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子どもを「平等に」扱うことなんてできるんだろうか

ある日、娘がぽつりとこんなことを言った。

ママは、わたしより〇〇(息子)の方が好きなの?

唐突に投げかけられたその言葉に、わたしはフリーズしてしまった。いきなりなにを言い出すんだ。

わたしは、娘をじっと見据えて答えた。

「君も〇〇(息子)もママは大好きだよ。一番とか二番なんてつけられない」

この質問は無下に扱ってはならない。そういう類の会話であることをひしと感じていた。

「でも、どうしてそう思ったの?」

わたしが尋ねると、娘はしょんぼりした表情で答えた。

ママはわたしより〇〇(息子)といる時間の方が長いから

そうかな?その真否のほどは、にわかにはわからなかった。

しかし、子どもって、大人からみたら些細に思えることにも敏感になにかを感じとり、子どもなりに一生懸命考えているものだ。

我が家では、子どもたちがベッドに就く前、夫がそれぞれに本を読み聞かせることになっている。その間、わたしは、その順番に当たっていない方の子と、二人でお喋りしたりして過ごす。

娘は、その時間のことを言っていた。わたしが、息子とより長い時間を過ごしている、と。

言うまでもなく、娘も息子もわたしにとっては唯一無二の存在である。期待や願いの分、ときに屈折したり圧をかけたりしてしまうことは否めない。けれど、子どもへの愛情は掛け値なしだ。それは自信をもって言える。

一方で、子どもは一人ひとり違う。同じわたしのお腹から出てきても、娘と息子は、性格も趣向も得意不得意も好きな遊びも、ことごとく違う。

そして、我が子といえども、一人の独立した人間である。一般的な人間関係がそうであるように、相手が違えば対応は変わる。人間関係は相互作用である。それは我が子との関係であっても同じだ。

例えば、例の寝る前の時間の過ごし方でいうと。

息子は、相手に寄り添うことで愛情を表現する。ハグをしたり、背中を優しくなでたり、一緒にベッドに潜り込んだりすることを好む。

だから、わたしは息子といるとき、よく息子とハグをしたり、ベッドで隣り合わせに寝転んで話をしたりする。それが、その時間に息子がわたしに望んでいることだし、わたしと息子の関係において、日々繰り返しているコミュニケーションでもある。

一方、娘は相手を特別視することで愛情を示す。「大好き」と言葉にしたり、手紙を書いて渡したり、注意や関心を一点に集中させる。それを自分からもするし、相手にも求める。

同時に、一人で自分の世界にこもるのが好きな一面もある。ノートに日記を書いたり、静かに本を読んだり。

なので、娘との時間は、ごっこ遊びやヨガをしたり、一緒に本を読んだりする。でも、それなりの頻度で、娘が一人でなにかをして過ごすときもある。

確かに、密に一緒にいる時間という意味では、息子との方が多いかもしれない。でも、それはわたしが選んでそうしているのではなく、息子と娘それぞれのパーソナリティと深く関わっている。

もう一ついうと、娘は、二人目の子どもの宿命で、生まれたときから兄という強力なライバルがいる。いつも兄の存在を意識している。今回のどっちが好きか発言も、兄に負けたくないという潜在意識が作用しているに違いない。

しかし、実際がどうであれ、問題なのは、娘自身が、わたしからの愛情が息子にかけられているものより少ないと感じていることである。

娘が、普段からわたしや夫の注意を引こうとする傾向が強いのも、もっと多くの愛情を得たいという思いの表れなのかもしれない。

だからといって、息子にするのと全く同じように接するのが正解だとは思わない。わたしにも明確な答えはないのだけど、夫と話しながら思い至った方策が一つある。

それは、わたしと娘の二人だけの時間を作ることである。

寝る前の5分や10分だけではなくて、もっとまとまった時間。そこでなにをして過ごすかよりも、娘にとっての「特別感」を満たしてやることだ。わたしの注意と関心を完全に独り占めさせる。存分に愛情に浸らせる。シャワーというよりお風呂のように。

それでうまくいくのかはわからない。

親としての試行錯誤は、今日も続く。

(おわり)


読んでくださってありがとうございます。

《尽きることのない子育ての悩みについて》


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