螺旋の記憶──Reincarnation:第4章【SFファンタジー】
第4章 アステカの生贄
加納冬馬と姫野夏美は、救急搬送の翌日に病院を退院し、それぞれの夏休みの生活へと戻って行った。
冬馬は相変わらず美術室にこもる日々を送っている。
退院後に、それまでと変わったのは、イーゼルに架けたキャンバスに向かうようになった事だ。
冬馬は病室で描いた夏美のデッサンを元に、彼女の肖像画を描くのに夢中だった。
想いを伝える勇気がない代わりに、一筆一筆に心を込めた。

夏美は部活がある日は、部活後に必ず美術室に立ち寄り、絵の進捗具合を見ながら他愛のない話をするようになっていた。
冬馬の呼び名は「加納くん」か「堕天使くん」、彼女の気分次第だったが、冬馬にはそんな事はもうどうでも良かった。
その日も、筆を動かしながら壁の時計をチラチラ見て、そろそろ来る頃だなと思っていると、勢いよくドアを押し開けて美術室に入って来たのは、夏美の噂の交際相手、三年の佐々木隼人先輩だった。
怒気を孕んだ目で睨みつけながら、足早に近づいて来る。
殺気すら感じる彼の形相に、冬馬の背筋がひやりと凍った。
その彼を追うように夏美が部屋に飛び込んで来て、叫んだ。
「加納くん、逃げて!」
そして隼人には必死に縋り付きながら、こう言った。
「ねえ、誤解だってば! ただ絵を描いてもらってるだけ。私が頼んだの! 」
隼人に振り払われた夏美が机にぶつかり、上に乗っていた誰かの絵の具箱が落下して中身が床に散らばった。
冬馬は逃げなかった。
この光景も、見たことがある気がした。
夜毎見る記憶の洪水の夢の中で。
サッカー部員の部活用ユニフォーム。水色のTシャツとハーフパンツの上下。
冬馬たちが通う星の里学園では、エースナンバーは17番だ。
その番号の人物と対峙した記憶──
(結末はどうなるんだっけ……?)
冬馬は絵筆を手にしたままフルスピードで記憶を探った。
(ああ、そうだ。佐々木先輩はこの絵を切り裂くんだ……)
思い出せたのは幸いだった。
隼人がハーフパンツのポケットからカッターナイフを出すより早く、キャンバスをイーゼルから外す時間の余裕がギリギリあった。
冬馬は後ろ手に絵を隠して一歩後退した。
夏美は隼人の背中に向かって、「やめて! 彼は関係ないから!」と大きな声で叫んでいた。
「おい、その絵を見せろ!」
カッターナイフの刃を出しながら隼人が歩み寄って来て、キャンバスを奪おうとした時──
「おーい、騒がしいな。どうかしたかー?」
間延びしたような呑気な声がして、岩見光樹先生が入り口のところから顔を覗かせた。
結局、逃げたのは隼人だった。
「いえ、別に。……ちょっと絵を見せてもらいに寄っただけです」
彼は手の中にナイフを隠してそう言うと、足早に美術室から出て行った。
「そうか。……君たちも早く帰った方がいい。雨雲が近づいてる、今に降り出すぞ」
岩見先生がそう言い残して立ち去った後、冬馬は大きく息を吐いた。
岩見先生のおかげで助かった……。
先生は雨に備えて廊下の窓を閉めて回っているようだった。
サッシ窓のレールの軋む音が廊下の方から響きながら遠ざかって行った。
夏美は眉を寄せ、心底申し訳なさそうな目で冬馬を見つめた。
「加納くん……嫌な思いさせてごめん!」
「いや、いいよ。気にしなくて大丈夫。
でも、明日からこの絵は家で描く。完成するまで見せられないけど……いい?」
「わかった。完成を楽しみにしてるね」
夏美の笑顔も無事に戻った 。
それでいい。
冬馬は彼女に微笑み返した。
