部活動における学校という「賃貸アパート」の歴史と、これからの「コミュニティマネージャー」
#1では、2〜3年の「有期限システム」が選手を使い切るバグを生むことについて整理しました。
#2では、レストラン(サービス業)とBBQ(コミュニティ)の曖昧さが生む、疲弊と高騰の二極化について書きました。
#3では、時間軸を縦に伸ばす「多世代型お囃子システム」という、スマートな世代循環の正解について観測を深めました。
しかし、ここで一つの素朴な疑問が浮かびます。
多世代型クラブがそれほど合理的で温かい解決策であるなら、
なぜ日本のグラウンドのほとんどは、今も「単一年代の、期限付きの、ボランティアが疲弊するチーム」のままなのか。
なぜ、グラウンドの大人たちは、組織のスマートな「動かし方」を知らないのか。
今回は、この連載の最後の観測として、日本のスポーツが歩んできた歴史的背景と、これから求められる新しい運営者の「頭のOS」について書き留めておきます。
私たちは「フル装備の賃貸アパート」に住んでいた
突然ですが、家を借りて住むときのことを想像してみてください。
あなたが「家具・家電・水道光熱費込みのフル装備アパート」に入居したとします。
部屋に入れば最初からエアコンが効いていて、蛇口をひねれば水が出て、ネットも繋がっている。あなたはただ、毎月の家賃を払って、その部屋の生活を楽しむだけで済みます。裏で誰がインフラを管理しているか、どうやって電線が引かれているかなんて、一切知る必要はありません。
実は、日本の地域スポーツは長年にわたり、この「フル装備アパート」にタダで住ませてもらっていました。
そのアパートの名前が、学校の「部活動」です。
学校の部活動というシステムは、世界的に見ても極めて特異で、同時に「恐ろしいほど親切なオールインワン・パッケージ」でした。
グラウンド(土地)は学校が最初から所有している。
選手(顧客)は進学のたびに自動的に供給される。
先生(指導者・運営者)が、自分の生活を削ってでも無償で面倒を見てくれる。
予算や保険、対外試合の手続きなどの面倒な事務作業(インフラ)は、学校という組織が裏で勝手に処理してくれる。
この中にいる限り、指導者も保護者も、組織をどうやってゼロから立ち上げ、維持し、持続させていくかという「経営やインフラ構築」について、1ミリも頭を使う必要がありませんでした。
なぜなら、「学校」という巨大なOSが、すべてを肩代わりしてくれていたからです。
いきなり野原に放り出されて「村」を作らなければならない今
今、その「学校部活」という賃貸アパートが、教員の働き方改革や少子化によって、部活動の地域移行(展開)が進み一気に取り壊されようとしています。
アパートを追い出されたグラウンドの大人たちは、いきなり何もない野原に放り出されました。
「さあ、これからは地域で自立してスポーツを楽しんでください」と言われても、自分たちで土地(グラウンド)を確保し、水道を引っ張り(予算の管理)、仲間を集め(マーケティング)、お互いのルールを決めて暮らす(コミュニティ運営)方法なんて、誰も教わったことがありません。
家を自分で建てたことがない人たちが、いきなり野原で「自分たちの村を作れ」と言われてパニックになっている。
これが、今あちこちのグラウンドで大人が疲弊し、おもてなしのレストラン化(高額な習い事化)するか、善意の崩壊(ボランティアの自滅)に直面している、歴史的な原因です。
私たちが持っている指導者のOSは、学校という強力な背景を前提とした「お堅い技術指導者」のまま止まっています。
しかし、これからの地域スポーツという野原で本当に必要なのは、技術を教える職人(大工)ではなく、その場が持続するように全体を設計する「都市計画家(コミュニティマネージャー)」なのです。
これからの指導者に求められる「コミュニティマネージャー」のOS
もし、私たちがこれからもこの国で、誰もが気軽に、かつ安全にスポーツを楽しめる温かいグラウンドを残していきたいのであれば、運営に携わる大人たちが「先生」や「監督」という役割から、「コミュニティマネージャー」へ再定義する必要があります。
コミュニティマネージャーとは、偉そうに命令する人でも、へりくだってサービスを提供する人でもありません。
メンバー全員が「当事者」として居心地よく過ごせるための、「環境とシステムをデザインする人」です。
具体的には、以下のような「グラウンドの裏の仕様書」を書き換えていく仕事です。
「好意」に甘えず、「システム」で解決する:
「手の空いている保護者の方は手伝ってください」という曖昧な好意に頼るのをやめます。出欠確認や集金はスマートなツールで一瞬で終わらせ、泥臭いグラウンド作りや片付けは、お囃子の太鼓のように「全員がパズルのピースとして、最初から小さな役割を一つずつ持ち寄る」仕組みをインターフェースとして美しく整えておきます。「上下関係」ではなく「横のつながり」:
「指導者(与える人)」と「選手・保護者(もらう人)」という縦の構図を壊し、「全員でこのグラウンドを盛り上げる共同経営者」というフラットな関係性を最初に提示します。「3年のハコ」から「多世代の道」へ:
チームの寿命を3年で終わらせるのをやめ、OBやOG、幼児から大人までが緩やかに出入りできる「お囃子のような時間軸」をグラウンドの余白に設計しておきます。
技術を教えるだけの「大工」は、野原では暮らせません。
グラウンドという場所に集まる人々の関係性と、そこを流れる時間とリソースをスマートに整理し、誰もが無理なく、楽しんで参加し続けられる土壌を耕すこと。それこそが、これからの地域スポーツを救う新しいマネージャーの仕事です。
グラウンドは、大人の「遊び場」でもあっていい
野球をはじめとするスポーツは、そもそもただの「遊び」から始まりました。
誰かに強制されるからやるのではなく、楽しいから集まり、心地いいからその場所に居続ける。
日本のスポーツは、あまりにも長く「教育(学校)」という看板を背負いすぎたのかもしれません。だからこそ、大人も子供もどこか息苦しく、楽しむことよりも実績を出すことに縛られてしまっていました。
学校依存というアパートを離れ、地域という自分たちのキャンバスに、もう一度スマートで、温かくて、誰も犠牲にならない美しいコミュニティを描き直すこと。
それは、決して「負担の押し付け合い」のような苦しい作業ではありません。
大人も子供も、もう一度グラウンドを「自分たちの手で作る、最高の遊び場」としてハックし直す、きわめてクリエイティブで、ワクワクする挑戦のはずです。
誰かに教えるおこがましさはありませんが、この『地域スポーツコミュニティ改革』の4つの観測が、週末のグラウンドに立つ一人の大人にとって、目の前のバグをスマートに見直す、何かしらのささやかなヒントになれば嬉しく思います。
