続けるためには、楽しい余白が必要
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
昨日は、
「書くことが楽しくなると、発信は習慣になる」
という記事を書きました。
書くことが、
自分に戻る時間になる。
言葉にすることで、
今の自分の状態に気づく。
書くことが義務だけではなく、
少し楽しいものになっていくと、
発信は自然と続きやすくなる。
書くことで、ととのう。
そんな話でした。
今日は、そこから少し広げて、
「続けること」について書いてみたいと思います。
何かを続けたい時、
私たちはつい、
ちゃんと続ける方法を探します。
毎日やる。
時間を決める。
記録をつける。
目標を立てる。
仕組み化する。
習慣化する。
もちろん、
それらは大切です。
続けるためには、
ある程度の仕組みも必要です。
気分だけに任せていると、
続かないこともあります。
でも、
続けることを考える時に、
忘れたくないものがあります。
それが、
余白です。
それも、
ただ空いている時間という意味の余白ではありません。
少し遊べる余白。
うまくいかない日があっても戻れる余白。
完璧にできなくても続いていると見られる余白。
楽しいと思える余白。
自分の感覚が入る余白。
続けるためには、
根性だけではなく、
楽しい余白が必要です。
続けようとすると、余白が消えていく
何かを続けようとすると、
最初はやる気があります。
よし、毎日やろう。
今度こそ続けよう。
ちゃんと習慣にしよう。
自分を変えよう。
そう思って始める。
それ自体は悪いことではありません。
何かを始める時には、
ある程度の勢いも必要です。
でも、
続けようとする気持ちが強くなりすぎると、
いつの間にか余白が消えていきます。
今日もやらなきゃ。
昨日できなかった分を取り返さなきゃ。
決めたことだから守らなきゃ。
途切れたら意味がない。
ちゃんと続けられない自分はダメだ。
そうやって、
続けることが、
少しずつ自分を追い込むものになっていく。
最初は自分のために始めたことなのに、
いつの間にか、
自分を評価する材料になってしまう。
それは、
とても苦しい続け方です。
続けることが苦しくなっている時、
意志が弱いのではなく、
余白が少なすぎるのかもしれません。
楽しい余白とは何か
楽しい余白というと、
遊びや娯楽のように感じるかもしれません。
もちろん、
そういう楽しさもあります。
でもここで言う楽しい余白は、
もっと静かなものです。
少し工夫できること。
自分なりの形に変えられること。
今日は軽めにしてもいいこと。
やらない日があっても、戻れること。
失敗しても、全部終わりにしないこと。
誰かの正解ではなく、
自分に合う形へ調整できること。
そこに、
楽しい余白があります。
たとえば、
運動を続けるなら、
毎回同じメニューを完璧にこなすことだけが続けることではありません。
今日は、散歩だけでもいい。
今日は、ストレッチだけでもいい。
今日は、呼吸を整えるだけでもいい。
今日は、体が重いから休む。
でも、
明日、また戻ればいい。
それも続けることです。
書くことも同じです。
長い記事を書けない日があってもいい。
一文だけメモする日があってもいい。
下書きだけの日があってもいい。
タイトルだけ置く日があってもいい。
何も書けない日があっても、
翌日また言葉に戻ればいい。
続けるとは、
途切れないことだけではありません。
戻ってこられることです。
余白がない習慣は、折れやすい
習慣をつくる時、
きっちり決めることは役に立ちます。
でも、
きっちりしすぎた習慣は、
意外と折れやすいものです。
なぜなら、
予定通りにいかない日が必ずあるからです。
体調が重い日。
仕事が長引く日。
家のことが増える日。
気圧や湿度に影響される日。
人とのやりとりで疲れる日。
眠れなかった日。
気持ちが沈む日。
急な予定が入る日。
そういう日は、
誰にでもあります。
その時に、
習慣の形が硬すぎると、
一度できなかっただけで、
