【中学受験】息子小4編 夏休みの宿題よ、永遠に
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小学生の頃、夏休み最終日になって、私のきょうだいの絵画の宿題が終わっていないことが判明した。
家族が騒然とする中、当の本人は開き直って、宿題をやるつもりなどみじんも見せなかった。
私はきょうだいとして焦った。
本人に任せていたら、学校が始まってしまう…。
私は本人以上に焦った。そして悩む暇もなく、きょうだいの代わりに絵画の宿題にとりかかった。自分の宿題は終わっているのに、夏休み最後の日に、こんなに焦って人の宿題をやらなければならないなんて。
その日のうちになんとか絵画は描き終えたが、きょうだい本人はむしろ迷惑そうだった。それでも、私は仕上がった絵を宿題として出すように半ば無理やりきょうだいに持たせた。
本人は最初から最後まで他人事だった。もちろん感謝の言葉などなかった。
私のやったことはありがた迷惑だったのだろう。
私は、自分の宿題をどうするでもないきょうだいの気持ちが最後までわからなかった。
私がやったことは、ただの自己満足なのかもしれない。
理解できないその状況を、自分自身が解消したかっただけなのかもしれない。
そして今、息子の絵画の宿題を前に、私は数十年ぶりにその光景を思い出していた。
目の前の息子は、当時のきょうだいと重なって見えた。今この瞬間も、宿題に取りかかるつもりはなさそうだった。
そんな息子を見て、私はやはり下絵に取り掛からずにいられなかった。
鉛筆で色分けの目印を記し、ぬり絵するだけの下書きを仕上げ、息子の前に差し出した。
すっかり心折れた息子は色ぬりすら面倒がったが、パレットに絵の具を用意して息子に筆を握らせた。
私が息子の手足となっているのか、息子が私の手足となっているのか、もはやわからなかった。
数十年前、きょうだいの宿題を仕上げていた時と、私は何も変わっていないのかもしれない。
とにかくこの絵画を今片付けなければ、夏休み最終日まで残ってしまうと思った。
一時間後、息子はやっと絵画を描きあげた。
もはや息子の意思など反映されていないその絵は、コンクールに出す意味すらあるのかわからなかった。
ただ、夏休みの宿題が一つ終わった。
これだけは確固たる事実であり、私と息子は心から安堵したのだった。
数か月後、息子は参加賞をもらってきた。
クラスのお友達が立派な賞をもらうのを目の当たりにした息子は、来年こそは自分が入賞したいと言ってきた。
気勢を上げる息子を前に、苦笑しつつ、来年こそは自力で仕上げてほしいと思う私であった。
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