Bauhaus回想録 Vol.4:ニューヨーク・ストーリーと「生意気なガキ」 (1980 後半)
1980年9月、バウハウスは初めて大西洋を渡ります。
プレスとの戦争で疲弊していた彼らを待っていたのは、煌びやかな摩天楼ではなく、ゴキブリだらけの安ホテル、ポルノ映画館、そしてパンクのゴッドファーザーとの運命的な遭遇でした。

デヴィッド・Jの回想録におけるハイライトのひとつである「ニューヨークとイギー・ポップ」のエピソードを、当時のタイムズスクエアの頽廃的な空気感と共に描きます。
ニューヨークの「生意気なガキ」とイギー・ポップ
ここ(ニューヨーク)に住むのは、テレビのセットの中に住むようなものです。すべての色、コントラスト、そして音が最大ボリュームだ ――デヴィッド・J(回想録より)
1980年9月。英国のプレスから「陰気なポーズだけの連中」と袋叩きにされていたバウハウスは、逃げるように、あるいは征服するために、アメリカへと飛び立ちました。

彼らが降り立ったのは、ロナルド・レーガンが大統領に就任する直前の、荒廃し、財政破綻寸前だったニューヨーク・シティ。
そこは、アートと犯罪、パンクとディスコ、富と貧困が混ざり合う、地上で最もエキサイティングな「地獄」でした。
連載第4回は、バンドにとって初の北米ツアー、タイムズスクエアの安宿での生活、そして憧れのイギー・ポップから「洗礼」を受けることになった奇跡の夜を描きます。
1. タイムズスクエアのゴキブリと「栄光ある不潔さ」
JFK空港に到着した4人は、黄色いタクシーに乗り込み、マンハッタンを目指しました。 彼らが予約していたのは、44番街にある「イロコイ・ホテル(Iroquois Hotel)」。

デヴィッド・Jは回想録で、チェックインした瞬間の衝撃を克明に記しています。
部屋のドアを開け、ネオンを点けた瞬間です。壁やベッドの上を覆い尽くしていた太った黒いゴキブリの大軍団が一斉に散らばり、隙間へと消えていくのが見えました。
それはまるで、黒いカーペットが生き物のように動いたかのようでした
ロックスターの夢見るスイートルームとは程遠い現実。 夜になり明かりを消すと、ゴキブリたちが食べ残しをあさってカチカチと音を立てるのが聞こえてきます。
ある朝、デヴィッドは耳の中に「ガサガサ」という異音と異物感を感じて飛び起きました。耳の中にゴキブリが侵入していたのです。しかし、一歩外に出れば、そこには彼らを魅了してやまない「魔都」が広がっていました。
当時の42番街は、現在のディズニー化された観光地とは真逆の世界でした。通りにはポルノ映画館が立ち並び、怪しげなネオンが点滅し、路地裏からは腐敗したゴミと排気ガスの匂いが漂っていました。
7番街の娼婦たちがベタつく通路を徘徊し、ハンドジョブの客引きをしていました。鼻を突くような腐った精液の悪臭が嗅覚を襲いました。
しかし、そこには生々しいエネルギーがありました。21世紀の嘆かわしい『浄化』ですっかり失われてしまった、あのざらついた個性が町に溢れていた当時のほうが、私は好きなのです
彼らは時差ボケも気にせず、ソーホーやイースト・ヴィレッジのクラブへと繰り出しました。
「マッズ・クラブ(Mudd Club)」や「ティア3(Tier 3)」では、ジェームス・チャンスやDNAといったノー・ウェーブ(No Wave)のバンドが、既存の音楽を解体するようなノイズを撒き散らしていました。
バウハウスのメンバーは、自分たちの音楽性(ファンクとノイズの融合)が、この街の空気と共鳴していることを肌で感じました。
2. ゴッドファーザーの登場:「殺人事件があったんだ!」
到着初日の夜、奇跡は唐突に訪れました。 時差ボケで眠れないメンバーたちは、ホテルの1階にある薄暗いバー「ジェームス・ディーン・ラウンジ」で飲んでいました。客は彼らだけでした。
そこへ、一人の男がふらりと入ってきました。 小柄で、筋肉質で、針金のように引き締まった体。そして、射るような青い瞳。
イギー・ポップでした。
彼らは凍りつきました。バウハウスにとってイギー・ポップは、デヴィッド・ボウイと並ぶ最大のアイドルであり、彼らのステージ・パフォーマンスの教科書そのものだったからです。
イギーは殺気立っていました。彼はバーテンダーにビールを注文しながら、独り言のように叫びました。
クソッ! 角で殺人があったんだ! 知ってるか? 誰かが撃たれたんだよ!
どうやらホテルのすぐ近くで発砲事件があり、イギーは興奮冷めやらぬ様子でした。 彼は英国訛りの若者たち(バウハウス)に気づくと、少し落ち着きを取り戻し、気前よく全員にビールを奢ってくれました。
「お前ら、バンドか? どこから来た?」 イギーは彼らのテーブルに座り、話し始めました。夢のような時間です。
しかし、ここでボーカルのピーター・マーフィーがとった行動は、彼の「恐れ知らず」かつ「エキセントリック」な性格を象徴するものでした。
ピーターは突然スツールから立ち上がり、イギーの背後に回ると、あろうことかイギーの脇腹をくすぐり始めたのです。そして、耳元でこう囁きました。
さあ、イギー。僕らの部屋に行きたいんでしょう!(Come on Iggy, you know you want to come to our room!)
その誘い文句には、明らかに同性愛的な、あるいは挑発的なニュアンスが含まれていました。
伝説のパンク・ゴッドファーザーに対し、デビューしたての若造が、初対面で「部屋に来ないか」と誘惑したのです。デヴィッド・Jたちは青ざめました。殴られるかもしれない。
イギーは狼狽し、少し後ずさりしながら言いました。
ワオ、ありゃまたずいぶんと**生意気なガキ(Fresh kid)**だな! 生意気なガキだ! ……あいつはいつもあんな感じなのか?
イギーは苦笑いしながらバーを出て行きました。 ピーターは悪びれる様子もなく、ニヤリと笑っていました。
彼は「神」に対してさえ、対等(あるいはそれ以上)に振る舞おうとしたのです。

