、靴底を床に擦っただけで止まった。
「……何か?」
男の声は、さっきと同じだった。
同じだったから、余計に指先が動かなかった。
男はソフトを段ボールの中へ入れる。
他のソフトの下に埋もれる。
見えなくなる。
たったそれだけで、何かが一つ、消された気がした。
佐伯さんが、段ボールを見下ろしている。
「透くん」
「はい」
「そのゲーム」
「はい」
「俺、売った?」
俺は答えようとした。
売った。
佐伯さんが売った。
三百円ワゴンから拾って、「変なタイトルだねえ」と笑って。
レジで、ぽよぽよ通と一緒に会計して。
レシートをくれた。
でも、口が動かなかった。
佐伯さんの顔を見たら、言葉が硬くなった。
「……売りました」
佐伯さんは頷いた。
頷いたけれど、その目は伝票の空欄を見ていた。
「そっか」
それだけだった。
男が段ボールを台車に積む。
「では、こちら回収します」
「はい」
「控え、ここにサインを」
佐伯さんがタブレットに指でサインする。
画面に名前が表示される。
GATE 中古ゲーム館
担当:佐伯佐伯。
その文字だけは、残っていた。
俺はそれを見ていた。
男は台車を押して出口へ向かう。
ドアベルが鳴る。
出ていく直前、男が振り返った。
俺を見た。
いや、俺の後ろを見たのかもしれない。
「お客様」
俺は返事をしなかった。
「古いものは、残りやすいんです」
男はそう言って、店を出た。
ドアベルの音が、少し遅れて鳴った。
*
店の中に、佐伯さんと俺だけが残った。
棚の一部が空いている。
そこだけ、日焼けしていない木目が見えた。
長い間、箱が置かれていた跡。
何かがあった場所。
今は、何もない場所。
「ごめんねえ」
佐伯さんが言った。
「何がですか」
「いや、なんか」
佐伯さんは空いた棚を見ている。
「売っちゃいけないもの、売った気がしてきた」
「違います」
すぐに言った。
「佐伯さんのせいじゃないです」
佐伯さんは少しだけ笑った。
「そう言われると、余計に気になるな」
それから、カウンターの上の伝票を見た。
店名欄の真ん中だけが空いたままの紙。
佐伯さんはそこに指を置いて、少しだけ黙った。
「透くん」
「はい」
「俺、何か忘れてる?」
返事ができなかった。
忘れている。
でも、それを俺が言ったところで、何が戻るのか分からない。
佐伯さんは困ったように笑って、伝票をファイルに戻した。
「まあ、思い出したら言うよ」
その言い方が、いつもの佐伯さんに戻っていた。
だから余計に、何も言えなかった。
「……すみません。帰ります」
「え、もう?」
「はい」
「なんかあったら、また来てよ」
また来てよ。
ゲームの中の黒いエプロンのNPCが言った台詞と、同じだった。
俺はドアに向かう。
背中に、佐伯さんの声が届く。
「三百円ワゴン、またいいの入ったら取っとくから」
足が止まった。
三百円ワゴン。
それは残っている。
佐伯さんの中にも、少しだけ残っている。
でも、何を売ったのかは消えかけている。
俺は振り返らずに言った。
「お願いします」
ドアベルが鳴った。
*
外に出ると、商店街の音が一気に戻ってきた。
車の音。
自転車のベル。
ドラッグストアの店頭放送。
全部がうるさい。
俺は店の前でスマホを取り出した。
写真を撮る。
GATE 中古ゲーム館看板は、はっきりそう写った。
もう滲んでいない。
もう欠けていない。
完全に、GATEだった。
俺はその場で写真フォルダを遡った。
過去の写真。
G■■E。
今日の写真。
GATE。
GEROは、ない。
スマホの中で、店名が順番に変わっていく。
G■■E。
GATE。
その間にあったはずのGEROだけが、どこにも残っていない。
胸の内側を、誰かに細い針でなぞられているみたいだった。
俺はメモ帳を取り出した。
歩道の端で、立ったまま書く。
GATE看板確認。
写真にもGATE。
過去写真はG■■E。
GEROの写真なし。字が少し歪んだ。
手が揺れていた。
通行人が横を通る。
誰も、俺を見ない。
誰も、店の看板を見て立ち止まらない。
世界は普通に動いている。
俺だけが、そこに置いていかれている。
スマホが震えた。
通知。
ミハル切り抜き置き場
新しいコメントが付きました最新ショート。
【GATE?】ゲーム画面に現実の店名が出てミナミが壊れるコメント欄を開く。
これ演出?
ミナミの即時終了こわ
GATEって何?
