同接2人の配信から、世界線を救うことになりました〜AI軍師と始める敗北ログ攻略〜 #2

#SAVE2 消えゆく記憶
翌朝、俺は目覚ましより先に目を覚ました。
眠った、という感覚はほとんどなかった。
まぶたの裏には、昨夜の画面がまだ焼きついている。
SAVE NAME:MIHARU。
PLAY TIME:999:59。
CHAPTER:NULL STREAM。
AI_GUNSHI_MINAMI.exe。
敗北ログ。
布団の中でスマホを探す。
充電ケーブルが指に絡まり、空のペットボトルが床に転がった。
最初に開いたのは、動画サイトでも配信管理画面でもなかった。
掲示板だ。
昨日、GEROのワゴンで『クロノ・ブレイブ戦記』を見つけたときに開いた、あの古い掲示板。
――最後まで遊んだやつ、いる?
――セーブデータ消えないんだけど。
――中古で買ったら変な名前入ってた。確かに、そんな書き込みがあった。
他にも、気になる一文があった気がする。
――つづきからやるな。それを読んだときは、よくある怪談ノリの書き込みだと思った。
古いゲーム。謎のセーブデータ。意味深な警告。
配信のネタとしては、むしろありがたいくらいだった。
でも今は違う。
俺は検索履歴を開き、昨日のページをタップした。
ページは開いた。
古い掲示板特有の、やけに軽い表示。
白い背景。
青いリンク。
日付の古い書き込みが、上から順に並んでいる。
そこまでは、昨日と同じだった。
でも。
――最後まで遊んだやつ、いる?
――セーブデータ消えないんだけど。
――中古で買ったら変な名前入ってた。
――つづきからやるな。その書き込みが、どこにもなかった。
スレッド自体は残っている。
関係のない雑談も残っている。
別のレトロゲームの話も、十年以上前の煽り合いも、そのまま残っている。
なのに、『クロノ・ブレイブ戦記』に触れていたはずの数件だけが、きれいに抜け落ちていた。
俺は画面をスクロールする。
レス番号が飛んでいる。
152。
153。
158。
159。
154から157がない。
削除済み、という表示すらない。
最初からそこに何もなかったみたいに、番号だけが欠けている。
「……は?」
検索する。
クロノ・ブレイブ戦記。
セーブデータ。
消えない。
つづきからやるな。
ページ内検索は、何も拾わなかった。
昨日、確かに読んだはずの言葉だけが消えている。
検索履歴だけは残っている。
開いた時間も、ページタイトルの一部も残っている。
でも、そこにあったはずの言葉だけが消えていた。
俺はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
もし、これが本当にミナミの言っていた“上書き”なら。
次に消えるのは、何だ。
掲示板。
商品ページ。
購入履歴の商品名。
その次は、配信の録画か。
俺の記憶か。
それとも、机の上にあるあのカセットそのものか。
ベッドから起き上がると、部屋は昨夜のままだった。
PCの前には、黄ばんだカセット。
横には、配信に使ったマイク。
モニターは黒いまま沈黙している。
それでも、机の上に置いたスマホが小さく震えた。
通知はない。
画面だけが、勝手についた。
黒い背景に、白い文字。
AI_GUNSHI_MINAMI:待機中「……お前、まだいるのかよ」
スマホから、昨夜と同じ女の声が返ってきた。
「はい。接続は維持されています」
「朝から最悪だな」
「おはようございます、ミハルさん」
「挨拶の形式だけ整えるな」
自分でも驚くくらい、普通に返していた。
怖くないわけじゃない。
むしろ、怖い。
でも、一晩明けたせいか、俺の中には別の感情が混ざり始めていた。
好奇心。
最悪だ。
配信者として、いちばんダメなやつだ。
「昨日の掲示板、消えてた」
「予測範囲内です」
「予測してたなら先に言えよ」
「あなたは、確認しなければ信じないと判断しました」
「……性格悪いな」