3. ダンステリアでの承認:「クソ最高だったぜ!」
しかし、イギーは「生意気なガキ」のことを忘れてはいませんでした。
数日後、ニューヨークの人気クラブ「ダンステリア(Danceteria)」で行われたバウハウスのライブに、彼は姿を現したのです。

会場は超満員でした。ニューヨークのキッズたちは、噂の「英国の吸血鬼バンド」を一目見ようと詰めかけていました。
ステージに上がったバウハウスは、最前列に革ジャンを着たイギー・ポップがいるのを見つけました。彼は腕組みをし、執拗に野次を飛ばしていました。
もっとやれ! つまんねえぞ! 本気を見せろ!
それは悪意のある野次というよりは、弟分に対する「愛の鞭」のような挑発でした。 ピーター・マーフィーはその挑発に完全に応えました。
彼はマイクスタンドを振り回し、ライトを蹴り上げ、イギーを睨みつけながら「Dark Entries」を絶叫しました。バンドの演奏はかつてないほど攻撃的で、タイトでした。

終演後、汗だくで楽屋に戻ったメンバーのもとに、ドアを蹴破るようにしてイギーが飛び込んできました。彼の目は輝いていました。
ヘイ、お前ら! 『クソ最高だったぜ(That was fuckin' great)!』 正直に言うとな、どうせお前らガキの演奏なんてクソ(shit)だろうと思ったから、リムジンの運転手にエンジンかけたまま外で待ってろって言ったんだ。1曲聴いて帰るつもりだった。 だけど俺は最後までいた。エンジンを切らせたんだよ。そういうことさ、兄弟!
イギーはメンバー全員と握手し、嵐のように去っていきました。 パンクの神からの承認。それは、『NME』の記者が何千文字の悪口を書こうとも揺らぐことのない、バウハウスが「本物」であるという証明でした。
デヴィッド・Jはこの夜のことを「人生で最高の夜の一つ」と振り返っています。
4. シカゴでの厚遇と「若き日の過ち」
ニューヨークを征服した彼らは、次なる目的地シカゴへ向かいます。 そこで彼らを迎えたのは、後にインダストリアル・ミュージックの聖地となるレコード店兼レーベル「ワックス・トラックス!(Wax Trax!)」のオーナー、ジム・ナッシュとダニー・フレッシャーでした。

