Bauhaus回想録 Vol.5:欧州の暴動と「Telegram Sam」の幻影 (1980 冬)
1980年の冬、バウハウスはアメリカでの成功から一転、ヨーロッパの凍てつく大地で「地獄」を見ることになります。
インダストリアル・パフォーマーZ'EVとの過酷なツアー、ドイツでの暴動、そして極寒のアウトバーンでの逃避行。 これらはデヴィッド・Jの回想録の中でも特に壮絶、かつ映像的なエピソードです。

また、この時期にリリースされたT・レックスのカバー「Telegram Sam」についても詳細に解説し、彼らのルーツである「グラム・ロック」と「パンク」の持つソリッド感の融合を紐解きます。
欧州の暴動、寒波、そしてグラム・ロックの幻影
本格的な暴動が発生する中、私たちはクラブのスタッフによって楽屋から追い出され、クローゼットのような場所へと押し込まれました。
外ではバンがボコボコにされ、窓が粉々に割られる音が響いていました ――デヴィッド・J(回想録より)
1980年の終わり。ニューヨークの興奮から覚めたバウハウスを待っていたのは、ロンドンの冷たい雨と、ヨーロッパ大陸を覆う記録的な寒波でした。
彼らは1stアルバム『In The Flat Field』を引っ提げ、ヨーロッパ・ツアーへと旅立ちました。しかし、それは「凱旋」とは程遠いものでした。
機材トラブル、敵意を剥き出しにする観客、そして命の危険さえ感じる暴動。 このツアーは、バウハウスというバンドの精神を極限まで追い込み、彼らを「鋼鉄(メタル)」のように硬く、冷たい存在へと鍛え上げることになります。

連載第5回は、インダストリアル・ノイズの洗礼を受けた欧州ツアーの惨状と、グラム・ロックの継承を宣言したシングル「Telegram Sam」について描きます。
1. グラム・ロックへの回帰:Single "Telegram Sam" (1980)
ツアーの惨劇を語る前に、この時期にリリースされた重要なシングルについて触れておきましょう。 1980年11月、4ADからリリースされた「Telegram Sam」です。

4th Single: "Telegram Sam"
発売日: 1980年11月
レーベル: 4AD
チャート: UKインディー・チャート3位
【解説:T・レックスの解体と再構築】
A面は、彼らのアイドルであるマーク・ボラン(T・レックス)の1972年の全英No.1ヒット曲のカバーです。
オリジナルは、ブギーのリズムに乗った軽快でセクシーなグラム・ロックですが、バウハウス版はそれを凶暴に「解体」しています。
テンポは倍速近くまで上げられ、パンクの焦燥感で疾走します。ダニエル・アッシュのギターはフィードバック・ノイズを撒き散らし、デヴィッド・Jのベースは歪みきっています。
ピーター・マーフィーは、マーク・ボランの震えるような歌唱法(ビブラート)を模倣しつつ、そこに神経症的な「キレ」を加えています。
これは単なるカバーではなく、「グラム・ロックの華やかさは、ポストパンクの時代にはこうやって表現するのだ」という彼らなりの宣言でした。
【B面:Rosegarden Funeral Of Sores,Crowds】
12インチ版のB面に収録されたRosegarden Funeral Of Soresは、ジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)のカバーです。 重苦しいビートと、サドマゾヒスティックな歌詞。
「痛みが欲しいか?(Do you want pain?)」と問いかけるこの曲は、後のライブにおいて、ピーターとダニエルが鞭打ちのパントマイムを演じるためのサウンドトラックとなりました。
このシングルのA面とB面は、バウハウスが持つ「ポップスターへの憧れ(光)」と「倒錯への渇望(闇)」の両極を完璧に表現しています。
2. 怪物 Z'EV との旅
ヨーロッパ・ツアーのサポート・アクトとして帯同したのは、アメリカのインダストリアル・パーカッショニスト、Z'EV(ゼヴ)でした。