「未来のあなたの設計思想を踏襲しています」
「未来の俺、最低だな」
「否定はしません」
「そこは否定しろよ」
スマホの画面に、短い文字が流れた。
敗北ログ再生条件:配信環境の再現
推奨行動:二回目の配信 俺は目を細めた。
「また配信しろって?」
「はい」
「昨日、凪沙にやめとけって言われた」
「凪沙さんの判断は妥当です」
「じゃあやめるわ」
「ですが、やめた世界線では敗北しています」
その言い方が、ずるかった。
やめるのが正しい。
関わらないのが安全。
PCもスマホも初期化して、カセットは捨てる。
普通ならそれが正解だ。
でも。
やめた世界線では、敗北している。
その言葉だけが、頭の中に引っかかった。
「敗北って、具体的に何なんだよ」
「現段階では開示できません」
「便利だな、その言葉」
「情報開示により、世界線の収束が早まる可能性があります」
「また難しいこと言ってる」
「簡単に言えば、知りすぎると失敗しやすくなります」
俺は黙った。
知りすぎると、失敗する。
その言葉は、妙に配信にも似ていた。
伸ばし方を調べすぎて、何が面白いのか分からなくなる。
サムネの作り方を学びすぎて、自分が何を見せたいのか分からなくなる。
数字を見すぎて、目の前の一人を忘れる。
最近の俺は、ずっとそんな感じだった。
部屋を出ると、台所で制服姿の凪沙がマグカップを持っていた。
紺のブレザーに、少し曲がったリボン。
肩にかかる髪は寝癖で少し跳ねていて、片手には通学用のバッグが引っかかっている。
白瀬凪沙。
俺の妹で、高校二年生。
朝に弱いくせに、なぜか俺よりは生活がまともなやつだった。
「それ、まだいるの?」
「いる」
「しぶと」
「凪沙さん、おはようございます」
「喋んな。朝から怖い」
凪沙はスマホを見て、少しだけ顔をしかめた。
「昨日のこと、覚えてるよな」
「クロノ・ブレイブ戦記でしょ。変なセーブデータのやつ」
その名前を聞いて、少しだけ息が楽になった。
俺だけじゃない。
凪沙も覚えている。
「買った店、行ってくる」
「GERO?」
「ああ。佐伯さんに聞けば何か分かるかもしれない」
「大学は?」
「……二限から」
「サボる顔してる」
「してない」
「してる」
凪沙はじっと俺を見たあと、壁の時計に目をやった。
「……あ、やば!」
慌ててマグカップを流しに置く。
「お兄も大学ちゃんと行きなよー!」
「いや、お前に言われなくても」
「言われないと行かなそうだから言ってんの」
凪沙は玄関へ向かいかけて、ふと思い出したように振り返る。
「あと、レシート持ってきなよ」
「レシート?」
「証拠。昨日買ったんでしょ」
「……ああ」
「変だったらすぐ帰ってくること。あと牛乳」
「この流れで?」
「低脂肪じゃないやつね」
「怪異より注文が細かい」
「日常の方が大事なんで」
それだけ言って、凪沙はばたばたと玄関へ向かった。
「いってきまーす!」
「いってら」
ドアが閉まる。
急に静かになった台所で、俺は財布の中のレシートを探した。
GERO 中古ゲーム館
2026/06/22 15:47
ぽよぽよ通 200
300
合計 500ぽよぽよ通は残っている。
その下に、三百円。
でも、商品名だけがない。
昨日、確かに買った。
ぽよぽよ通と一緒に、三百円のワゴンから。
なのに、名前だけが消えている。
俺はレシートを財布に戻し、リュックを背負った。
*
大学に行くつもりではあった。
リュックには教科書が入っている。
スマホには、二限の出席確認アプリの通知が来ていた。
いつも通り電車に乗って、いつも通り講義室に座って、誰とも深く話さず、学食で安いカレーを食べて帰る。
それが俺の日常だった。
ごく普通の大学。
ごく普通の講義。
ごく普通の友人関係。
名前を呼べば返事をする相手はいる。
学食で同じ席に座る相手も、講義の出席だけ頼める相手もいる。
スマホが震えた。
画面には、牧野からのメッセージが表示されていた。
牧野:二限出る?
