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<ショートショート> 窓がない地球

「次は、『窓がない地球』です」

AIの声が響く。

目を開けると、私は宿泊施設の客室に立っていた。

白い壁。

白い天井。

白い床。

ソファも、テーブルも、本棚もある。

だが、何かが足りない。

私は部屋を見回した。

しばらくして、ようやく気づいた。

窓がない。

一つもない。

これほど広い部屋なのに、外の光が入ってくる場所がなかった。

それでも室内は明るい。

天井全体が、柔らかな光を放っている。

壁の一面には、青い空が映っていた。

白い雲が、ゆっくりと流れている。

風に揺れる木々。

遠くを飛ぶ鳥。

映像とは思えないほど精密だった。

私は壁に近づいた。

手を伸ばす。

指先が触れたのは、冷たい壁だった。

「何かお困りですか」

後ろから声をかけられた。

振り返ると、宿泊施設の制服を着た女性が立っていた。

「この部屋には、窓がないんですね」

私が言うと、女性は不思議そうに首をかしげた。

「窓、ですか?」

なぜそんなものを探しているのか、分からないという顔だった。

「外を見るためのものです」

「外でしたら、建物の外へ出れば見られます」

「この部屋の中からは見られないんですか」

女性は、さらに首をかしげた。

「部屋の中から、外を見るのですか?」

「はい」

「なぜですか?」

私は答えられなかった。

女性にとっては、室内から外を見るという発想そのものが不思議なのだ。

女性は壁を指した。

「景色でしたら、こちらに表示できます」

そして、壁に向かって言った。

「海岸」

青空が消えた。

次の瞬間、壁いっぱいに海が広がった。

白い砂浜。

寄せては返す波。

遠くに浮かぶ島。

部屋の中に、波の音が流れ始めた。

ほのかに潮の香りまで漂ってくる。

「景色は自由に選べます」

女性が説明した。

「海、山、森、雪原。現在の外の様子を映すこともできます」

「今、外はどんな天気ですか」

「雨です」

「それなら、雨を映さないんですか」

女性は、また不思議そうな顔をした。

「雨を見たいのですか?」

「外が雨なら、普通は雨が見えるでしょう」

「外へ出れば見えます」

女性は微笑んだ。

「せっかく室内にいるのに、見たくないものを見る必要はないでしょう」

その言葉に、私は少し引っかかった。

部屋を出て、建物の外へ出た。

空は灰色だった。

雨が降っている。

人々は傘を差し、濡れた道路を歩いていた。

風が吹くと、街路樹の葉が大きく揺れた。

外へ出れば、誰もが本物の空や街を見ている。

建物を振り返った。

外壁には、窓が一つもなかった。

隣の建物にもない。

向かいの住宅にもない。

学校にも、店にも、病院にもなかった。

どの建物も、滑らかな壁で覆われている。

外から見ると、そこに人が暮らしているとは思えないほどだった。

私は街を歩いた。

カフェへ入ると、壁には春の花畑が映っていた。

病院の待合室には、静かな湖が広がっていた。

学校の教室には、明るい青空が映されていた。

どの建物へ入っても、外の天気とは関係のない景色が選ばれている。

電車にも窓はなかった。

車内の壁には、海岸線が流れていた。

青い海。

白い波。

遠くに見える島。

だが、この路線は海の近くを走っていないはずだった。

私は隣に座った男性に尋ねた。

「この景色は、実際に電車が走っている場所ではないんですよね」

男性は、質問の意味が分からないような顔をした。

「実際の場所?」

「今、電車の外にある景色です」

男性は少し考え、端末を確認した。

「街の中心部を走っています」

「その景色を見ることはできないんですか」

男性は不思議そうに眉を寄せた。

「電車の中からですか?」

「はい」

「なぜですか?」

「同じ道でも、天気や歩いている人は変わります」

男性は壁の海を見た。

「でも、雨に濡れた建物より、海の方がきれいでしょう」

「きれいかどうかではなく、実際にそこにある景色です」

男性は、ますます分からないという顔をした。

「外へ出れば、見られますよ」

宿泊施設の女性と同じ答えだった。

電車を降りた。

駅の壁には、森が映っていた。

木漏れ日が揺れ、小鳥の声が聞こえる。

駅の外へ出ると、本物の雨が降っていた。

人々は傘を開き、足早に歩いていく。

別の建物へ入ると、また雨のない景色の中へ消えていった。

外では現実を見る。

建物の中では、見たい世界を見る。

この地球では、それが当たり前だった。

街の案内表示に、博物館の広告が流れていた。

《特別展示・最後の窓》

私は、その博物館へ向かった。

館内には、昔の住宅が再現されていた。

木製の机。

布張りのソファ。

壁掛け時計。

手で開ける扉。

そして、壁の中央に四角いガラスがはめ込まれていた。

最後の窓だった。

映像ではない。

ガラスの向こうに、博物館の外の街がそのまま見えている。

曇った空。

雨に濡れた道路。

向かいの建物。

工事現場。

傘を差して歩く人々。

特別に美しい景色ではなかった。

窓の横には、展示の解説があった。

私は案内AIを起動した。

「どうして、窓は使われなくなったんですか」

案内AIが答えた。

「一つの理由でなくなったわけではありません」

最初は、断熱性を高めるためだった。

次に、防音性、防犯性、耐震性が求められた。

窓は小さくなり、厚くなった。

その後、壁面映像の技術が発達した。

窓から見える景色よりも、好きな景色を映す方が快適だと考える人が増えた。

雨の日には青空。

隣が建物でも海。

狭い部屋でも草原。

窓は少しずつ減っていった。