その夜、冬馬は友人たちとのグループラインで、『姫野夏美が佐々木先輩と別れたがっている』という情報を得た。
二人がサッカー部の部室前の廊下で言い争っているのを見た、という話だった。
『俺と別れて、美術部のネクラ男と付き合うつもりか?』と、佐々木先輩が夏美に怒鳴っていたらしい。
【ネクラ男、行け! 姫をさらって来い】
【お前は絵だけは先輩に勝てる(笑)】
夏美の絵は美術教科の夏休み課題として学校に提出した後、返却されてから彼女に渡すことになっている。
昨年は風景画を提出して、冬馬は県が主催している学生絵画コンクールで優秀賞を受賞した。
今年狙っているのは勿論、最優秀賞だ。
佐々木隼人が冬馬の絵を切り裂こうとしたのは、足を引っ張るためだろう。
冬馬が夏美の絵を描いていることで、二人の仲を邪推したに違いなかった。
【絵だけ勝てても姫が俺に振り向くわけないだろ】
【てか俺ネクラか?www】
冬馬は苦笑いしながらラインに返信した。
翌日も冬馬は美術室にいた。
日頃は誰が見ても品行方正で、スポーツマンシップを重んじている佐々木先輩が、ポケットに刃物を忍ばせていたことが、冬馬の胸をざわつかせた。
もし、あの刃先が夏美に向けられたら……
そう思うと、家に持ち帰った肖像画と向き合っていても心配でならなかった。
(守りたいのは絵じゃなく、姫野さんだった……)
校舎三階の美術室の窓から見下ろすと、プールでは水飛沫がキラキラと輝き、サッカーコートではボールを追う部員の動きに沿って土煙が上がっていた。
光と影のようなそのコントラストに、冬馬は胸騒ぎを覚えた。
窓から離れてスケッチブックを開き、鉛筆を握るが、集中できずに線が乱れる。
岩見先生の言葉が、ふと蘇り、頭の中で繰り返される。
──ブロック宇宙。
──全ては既に書き込まれている。
──小さな抵抗。
(既に書き込まれていた悪しき未来は、二箇所修正できた)
車椅子の夏美も、切り裂かれた絵も、今は存在しない。
過去は変えられなくても、未来は変えられる。
(夏美を救えなかった過去世を、今世では絶対に挽回する)
──冬馬は強くそう自分に言い聞かせていた。
その時、頭の中にいつもより熱い奔流が押し寄せた。
「……っ」
冬馬はスケッチブックを落とし、床に膝をついた。
視界が暗くなり、別の世界が広がる。
灼熱の太陽。
石造りの巨大な神殿。
羽毛の飾りをつけた人々が、荘厳な儀式の準備をしている。
自分は──クアウトリという名の若き神官見習いだった。
そして、彼女がいた。
生贄として捧げられる少女──アトラトナ。
敵対部族から捕らえられた、美しい少女。
彼女は神殿の奥の石室に囚われていた。
彼女は紛れもなく姫野夏美だった。
容姿が今の夏美とは全く違うのに、何故かそう認識していた。
クアウトリは、儀式の準備のために彼女の世話を任されていた。
最初はただの務めだった。
だが、夜毎に交わす短い会話の中で、二人は惹かれ合っていった。
「私は、明後日、太陽神に捧げられるのね……」
アトラトナは寂しそうに微笑んだ。
その笑顔が、クアウトリの胸を締めつける。
「逃がしてやる。俺が……なんとかする」
「だめ。逃げたら、あなたも殺されるわ」
それでもクアウトリは諦めなかった。
夜の闇に紛れ、彼女の手を取って神殿の裏門へ向かう。
しかし──。
追手が迫る。
アトラトナは再び捕らえられ、石室へと引き摺られて行く。
「アトラトナ……!」
彼女は呼びかけに顔を振り向かせ、弱々しく微笑んだ。
「……また、会えるよね?