「もうダメだ」と感じてしまいます。
毎日30分やると決めたのに、
できなかった。
毎朝書くと決めたのに、
起きられなかった。
毎日歩くと決めたのに、
雨で外に出なかった。
毎晩整えると決めたのに、
疲れて寝落ちした。
そこで、
全部崩れたように感じてしまう。
でも、
本当は崩れたのではなく、
その日の条件に合わなかっただけかもしれません。
余白がある習慣は、
日によって形を変えられます。
強度を下げられる。
時間を短くできる。
場所を変えられる。
やり方を変えられる。
一度休んで、戻ることができる。
だから、
折れにくい。
続けるためには、
硬さよりも、
しなやかさが必要です。
楽しさは、続ける力になる
楽しさは、
軽く見られることがあります。
楽しいだけでは、続かない。
楽しいだけでは、成長しない。
楽しいだけでは、結果が出ない。
そう言われることもあります。
たしかに、
楽しさだけで何でも続くわけではありません。
でも、
楽しさがまったくないものは、
長く続けるのは難しい。
続けるためには、
どこかに小さな楽しさが必要です。
少し、気持ちいい。
少し、整う。
少し、安心する。
少し、自分に戻れる。
少し、上達を感じる。
少し、言葉が出てくる。
少し、体が軽くなる。
少し、誰かとつながる。
その小さな楽しさがあるから、
また戻ってこられる。
楽しさとは、
派手な高揚感だけではありません。
静かな納得感。
自分の中が整っていく感覚。
やってよかったと思える感覚。
少しだけ前より楽になる感覚。
それも、
続ける力になります。
続けることを、正しさだけで支えない
何かを続ける時、
「正しいから続ける」
という考え方があります。
この運動は体にいいから。
この食事は健康にいいから。
この習慣は成長につながるから。
この発信は仕事に必要だから。
この学びは将来のためになるから。
もちろん、
正しさや必要性は大切です。
でも、
正しさだけで続けようとすると、
苦しくなることがあります。
正しいことなのに、できない。
必要だとわかっているのに、続かない。
やった方がいいのに、体が動かない。
そういう時、
人は自分を責めやすいです。
でも、
正しいことが、
今の自分に合っているとは限りません。
必要なことが、
今の暮らしに入る形になっているとは限りません。
頭では納得していても、
心と体がついてきていないこともあります。
続けるためには、
正しさに加えて、
自分の感覚が必要です。
これならできそう。
これなら少し気持ちいい。
これなら戻ってこられそう。
これなら今の自分にも合っている。
そんな感覚があると、
続けることは少しやさしくなります。
余白は、サボるためではなく戻るためにある
余白という言葉を使うと、
サボるための言い訳のように感じる人もいるかもしれません。
でも、
余白はサボるためにあるのではありません。
戻るためにあります。
体が重い日にも、戻れるように。
予定が崩れた日にも、戻れるように。
気持ちが沈んだ日にも、戻れるように。
できなかった日にも、
全部を投げ出さずに戻れるように。
余白があるから、
続けることをやめなくて済む。
余白があるから、
自分を責めすぎずに済む。
余白があるから、
その日の自分に合わせられる。
余白があるから、
長く続けられる。
余白のない習慣は、
きれいに見えるかもしれません。
でも、
人の暮らしは、
そんなにきれいに進みません。
体も揺れます。
心も揺れます。
思考も忙しくなります。
天気も変わります。
人間関係も動きます。
だからこそ、
習慣には、余白が必要です。
続けることの中に、遊びを残す
続けることには、
少し遊びがあっていいと思っています。
今日はどんな形でやろうか。
いつもと少し変えてみようか。
違う場所でやってみようか。
短くしてみようか。
誰かと話してみようか。
メモだけにしてみようか。
テーマを変えてみようか。
順番を変えてみようか。
そういう小さな遊びがあると、
続けることに呼吸が生まれます。
遊びがないと、
習慣は義務になりやすい。
義務になると、