最後には、建物の外と内を常につなぐ必要はないと考えられるようになった。

「反対する人はいなかったんですか」

「いました。しかし、窓は一度になくなったのではありません」

少しずつ小さくなった。

少しずつ使われなくなった。

そして最後の窓が撤去され、その一つが博物館に保存された。

窓の前には、何人もの来館者が集まっていた。

一人の子どもが、ガラスに顔を近づけている。

「これが、昔の窓?」

母親がうなずいた。

「そうよ。昔の建物には、こういうものがたくさん付いていたらしいわ」

「どうして?」

「部屋の中から、外を見るためだったそうよ」

子どもは驚いて母親を見た。

「外を見るために、壁に穴を開けていたの?」

「そうみたい」

子どもは窓の周囲を調べた。

「景色を変えるところは、どこ?」

係員が答えた。

「ありません」

子どもは不思議そうに振り返った。

「変えられないの?」

「はい」

「海にできますか」

「できません」

「夜にできますか」

「夜になるまで待てば、暗くなります」

子どもは目を丸くした。

「待たないといけないの?」

「はい」

「止められますか」

「外の時間を止めることはできません」

そのとき、道路を一台の車が通った。

続いて、自転車に乗った人が横切った。

風で傘を裏返された男性が、慌てて傘を直している。

子どもが窓へ顔を近づけた。

「今の人、もう一度見せて」

「もう通り過ぎました」

「戻せないの?」

「戻せません」

「じゃあ、次は何が来るの?」

係員は答えた。

「分かりません」

子どもは窓の前から動かなくなった。

しばらくすると、一羽の鳥が窓枠の外側へ降りてきた。

羽を震わせ、雨粒を落とす。

「鳥が来た!」

子どもが声を上げた。

人々が窓へ集まった。

鳥は首を傾け、部屋の中を見た。

人々も、鳥を見た。

ガラスを挟み、しばらく互いに見つめ合った。

やがて鳥は飛び去った。

「戻ってきますか」

子どもが尋ねた。

「分かりません」

「じゃあ、待ってみる」

窓の前に立つ人が増えた。

雨足が強くなった。

しばらくすると、少し弱くなった。

雲の隙間から光が差し、濡れた道路が一瞬だけ明るくなる。

だが、すぐにまた雲に隠れた。

誰も演出していない。

誰も選んでいない。

この部屋のために起きていることではない。

それでも、景色は変わり続けていた。

私は係員に尋ねた。

「この窓は、開けられるんですか」

係員は目を見開いた。

「開ける?」

「昔の窓には、開くものもあったはずです」

係員は案内AIを確認した。

「はい。この窓は開閉式だったようです」

子どもが窓の下にある金具を見た。

「どうして開けるの?」

「外の空気を入れるためです」

私が答えると、子どもはまた首をかしげた。

「空気は機械で作るんじゃないの?」

「昔は、外の空気を入れていたんです」

「雨も入る?」

「風向きによっては」

「匂いも?」

「たぶん」

子どもは母親を見た。

「開けてみたい」

母親は困った顔をした。

周囲の来館者も、窓を見ている。

係員は少し迷ったあと、案内AIへ確認した。

「数センチ以内であれば、展示保全上の問題はありません」

係員が金具へ手をかけた。

固くなっていた。

何度か力を入れると、低い音を立てて動いた。

窓が、ほんの少し開いた。

最初に入ってきたのは、冷たい空気だった。

室内の温度がわずかに下がる。

次に、雨の匂い。

濡れた道路。

土。

遠くの店から流れてくる料理の匂い。

車の音。

人の声。

傘を打つ雨音。

管理されていない音と匂いが、部屋へ入り込んできた。

子どもが大きく息を吸った。

「変な匂い」

母親が笑った。

「外の匂いよ」

「外って、一つの匂いじゃないんだね」

風向きが変わった。

今度は、街路樹の湿った葉の匂いがした。

人々は次々に息を吸った。

映像の森には、決められた森の香りがある。

映像の海岸には、決められた潮の香りがある。

だが、窓から入る空気は、一瞬ごとに変わる。

誰にも選ばれていない。

誰にも調整されていない。

しばらくして、係員は窓を閉めた。

冷たい風が止まった。

雨の音も、匂いも薄れていった。

それでも、人々は窓の前から離れなかった。

子どもが外を見たまま言った。

「明日も同じ景色ですか」

係員は答えた。

「たぶん、違います」

「どう違うの?」

「明日にならなければ、分かりません」

子どもは笑った。

「また来たい」

博物館を出る前、私はもう一度、最後の窓を振り返った。

人々が窓の前に並んでいる。

記念撮影をする者はいなかった。

ただ、外を見ていた。

雨。

曇った空。

工事現場。

濡れた道路。

行き交う人々。

見たいものだけが見えるわけではない。

止めることもできない。

巻き戻すこともできない。

だが、誰にも次が分からない。

元の地球へ戻る時間が来た。

AIの声が響いた。

目を開けると、私は自分の部屋にいた。

正面には窓がある。

カーテンを開けた。

外は雨だった。

灰色の空。

濡れた道路。

傘を差して歩く人。

水たまり。

向かいの建物。

特別に美しい景色ではない。

私はいつもなら、すぐにカーテンを閉めていただろう。

だが、その日は窓を少し開けた。

冷たい空気が入ってきた。

雨の匂いがした。

どこかで鳥が鳴いた。

風が吹き、机の上の紙が揺れた。

私は紙を押さえながら、もう一度外を見た。

映像より美しいとは思わなかった。

けれど、

次に何が見えるのか、

私には分からなかった。

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