夢はジャニスの店員(自分を構成する9つのマンガ)
好き、というより、癖。
選んだ、というより、少しずつ選ばされてきた。
その静かな犯行の現場みたいな場所が、
私にはジャニスだった。
今日の弁当

- スパイス筑前煮
- 煮卵
- インゲンのポリヤル
- 紫玉ねぎのアチャール
自家製のジンジャーシロップを、砂糖の代わりに使った筑前煮、ついでに卵も漬けてみた。
筑前煮なら一品でも一日に必要な栄養をバランスよく摂れるはず。
でも私の身体を構成する漫画は、
9冊の棚には収まりそうにない。
夢はジャニスの店員
「自分を構成する漫画」を並べたつもりだった。
なのに残ったのは、漫画のリストというより、
世界に対する疑い方の一覧だった。
好きな漫画を挙げるだけなら、もう少し人あたりのいい顔ぶれになったはずである。
フォローさせて頂いているうどじょさんの「私を構成する9つの漫画」というテーマの記事がとても面白くて、自分でもやってみたくなった。
実際にやってみると、これが意外と難しい。
私のような人間がnoteで好きなだけサブカル語りを始めると、Audibleなら1.5倍速で流される長文レシートが完成する。
なので、もっと作品愛のあるちゃんとした考察批評を読みたい方は、是非うどじょさんの記事をみてほしい。
私を構成する9つの漫画

『シュガー』
『ピンポン』
『ひゃくえむ』
に惹かれるのは、才能がだいたい希望の顔で出てこないからだ。この三作での才能は災害に近い。
本人も周りも狂わせ、追い詰める。
気持ちよく推し活したいとは思わせてくれない。
その不親切さを信用している。
『オールラウンダー廻』
『チェンソーマン』
『三月のライオン』
に惹かれるのは、成長がちゃんともたつくからだ。
突然覚醒したりせず、時には立ち止まり後退する。
現実の成長は不器用で、手順が悪い。
まっすぐ進んだつもりでも、いつの間にか靴の裏に泥が増えている。どんなに回り道でも、どういう足取りを辿ったかの方が大事に感じる。
『木島日記』
『それでも町は廻っている』
『さよなら絵梨』
で惹かれるのは、物語の“視点”と“構造”でどうやって読者の心を動かし、作者の意図へ導いていくのか、一見難解だけど読み込むほどその緻密な設計が見えるところだ。
並べてみると、
私はずいぶん足元の悪いものばかり選んでいた。
才能は災いのように現れ、成長はぬかるみながら進み、物語はきれいに舗装されていない。
でも私は、そういう道のほうでばかり、
なぜか方向感覚を取り戻す。
つまり私は、作品の中身だけでなく、
そこへ連れていかれるまでの足場の悪さまで好きだったのだと思う。
並べ終わってからもう一つ分かったことがある。
私はたぶん、作品そのものだけに惹かれてきたわけではない。
それがどんな順番で差し出されるか。
どんな顔でこちらに近づいてくるか。
そういう“手つき”にもかなり弱いのだ。
そして、その癖の原型みたいなものは、
たぶん神保町にあった。
神保町の棚
私のサブカルの入口は、
住んでいる下北沢ではなく神保町だった。
そして入口はだいたい全部本からで、
特に古本屋が好きだった。
普通の本屋には親切がある。
ポップがあり、ランキングがあり、同じ著名人の紹介帯を見すぎると、この人実はどこかに軟禁されていて、偽札職人のように毎日紹介文だけを書いているのではと少し心配になる。
でも古本屋には、あの親切が薄い。
教科書に載りそうな文豪の本の隣に風俗ルポがあり、その近くにガロと月刊ムーと知らない経営者の自己啓発本がいる。
どういう会合なのか分からないのに、
全員が当然の顔で同じ空気を吸っている。
乱雑なのではない。
きっとまだこちらが読めない文法で、
棚の都合が静かに書かれているだけだ。
棚には知識より、誰かの癖が並んでいる。
この本の隣にこれを置くのは、少し意地が悪い。
でも、その意地の悪さが妙に正確なのだ。