牧野:教授、出席取るっぽい俺はしばらく、その通知を見ていた。
牧野は友人だ。
たぶん、友人と呼んでいい。
講義が被れば隣に座るし、課題の締切が近ければ連絡もする。
くだらない動画を送り合うこともある。
でも、昨日の夜に未来のAI軍師がスマホに住み着いた、なんて話を送れる相手ではなかった。
俺は返信欄に指を置いて、少し迷った。
透:ちょっと遅れるそう打って、送信する。
嘘ではない。
ただ、大学に遅れるだけじゃなくて、俺の普通の日常そのものから遅れ始めている気がした。
俺は、そういう場所にいる、そういう人間だった。
どこにでもいる。
誰かと完全に切れているわけじゃない。
でも、本当に変なことが起きた時、最初に助けを求めるほど近い相手もいない。
配信でも同じだ。
同接二人。
一人は自分。
もう一人は、誰か分からない。
俺の声は、いつも世界の端で小さく跳ねて、誰にも拾われずに消えていく。
だから昨日のことだけが、変だった。
存在しないセーブデータ。
未来から来たとか言うAI軍師。
俺の配信名が入った、四番目のスロット。
あれだけが、俺の平凡な一日からはみ出していた。
駅前で、俺は大学へ向かう人の流れから外れた。
改札ではなく、商店街の方へ曲がる。
大学をサボって中古ゲーム屋に行く。
俺の人生の反抗なんて、その程度だった。
*
中古ゲームショップGEROは、昨日と同じ場所にあった。
黄色い看板。
少し間の抜けたカエルのロゴ。
入口横の三百円ワゴン。
昨日と同じ。
少なくとも、見た目は。
ドアを開けると、小さなベルが鳴った。
「いらっしゃい……お、透くん。昨日ぶり」
レジの奥にいたのは佐伯さんだった。
三十代後半くらい。
黒いエプロン。
客よりゲームの話が長い店員。
高校の頃から、この店に来るたびに見かけている。
「昨日買ったやつ、動いた? ぽよぽよ通」
「あ、はい。そっちは普通に」
「そっちは?」
その言い方に、少しだけ期待した。
そっちは。
じゃあ、もう一本を覚えているのかもしれない。
「もう一本の方なんですけど」
「もう一本?」
佐伯さんは首を傾げた。
「昨日、ぽよぽよ通と一緒に買ったじゃないですか。三百円ワゴンの」
「ああ、ワゴン」
「クロノ・ブレイブ戦記っていう」
タイトルを口にした瞬間、佐伯さんの表情が止まった。
ほんの一瞬。
でも、すぐに困ったような顔になる。
「……え? そんなゲーム、知らないなあ」
「いや、昨日ここで買いましたよ」
「うちで?」
「はい。佐伯さん、レジ打ってくれました」
「ぽよぽよ通は覚えてるよ。透くんが『これ配信でやったらコメント欄が平成になるかもしれない』とか言ってたやつでしょ」
「そこは覚えてるんですね」
「うん。あれはちょっと面白かったし」
「じゃあ、その隣にあったやつです。古いRPGっぽいカセットで、ラベルが黄ばんでて」
佐伯さんは三百円ワゴンの方を見た。
正確には、昨日俺がそのカセットを拾った場所を見た。
知らないと言ったのに、目だけはそこに行った。
「うーん……ごめん。やっぱり分からないな」
俺は財布からレシートを出した。
「これ、見てもらっていいですか」
「もちろん」
佐伯さんはレシートを受け取って、レジ横のライトの下にかざした。
すぐに眉をひそめる。
「あれ?」
「変ですよね」
「うん。というか……うちのレシートでこんな表記にはならないんだけどな」
「ならないんですか?」
「ならないね」
佐伯さんはレシートの空欄を指でなぞった。
ぽよぽよ通 200
300「商品名が登録されてない場合でも、普通は『中古ソフト』とか『その他』って出る。空欄にはならない。少なくとも、俺は見たことない」
「でも、それ、昨日のレシートですよね」
「うん。うちのレシートで間違いない。日付も時間も合ってる。ぽよぽよ通の値段も合ってる」
「三百円の行は?」
「売上はある」
佐伯さんはレジを操作した。
しばらく画面を見たあと、困ったように笑う。
