子どもの「できた!」を目撃できた話
子どもの生活には、初めての体験が溢れている。
知らなかったことを知り、できなかったことができるようになる。そこには、驚きがあり、喜びがあり、成長がある。
わたしは、そういう子どもたちの体験を、見逃したくない。そばで目撃して、受け止めて、いちいち書き残したいと思っている。
◇
休日の朝。夫と息子が、自転車に乗ってちょっと遠出するといって、二人で出かけていった。
わたしと娘も自転車に乗るのだけど、家の周辺をゆっくりと回る。娘はまだ補助輪が外れていないので、息子のペースに追いつくのはしんどい。
いつからか、家族で自転車に乗るときには、夫と息子チーム、わたしと娘チームの二手に分かれるようになった。
いつものようにガレージから自転車を出しながら、わたしは娘に声をかけた。
「今日は、補助輪なしで乗る練習をしたら?」
娘は、うん、と素直に応じた。
わたしは、これまでも何度もそういって誘ってきた。
最初に練習をしたのは、半年くらい前だろうか。当時は、自分から積極的に練習したがる様子はなかった。わたしが支えながら並走しても、バランスをとるのが難しかった。右へ左へと傾くたびに、いちいち大きな叫び声をあげた。転ぶんじゃないかという恐怖心がいつもあるらしかった。
「ママ、ちゃんと持ってて!」
そんなとき、娘は、まるで転んだらわたしのせいだと言いたげな響きを込めるのだった。「ちゃんと持ってるから大丈夫」と言ってきかせても、聞いちゃいない。
自転車の練習は、親も子も心身ともに疲れる作業であったのは確かだ。
アメリカでは、自転車を生活の足として使う機会があまりない。なので、まあ娘のタイミングで乗れるようになればいいか、くらいの感じでわたしもいた。
それが、最近ちょっと様子が変わってきた。乗れるようになりたい気持ちが目に見えるようになってきたのだ。
これはわたしの想像だけど、息子が自転車での移動距離を伸ばしていくのをみて、自分もそれに追いつきたいという気持ちが湧いたのだと思う。兄のように自転車を操れるようになれば、自分も遠いところまで行けるようになる。一つ階段を上がって、見える景色が変わることへの期待があったんじゃないかな。
最近は、キックバイク(ペダルのない自転車)でバランスをとる練習をしていた。息子がかつて使っていたもの。引っ張り出して娘に使わせてみたら、声をかけなくても、自分で出してきて練習するようになった。そうしたら、少しずつ慣れて、両足を地面から離してもふらふらしなくなってきていた。
反復練習が功を奏すという体験。できなかったことが、少しずつできるようになるという感触。言葉にはなっていなくても、娘はそれらを体で感じていたはず。
そういう流れの中で、娘は、わたしの声かけに素直に応じたのだろう。
よし。やる気だな。
わたしは娘の意欲を確認して、補助輪のついていない自転車をガレージから出した。数年前に、息子が補助輪をとる練習をした小さな自転車である。
娘はヘルメットを被って、さっと自転車にまたがった。わたしが支えてやるのを待たずに、足で地面を蹴った。キックバイクでいつもやる要領だ。それから、勢いをつけて、ペダルに足をかけた。そして間髪入れず、ペダルをぐいっと踏みこんだ。
わたしは、その過程を、後ろからじっと見ていた。いつもなら、倒れないように「ママ、持ってて」っていうのに、今日は言わないんだなと思いながら見守っていた。
すると、次の瞬間、すいすいと前へこぎだした。まるで、今日が初めてじゃないみたいに自然だった。右へも左へも揺らぐことなく、すいーっと進んでいった。まるで、舟が水面に一筋を残して進んでいくみたいに、すいーっと。
わたしは、あまりにあっさりできるようになった驚きと、やったやん!という歓喜とで、思わず後ろから娘の名前を大きな声で叫んだ。
10メートルくらいこいだ後に、娘はきゅっと止まり、わたしを振り返って、にんまりと笑った。
その顔は、「いまの見た?」と言っていた。
わたしは、「うん、見てた。全部見てた」という顔をして、娘に負けないくらいにんまりと笑った。
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《子どもの初めての体験を書いた記事》
