人に合わせすぎた日は、自分の呼吸を戻す― 相手のペースに寄りすぎた時の、ととのえ方 ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
昨日は、
体が知らせてくれる違和感を、
なかったことにしない、という話を書きました。
なんとなく重い。
呼吸が浅い。
肩に力が入っている。
お腹が張っている。
胸がざわざわする。
そういう小さな違和感は、
体からの大切な知らせかもしれない。
そんな話でした。
今日は、そんな違和感を感じやすい、
人に合わせすぎた日のことを書いてみたいと思います。
人に合わせることは、
悪いことではありません。
相手を思いやること。
場の空気を読むこと。
相手のペースを尊重すること。
誰かに寄り添うこと。
それは、とても大切なことです。
でも、
人に合わせすぎた日は、
気づかないうちに自分の呼吸が浅くなっていることがあります。
相手に合わせているつもりで、
自分の感覚を置き去りにしていることがあります。
今日は、
人に合わせすぎた日は、
自分の呼吸を戻す。
そんな話をお届けします。
人に合わせることは、悪いことではない
まず、
人に合わせること自体は、
決して悪いことではありません。
誰かと一緒に生きていく以上、
自分のことだけを考えていればいいわけではないので。
合わせることも大切なことです。
相手の気持ちを想像すること。
相手の状況を考えること。
場の流れを読むこと。
今は自分が少し譲った方がいいと感じること。
そういうことは、
人と関わる中でとても大切です。
人に合わせられるということは、
相手を感じ取れるということです。
相手の表情。
声のトーン。
沈黙。
言葉にされていない空気。
そうしたものを感じ取りながら、
自分の振る舞いを少し調整できる。
それは、
やさしさでもあり、
感受性でもあり、
関係性を大切にする力でもあります。
だから、
人に合わせてしまう自分を、
責めなくていい。
合わせられることには、
ちゃんと意味があります。
でも、
問題は、合わせることそのものではなく、
合わせすぎて、自分がいなくなってしまうことです。
合わせすぎると、自分の呼吸が浅くなる
人に合わせすぎている時、
体は先に知らせてくれています。
呼吸が浅くなる。
肩に力が入る。
胸が少し詰まる。
お腹が硬くなる。
顔だけ笑っている。
声が少し高くなる。
本当は疲れているのに、
大丈夫なふりをする。
相手の言葉に合わせながら、
自分の中の小さな違和感を飲み込む。
その場では、
うまくやれているように思うかもしれません。
場を乱さなかった。
相手を不快にさせなかった。
空気を悪くしなかった。
ちゃんと対応できた。
でも、
帰ってからどっと疲れる。
一人になった瞬間に、
体が重くなる。
なぜか胸がざわざわする。
何かを失ったような感じがする。
それは、
人と会った疲れだけではなく、
自分の感覚を置いてきた疲れかもしれません。
相手のペースに合わせることに集中しすぎて、
自分の呼吸を忘れていたのかもしれません。
「いい人」でいようとすると、体は緊張する
人に合わせすぎる背景には、
「いい人でいたい」という気持ちがあります。
嫌われたくない。
迷惑をかけたくない。
相手をがっかりさせたくない。
空気を壊したくない。
期待に応えたい。
ちゃんとしていたい。
やさしい人でいたい。
そういう気持ちがあるから、
自分の本音を少し後回しにする。
本当は疲れていても、
「大丈夫です」と言う。
本当は断りたいのに、
「いいですよ」と言う。
本当は少し違うと思っていても、
「そうですね」と合わせる。
本当は帰りたいのに、
もう少しだけ付き合う。
こういうことは、
誰にでもあると思います。
でも、
いい人でいようとする時、
心と体は、緊張しています。
相手にどう見られているかを気にする。
相手の反応を読む。
間違えないようにする。
嫌な感じにしないようにする。
それは、
思っている以上にエネルギーを使います。
だから、
人に合わせすぎた日の疲れは、
体力の問題だけではありません。
自分を抑えていた疲れ。
本音を飲み込んでいた疲れ。
相手を優先し続けた疲れ。
自分の呼吸より、
相手の空気を優先し続けた疲れ。
そういう疲れを、心と体が感じているのです。
自分の感覚がわからなくなる前に
人に合わせることが続くと、
だんだん自分の感覚がわかりにくくなっていきます。
本当はどうしたいのか。
何が嫌だったのか。
何に疲れたのか。
どこで無理をしたのか。
どこから合わせすぎたのか。
それが、
だんだん、わからなくなっていく。
ただ、疲れている。
ただ、重い。
ただ、ひとりになりたい。
でも、何に疲れたのかはわからない。
これは、
自分の感覚よりも、
相手の反応を優先する時間が長くなってしまった結果です。
相手を感じ取る力が強い人ほど、
自分の感覚が後回しにしがちです。
相手の気持ちがわかる。
場の空気がわかる。
相手が求めていることがなんとなくわかる。
だからこそ、
そこに合わせてしまう。
でも、
自分の感覚を置き去りにしたまま、
相手に合わせ続けると、
少しずつ、自分の心と体と思考がズレていきます。
そこで、
自分の感覚がわからなくなる前に、
呼吸を戻すことが大切です。
呼吸を戻すとは、自分に戻ること
「呼吸を戻す」とは、
ただ深呼吸をするということではありません。