「店の履歴でも同じだね」
画面を少しだけこちらに向けてくれる。
2026/06/22 15:47
ぽよぽよ通 200
300
合計 500そこにも、名前だけがなかった。
「……俺、何か買ってますよね」
「買ってる」
「でも、何を買ったかは」
「残ってない」
佐伯さんの声が、少し低くなった。
「変だな。こんな抜け方、普通しないんだけど」
普通しない。
その言葉が、やけに耳に残った。
PCのバグじゃない。
配信上の演出でもない。
俺の勘違いでもない。
店のレジにも、同じ穴が空いている。
「昨日、俺が買った時のこと、何か覚えてませんか」
「昨日……」
佐伯さんは腕を組んだ。
また、三百円ワゴンの方を見る。
「透くんが、ワゴンのところで……何か、古いRPGっぽいのを持ってきたような……」
「それです」
「タイトルが……」
佐伯さんは、そこで止まった。
口が、続きの形を作ったまま動かない。
クロ、と言いかけたように見えた。
でも、声にはならなかった。
佐伯さんは一度まばたきをして、それから首を振った。
「……ごめん。やっぱり分からないな」
俺は、背中が冷えるのを感じた。
今、思い出しかけた。
たぶん、確かに。
でも、その先に行けなかった。
忘れているんじゃない。
忘れさせられている。
「透くん、大丈夫? 顔色悪いよ」
「……大丈夫です」
大丈夫ではなかった。
俺はレシートを返してもらい、三百円ワゴンの前にしゃがんだ。
昨日、そのカセットがあった場所。
そこには、別のソフトが雑に積まれていた。
何本かどかすと、ワゴンの底に細長い埃の跡があった。
カセット一本分だけ、そこだけ白い。
何かが置かれていた跡。
でも、それが何だったのかは、もうどこにも残っていない。
「すみません。変なこと聞いて」
「いや、こっちも気になるし。レジの件は見ておくよ」
「ありがとうございます」
「もし思い出したら、連絡する」
「……思い出したら?」
「うん」
佐伯さんは少しだけ困った顔をした。
「なんか、忘れてる気はするんだよな。何を忘れてるのかは、分からないんだけど」
その言葉で、喉が詰まった。
「また来ます」
「うん。ぽよぽよ通、詰まったら言って。連鎖は慣れだから」
「そこは覚えてるんですね」
「ぽよぽよ通は名作だからね」
佐伯さんは、いつもの顔で笑った。
俺は店を出た。
*
商店街の景色は普通だった。
自転車のベル。
惣菜屋の油の匂い。
遠くで誰かが笑う声。
全部、昨日までと同じ。
なのに、俺だけが変なものを持っている。
空欄のレシート。
三百円の売上。
佐伯さんの止まった口元。
ワゴンの底の埃の跡。
買ったことは残っている。
払った金額も残っている。
一緒に買った『ぽよぽよ通』も残っている。
なのに、『クロノ・ブレイブ戦記』だけがない。
レシートから。
店の履歴から。
売った人の記憶から。
これは、ネットの検索結果が消えたとか、PCの調子が悪いとか、そういう話じゃない。
昨日という現実の一部が、削られている。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見ると、ミナミの文字が出ていた。
上書きが進行しています。「……上書きって何だよ」
俺が小さく言うと、ミナミは答えた。
「現在の世界線に存在しない情報を、整合する形で修正する現象です」
「つまり、なかったことにしてるってことか」
「はい」
「人の記憶まで?」
「はい」
即答だった。
腹が立った。
「ふざけんなよ」
「私は現象を説明しています」
「そういう話じゃねぇだろ」
通行人がこちらを見た。
俺は慌ててスマホを伏せる。
商店街の真ん中でスマホに怒鳴る大学生。
普通にやばい。
俺はスーパーで牛乳を買ってから、家に帰った。
*
「店の人、覚えてなかった」
帰ってすぐそう言うと、凪沙は一瞬だけ黙った。
「……クロノ・ブレイブ戦記のこと?」
