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小説&ピアノ「四季」② Summer

 伊藤夏生なお
 それがその子の名前だった。
 夏生なつうまれなの?
 そう訊くと、「ううん、冬」と彼女は言った。

 「え、冬?」
 意外な答えに、私は思わず笑ってしまう。「うん」と言いながら、つられてナオも笑う。
 「冬なのに、夏生なお、なの?」
 笑ったりして悪かったかな、と少し反省しながら、私は訊く。
 ナオはもう一度「うん」と言って、ひときわ明るく笑った。


東京  —  2025年

 七月。
 梅雨が明けたばかりの、真っ青な空。

 窓を開け放ち、風を部屋に入れる。
 窓際のポトスの葉を揺らす風はすでにしっとりと熱気を孕み、今日が暑い一日になることを告げている。

 今日の服は、動き回っても汗の目立ちにくい青と白のストライプ柄のシャツに風通しのいいゆったりしたリネンの白いパンツにしよう。涼し気に見えるよう髪はゆるくまとめ、透明な水色のピアス(去年の誕生日に恋人からもらったもので、葉っぱの上の水滴みたいで気に入っている)を合わせるのもいいかもしれない。
 頭の中で今日の服装を見立てながら、一人ぶんの朝ごはんをつくりお弁当を詰める。職場へ向かう電車の発車時刻まで、あと40分だ。

 駅までの徒歩5分の道のりを、私は気に入っている。
 AirPods で音楽を聴きながら歩いているうちに気持ちが仕事モードに切り替わるからだし、いつも通る古い一軒家に四季折々の花を咲かせる庭があるからでもあった。

 今朝はその庭に、うす青い朝顔が気持ちよさそうに咲いていた。
 葉に降り注ぐ日ざしはあかるく強く、私は思わず空を振り仰ぐ。触れられそうなほどくっきりとした入道雲、水分を含んだ甘い空気。

 ふと、懐かしいピアノの音が耳をかすめた気がして、 AirPods を外し耳を澄ます。
 登校中の小学生の笑い声、小鳥のさえずり、どこかの家の風鈴の音。

 ―—  空耳。
 それでも、一度耳に蘇った旋律はわたしを捉え、体ごとあの頃に連れ戻した。
 中学一年生の、まだほんの子どもだったあの頃。学校という小さな箱が世界のすべてだと思っていた、あの頃。


静岡  —  2010年

 七月。
 まだ梅雨は明けていないけれど、窓の外には真っ青な空が広がっている。
 私とナオは、学校の廊下を歩いていた。後ろから男子が数人、ふざけ合いながら私たちを追い越していく。中学に入って初めての夏が、もうすぐやってくる。

 「不思議だよねやっぱり、あたしの名前」
 ひときわ明るく笑ったあと、ナオは話し出す。言葉を確かめるみたいに、一言一言、ゆっくり。
 冬生まれなのに「夏生なお」という名前になったその理由を教えてくれるらしいとわかり、私は耳をそばだてる。

 「あたしが生まれたとき、あたしのお母さんとお父さんはすごく嬉しかったんだって。すごく嬉しくて、『この子には、なんにも縛られず自由に生きてほしい。たくさんの選択肢の中から、自分がしたいと思う生き方をしてほしい』って思ったんだって」

 ナオはしばらく沈黙する。どう伝えたらいいか、頭の中で言葉を組み立てているみたいに。
 ナオに合わせてゆっくりゆっくり歩きながら、私は待つ。

 「たくさんの選択肢が見えるようになるには、いろんな立場からものを見てみることができなくちゃいけない、って、お父さんとお母さんは言うの。自分とは違う人の気持ちや状況を、想像できるようにならなくちゃいけないって。想像できないことは、知ることも選ぶこともできないから、って。
 あたしは冬に生まれたから、冬に誕生日がくるっていうのがどういう気持ちのするものか、自然にわかるでしょ?冬のつめたい空気の中でわくわくする気持ちが。
 でも、夏に誕生日がくる人の気持ちは、ちょっと立ち止まって考えてみないと想像できない。こんなにきらきら明るい日差しの中で自分の誕生日がくるっていうのがどういう気持ちのするものなのかを知るためには、そういう気持ちで夏を眺めてみようとしなければ、わからない。
 だからあたしは、冬生まれだけど、夏生なお。自分と違う立場からも、物事を眺めてみられるように」

