力を抜くことが、わからなくなった日
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、
心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を日々書いています。
今日は、
力を抜くことが、わからなくなった日
について書いてみようと思います。
「もっと力を抜いていいよ」
そう言われても、
どうやって力を抜けばいいのか、
わからないということはありませんか。
力が入っているのは、
なんとなくわかる。
肩がこっている。
呼吸が浅い。
奥歯を噛みしめている。
いつも少し急いでいる。
休んでいても、どこか緊張している。
でも、
「じゃあ、力を抜いてみよう」
と思っても、うまく抜けない。
むしろ、
力を抜こうとして、また力が入る。
でもそれは、
あなたが不器用だからではありません。
きっと、これまでずっと、
力を入れて生きてきたのだと思います。
力を入れることで、守ってきたもの
力が抜けない人は、
ただ頑固なわけではありません。
ただ真面目すぎるわけでもありません。
力を入れることで、
何かを守ってきたのだと思います。
失敗しないように。
迷惑をかけないように。
期待に応えられるように。
ちゃんとしている人でいられるように。
置いていかれないように。
崩れてしまわないように。
そうやって、
自分を保ってきた。
力を入れることで、
なんとか今日までやってきた。
だから、
急に「力を抜いていいよ」と言われても、
体はすぐには信じられません。
本当に抜いていいのか。
気を抜いたら、何かが崩れないか。
ちゃんとしていない自分を、誰かに責められないか。
立ち止まったら、置いていかれないか。
体は、まだ少し警戒している。
だから、
力が抜けないのです。
それは、
弱さではありません。
これまで頑張ってきた体の、
とても自然な反応です。
「抜かなきゃ」と思うほど、抜けなくなる
力を抜こうとするとき、
私たちはつい、また頑張ってしまいます。
「リラックスしなきゃ」
「ちゃんと休まなきゃ」
「もっとゆるまなきゃ」
「力が入っている自分はダメだ」
そう思った瞬間に、
頭の中では、また新しい課題が始まります。
力を抜くことさえ、
“できるようになるべきこと”になってしまう。
リラックスすることさえ、
“ちゃんとやること”になってしまう。
すると、体はますます身構えます。
なぜなら、
また自分が評価されているように感じるからです。
うまく力を抜けているか。
ちゃんと休めているか。
リラックスできているか。
良い状態になれているか。
そうやって確認され続けると、
体は安心できません。
力は、命令では抜けません。
「抜け」と言われて抜けるなら、
きっと誰も困っていない。
力が抜けるのは、
体が安心したときです。
ここでは急がなくていい。
ここでは失敗してもいい。
ここではちゃんとしていなくてもいい。
ここでは少し崩れても大丈夫。
そう感じられたとき、
体は少しずつ、力を手放していきます。
力が入っていることに、まず気づく
力を抜く前に、
まず大切なのは、
力が入っていることに気づくことです。
肩が上がっている。
眉間にしわが寄っている。
手に力が入っている。
呼吸が浅くなっている。
お腹が固くなっている。
胸のあたりが詰まっている。
話しながら、少し急いでいる。
そういう小さなサインに、
ふと気づく。
それだけでいいのです。
気づいたからといって、
すぐに抜けなくてもいい。
むしろ、
すぐに抜こうとしなくてもいい。
「あ、力が入っているんだな」
まずは、それだけで十分です。
力が入っていた自分を、
責める必要はありません。
「また力が入ってる」
ではなく、
「ここまで力を入れて、頑張っていたんだね」
そんなふうに見てあげる。
それだけで、
体の受け取り方は少し変わります。
力を抜くことは、
力が入っている自分を否定することではありません。
力が入っていた自分に気づき、
その理由を少しだけわかってあげること。
そこから、
少しずつ始まります。
力を抜けないのは、安心が足りないから
人は、安心していないとき、
自然と力が入ります。
寒いとき、体を縮めるように。
危ないと感じたとき、身構えるように。
失敗できないと思ったとき、呼吸が浅くなるように。
力が入ることには、理由があります。
だから、
力を抜けない自分に対して、
「なんでこんなに硬いんだろう」
と思わなくていい。
体は、
あなたを守ろうとしているだけかもしれません。
ずっと気を張ってきた。
ずっと先回りしてきた。
ずっと期待に応えようとしてきた。
ずっと大丈夫なふりをしてきた。
その積み重ねの中で、
体は、力を抜くタイミングを忘れてしまったのかもしれません。
それなら、必要なのは、
もっと強く頑張ることではありません。
もっと上手にリラックスしようとすることでもありません。
必要なのは、
少しずつ安心を思い出すことです。
安心は、
一気につくるものではありません。
小さく、少しずつ、
体に知らせていくものです。
今は大丈夫だよ。
少し休んでもいいよ。
完璧じゃなくてもいいよ。
急がなくてもいいよ。
ちゃんとできなくても、ここにいていいよ。
そんな言葉を、
何度も何度も、