その名前を凪沙が言えたことに、少しだけ息ができた。
「ああ」
「レシートは?」
「空欄。店の履歴も同じだった。三百円だけ残ってて、名前だけない」
「やな感じ」
「だろ」
凪沙は腕を組んで、しばらく黙った。
「やめなよ」
短く、そう言った。
たぶん、それが一番まともな判断だった。
怖いからやめる。
危ないから関わらない。
配信もしない。
カセットも起動しない。
それが普通だ。
「……だよな」
「うん。やめた方がいい」
凪沙は俺を見た。
でも、その目はすぐに細くなった。
「でも、お兄、やるんでしょ」
「……」
「そういう顔してる」
「どんな顔だよ」
「危ないって分かってるのに、イベントフラグ見つけてワクワクしてるバカの顔」
「言い方」
「事実でしょ」
言い返せなかった。
怖い。
怖いに決まっている。
でも、知らないまま終わるのはもっと怖かった。
佐伯さんが忘れたみたいに、次は俺が忘れるかもしれない。
凪沙が忘れるかもしれない。
その時、テーブルの上に置いたスマホが震えた。
「本日中の再配信を推奨します」
ミナミの声だった。
凪沙が露骨に嫌な顔をする。
「出た。止めようとしてるところに割り込んでくるやつ」
「私は会話の流れを阻害する意図はありません」
「してる。めちゃくちゃしてる」
俺はスマホを見る。
「今日じゃないとダメなのか」
「はい」
「明日じゃ?」
「推奨しません」
「理由は」
「昨夜、一時的に観測数が混線しました」
観測数。
その言葉に、昨日の同接表示が頭をよぎる。
二人。
十二人。
百二十人。
九千九百九十九人。
そして、すぐに二人。
「あれのことか」
「はい。その痕跡が、配信サイト側に残っています」
「痕跡?」
「本日中に再配信すれば、通常より多くの視聴者が流入する可能性があります」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
「同接が増えるってことか」
「はい」
凪沙が俺を睨む。
「お兄」
「……分かってる」
「分かってない顔してる」
「してない」
「してる。今、ちょっと嬉しそうだった」
言い返せなかった。
怖い。
怖いに決まっている。
でも、同接が増えると言われて、胸の奥が熱くなったのも事実だった。
ミナミは続ける。
「ただし、観測数の増加は、上書き現象を促進する危険があります」
「じゃあダメじゃん!」
凪沙の声が大きくなる。
「危ないって自分で言ってるじゃん!」
「はい」
「はい、じゃない!」
ミナミは少しも揺れなかった。
「ただし、観測されなければ、消失した記録を固定することもできません」
「固定?」
「誰にも見られず、誰にも覚えられなかった情報は、修正対象になりやすい。逆に、複数の観測者に共有された情報は、差分として残る可能性があります」
俺はスマホを見つめた。
「つまり……配信で見てもらえば、消えにくくなるかもしれないってことか」
「可能性があります」
「可能性って」
「確定ではありません」
「ずるい言い方だな」
「正確な言い方です」
凪沙が深くため息をついた。
「やめなよ」
さっきより強い声だった。
「同接が増えるとか言われて、乗せられてるだけじゃん」
「……分かってる」
「分かってない。お兄、そういうの弱いでしょ」
その通りだった。
伸びたい。
見られたい。
誰かに、自分の声を拾ってほしい。
ずっとそう思っていた。
だから、ミナミの言葉は危なかった。
怖いことを説明しているようで、ちゃんと俺の一番弱いところを押してくる。
「でも」
俺はレシートをテーブルに置いた。
空欄の三百円。
「佐伯さんは忘れてた」
凪沙は黙った。
「店の履歴も消えてた。掲示板も消えてた。これ、放っておいたらたぶん、もっと消える」
「だからって、配信すればいいって話になる?」
「ならない」
俺は首を振った。
「ならないけど……何もしないで忘れるのは、もっと嫌だ」
凪沙は何も言わなかった。
