不便だからこそ見える景色。
最新のミラーレス機であるNikon Z6ⅢにK&Fコンセプトのマウントアダプターを介して、40年以上前のレンズを装着する。 秋葉原にあるカメラのキタムラのジャンクコーナーから救い出してきたSMC PENTAX-M 200mm f/4だ。
このnote記事を読んで、魅力が高そうだと確信して購入することにした。
税込980円で手に入れたそのレンズは、手に持つとズシリと重い。 今のプラスチック多用のレンズにはない、金属とガラスの塊としての主張がある。この「重さ」が、これから写真を撮るんだというスイッチを入れてくれる。状態はとても良好で、カビや埃、曇りを感じさせない。
世界にピントが合う感覚

正直に言えば、200mmという望遠でマニュアルフォーカス(MF)を合わせるのは骨が折れる。
少しでも体が前後すれば、ピントの山は霧のように消えてしまうし、フレームアウトもしてしまう。ボディー内手ぶれ補正があるとはいえ、手ぶれにはいつも以上に気を使う必要がある。撮影仕事で使っているZマウントのオートフォーカス(AF)レンズなら一瞬で終わる作業に、僕は長い時間をかける。

ファインダーを覗き、フォーカスリングを指先の感覚を頼りに0.1ミリ単位で追い込んでいく。 じわじわと鮮明になっていく世界。MFを補助をする拡大機能を最大限活用し、 「ここだ」と思った瞬間にシャッターを切る。
わざわざ不便をお金で買っているようなものかもしれない。
でも、自分の身体を介して景色をレンズに定着させる感覚。世界にピントが合う、生きている実感。これこそが、僕がこの現代においてあえて古い道具を持ち出す理由なんだと思う。
案外、悪くない描写

絞りの開放値はf/4と 決して明るいレンズではない。だが、写し出される絵には現代のレンズが忘れてしまった「情緒」のようなものが宿っている気がする。
もちろん、逆光になれば盛大にフレアが出るし、パープルフリンジも発生する。 でも、それがいい。 完璧すぎる解像度は、時として記憶の質感とは乖離してしまう。その絶妙なゆるさこそが、僕たちがみている世界そのものの優しさや質感をそのまま写真に反映する。

「六畳半の自室を片付けたい」なんて記事を書きておきながら、またこうしてオールドレンズを増やしてしまった。
でも、このレンズでしか見えない景色がある、このレンズだからこそ得られる体験がある。 そう自分に言い訳をしながら、春を前に石油ストーブの少し懐かしいような匂いが残る部屋で、手に入れたばかりのレンズをクロスで拭いたり、外に持ち出して撮影している時間は、僕にとって至福なのだ。
わざわざ不便を買う。

デジタルのいいところは、いくらでもシャッターを切れることだ。いつか100点の写真が撮れるまでレンズとカメラを磨き続けて待つ必要なんて全くない。何度でも打席に立てる。立った分だけ成長できる。
効率やタイパも大事だけれど、こうして「わざわざ不便を買う」ことで、鈍くなった感性や身体感覚を研ぎ澄ますのも、案外悪くない。
明日も、この200mmを持って外に出よう。このレンズを抱えて、いつもの通勤路を歩いてみよう。つくづく、いい時代に生まれたなと思う。

筆者:KOZO
1981年生まれ、岩手県出身。インハウスエディター。広報・カメラマン・ギター・楽曲制作も。日々の出来事や感じたことを書きます。Amazonアソシエイトに参加しています。
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