螺旋の記憶──Reincarnation:第5章【SFファンタジー】
第5章 繰り返される別れ
夏休みも終盤に差し掛かったある日の午後、冬馬はいつものように美術室にいた。
佐々木隼人との一件以来、姫野夏美の肖像画は自宅で描いていたが、その日は美術室に持ち込み、最終的な仕上げに集中していた。
ほぼ完成に近づいている。
柔らかな陽光を浴びて微笑む彼女の姿。
けれど冬馬は、どうしてもその笑顔の奥に、アトラトナの儚い微笑みを重ねてしまう。
(守る……今度は絶対に)
その思いが、筆先に力を与えていた。
ドアが静かに開く音がした。
「加納くん……今日も来てたんだ」
夏美だった。
いつもの明るい笑顔を浮かべているが、どこか疲れた影がある。
でもその時は、部活で延々と泳いで疲れたのだろう、としか思っていなかった。
「もうすぐ完成するよ。課題として提出しなきゃいけないから、すぐに渡せないのが残念だけど」
「ありがとう……本当に。
加納くんの絵、部屋に飾れる日を楽しみにしてる」
夏美は近くの椅子を引き寄せて座り、しばらくは無言で冬馬が筆を動かすのを見ていた。
やがて、ぽつりと呟いた。
「佐々木先輩……最近、ちょっと怖いんだよね」
冬馬の筆が止まった。
「何かあったの?」
「別れ話、したんだけど……まだ納得してくれてないみたい。
『お前は俺のものだ』みたいなこと言われて……」
夏美は苦笑いしようとしたが、うまく笑えなかった。
「昨日の引退試合のことも、『負けたのは、お前が士気を下げたからだ』って言われて……もう、どうしていいか、わかんない……」
冬馬の胸に、鋭い痛みが走った。
三年生の部活動は夏休みの終わりを境に引退するのが慣わしだった。
昨日、三年部員が高校生活最後に出場する引退試合が行われ、楽勝だと思われていた相手校にボロ負けしたという情報は冬馬の耳にも届いていた。
サッカー強豪校と名高い星の里学園が一次予選敗退──試合直後に、その情報がネットで拡散するや否や、校内のみならず里山地区全体に衝撃が走った。
なんでも佐々木先輩がミスを連発したらしい。
あの日の記憶──佐々木がカッターナイフを握っていた光景がふと蘇る。
夏美の潤んだ瞳から、今にも涙が零れ落ちそうなのを見て、冬馬が何か優しい言葉をかけようとした、その時──
再び頭の中に熱い奔流が押し寄せた。
「……っ」
視界が暗転し、別の時代が広がる。
中世ヨーロッパ。
1340年代、アヴィニョン。
教皇がローマを離れ、フランスのアヴィニョンに居を構えていた時代。
アヴィニョン捕囚期──
政治と宗教が複雑に絡み合う、混乱の時代だった。
冬馬は──若き枢機卿補佐官、ルイ・ド・ヴォワザンとして生きていた。
夏美は──ローマから来た貴族の娘、エレオノール・ド・ロッシュ。
二人は教皇宮殿の庭で出会い、密かに恋に落ちた。
ルイは彼女の事を「エリー」という愛称で呼んでいた。
「こんな時代に、恋愛なんて許されるのかしら……」
エレオノールは、月明かりの下でぽつりと声を落とした。
「心配いらないよ、エリー。許されなくても、僕が君を守る」
二人は深く愛し合っていた。

しかし、教皇庁の権力闘争は容赦なかった。
政治的な陰謀に巻き込まれ、エレオノールはスープに毒を盛られた。
ルイは彼女の最期を看取ることしかできなかった。
「……来世でまた……会える……よね?」
苦しい息の下のエレオノールの最後の言葉は、アトラトナの時のそれと重なった。
ルイは絶望し、追放先で病に倒れた。
背中に、再び激しい痛みが走る──皮膚が焼けるような痛み。
美術室の床に手を付き、冬馬は荒く息を吐いた。
夏美が慌てて駆け寄ってくる。
「加納くんっ!? 大丈夫!?」
「……うん、大丈夫。ちょっと、めまいがしただけ」