しばらくして、舌打ちみたいに小さく息を吐いた。
「ほんと、最悪」
「ごめん」
「謝るくらいならやめれば」
「……それは」
「ほら、やるんじゃん」
凪沙は呆れたように俺を見た。
「止めても無理っぽいから、ひとつだけ」
「なに」
「同接が増えるとか言われても、調子乗んな」
「乗らない」
「嘘。絶対ちょっと乗る」
「……ちょっとは」
「認めるな」
凪沙はテーブルの端にあったノートを引き寄せた。
そして表紙に、太い字で書く。
忘れたら終わり「怖いなら、怖いって言いながらやれば」
「……」
「平気なフリすんな。伸びるかもとか思っても、それだけで動くな。変なことがあったら書く。ほんとにヤバかったら切る」
「分かった」
「分かってなさそう」
「分かってる」
「嘘っぽい」
凪沙はノートを俺に押しつけた。
「私は、賛成してないからね」
「ああ」
「あと、コメント来たら絶対乗るから気をつけて」
「乗らないって」
「嘘。お兄、数字に弱いもん」
「そこまで言う?」
「言う。事実だから」
凪沙は立ち上がる。
「もういい。私は知らない」
「知らないって」
「知らない。勝手にすれば、配信者さん」
「その呼び方やめろ」
「はいはい、ミハルさん」
「もっと腹立つ方に変えるな」
凪沙はそう言って、リビングを出ていった。
ドアが閉まる。
俺の手元には、ノートだけが残った。
忘れたら終わり。
その文字が、妙に重かった。
*
夜。
俺はいつもの椅子に座った。
机の上には、クロノ・ブレイブ戦記のカセット。
その横に、凪沙が渡してきたノート。
忘れたら終わり。
PCを起動する。
OBSを立ち上げる。
マイクの位置を直す。
配信タイトルの欄に、指が止まった。
【初見】昨日買ったはずのゲームを、もう一度やります初見ではない。
昨日、確かに俺はこれを起動した。
セーブデータを見た。
ミナミと話した。
凪沙も見た。
でも、世界の方が俺に向かって言っている。
そんなゲームは知らない、と。
配信管理画面を見る。
同時接続:2人
一人は、確認用に開いている俺のスマホ。
もう一人は、分からない。
昨日までは、誰かが寝落ちしているだけだと思っていた。
今は、その「もう一人」が少し怖い。
配信開始ボタンにカーソルを合わせる。
手が少し震えている。
怖い。
その時、廊下の方で床板が小さく鳴った。
凪沙かもしれない。
でも、声はかからなかった。
さっき「知らない」と言っていたし、本当に部屋に戻っただけかもしれない。
俺は深く息を吸った。
怖いなら、怖いって言いながらやれば。
クリック。
赤いランプが点く。
「……はい、どうも。ミハルです」
声は、思ったより硬かった。
コメント欄は動かない。
同接は二人。
俺は一度だけ息を吸って、続けた。
「正直、めちゃくちゃ怖いです」
言った瞬間、少しだけ喉が楽になった。
「でも、昨日買ったはずのゲームを、もう一度起動します」
カセットを差し込む。
画面が暗くなる。
数秒後。
世界が忘れ始めた名前が、モニターに浮かび上がった。
クロノ・ブレイブ戦記。
そのタイトルロゴだけは、まだそこに残っていた。
「配信環境の再現を確認しました」
ミナミの声がした。
画面の端に、小さなウィンドウが表示される。
白い軍服の少女が、無表情にこちらを見ていた。
「勝手に映るな」
「配信上の視認性を考慮しました」
「考慮しなくていい」
「本日の観測数変動を監視します」
「言い方が怖いんだよ」
俺はゲームを開始した。
タイトル画面から、セーブデータ選択へ移る。
昨夜と同じだった。
俺はゲームを開始した。
タイトル画面から、セーブデータ選択へ移る。
昨夜と同じだった。
SAVE 1:EMPTY
SAVE 2:EMPTY
SAVE 3:EMPTY
SAVE 4:MIHARU
PLAY TIME:999:59
CHAPTER:NULL STREAMカーソルは、自然とSLOT 4に吸い寄せられた。