呼吸を戻すとは、
自分の感覚に戻ることです。
今、私は疲れている。
今、私は少し無理をした。
今、私は相手に合わせすぎた。
今、私は本当は断りたかった。
今、私は少し静かにしたい。
そうやって、
自分の内側に戻ってくること。
相手の表情を読むのではなく、
自分の体の感覚を読む。
場の空気を見るのではなく、
自分の呼吸の浅さに気づく。
相手の期待を満たす前に、
自分がどこで緊張していたかを見る。
そして、
呼吸を通じて、気づく。
呼吸を通じて、戻していく。
呼吸が戻ると、
少しだけ自分の輪郭が戻ってきます。
相手のために動いていた自分から、
自分の内側を感じられる自分に戻ってくる。
そこから、
ととのえることが始まります。
合わせすぎた日には、反省より回復を
人に合わせすぎた日、
反省をするかもしれません。
なんであんなことを言ったんだろう。
もっと上手に断ればよかった。
また無理をしてしまった。
自分は本当に弱い。
どうしていつも合わせてしまうんだろう。
そうやって、
疲れている自分に、
さらに反省を重ねて、追い込んでしまう。
でも、
人に合わせすぎた日に、
まず必要なのは、反省より回復です。
なぜ合わせすぎたのかを考えることは、
後でもできます。
次はどうするかを考えることも、
少し落ち着いてからでいい。
まずは、
自分の呼吸を戻すこと。
体を少し休ませること。
一人の時間をつくること。
温かいものを飲むこと。
スマホを少し置くこと。
誰かに返事をする前に、
少し間を置くこと。
今日はもう、
必要以上に人の空気を読まないこと。
消費してしまった、
心と体を休ませること。
疲れている時に、
自分を責めると、
さらに自分から離れてしまいます。
合わせすぎた日は、
まず自分のところへ戻る。
反省は、そのあとでいい。
自分勝手になることとは違う
自分の呼吸を戻すというと、
人に合わせないことが大事だとか、
自分勝手でいいという話に聞こえるかもしれません。
でも、
そうではありません。
自分を大切にすることと、
相手を雑に扱うことは違います。
自分の呼吸を戻すことは、
相手を否定することではありません。
むしろ、
自分の呼吸が戻っている方が、
相手を丁寧に見られます。
自分がいっぱいいっぱいの時、
相手の言葉を攻撃のように受け取ってしまうことがあります。
自分に余白がない時、
相手のペースを尊重できなくなることがあります。
自分が無理をしている時、
その無理を相手にも求めてしまうことがあります。
だから、
自分の呼吸を戻すことは、
関係性を壊すためではなく、
関係性を丁寧に扱うためにも必要です。
自分を消して合わせるのではなく、
自分を持ったまま関わる。
相手に飲み込まれるのではなく、
自分の足元を感じながら関わる。
それができると、
人との関係は少しやさしくなります。
人に合わせすぎた日にできること
人に合わせすぎた日。
まずは、
自分に戻るための小さなことをしましょう。
たとえば、
帰ったらすぐに何かをしない。
部屋で一人になる時間をつくる。
深く息を吐く。
白湯やお茶を飲む。
照明を少し落とす。
スマホを置く。
音を減らす。
今日の一日をすぐに振り返りすぎない。
「今日は少し合わせすぎたかもしれない」とだけ認める。
そして、
自分にこう言ってみる。
おつかれさま。
よく合わせてきたね。
でも、もう戻ってきていいよ。
人の空気を読む時間が長かったから、
自分の呼吸も読むようにしましょう。
呼吸を通じて、
自分を迎えに行く。
呼吸を通じて、
自分に戻っていく。
ととのえる基本は、呼吸です。
呼吸を取り戻すことで、
心と体は、安心していきます。
今日の小さな問い
最後に、
今日の小さな問いを置いておきます。
今日、誰に合わせすぎましたか。
どの場面で、
自分の呼吸が浅くなりましたか。
本当は、
何を言いたかったですか。
本当は、
何を断りたかったですか。
相手を大切にしようとして、
自分を置き去りにしていませんでしたか。
今、自分の体は、
何を知らせてくれていますか。
今日、自分の呼吸を戻すために、
何をひとつ減らせそうですか。
全部に答えなくていいです。
答えを出すためではなく、
自分に戻るための問いです。
人に合わせすぎた日には、
問い詰めるのではなく、
静かに迎えに行く。
自分の感覚を、
もう一度受け取り直す。
それくらいでいいのです。
人に合わせすぎた日は、自分の呼吸を戻す
人に合わせすぎた日は、
自分の呼吸を戻す。
相手を大切にしようとして、
自分を置き去りにしていたなら、
少しだけ自分のところへ戻ってみる。
場の空気を読み続けていたなら、
今度は自分の体の空気を感じてみる。
相手の期待に応えようとしていたなら、
今の自分が何を必要としているのかを聴いててみる。
人に合わせる力は、
やさしさでもあります。
でも、
そのやさしさが、
自分を消すことにならないように。
相手と共にあるためにも、
まず自分の呼吸を忘れないように。
今日、もし人に合わせすぎたなら、
帰ってきた自分に、
静かにこう言ってあげてください。
もう、戻ってきていいよ。
自分の呼吸に戻っていいよ。
おかえりなさい。
私からあなたにも、
おかえりなさい。
ととのえ職人
五木田穣
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