冬馬は微笑もうとしたが、顔が引きつった。
左肩甲骨の痣が、さらに熱く疼いていた。
今度は羽の輪郭が、よりはっきり浮かび上がっている気がした。
(二度目も……守れなかった)
アトラトナ。
そして、エレオノール。
「加納くん……もしかして……今、過去に行ってた?」
「……ああ、うん。アヴィニョン捕囚の頃に……」
「そっか……私がエレオノールだった時だ」
「姫野さんも行った?」
「うん、私はゆうべの夢で。……スープなんて飲まなきゃ良かった」
「ごめん、守ってあげられなくて」
「加納くんのせいじゃないよ。そういう運命だった。それに逆らえなかっただけ。
運命なんて信じてないけど……でも、なんか悔しいよね」
夏美はそう言って笑った。
冬馬は彼女の気丈な笑顔を見つめ、静かに決意を新たにした。
(次は、絶対に……)
過去世でカルマを断ち切ってしまえば、その後の未来は変わるはずだ──
学校からの帰り道。
夏美と並んで自転車を押しながら歩いていると、突然、思いついたように彼女が言った。
「ねえ、ちょっと寄り道して帰らない?」
「うん、いいよ。どこ行く?」
「すっごく見晴らしのいい所があるの。ついて来て」
夏美はそう言うが早いか、自転車に跨り、走り出していた。
冬馬は慌てて後を追った。
「ちょっと寄り道」どころではない、結構遠くまで夏美の自転車は走り続けた。
冬馬の息が上がる。
「加納くん、早く、早くー!」
夏美が自転車を停めて振り向き、冬馬の体力の無さをからかうように笑った。
そこから公道を逸れて、雑木林の細い道を通り、その先の小高い丘の上に着く頃には、冬馬はヘトヘトになり、辺りは大分薄暗くなっていた。
そこは夏美が言う通り、確かに見晴らしのいい場所だった。
星が綺麗だ。
三日月が淡い光で辺りを幻想的に照らしていた。
夏美は佐々木先輩ともここに来たことがあるのだろうか、と冬馬はふと思った。
二人は夏草の上に並んで腰を降ろした。
しばらくは黙って星を眺めた。
「私ね、海から上がって来たんだよ」
唐突に夏美が言った。
「ブロック宇宙の中の、一番古い記憶ってこと?」
冬馬の問いに夏美は頷いた。
「海の中をぷかぷか漂ってた。プランクトンか何かだったのかも」
そう言って、夏美が笑う。
「ブロック宇宙には、そんな昔のことも書き込まれてるんだ……。でも姫野さんらしいね」
「そお?」
「泳ぐの得意でしょ?」
「加納くんが空から落ちて来た時のことも書かれてるかもよ。堕天使くん」
「また言ってる」
笑った冬馬の肩に、夏美がごく自然な仕草で頭をもたせ掛けてきた。
冬馬の心臓が跳ねた。
身体が少し硬直して、体温が上がったのが自分でも分かった。
「加納くん、もしかして照れてる?」
冬馬は少しムッとした。
完全にからかわれてる。
「そりゃあ照れるよ。今まで女の子にこんな風にされた事ないもの」
「でも、加納くんさ、エレオノールやアトラトナの私とは人目を忍んでキスしたり、普通に愛し合ってるじゃん」
夏美がいたずらっぽい目で笑った。
「あ……まあ、言われてみればそうだけど……」
気恥ずかしさが増した。
「だからしばらくこうしていよう」
「うん……」
辺りは再び静寂に包まれた。
冬馬にとっては最高の時間だった。
夏美の微かな息遣いや、伝わってくる体温が、昔『失ったもの』を取り戻せたかのような錯覚を起こさせた。
しかし、ブロック宇宙は冷徹だった。
その夜、冬馬は夢の中でまた見た。
無数の時間軸で、繰り返される出会いと残酷な別れを。
ささやかな抵抗すら──その全てまでも、既に書き込まれている選択肢のひとつにすぎなかった。
螺旋は、ますます速く回り始めていた。
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