 きっと私は、ぽかんとした顔をしていたんだろう。
 ナオは私をみて、すこし恥ずかしそうに笑った。この話はこれでおしまい、とでもいうように。

 実際ナオの言葉は、そのときの私にはあまりよくわからなかった。
 「自分と違う立場からも、物事を眺めてみられるように」?
 名づけの理由として、それはずいぶん不思議なものに感じられた。不思議で、理解不能なもののように。

 でもそれでも、その不思議で理解不能な言葉の端々は、そのあともずっと長く私の心に残った。

* * * *

 4月。
 入学したての新しいクラスで、ナオは初めからよく目立った。
 なんというか、はっきりと浮いていた。

 色素の薄いさらさらしたボブと、きゅっと締まった手足。その外見から受ける俊敏そうな印象とはうらはらに、ナオの挙動はなにもかもがゆっくりだった。

 何を見ているのか、窓の外に釘付けになって先生に名前を呼ばれ気づかずに注意されることはしょっちゅうだったし、家庭科の授業ではみんなが仮縫いを終える頃にまだ生地の裁断にも取り掛かっていないという具合だった。
 脱いだものをひとつひとつゆっくりと畳むので着替えに時間がかかり、体育の授業にはしょっちゅう遅れた。そのたびに「連帯責任」とかいう理不尽な名のもとにクラス全員が体育教師からくどくどと小言を言われ、クラスメイトをうんざりさせた。
 (でも、たった10分の休み時間のあいだにクラス全員が着替えを済ませて運動場に移動し始業時刻までに整列しておけると考えるなんて、学校側のタイムスケジュールのほうに問題があるんじゃないだろうか? だってその休み時間にうっかりトイレに行きたくなったりしたら、そしてそのときたまたま生理だったりなんかしたら、間に合うわけがないのだ。もし体育教師にそんなこともわからないのだとしたら想像力が足りないし、わかっていてなお生徒を叱るのだとしたら未熟だ。どちらにせよ、非は教師及び学校のシステムにある、と、私はいつも思った。)

 そんなふうだったから、ナオがクラスのみんなから疎まれるようになるまでに、あまり時間はかからなかった。

 理科の実験やグループ発表のように複数人でなにかをしなくてはならない場面では、ナオははっきりと嫌がられるようになった。
 中1最初の社会科見学(まだみんながクラスのバランスを見極めている最中の4月末だ)のメンバー決めのときには、隣の席の男子が「伊藤だけはまじいらねー」と呟いているのを聞いた。

 私はそんなナオを、自分とはまるで関係のない存在だと感じながら遠くから眺めていた。
 あの日までは。

* * * *

 母はよく、「9歳で子離れ、14歳で他人」と歌うようにひとりごちていた。お風呂上りの脱衣所で、夕食をつくりながら台所で、眩しい日差しのなか花に水を撒きながら庭で。
 物心ついた頃からずっと、私は母のその言葉を聞いて育った。

 あれはきっと、私だけではなく母自身に向けて言っていた言葉でもあったのだろうと、今ならわかる。
 「娘を早く自立させたい」という思いと「娘に依存する母親になってはいけない」という思いの、両方があったのだろう。

 でも当時の私にはそれは、世界の決定事項として聞こえた。
 6歳になれば小学校に入学し18歳になれば成人するのと同様の、あるいは『魔女の宅急便』のキキが13歳になれば独り立ちするしきたりであるのと同様の、有無を言わさぬ世界の決定事項として。

 14歳になれば、私は母とは他人になるのだ。

 幼い私は、そう思い込んだ。
 それははなはだしい勘違いだったわけだけれど、それでもその「決定事項」は私の前に、否応なく越えなければならない大きく冷たい壁のように、威力と圧力を持っていつもそびえ立っていた。