現実連動ネタうまいな指でスクロールする。
何もない。
さらに下。
何もない。
更新する。
一瞬だけ、画面が白くなる。
再読み込み。
その間に、見えた。
そろそろ手を引け黒い文字。
アイコンなし。
名前なし。
一瞬だけ。
すぐに消えた。
コメント欄には、何も残っていない。
指が画面の上で止まった。
背中のあたりが、急に冷える。
俺は反射的に振り向いた。
商店街の人波。
ドラッグストアの前で特売品を見ている主婦。
自転車を押して歩く老人。
スマホを見ながら通り過ぎる高校生。
誰も、こっちを見ていない。
見ていない。
はずなのに、さっきまで気にならなかった視線の全部が、背中に貼りついているみたいだった。
もう一度、コメント欄を更新する。
出ない。
もう一度。
出ない。
親指が滑って、画面が少し斜めに揺れた。
息を吸ったつもりなのに、喉の奥で止まる。
店のガラス戸に、自分の背中が映っていた。
その奥に、GATEの看板。
さらに奥に、レジへ戻る佐伯さんの黒いエプロン。
誰かが立っているように見えて、もう一度振り向く。
誰もいない。
俺はスマホを握り直した。
さっき確かに見た。
見たはずだ。
でも、証拠はない。
消える前に書かなきゃ。
俺はメモ帳を開いた。
切り抜きコメント欄。
一瞬だけ「そろそろ手を引け」。
更新後、消失。消失。
その二文字を書いたところで、ペン先が紙に引っかかった。
インクが、小さく跳ねる。
俺はもう一度、店の看板を見た。
GATE 中古ゲーム館
店の中では、佐伯さんがレジに戻っている。
黒いエプロン。
いつもの姿。
その全部を、見慣れない四文字が上から塗り替えていた。
*
家に帰ると、ミナミはすでに起動していた。
机の上に、白いホログラム。
俺は鞄を床に置く。
ポケットからメモ帳を出す。
手書きの文字。
GATE看板確認。
店内もGATE表記。
佐伯さん、最初は違和感あり。
「俺、何か忘れてる?」と発言。
回収業者。
古いゲームを回収。
「困るんですよね」
「世界が」
「残ってると、帳尻が合わない」
「古いものは、残りやすい」
段ボール内にクロノ・■■■■戦記らしきソフト。
対象として回収。
切り抜きコメント欄に一瞬だけ、
「そろそろ手を引け」
すぐ消えた。俺はそれをノートに写す。
一文字ずつ。
急いで書くと、忘れそうだった。
ゆっくり書いても、忘れそうだった。
手を止めると、佐伯さんの「俺、何か忘れてる?」が頭の中で繰り返される。
そのたびに、GEROという文字の輪郭が少しずつ削れる気がした。
だから、書く。
GERO。
GERO。
GERO。
ページの端に、同じ単語を三回書いた。
それでも、不安だった。
「本日の現地確認により、消失進行が確認されました」
ミナミが言った。
「知ってたのか」
「可能性は提示しました」
「そうじゃなくて」
ペンを握ったまま、ミナミを見る。
「店がGATEになること」
「敗北ログに類似事例があります」
「佐伯さんが忘れること」
「類似事例があります」
「回収業者が来ること」
ミナミは一瞬、黙った。
「一部、一致しています」
ペン先が紙に刺さった。
インクが滲む。
「なんで言わなかった」
「事前情報の提示により、あなたが現地確認を中止する可能性は低いと判断しました」
「言っても行くと思ったってことか」
「はい」
「じゃあ、言えよ」
「言及により、対象情報の定着が発生します」
「何でも非推奨だな」
「必要です」
俺はノートを閉じかけて、また開いた。
まだ書くことがある。
「ミナミ」
「はい」
「配信は」
「本日も実施を推奨します」
即答だった。
俺は笑いかけた。
でも、喉の奥で止まった。
「店がこうなっても?」
「はい」
「回収業者が来ても?」
「はい」
「そろそろ手を引けって言われても?」
「はい」
「なんで」
「観測を止めれば、消失は加速します」
昨日も、似たようなことを言っていた。
配信は復元ではない。
保持。
消えたものは戻らない。
消える前に、残す。
「俺が配信したから、こうなってるんじゃないのか」
「配信により、消失対象の露出は増加しています」
「じゃあ」
「同時に、保持可能性も増加しています」
「どっちだよ」
「両方です」
ミナミの声は、いつも通りだった。
正しいことだけを並べる声。
でも、その正しさの中に、佐伯さんの顔はなかった。
空いた棚も。
段ボールに入れられたソフトも。
蛍光灯を映さなかった男の目も。
コメント欄に一瞬だけ浮かんだ警告も。
俺はノートに最後の一行を書いた。
配信を続けるしかないらしい。書いた後、少し迷って、らしい、を二本線で消した。
配信を続けるしかない。その文字を見ていると、机の上のスマホが震えた。
凪沙からのメッセージだった。
牛乳買った?俺はしばらく、その文字を見ていた。
牛乳。
カップ麺。
のど飴。
配信。
GATE。
世界。
全部が同じ画面の中に並ぶと、どれを先に返せばいいのか分からなくなった。
返信欄を開く。
帰りに買うそう打ってから、もう帰ってきていることに気づいた。
消す。
忘れてた。今から行く送信。
すぐに既読がついた。
やっぱり続けて、もう一つ。
カップ麺禁止俺はスマホを伏せた。
その画面だけは、まだ普通だった。
普通に、凪沙がいた。
机の上では、ミナミが配信開始時刻を表示している。
推奨開始時刻 20:12俺はノートを閉じた。
閉じる前に、表紙の端を指でなぞる。
忘れたら終わり。