続けるほど苦しくなる。
苦しくなると、
続けること自体が嫌になっていく。
遊びは、
真剣さの反対ではありません。
遊びは、
長く続けるためのしなやかさです。
まじめに続けたいからこそ、
少し遊びを残す。
ちゃんとやりたいからこそ、
ちゃんとしすぎない。
それくらいのバランスが、
続ける力になります。
自分に合う形に変えていい
続けるために大切なのは、
自分に合う形に変えていくことです。
最初に決めたやり方が、
ずっと正解とは限りません。
始めた時の自分と、
今の自分は違います。
季節も違う。
体調も違う。
生活のリズムも違う。
気持ちの状態も違う。
だから、
続け方が変わってもいい。
毎日だったものを、
週に数回にしてもいい。
長かったものを、
短くしてもいい。
朝にやっていたものを、
夜に変えてもいい。
一人でやっていたものを、
誰かと一緒にしてもいい。
記録の仕方を変えてもいい。
目的を少し見直してもいい。
変えることは、
諦めることではありません。
今の自分に合う形へ調えることです。
ととのえるとは、
固定することではありません。
状態に合わせて、
ちょうどよい形に調えることです。
習慣も同じです。
続けるためには、
変えてはいけない形ではなく、
変えながら戻っていける形にすることが必要です。
「楽しい余白」は、自分の声が入る場所
余白があると、
自分の声が入る余地が生まれます。
今日は、少し軽めがいい。
今日は、書くより読む方がいい。
今日は、動くより休む方がいい。
今日は、人に見せる前に自分のために書きたい。
今日は、頑張るより整える方が必要。
今日は、進むより戻る日。
そういう声を聴けるようになります。
余白がないと、
決めたルールの声ばかりが大きくなります。
やらなきゃ。
続けなきゃ。
守らなきゃ。
ちゃんとしなきゃ。
遅れを取り戻さなきゃ。
でも、
余白があると、
今の自分の状態を聞ける。
これは、
続ける上でとても大切です。
自分の声を聴かないまま続けると、
続いているように見えても、
自分から離れていくことがあります。
続けることは、
自分を置き去りにするためのものではありません。
自分に戻るための道であってほしい。
そのために、
楽しい余白が必要です。
小さな問い
ここで少し、
自分の続け方を振り返ってみましょう。
今、続けたいと思っていることは何ですか。
それは、
自分を苦しくする形になっていませんか。
続けるための余白はありますか。
できなかった日にも、
戻れる形になっていますか。
その習慣の中に、
少し楽しいと感じる部分はありますか。
今の自分に合わせて、
変えてもいいところはありますか。
続けることが目的になりすぎて、
本来の願いを忘れていませんか。
その習慣は、
自分に戻る道になっていますか。
全部に答えなくていいです。
ひとつだけでもいい。
続けることを責める材料にしないために、
少しだけ見直してみてください。
続けるためには、楽しい余白が必要
続けることは、
立派なことです。
何かを積み重ねることは、
簡単ではありません。
でも、
続けることを、
自分に厳しくなるためのものにしなくてもいい。
完璧に続けなくてもいい。
毎日同じ形でできなくてもいい。
途中で休んでもいい。
形を変えてもいい。
小さくなってもいい。
また戻ってこられるなら、
それは続いていると言っていい。
続けるためには、
根性だけではなく、
楽しい余白が必要です。
少し遊べること。
少し変えられること。
少し休めること。
少し戻れること。
少し自分の声を聞けること。
その余白があるから、
習慣は長く育っていきます。
続けることは、
自分を縛るためではなく、
自分に戻る道を増やすためにある。
そう思えた時、
習慣は少しやさしいものになります。
今日も、
きっちり続けることより、
戻ってこられる形を大切に。
自分に合う余白を残しながら、
小さく続けていきましょう。
ととのえ職人
五木田穣
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