 中学に入学し4月に13歳の誕生日を迎えたとき、母と他人になるまでにいよいよあと一年なのだと、だから私は思った。それまでに一人で生きられるようになっておかなければならない、他人になった母に頼るわけにはいかないのだから、と。
 料理も身支度も、銀行の使い方も野花の名前も、目についたものを私は片っ端から覚えた。なにもかも、急がなくてはならなかった。

 そんなふうだったから、ナオの「できなさ具合」は私の目に、ひどく恐ろしいものとして映った。
 見ているとはらはらしたし、うっかりナオに感情移入しようものなら恐慌をきたしてしまいそうだった(だってあんなに何もできないまま14歳を迎えたら、あの子は一体どうやって一人で生きていくというのだろう?)。
 あっさり淘汰されてしまうだろうものを目にするのは恐ろしく、だから私は、ナオを視界から締め出した。なるべくナオのいるほうに目を向けないようにし、たまに目の端に映っても、すぐに目を逸らした。

* * * *

 クラスには、ナオの他にもう一人、みんなから浮いている子がいた。
 長谷部さんだ。

 彼女は時折、自分の右肩のあたりに向かって何かを話しかけていることがあった。
 その声は小さく控えめだったので初めはみな気づかなかったのだけれど、彼女の独り言やくすくす笑いは徐々にみんなの知るところとなり、入学して1ヶ月も経つ頃にはすっかり周りから気味悪がられるようになっていた。

 自分の右肩に向かって話しかける行為が奇異なものであることを、長谷部さんは自覚しているようだった。
 うっかり話しかけてしまったあと「しまった」というような顔をしたし、泣きそうな顔をしてそっと周囲を見まわしたりもしていた。

 クラスの中で孤立した彼女に、でも、ナオだけは話しかけ続けた。
 優しさからというよりも、長谷部さんがクラスで浮いていることをまったく気にしていないように、あるいは気づいていないように見えた。

* * * *

 6月。
 6時間目の授業を終え帰りの支度をしているとき、絵の具セットを美術室に忘れ物をしたことに私は気がついた。

 その日は部活のある日だった。
 所属していた陸上部の顧問は遅刻にうるさく、数分でも遅れると校庭を余分に走らされる。そんな目にはあいたくなかった。走ることは好きだけれど、罰を受けることは大嫌いだ。
 帰りの会が終わると同時に私は教室を飛び出し、忘れ物をした自分を呪いながら、階段を一段飛ばしで駆け上がった。

 がらんとした美術室は窓が開いていて、生ぬるい風がカーテンを揺らしていた。6月の風は湿気を含み、雨が降り出しそうな匂いがした。

 洗い場に干しっぱなしにしていた絵筆とパレットを無事回収し、急いでサブバッグにしまう。
 ほっと息をつき廊下に出ると、隣の音楽室から話し声が聞こえた。

 「そっか、それでみんなには言わないことにしたんだね、リセちゃんのこと」

 静かな廊下にのんびり響くその声は、ナオのものだった。
 そっと覗くと、音楽室の中にはナオと長谷部さんがいた。長谷部さんはピアノの椅子に座りナオはその脇に立って、二人ともこちらに背を向けている。

 早く部活に行かなくてはと気が急いていたし、盗み聞きをしてしまいたくもなかったから、私はそのままそっと引き返そうとした。
 でも、続けて聞こえてきた長谷部さんの控えめな声に、足が止まった。

 「うん。理解できないもののことは、みんなたいてい怖がるから。怖がって、そのうち怒りだすから、だから、言わない」

 「みんなが怖がる」?
 不穏なワードだ。
 いったいなんの話だろう、と私は思った。

 でもナオはそれ以上は何も聞かず、ただ頷いて、「ね、さっき弾いてた曲、もう一度聴きたいな」と言った。
 「うん、いいよ」と答えた長谷部さんの声は、照れくさそうに、でもどことなく嬉しそうに聞こえた。