彼は「楽器」を持っていませんでした。彼がステージに持ち込んだのは、建設現場から拾ってきた巨大なプラスチック製のパイプ、金属板、チェーン、そして廃材の山でした。
彼はそれらを振り回し、叩きつけ、物理的な「音の壁」を作り出してトランス状態に入る、現代のシャーマンのような男でした。
デヴィッド・Jは、Z'EVの常軌を逸した行動に戦慄しました。 国境を越える際、Z'EVは大量のコカインを持ち込もうとしました。
その方法は、コカインをコンドームに詰め、それを自分の直腸(肛門)に隠すというものでした。
税関で彼が冷や汗をかいているのを見て、私たちは祈るような気持ちでした。もしバレたら、ツアーどころか全員刑務所行きです。
無事に通過した後、彼はトイレに駆け込み、洗浄された戦利品を持って戻ってきました。私たちはそれを吸う気にはなれませんでしたが……(デヴィッド・J)
Z'EVのパフォーマンスは、毎晩のように会場の空気を不穏なものに変えました。彼の生み出す暴力的なノイズは、観客の攻撃性を刺激し、メインアクトであるバウハウスが登場する頃には、会場はすでに「暴発寸前」の状態になっていたのです。
3. デュッセルドルフの悪夢:電気ショックと暴動
ドイツ、デュッセルドルフ。
会場となったクラブは、不法占拠されたスクワット(廃墟)のような場所で、地元のパンクスやスキンヘッズで溢れかえっていました。
彼らは芸術的なパフォーマンスなど求めておらず、ただ暴れる口実を探していました。

トラブルはサウンドチェックから始まりました。会場の電源設備が劣悪で、アース(接地)が取れていなかったのです。
ピーター・マーフィーがマイクに触れるたびに、青白い火花が飛び、強烈な電気ショックが彼を襲いました。
ピーターがマイクを握るたびに『バチッ!』と音がして、彼は後ろに吹き飛ばされました。
唇が焦げる匂いがしました。スタッフに抗議しましたが、『ドイツの電気は強いんだ』と笑うだけでした(デヴィッド・J)
本番が始まると、事態は最悪の展開を迎えました。 電気ショックに耐えながら歌うピーターに対し、観客はビール瓶や空き缶を投げつけ始めました。
彼らはバウハウスの演劇的なメイクや衣装が気に入らなかったのです。「オカマ野郎!」「降りろ!」という怒号が飛び交いました。

ついに観客の一団がステージに乱入しようとした時、ライブは中断されました。 クラブのスタッフは、メンバーをステージ裏の狭い用具室(クローゼット)に押し込み、鍵をかけました。「ここから出るな! 殺されるぞ!」
暗闇の中で身を寄せ合う4人。壁の向こうからは、ガラスが割れる音、何かが破壊される音、そして群衆の叫び声が聞こえてきます。それは自分たちの機材車(バン)が破壊される音でした。
数時間後、警察が介入してようやく彼らは解放されました。 外に出ると、バンはボコボコにされ、窓ガラスはすべて粉々に割られていました。
極寒の冬の夜、彼らは窓のないバンにビニールシートをガムテープで貼り付け、雪が吹き込むアウトバーンを走って次の街へ向かいました。車内は氷点下でした。
4. ベルリン SO36:飛来物の中のキリスト
満身創痍でたどり着いたのは、西ベルリンの伝説的なクラブ「SO36」でした。 デヴィッド・ボウイやイギー・ポップが愛したベルリン。
パンクとスクワッター文化の熱気を色濃く残す場所でした。

ここでも観客は敵対的でした。 当時のベルリンのシーンは、よりハードコアなパンクやサイコビリーが主流であり、バウハウスのような「気取った(Pretentious)」バンドは格好の標的でした。 演奏が始まると、ステージにはあらゆる物が投げ込まれました。ビール瓶、吸い殻、唾。
しかし、この夜のピーター・マーフィーは神がかっていました。 彼は飛んでくる危険物を避けるそぶりさえ見せませんでした。
ステージの中央で両手を広げ、十字架に張り付けられたキリストのようなポーズをとり、微動だにせず、アカペラに近い状態で歌い続けたのです。
彼の顔をビール瓶がかすめ、唾が頬を流れ落ちていました。しかし彼は瞬きひとつせず、ただ一点を見つめて歌い続けました。
その姿は完全に狂気じみていましたが、同時に奇妙に美しかったのです。観客もその気迫に圧倒され、徐々に静まり返っていきました(デヴィッド・J)
それは、バウハウスが「暴力」を「芸術」でねじ伏せた瞬間でした。
彼らは自分たちのスタイルを曲げることで迎合するのではなく、より過剰に、より演劇的に振る舞うことで、敵対する世界に対抗したのです。