体に届けていく。
その積み重ねの中で、
力は少しずつ、抜けていきます。
ほんの少しだけ、ゆるめてみる
力を抜くことがわからないとき、
全身を一気にゆるめようとしない方がいい。
まずは、ほんの少しでいい。
肩を下げようとするのではなく、
肩に力が入っていることに気づく。
呼吸を深くしようとするのではなく、
今の呼吸の浅さに気づく。
姿勢を正そうとするのではなく、
今の体の硬さを感じる。
それで十分です。
もし少し余裕があれば、
手のひらを開いてみる。
奥歯の噛みしめを、ほんの少しだけゆるめてみる。
息を吐く時間を、少しだけ長くしてみる。
椅子に座っているなら、
背中を預けてみる。
足の裏が床に触れている感覚を感じてみる。
「力を抜くぞ」と頑張るのではなく、
「少し預けてみる」くらいでいい。
力を抜くことは、
がんばって達成するものではありません。
少しだけ、委ねてみること。
少しだけ、任せてみること。
少しだけ、
自分を支えてくれているものに気づくこと。
床が支えてくれている。
椅子が支えてくれている。
呼吸が続いている。
今日も体がここにある。
その感覚に気づいたとき、
体は少しだけ、
「全部を自分で支えなくてもいいのかもしれない」
と思いはじめます。
頑張ってきた人ほど、力を抜くのに時間がかかる
力を抜くことは、
簡単なようで、簡単ではありません。
特に、
長いあいだ頑張ってきた人ほど、
力を抜くのに時間がかかります。
なぜなら、
力を入れることが、
その人にとっての生き方になっているからです。
頑張ることで認められてきた人。
我慢することで場を保ってきた人。
ちゃんとすることで安心してきた人。
先回りすることで自分を守ってきた人。
弱さを見せないことで、なんとか立ってきた人。
そういう人にとって、
力を抜くことは、
ただ筋肉をゆるめることではありません。
生き方の向きを、
少しずつ変えていくことでもあります。
だから、焦らなくていい。
すぐに変わらなくていい。
今日、少し力が入っていると気づいた。
それだけでいい。
力を抜こうとして、
また力が入ってしまった。
それでもいい。
そのことに気づけたなら、
もう、少し自分に近づいています。
ととのえることは、
一瞬で別人になることではありません。
自分を責めながら、
良い状態に変えることでもありません。
少しずつ、
自分に還っていくこと。
その途中で、
力が入っていた自分にも出会います。
そして、
力を入れながら生きてきた自分を、
少しずつわかっていく。
力を抜くとは、自分を許すこと
力を抜くとは、
自分を許すことなのかもしれません。
ちゃんとしていない自分を許す。
すぐに変われない自分を許す。
休んでも休まらない自分を許す。
まだ不安な自分を許す。
誰かに頼ることを許す。
少し遅れることを許す。
完璧ではない今日を許す。
そうやって、
自分に対する握りしめが少しゆるんだとき、
体の力も少し抜けていきます。
体と心と思考は、
別々のようでつながっています。
心が許されると、
体は少しゆるみます。
思考が急がなくなると、
呼吸は少し深くなります。
体が安心すると、
心も少し落ち着きます。
だから、
力を抜くことがわからない日には、
無理にゆるもうとしなくていい。
ただ、
今の自分に少しだけ、
やさしい見方を向けてみる。
「力が入っていたんだね」
「ずっと頑張ってきたんだね」
「すぐに抜けなくてもいいよ」
その言葉だけでも、
体は少し安心するかもしれません。
今日のところは、ここまででいい
今日、力が入っていることに気づいた。
それだけでいい。
力を抜こうとして、
また力が入ってしまった。
それでもいい。
休もうとしても、
どこか身構えている自分に気づいた。
それだけで、十分です。
力を抜くことは、
頑張ってできるようになることではありません。
安心を思い出す中で、
少しずつ起きていくこと。
だから、
力を抜けない自分を責めなくていい。
力が抜けないほど、
頑張ってきた自分を、
少しだけわかってあげられたらいい。
今日、ほんの少しだけ、
息を吐いてみる。
ほんの少しだけ、
肩の重さに気づいてみる。
ほんの少しだけ、
自分を支えてくれているものに預けてみる。
それだけでいい。
ととのえるとは、
無理に変わることではなく、
少しずつ自分に還っていくこと。
力を抜くことがわからなくなった日も、
あなたの体は、きっとどこかで、
安心へ戻る道を探しています。
急がなくていい。
今日のところは、
ここまででいいのです。
また、次の記事でお会いしましょう。
ととのえ職人
五木田穣
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力を抜けない自分を責めるのではなく、
力が抜けないほど頑張ってきた自分に、
少しやさしくなる。
そんな時間を、
日々の中に少しずつ増やしていけたらと思っています。
急がなくていい。
ちゃんとゆるめなくてもいい。
まずは、力が入っていたことに気づいただけでいい。
今日も、ここまで読んでくださってありがとうございました。
どうか今日、
ほんの少しでも、
あなたの体が安心を思い出せますように。
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