「これ、選ぶしかないだろ」
「非推奨です」
ミナミが即答した。
「なんで」
「SLOT 4は敗北ログ本体です。現在のミハルさんが選択した場合、NULL STREAMに接続します」
「存在しない配信ってことか…?」
「はい」
「……今やったら?」
「高確率で敗北します」
俺は、決定ボタンに置いた指を止めた。
画面の中のSLOT 4は、何も言わずにそこにある。
MIHARU。
999時間59分。
NULL STREAM。
昨日からずっと気になっていた。
でも、今それを開いたら、戻れなくなる気がした。
「じゃあ、どうすればいい」
「SLOT 1を選択してください」
「ニューゲーム?」
「はい」
「敗北ログがあるのに?」
「敗北ログは答えではありません。攻略情報です」
その言葉に、少しだけ喉が詰まった。
俺はカーソルをSLOT 1へ戻した。
「……はいはい。じゃあ最初からやりますよ」
決定ボタンを押す。
画面が暗転し、古いドット絵のオープニングが始まった。
滅びた王国。
赤い空。
崩れた城壁。
剣を持った主人公。
数分後、最初の戦闘が始まる。
敵ユニットは二体。
味方は主人公ひとり。
その瞬間だった。
配信画面が、一度だけ揺らいだ。
画面全体に、薄いノイズが走る。
音声が半秒だけ遅れ、ゲームのBGMが水の中みたいに歪んだ。
「……今の何」
「観測数に変動があります」
ミナミが言った。
「観測数?」
「同時接続数です」
俺は反射的に配信管理画面を見た。
同時接続:3人
「……増えた」
たった一人。
たった一人増えただけだ。
それなのに、胸の奥が変に熱くなった。
昨日まで、二人だった。
一人は自分。
もう一人は、誰か分からない。
そこに、三人目が来た。
「本日中の再配信により、観測混線の痕跡が再活性化しました」
「説明が怖いんだよ」
「通常より、視聴者が流入しやすい状態です」
「……本当に来るのかよ」
「はい」
コメント欄は、まだ動かない。
でも、数字は確かに三人になっていた。
俺はマイクに向かって、できるだけ平静な声を出した。
「えー、今ちょっと画面乱れましたね。俺の回線か、ゲームの仕様か、どっちも嫌なんですけど」
「右の敵を攻撃してください」
「急に軍師に戻るな」
画面の中で、白い軍服の少女がこちらを見る。
「左の敵を先に倒した場合、次の敵フェイズで被弾します」
「いや、普通はHP低い左から倒すだろ」
「右を倒せば、左の敵は移動経路を失います」
「そんな細かいこと分かるのかよ」
「分かります」
コメント欄は動かない。
同接は三人のまま。
俺は少し迷ってから、右の敵にカーソルを合わせた。
「外したら、お前のせいだからな」
「責任の所在は記録します」
「そういう意味じゃない」
攻撃が当たる。
右の敵が倒れる。
敵フェイズ。
残った左の敵が動いた。
けれど、マップ中央の崩れた柱が邪魔になって、主人公まで届かない。
敵は何もできずに、その場で止まった。
「……マジか」
「予測成功です」
「いや、地味だけど普通にすごいな」
その直後。
コメント欄に、文字が流れた。
今の予言?俺は固まった。
初めてのコメントだった。
少なくとも、ここ最近の配信では。
いや、もしかしたら、このチャンネルを始めてから一番ちゃんとしたコメントだったかもしれない。
なのに、何も言えない。
ミナミの声が、低く入る。
「拾ってください」
「……え」
「ここで黙ると、視聴者は離脱します」
俺はマイクに向かって、反射的に口を開いた。
「いや、予言じゃないです。たぶん予測です。俺も今ちょっと引いてます。便利だけど、態度はだいぶデカいです」
少し間があった。
コメント欄に、もう一つ流れた。
草たった一文字。
それだけなのに。
俺の胸の奥で、何かが跳ねた。
「反応良好です」
「……うるさい」
「続けてください、ミハルさん」
画面の中の少女は、無表情のまま俺を見る。
「この配信は、まだ終わっていません」