 す、と、長谷部さんの指が鍵盤の上に置かれる。2~3秒の、空白の時間。空気がしんと張りつめる。
 長谷部さんがすぅっと息を吸い込み、音楽室にピアノの音が満ちた。

* * * *

 ピアノの最後の一音が空気の中に吸い込まれると同時に部活のことを思い出し、私は慌ててその場を離れ、部室へと急いだ。

 長谷部さんのピアノは、美しかった。
 階段を駆け下りながら、自分の体の中にまだ音が満ちていることに胸がどきどきした。
 サイダーみたいな音のひと粒ひと粒が体の中であとからあとから立ちのぼり、頭がぼうっとした。

 部室に通じる中庭にでると、細かな雨が頬をうった。6月の、気まぐれな雨。
 体の中に残っていたさっきのピアノのひと粒ずつと、頬をうつ雨の感触が混ざりあう。私は足を止めた。

 遅刻への焦りも罰への嫌悪も頭から消え、私はただ突っ立って、その混ざりあいを楽しんだ。
 音楽と雨がそんなふうに混ざりあうことを、そのとき初めて知った。

 部活には見事に遅刻し、雨のなか、校庭追加3周の罰を受けた。
 雨に打たれぼんやりして遅刻するなんて、伊藤ナオみたい。そう思い、走りながら笑いがこみあげる。
 体の中の音楽は小さくなってしまっていたけれど、罰もたいして気にならないほど、走りながら受ける雨は楽しかった。
 雨は、いつもよりずっときれいに見えた。

 あの子がいつも見ている景色はこんなふうなのかもしれないな、と、ふと思った。

 なにをするにも遅くぼんやりしているように見える、伊藤ナオ。
 もしかしたらあの子はいつも、こんな景色を見ていたのかもしれない。
 「遅い」のではなく、私が取りこぼしていたたくさんのものを味わっていたのかもしれない。「ぼんやりしている」のではなく、私が通りすぎてしまう美しいものに気づいていただけなのかもしれない。

 そう気づいたとき、私の中での「伊藤ナオ」は、形をかえた。

* * * *

 それ以来私は、ナオを注意深く観察するようになった。
 ナオの視線の先にあるものにはっとさせられるたび、ナオは私の中で、ますます興味深い存在になっていった。

 だから、クラスの男子がナオに向かって「きも」と言ったときには激しい怒りがこみ上げた。

 彼女がどんな世界を見ているか、あんたは何も知らないくせに。

 ほんの少し前までナオのことを「ただのぼんやりした子」だと思っていた自分を棚に上げて私はそんなふうに思い、思うと同時に体が動き、ナオを教室から連れ出していた。
 それをきっかけに、私はナオと親しくなった。

 ナオの目から見る世界は、きれいだった。
 しょっちゅういろんなところで立ち止まるナオの目線の先にあるものはありふれたものばかりだったけれど(蜘蛛の巣、小石、雑草、かたつむり、雨粒)、それらについてナオがどう感じているかを話してくれるのを聞くたびに、私は感動した。退屈だと思っていた景色が、ナオと一緒にいるうちに徐々に姿を変えていった。

 音楽室でのナオと長谷部さんとの会話を聞いてしまったことを、私はナオに話した。
 ピアノの音が私にもたらした変化については、話さなかった。どんなふうに話せばあの日感じたことをナオに伝えられるのかが、わからなかったから。
 ナオは「ああ、あれ礼だったんだ、よかった」と言って笑った。私が走り去った足音を、あの日ナオと長谷部さんは聞いていたのだという。

 部活のない放課後、長谷部さんは「リセ」について話してくれた。
 最初はおずおずと、次第にいきいきと抑揚を帯びていく長谷部さんの話を、ナオはそばでにこにこと聞いていた。

 イマジナリーフレンドって知ってる?と、長谷部さんは初めに訊いた。私は首を振る。初めて聞く言葉だった。
 「イマジナリーフレンドっていうのは、目に見えない友達のことなの。わたしには、それがいるの」