彼らはバウハウスの熱狂的なファンであり、まだ無名に近い彼らをVIPとして扱いました。
店に招待されたメンバーは、「好きなレコードを何でも持っていってくれ(大幅割引する)」と言われました。
店内には、英国では手に入らない貴重な輸入盤やアンダーグラウンドなレコードが山のように積まれていました。
しかし、ここでデヴィッド・Jは、若さゆえの愚かさと、倫理観の欠如を露呈する事件を起こしてしまいます。
彼は回想録で、自身の「一生の恥」を正直に告白しています。
ジムたちが目を離した隙に、デヴィッドはウィリアム・S・バロウズの朗読レコードと、パティ・スミスの海賊盤をコートの下に隠し、万引きしてしまったのです。

レコードと本に関しては、私は昔からかなり手癖が悪かったのです。
恥ずべきことです――そして、あれほど親切にしてくれたジムとダニーに対して、極めて恩知らずで愚かな行為でした
ホテルに戻った後、彼は激しい自己嫌悪に襲われました。
皮肉なことに、数年後、バウハウスの派生バンド(ラヴ・アンド・ロケッツやピーター・マーフィー)は、アメリカでの活動においてワックス・トラックス!周辺の人脈に多大な助けを受けることになります。
デヴィッドが盗んだバロウズのレコードは、後に彼が傾倒する「カットアップ」や「魔術」への入り口となりましたが、その入手方法はあまりに苦いものでした。
5. アメリカに残した爪痕
1980年の北米ツアーは短いものでしたが、その影響は計り知れませんでした。 彼らはアメリカのアンダーグラウンド・シーンに、「ゴス」と「インダストリアル」の種を蒔きました。

また、彼らは、後のナイン・インチ・ネイルズ(トレント・レズナー)やマリリン・マンソンといった世代に、直接的・間接的な影響を与えました。
英国では「気取ったアート・バンド」として嘲笑されていた彼らが、アメリカでは「エキゾチックで危険なロックスター」として歓迎されたのです。
この自信は、帰国後の彼らのサウンドをより強固なものにしました。
【Vol.4 あとがき】
第4回では、バウハウスの初のアメリカツアー、特にイギー・ポップとの交流を中心にお届けしました。
このエピソードが重要なのは、バウハウスが単なる「陰鬱なバンド」ではなく、イギー・ポップ直系の「ロックンロールのダイナミズム」を持っていたことが証明された点です。
ピーター・マーフィーの生意気さは、パンク精神そのものでした。
また、タイムズスクエアの描写からは、当時のニューヨークが持っていた「危険な引力」が伝わってきます。
クリーンになる前のニューヨークこそが、バウハウスのような異形のバンドを受け入れる土壌を持っていたのでしょう。
しかし、アメリカでの成功の余韻に浸る間もなく、彼らは再びヨーロッパへ戻ります。そこで待っていたのは、寒さと、機材トラブル、そして暴動寸前の観客たちでした。 次回Vol.5では、過酷を極めた1980年冬のヨーロッパツアーと、T・レックスのカバー「Telegram Sam」について描きます。
(Vol.5へ続く)
※本文中の引用・描写は主に David J の回想録に基づき、必要に応じて文脈に合わせて訳語を調整しています。誤訳や取り違いに気づいた場合は適宜修正します。
【出典・参考文献】
本連載の執筆にあたり、以下の文献・資料を参照・引用いたしました。
■ 回想録(一次資料)
David J, Who Killed Mister Moonlight?: Bauhaus, Black Magick and Benediction, Jawbone Press, 2014.
■ 当時の音楽プレス(1979-1983)
Phil Sutcliffe, "Bauhaus: University of Surrey, Guildford", Sounds, May 24, 1980.
Andy Gill, "Bauhaus: In The Flat Field", New Musical Express (NME), November 8, 1980.
Mike Stand, "Bauhaus: Darkness and Degradation in Sound and Word", The Face, Issue 22, February 1982.
Paul Morley, "Bauhaus: Breaking Down The Walls Of Art-Ache", New Musical Express (NME), March 20, 1982.
Chris Bohn, "Ziggy Stardust: From Bowie To Bauhaus", New Musical Express (NME), October 23, 1982.
Helen Fitzgerald, "Peter Murphy: Searching for Satori", Melody Maker, October 8, 1983.
■ 回顧録・特集記事(2000年代以降)
Stephen Dalton, "Bauhaus: The Godfathers of Goth", Uncut, Issue 131, April 2008.
Julian Marszalek, "Peter Murphy Interview", The Quietus, July 26, 2011.
Martin Aston, "Bauhaus: A post-punk primer on 'The Godfathers of Goth'", The Vinyl Factory, January 16, 2019.
■ データ参照
Discogs (Release Data)
Official Charts Company (UK Chart Data)
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