彼女を「サゲマン」だと感じた時、本当に”サゲてる”のはどちらか
大好きな彼女と付き合って1年ほど。なんだかんだで結婚が現実的なミントです。
今日は、ネットや飲み会でよく聞く、とても下世話で、人によっては不快になるかもしれない「アゲマン」「サゲマン」という言葉について、あえて真剣に考えてみたいと思います。
「あの人と付き合ってから運気が上がった」「あの人といるとなんだか調子が悪い」…。
まるでパートナーが、自分の人生の運気を左右する「アイテム」かのような言い草です。自分も人生の先輩たちから嫁にするなら絶対にアゲマンがいいと言われてきました。
そして、もしかしたら自分の彼女はサゲマンなのでは!?と感じる場面もありました。
何回もサゲマンやアゲマンについて調べたあとに違和感を感じたことがあるので、今日はそのことについて書きます。
僕たちが「サゲられた」と感じる瞬間
先程も言った通り、正直僕も「うわ、サゲマンじゃん…」と感じてしまう瞬間が、ありました。
例えば、仕事で大きな挑戦をしようと意気込んでいる時に、「でも、それって失敗したらどうするの?」「あなたには向いてないんじゃない?」と冷や水を浴びせられる。
自分が疲れて帰ってきた時に、待ってましたとばかりに職場の愚痴やネガティブな話を延々と聞かされる。
こういう時、人間の防衛本能として「ああ、この子といるとモチベーションが下がる」「運気を吸い取られている」と感じてしまう。これが、俗に言う「サゲマン」の正体なのでしょう。
でも、それって本当に彼女のせいか?
ここで、いつものように一度立ち止まって、自分自身を疑ってみます。
彼女が「失敗したらどうするの?」と言うのは、僕のことを本気で心配しているからではないか? どうでもいい相手なら、無責任に「頑張れー(棒読み)」と言うはずです。
彼女が愚痴を言うのは、それだけ僕に心を許し、「この人なら受け止めてくれる」と信頼しているからではないか?
結局のところ、僕が「サゲられた」と感じる根本的な原因は、彼女の言動ではなく、僕自身の「器」の問題なのではないか、と。
自分に絶対的な自信と余裕があれば、彼女の心配も「ありがとう。でも俺なら大丈夫だよ」と笑顔で受け止められるはず。
彼女の愚痴も「そっか、大変だったな」と、自分のエネルギーを消耗せずに聞けるはずです。
「サゲられた」と感じる時、それは相手の問題ではなく、こちらの「余裕のなさ」「自信のなさ」が、鏡のように跳ね返ってきているだけなのではないでしょうか。
「アゲマン」という言葉の、危険な罠
では、逆に男たちが求める「アゲマン」とは何でしょうか。
「すごいね!」「さすがだね!」と、いつも彼を肯定し、褒めてくれる。
彼の挑戦に、一切の不安や愚痴を口にせず、笑顔で送り出してくれる。
彼の話を、文句ひとつ言わずに聞いてくれる。
…あれ?
これって、ただの「自分に都合のいい、コントロールしやすい女性」を求めているだけじゃないか?
自分の成功も失敗も、すべて「彼女のおかげ」「彼女のせい」にしたい。
「アゲマン」を求める心の奥底には、自分の人生の責任を、パートナーに押し付けようとする未熟さが隠れているのではないか。
「アゲ・サゲ」ではなく、「育てる・育つ」関係へ
結論として、「アゲマン」も「サゲマン」も、単体では存在しないのだと思います。
存在するのは、二人の「関係性」 だけです。
僕が彼女の話を真剣に聞いて安心させれば、彼女の心は軽くなり、結果として僕に優しくなれるかもしれない。
それは、僕が彼女を「アゲた」 ことになります。
彼女が僕の挑戦を本気で心配し、僕が見落としていたリスクを指摘してくれたおかげで、僕は失敗を回避できるかもしれない。それも、彼女が僕を「アゲてくれた」 ことになります。
「アゲる」も「サゲる」も、一方的なものではなく、お互いの言動が影響し合う「相互作用」の結果でしかありません。
パートナーのせいで運が下がったと感じるなら、それは自分に、相手のネガティブな面を引き出してしまう何か(余裕のなさ、不誠実さ)があるのかもしれない。
僕たちが目指すべきなのは、自分に都合のいい「アゲマン」を探すことじゃない。
目の前にいる大切なパートナーと、どうすればお互いの心が健やかになるかを一緒に考え、行動し、二人で「共に育っていく」こと。
それこそが、「アゲマン・サゲマン」という呪いのような言葉から解放される、唯一の道なのだと信じています。