今度は、もっと長く……一緒にいられる世界で……」
クアウトリは慟哭し、彼女を取り戻そうと駆け出していった。
背中に、激痛が走る。
槍が深く突き刺さっていた。
その槍の鏃には猛毒が塗られているのを彼は知っていた。
──意識が途切れる。
美術室の床に倒れ込んだ冬馬は、荒い息を繰り返していた。
左肩甲骨の痣が、熱く疼く。
先ほどまで小さかった痣が、少しだけ形を変えた気がした。
まるで、羽の欠片が一つ、加わったように。
(あの時代が……最初の出会いだったのか)
冬馬は震える手で、自分の背中に触れた。
アトラトナの最後の笑顔が、姫野夏美の顔と重なる。
(守れなかった……)
淡い希望が、急速に色褪せていく。
それでも、胸の奥に残る想いは、消えなかった。
(でも今度は……違う。この時間軸では、絶対に姫野さんを守る)
冬馬はゆっくりと立ち上がり、スケッチブックを拾った。
ページには、無意識のうちに──
翼の生えた影と、毒槍を構えた神官の姿が、乱れた線で描かれていた。

帰宅して、シャワーを浴びた時に浴室の鏡で肩甲骨の痣を見てみると、1.5倍ぐらいに拡大していた。
はっきりと羽根の形に見える。
募金運動の赤い羽根の大きさぐらいだったものが、一回り大きく成長したような感じだ。
タトゥーのように見えなくもない。
まあ、いいや、と軽く捉えて部屋着に着替え、夕食の席についた。
私立大学で考古学教授をしている父・慎吾が、その日は珍しく早めの帰宅だったらしく、先に席についていた。
食前に枝豆とビール。夏の時期の父の定番だ。
「冬馬、夏休みの宿題はちゃんとやってるか?」
久し振りの息子への質問が「それかよ?」と冬馬は内心で苦笑する。小学生でもあるまいし。
「うん、大丈夫。間に合うようにやってる」
返しには若干、嘘が混じる。
夏休み終盤に友人たちと集まって、ノートの移し合いをするという一大イベントが待っている。
「そうか。うん、それならいいが」
「あ、そうだ、父さん。アステカ文明について少し詳しく教えてよ」
冬馬の言葉に父は一瞬──ほんの一瞬だけ顔を曇らせた気がした。
キッチンにいた母・貴子が、枝豆の冷製スープを運んで来て、小さく笑いながら言った。
「冬馬……本当に忘れてしまったのね」
「何を?」
「小さい頃に、冬馬は言ってたのよ。自分はその時代に生きていたって」
「え? マジ?」
冬馬自身はその当時のことは何も覚えていなかった。
「僕は……どんな事を言ってた?」
「うーんと、そうだな……当時の事は父さんの日記に書いてあるから、食事が済んだら見せてやろう」
慎吾はそう言って、晩酌を早めに切り上げ、冷製スープを手前に引き寄せた。
食後──
冬馬はリビングのテーブルで、父に渡された古い日記を眺めていた。
そこに書かれていたのは、幼い自分が語ったとは思えない衝撃的な内容だった。
慎吾はコーヒーを淹れながら、息子の様子を静かに見守っていた。
「……アステカの生贄って、本当に心臓を生きながら取り出すようなことだったの……?」
慎吾はカップを置き、ため息をついた。
「ああ。生贄を数週間かけて薬漬けにして、意識を朦朧とさせて……心臓を取り出すには、黒曜石や石のナイフが使われた。
当時の人々にとっては、残酷なことではなかったんだよ。
太陽神ウィツィロポチトリは、毎朝戦いながら昇ってくる。
その力を保つために、人間の『命の力』──血と心臓が必要だと信じられていた。
生贄になることは、むしろ名誉な死だった。
神々に力を与え、世界が終わらないようにするための……究極の奉仕だと」
冬馬は父の日記を閉じ、左肩甲骨にそっと手を当てた。
「でも、『死にたくない』とか『大事な人を死なせたくない』と思う人もいたんじゃないかな。
だから敵対部族の人間を攫ってきて、自分たちの代わりに捧げたんじゃないの? 」
慎吾は少し間を置いて、静かに言った。
「彼らは、生贄になった人たちは太陽のそばに行くと信じていたんだよ。
……お前が昔、口にしていた名前。アトラトナも、きっとそこに行けると信じていたのかもしれないな」
「でも僕──クアウトリはそうは思っていなかった。
神官の見習いでありながら、信仰心が薄かったのかも知れない。
アトラトナを死なせたくなくて、救おうとして殺された……
当時にしてみれば、よほど罪深い行いだったわけだ」
罪人として死に、そのカルマを背負って転生した──
幾度生まれ変わっても彼女とめぐり会い、彼女の死を見せつけられるのは、そのせいなのか──
背中の痣がチリチリと痛む。
螺旋は、静かに、しかし確実に、次の回転を始めていた──
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