 長谷部さんは私に、ひとつずつ説明してくれた。
 イマジナリーフレンドというのは「想像上の友達」のことで、多くはごく幼い子どもの頃に現れ成長に伴って自然に消えていくのだけれど、中には成長してもそのまま見え続ける人もいるのだということ。
 長谷部さんには「リセ」という名前のイマジナリーフレンドがいて、リセは猫とリスの中間のような見た目をし、長谷部さんの右肩にいるのが好きなのだということ。
 リセは他の人には見えないけれど、長谷部さんにとってはそこにいるとしか思えないようなリアルな存在なのだということ。

 「初めてリセが現れたのは、小学ニ年生の夏休み明けだったの。朝、学校に向かって歩いているときに突然肩の上に現れて、暑いねー、って普通に話しかけてきてね、リセはかわいくて楽しくてすごく嬉しかったのに、その日は学校に着いたとたんに消えちゃったんだ。
 その日からときどき、わたしが一人でいるときにリセは現れるようになってね、でも誰かが来ると、決まってふっと消えちゃったの。
 だけどそのうち、だんだん消えずに一緒にいる時間が長くなっていって。今はもうほとんど一日中そばにいるんだ。
 リセはとっても賢くて優しくて、いろんな話を一緒にたくさんするの。白と薄茶が混ざった毛並みをしていてね、ふわふわで、あったかいんだよ」
 長谷部さんはそう言って話し終え、ほぅっと息をついた。

 初めて聞くイマジナリーフレンドの話を、私は自分でも意外なほどすんなり受け止めた。
 机に腰かけたナオが足をぶらぶらさせながらそばでにこにこと聞いていたことも、大きかったかもしれない。
 そういうこともあるんだな、とただ自然に思ったし、想像上だろうとなんだろうとそんな存在がいつもそばにいてくれることを、羨ましくも思った。
 そう言うと、長谷部さんは「ほんと?気持ち悪くない?」と言った。
 気持ち悪くなんかぜんぜんない、ていうかちょっと羨ましい、と私が言うと、長谷部さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。

 話せてよかった、と長谷部さんは言った。「あの日音楽室で伊藤さんと話していたこと、誰にどんなふうに聞かれたんだろうって、少し心配だったから」と。
 私が謝ると、長谷部さんは「ううん。こんなふうにリセのことを話せて、嬉しい」と言ってくれた。

 「リセちゃん、今も肩のところにいるの?」とナオが明るい声で訊く。
 「うん、いるよ。わたしがリセの話をしたから、喜んで肩の上をちょろちょろしてる」
 「いいなあ!あたしにも見えたらいいのになあ。きっとかわいいんだろうなあ」
 「あ、リセ、かわいいって言われたからますます喜んじゃって、しっぽと鼻がふくらんじゃってるー」
 ぷくく、と笑う長谷部さんの顔は、いつも教室にいるときとは別人みたいに晴れやかだった。

 もう一度あの曲を聴かせてほしい、と私が頼むと、長谷部さんは驚いたように目を見開き、照れくさそうに笑いながら「いいよ」と言ってくれた。

 そのあと音楽室で聴いた長谷部さんのピアノは、やっぱりとても素敵だった。「Summer」という曲なのだと、長谷部さんが教えてくれた。
 私たちしかいない音楽室には窓から斜めに陽が射して、照らされた細かい埃がきらきらと舞っていた。


東京  —  2025年

 あの曲を、もう一度聴きたいな。

 そう思い、駅のホームで電車を待つ列に並びながらスマホで「久石譲   Summer」と検索する。
 じりじりと蒸し暑さを増していくホームと、たくさんの人、人、人。

 耳元から音楽が流れだし、私はたちまち音の世界に包まれる。蒸し暑さも人いきれも、すぅっと遠のいていく。

 あれ、と思った。
 AirPods から流れてきた音は、長谷部さんが弾いてくれたものとは違うような気がしたから。
 旋律は確かにこれだった。でも、なにか違う。

 私は曲のタイトルを見直してみる。
 「Summer」。
 間違いない、この曲だ。

 そのまましばらく、流れ出す音に耳を澄ませる。
 心地のいい音だった。きっと誰もが思い浮かべる、いつかの夏がそこにあった。
 吹き渡る風と青い空、どこまでも続くあぜ道、ひまわりと麦わら帽子、遠くを走る列車の音と学校のチャイム。