こちらがまだ名前を付けられない趣味の輪郭を、
棚のほうが先に知っているみたいだった。
そういう棚に育てられると、子どもも早い。
先週末、古本まつりで、小さな子が絵本をねだる感じで「松本清張どこ〜」と親に聞いているのを見かけて、仕上がってるなと思った。
神保町で棚に趣味の輪郭を先回りされたあと、私はよくジャニスというレンタルCD屋に寄っていた。
そこでもまた、別の棚に進路を曲げられた。
シューゲイザーの思念体
形式だけ見れば昔のTSUTAYAみたいな店なのに、
中身はまるで違った。
インディーズから洋楽まで、とにかく品揃えが偏っている。その偏り方がよかった。
「なんでもあります」ではなく、
「これをこんなに置くの、だいぶ性格があるな」という棚がちゃんとある。
一つ一つ歪な個性もテトリスみたいに収まっていて、棚全体がひとつの意思になっていた。
私はシューゲイザーが好きで、
その入口もたぶんあの店だった。
店内で流れている曲の中に、ずっと気になるものがあった。でも何の曲なのか分からない。
分からないまま棚を見ているうちに、似た気配のジャケットや知らないバンド名が少しずつ目に入ってくる。答えを教えられるというより、足元の床だけが少しずつ傾いていく感じだった。
気づくと、さっきまで出口のほうを向いていたはずなのに、もう別の棚の前に立っている。
回り道をさせられているのに、その回り道のほうが本線に思えてくる。
私は常連のはずなのに、入る度に地形が変わるダンジョンに迷い込んだようだ。
そして、その頃妙に気になる店員さんがいた。
長い髪に髭。
たいてい俯きがちに立っていて、目が合わない。
積極的に話しかけてくるわけでもない。
店員さんというより、棚の奥に溜まっていた少し湿った空気が、たまたま人の形を保っている感じだった。
でも私は、あの人がいちばん接客していたと思う。喋らないのに、店のBGMと棚が、ずっとこちらに話しかけてくる気がしたのだ。
“今日のおすすめはマスドレです”
“こっちが好きなら、たぶんこれもいけます”
“今のあなたにはまだ少し早いです”
“延滞料金は一日あたり百二十円です”
モノローグが多すぎる。
少女漫画の編集でもたぶん止める。
でも、押しつけがましくないのに、ちゃんと偏っている。親切すぎないのに、ちゃんと導いている。
「おすすめです」と言わないくせに、店全体でずっとおすすめしてくる。
こちらの肩を掴んで連れていくのではなく、
視線の置き場所だけ少しずつずらしていく。
そのずれが積み重なると、気づいた時にはもう別の景色を見ている。
あの人は、喋っていないようで、
たぶんずっと喋っていたのだと思う。
ただし声量があまりにも小さく、ほぼ棚とBGMに外注されていた。接客を業務委託しすぎである。
自分を構成する漫画を並べたつもりだった。
でも最後に見えてきたのは、漫画の題名だけではなかった。
私はずっと、作品そのものと同じくらい、
それをどう差し出すかという手つきに惹かれてきた。
神保町の古本屋の棚も、ジャニスのBGMも、あの無口な店員さんも、少しずつ私の趣味の骨を作っていた。
だから、もしもっと子どもの頃にあの店を知っていたら、私の将来の夢はかなりの確率でジャニスの店員だったと思う。
進路希望にそう書いたら面談は確定だろうし、
親にも少し困った顔をされたはずだ。
それでも私は、ああいうふうに立っていたかった。
喋りすぎず、押しつけすぎず、
それでも誰かの人生を棚ごとほんの少し傾けてしまう人として。
夢はジャニスの店員。
今書くと少し恥ずかしい。
でも、恥ずかしいまま残っている夢のほうが、
たぶん長持ちする。
うまく説明できないまま、
ずっと自分の骨の近くにある。
※弁当とエッセイをまとめた「弁当記録」というマガジンがあります。
今回の文章が気に入った方は、自己紹介と合わせてのぞいていただけたらうれしいです。
自己紹介エッセイ
マガジン|弁当記録
