noteでの連続投稿が途切れた。でも、継続は途切れてない。
noteの毎日投稿を130日以上していたのだが、昨日noteの投稿が0時を少し過ぎてしまった。
0時2分か3分くらいだったと思う。
完全にうっかりしていた。
そのため、note上では連続投稿記録が途切れたことになっているのかもしれない。
「やってしまった」と思った。
ただ、自分でも意外だったのは、それほどショックを受けなかったことだ。
以前の自分だったら、もう少し気にしていたと思う。
記録は途切れても、自分の中では続いている
note上では日付が変わっているため、連続投稿ではないのかもしれない。
しかし、自分の感覚としては継続が途切れた感じがしない。
0時を2、3分過ぎただけで、その日もきちんとnoteを書き、投稿しているからだ。
寝るまでに書けばその日の分という感覚に近い。
そのため、仮にnote上の表示が「1日目」に戻ったとしても、自分の中で積み重ねてきたものまで1日目に戻るわけではない。
アプリ上の連続記録よりも、実際に続けているかどうかのほうが大事だ。
100日を目指していた頃なら、もっと気にしていた
noteを書き始めた頃は、とりあえず100日続けようと決めていた。
100日書けば何かが変わるかもしれない。
フォロワーが増えるかもしれない。
記事がもっと読まれるようになるかもしれない。
とにかく100日続けた先に、何かあるのではないかと期待していた。
だから当時は、「100日連続」という記録そのものにも今より強く意味を感じていたと思う。
もしその途中で、たった数分の遅れによって記録が途切れていたら、今よりもかなりショックを受けていたはずだ。
しかし今は、100日を超えて、その後も書き続けている。
誰かに連続投稿の記録を見せたいという気持ちも、以前ほど強くない。
自分自身が「毎日noteを書いている」と思えていて、実際に記事も積み重なっている。
それで十分ではないかと思っている。
「100日達成」より、続けること自体が大切になった。
100日を目指していた頃は、「100日続ければ何か変わる」という期待があった。
実際に100記事以上書いてみると、期待していたような数字の変化はほとんど起きなかった。
そのため今は、「何日連続」という数字自体には、以前ほど期待していない。
それでも書き続けている。
今は、コツコツと積み重ねること自体に何か意味があるのではないかと思っているからだ。
noteを書くことで、自分の考えを整理できる。
その日の気づきも残る。
自分が何を考えていたのかを後から振り返ることもできる。
だから今は、連続記録を守ることよりも、noteを書くこと自体をやめないことのほうが大切になっている。
それでも、1日まるごと書けなかったら少しへこむ
だからといって、毎日書けなくてもまったく気にしないわけではない。
もし本当に丸一日noteを書かなかったら、「毎日できなかったな」とは思うはずだ。
多少の悔しさもあると思う。
もしかすると翌日に2本書いて、帳尻を合わせるかもしれない。
それが正式なルールとして正しいかどうかは関係ない。
自分がそれでまた続けられるなら、それでいいと思っている。
完璧を求めすぎると、継続は苦しくなる
何かを継続するとき、毎日やるというルールはかなり強い。
毎日書くと決めたからこそ、ここまでnoteを続けられた。
「気が向いた日に書く」という形だったら、おそらくとっくに書かなくなっていたと思う。
小さくても毎日やる。
これは継続するうえで、とても大切だと感じている。
一方で、一度でもできなかったら、それまでの継続はすべて無意味になると考えてしまうと、一気に苦しくなる。
筋トレでも、勉強でも、発信でも同じだと思う。
1日できなかった。
連続記録が途切れた。
その瞬間に「もうダメだ」と考えて、すべてをやめてしまうくらいなら、しれっと次の日からまた始めればいい。
一度途切れたとしても、それまで積み重ねてきたものが消えるわけではない。
他人のルールより、自分が続けられるルール
今回の場合、note上では0時を過ぎたら翌日の投稿になる。
それはnoteのルールとして正しい。
しかし、自分の中では、寝るまでに書いたものはその日の分という感覚でいる。
誰かに「それは連続投稿ではない」と言われても、それによって自分の中の継続まで否定されるわけではない。
そもそも継続とは、誰かに認定してもらうためにするものではないと思う。
アプリに「何日連続」と表示してもらうためだけに続けているわけでもない。
自分が何かを続けたいから、続けている。
それなら、他人の基準に合わせすぎて苦しくなるよりも、長く続けられるルールを持っていたほうがいい。
途切れないことより、戻ってくること
今回、note上では連続投稿記録は途切れたのかもしれない。
しかし、noteを毎日書き続けている感覚は変わっていない。
以前よりも「記録」に執着しなくなり、その代わりに「続けている」という感覚のほうが強くなったのだと思う。
もちろん、これからもできるだけ毎日書きたい。
それでも、もし本当にどこかで1日書けない日が来たとしても、その次の日にまた書けばいい。
一度途切れたからといって、それまで積み重ねてきたものがゼロになるわけではない。
完璧を求めすぎると、継続は苦しくなる。
継続とは、一度も途切れないことではなく、途切れてもまた戻ってくることなのかもしれない。
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