 あれ、と、私はまた思う。列車や学校?
 あのとき私が聴いたピアノの音が見せてくれた景色は、こんなふうだっただろうか。

 長谷部さんのピアノを思い出してみようとしたけれど、音そのものはどうしても思い出せなかった。でも、あのとき感じた胸の高なりと景色はくっきりと思い出せた。

 長谷部さんの弾く「Summer」は、優しいサイダーみたいだった。
 しゅわしゅわと立ちのぼる、繊細なレースのような泡。光を受けてきらきらと輝く淡い水色。パチパチとしたくすぐったさと、嬉しさが溢れてしまったくすくす笑い。
 初夏の中庭で見事に雨と混ざりあった長谷部さんのピアノが私に見せてくれたのは、そんな景色だった。

 3人で聴いた長谷部さんの「Summer」は、なんて優しく青い夏だったことだろう。


 電車がホームに滑り込む。
 ドアが開き、列を作った人々が規則正しく吸い込まれていく。

 久しぶりにナオに連絡してみよう。
 そしてできれば、長谷部さんにも。

 そう決めて、私は電車に足を踏み入れる。


前話「Spring」 / 全話一覧 / 次話「Autumn」


この作品は、連作短編小説「四季」のうちの物語のひとつです。
全話はこちらをどうぞ▽

『Summer』朗読ver. はこちら▽


【小説あとがき】

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ナオを主人公にした前作「Spring」を書き終えたあと、「礼の物語を書きたいな」と思いました。
礼の目を通してナオを、世界を見てみたくなりました。

礼の目から切り取る季節は夏にしよう、と決めて「Summer」を聴きながら書き進め、できた物語をJagaさんに渡したところ、「長谷部さんのSummerは、こんなふうだと思う」と、新しく弾き直したものを送ってくれました。
聴いた瞬間、ああこれだ、と思いました。
礼が音楽室で聴いたピアノはこれだ、と。

小説の最後、礼の視点が2025年に戻ってくる部分は、Jagaさんのピアノを聴いたあとに大きく書き換えました。
そうだわたしはこういうふうに書きたかったんだ、と、心から思える物語になったと思っています。

礼の目を通して世界を眺めてみるのは、とても楽しいことでした。
みなさまと、その体験を共有できたなら嬉しいです。

【小説担当:さち】
本を読むことと、ものを書くことが好きです。
ここnoteでは、小説やエッセイのほか、読んだ本の感想などを書いています。
<略歴>
第一回有吉佐和子文学賞入賞。社会福祉士・保育士・ケアマネージャー。現在専業主婦として子育て中。

【Jaga演奏後記】

10年以上弾いている大好きな 久石譲さんの「Summer」。

この曲から紡がれたさちさんの小説を読んだ時に自分の知っているSummerの少し違った面を感じました。そこで、この「3人の Summer」を弾こうと思い、原曲を大切にしつつ少しだけアレンジをさせていただきました。

3人の夏が、あくまで特別な人の出来事にならないように。前半は「長谷部さんが弾いたSummer」、後半にかけては「礼が電車のホームで聴くSummer」を意識しつつ、次第に息が上がる、駆け上がるような初々しさも原曲から失わないようにしました。

この物語とともにお届けした「Summer」も、また一つの Summerとして皆さまに楽しんでいただけたなら、これ以上の喜びはありません。
お聴きいただきありがとうございました。

【ピアノ担当:Jaga(じゃが)】
幼少期から習ったクラッシックピアノをベースに曲作りをしています。ピアノコンクールで賞をいただいたりしながら、5年ほどギター片手にストリートミュージシャンをしていたこともあります。絵を描くことも好きです。音楽と絵と文章との間を自由に飛び回りながら、みなさんとやさしい世界を作っていきたいなと思ってます。

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十年一刷舎 いただいたチップは小説と音楽の作品づくりを中心とした十年一刷舎の制作活動に使わせていただきます。これからも素敵な時間をともにできますように!