5. 鋼鉄の結束と帰国
この過酷なツアーは、メンバー間の結束をかつてないほど強固なものにしました。 「世界中が敵でも構わない。俺たち4人だけで十分だ」。 寒さと恐怖を共有した彼らは、戦友のような絆で結ばれました。
イギリスに帰国した彼らは、プレスからの批判など、もはや痛くも痒くもないと感じていました。
デュッセルドルフの暴動やベルリンの敵意に比べれば、『NME』の記者の悪口など、子供の戯言に過ぎなかったからです。

彼らは自信に満ちていました。 自分たちはライブバンドとして、どんな状況でも演奏できるタフさを手に入れた。
そして、自分たちの音楽が、国境を越えて人々の感情(たとえそれが怒りであっても)を激しく揺さぶる力を持っていることを確信したのです。
1980年が暮れる頃、バウハウスはインディーズ・シーンの枠には収まりきらない存在へと成長していました。
次なるステップは、より規模の大きい独立系レーベル への移籍、そしてより洗練されたスタジオ・ワークによる傑作アルバムの制作です。しかし、その過程で彼らは新たな「燃料」――コカイン――に手を出し、成功と引き換えに精神を蝕まれていくことになります。
【Vol.5 あとがき】
第5回では、1980年冬のヨーロッパ・ツアーの惨状を描きました。
現在の視点では、バウハウスは「ゴスの帝王」として尊敬されていますが、当時はパンクスやマッチョなロックファンから激しい差別と暴力を受けていたことがわかります。
彼らのメイクや衣装は、単なるファッションではなく、偏見に対する命がけの「盾」だったのです。
また、「Telegram Sam」のカバーに見られるように、彼らはパンクのスピード感を持ちながらも、あくまでグラム・ロックの系譜にある「スター性」を志向していました。
泥にまみれても、彼らは輝くことをやめませんでした。
次回Vol.6では、1981年、大手インディーズ「ベガーズ・バンケット」への移籍と、2ndアルバム『Mask』の制作について。
スタジオに持ち込まれた大量のコカインと、ニコやビリー・マッケンジーとの奇妙な交流を描きます。
(Vol.6へ続く)
※本文中の引用・描写は主に David J の回想録に基づき、必要に応じて文脈に合わせて訳語を調整しています。誤訳や取り違いに気づいた場合は適宜修正します。
【出典・参考文献】
本連載の執筆にあたり、以下の文献・資料を参照・引用いたしました。
■ 回想録(一次資料)
David J, Who Killed Mister Moonlight?: Bauhaus, Black Magick and Benediction, Jawbone Press, 2014.
■ 当時の音楽プレス(1979-1983)
Phil Sutcliffe, "Bauhaus: University of Surrey, Guildford", Sounds, May 24, 1980.
Andy Gill, "Bauhaus: In The Flat Field", New Musical Express (NME), November 8, 1980.
Mike Stand, "Bauhaus: Darkness and Degradation in Sound and Word", The Face, Issue 22, February 1982.
Paul Morley, "Bauhaus: Breaking Down The Walls Of Art-Ache", New Musical Express (NME), March 20, 1982.
Chris Bohn, "Ziggy Stardust: From Bowie To Bauhaus", New Musical Express (NME), October 23, 1982.
Helen Fitzgerald, "Peter Murphy: Searching for Satori", Melody Maker, October 8, 1983.
■ 回顧録・特集記事(2000年代以降)
Stephen Dalton, "Bauhaus: The Godfathers of Goth", Uncut, Issue 131, April 2008.
Julian Marszalek, "Peter Murphy Interview", The Quietus, July 26, 2011.
Martin Aston, "Bauhaus: A post-punk primer on 'The Godfathers of Goth'", The Vinyl Factory, January 16, 2019.
■ データ参照
Discogs (Release Data)
Official Charts Company (UK Chart Data)
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