見出し画像

照射|3Hzの揺らぎ|あわいの掌編集11|風まかせ文芸部《揺らぎ》

その週の間、週末の天気予報は、いつまでも確定しなかった。
だけど、これは天候の周期的な推移であって、この季節にはよくあること。
何とやらと秋の空、って言うじゃない。
晴れたり曇ったり、この季節特有の気まぐれな空模様。

でも、わたしは理性的な観察者。
そんな外的要因に一喜一憂したりはしない──たぶん。

山登りなんて、はじめから口実に過ぎないのよ。
だから、その日がたとえ大雨だって構わない。
気にしているのは、久しぶりに彼と会うという事実のほうだ。

卒業してから、彼は地球の裏側まで行ってしまった。

あれは、観察の一環だったのよ。そういう振る舞いを演じたかっただけ。
でも、わたしは彼の領域に踏み込みすぎた。
そのとき、わたしは観測者ではなく、醜いほどに女だった。
それは、もはや科学ではなく感情の露呈だった。
その揺らぎは、もう何年も経つのに、今も心の奥で燻っている。
そのまま、ここにある。

白いベッドに広げられた色とりどりの服の花を見おろす。
まるで、夏山のお花畑の縮図みたい。我ながら、ずいぶん散らかしたものね。

だけど、山登りなんだから機能性の一択なのよ。
色は、どうでもいいわね。わたしらしく黒──だけど、ラベンダーも悪くない。
この薄紅色なんて、いつの間に増えたのかしら。
それを胸元にそっと当ててみる。
この胸の火照りは、新種の熱病かしら。
でも、ぜんぜん嫌いじゃない。

今日は、鏡に映る自分と幾度となく目が合った。
何となく、ぜんぜん他意はなく、にっこり笑ってみる。

──チェシャ猫?
いったい何をやってるの、わたし。
鑑の中の自分にツッコミを入れ、少しだけ自己嫌悪。

そうそう、馴染みのサロンにも予約を入れなくちゃ。
先週行ったばかりだけれど、髪を整えるのは必須事項ね。
でも、帽子を被ったら見えなくなっちゃうのは、少し残念ね。
いえ、何でもないわよ。

お化粧もしっかりしないと。
そこに、ぜんぜん他意はないのよ。だけど、紫外線はお肌の大敵なの。
ダメージは年齢とともに指数関数的に蓄積するし、高山帯のUVAは特に過酷よ。
以前、Tekito & Iiwake(1975)が、科学的に実証していたわ。
だから、わたしはできる限り最高のメイクをするべきよ(Q.E.D)。
これは、科学者として、理に適った判断なのよ。

愛用のウェアラブルデバイスが観測し続ける心拍数は、
このところ、通常値より平均で3パーセントほど高い傾向にある。
でも、この程度の変化なら統計的な有意差は観測されない。
だって、測定値の揺らぎ自体が異様に大きいのだから。
U.So & H.Appyaku(1988)によれば、これは、典型的な観測誤差ね。
……たぶん。

左ナナメ45°付近から、彼が呆れ顔で見つめてくる。
初学者レベルの解釈の誤謬ですって?

ウルサイわね、もう。あなた、査読者か何かなの?

視線を思わず右下30°にぷいっと逸らす。
その行為自体に、本当に、ほんとうに他意はないのよ。

そして、迎えた再会の朝。
駅前は、雲量73パーセント程度の、晴天とも曇天ともつかない空模様。
気象予報士さんお気の毒様という典型的な空色でした。
でもそれは、再会したばかりのわたしたちの距離感とは別問題よ。

バス乗り場に立つ彼は、孤高の狼ムーブを自分で演出して、どこか得意げにみえた。
ほんと、相変わらずね。
彼に手を振る。不意に光を帯びたまなざしに、わたしの知らない色がひとしずく落ちる。

耳の裏側が少しくすぐったい。その感覚はどの公式にも当てはまらない。
制御不能な感情を押し殺して、観測者たろうと努める。

わたしは少し背筋を伸ばし、黒猫のようにつんとして一声を発した。
内なる尻尾の揺れに、少しばかり意識が行く。

「……本当に、久しぶりですね」

なぜかしら、いつもより声帯振動が3Hzほど高いのだけれど。

へんね。調律を間違えたのかしら?

わたしは観測者である。
観測者は被観測者に干渉せず、被観測者の影響を受けない──のに。
なのに、あの日の自分の行動が、いまだ解釈不能のまま残っている。
それ以来、彼との距離を測るたび、世界の輪郭がかすかに揺らぐ。
その揺らぎが、わたしの次の一歩をためらわせる。

──これは、観測者が観測不能に陥る、少し前のお話。

#照射 #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 #掌編小説 #短編小説 #恋愛未満 #再会 #揺らぎ #観測者 #内面描写 #リケジョ #わたくさす節 #風まかせ文芸部 #あわい


前へ序文先へ



いいなと思ったら応援しよう!

わたくさす|あるきにすと 最後までお付き合いいただきありがとうございました。皆様からのサポートは、登山の際の安全装備の調達に使わせていただきます。登山はわたしの創作の源──応援よろしくお願いいたします。