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体癖という宿命:人生はロールプレイング【体癖論】

体癖とは、読んで字の如く、体の癖のことであります。

野口晴哉:『整体入門』,(ちくま文庫,2002)p. 72.

要旨: 心と体は一つもの故に空想が筋の動きとして体に現れる傾向から心に浮かんだことも判る——整体操法の開祖・野口晴哉はこの体の癖に 12 の原色的な素質を見出して体癖(たいへき)と称し個性をその混色として表現することで整体を技術から教養へと敷衍した——という整体の考え方を貫く体癖論について下記の通り総説した

  1. 序論:心身の偏り習性の関係を理解するための前提知識

  2. 総論:体癖と性格分類との違いを理解するための厳密な定義と実用の要項

  3. 各論:体癖分析の例を示し各体癖素質の原色的な特徴を列挙した抄録

  4. 結論:人間観察の方法論として理解すべき体癖論の要点と展望

ただし野口の天才的な直観によるところが多く日本固有の概念である体癖に限り現状 AI も検索も無用どころか理解の妨げとなりうるから詳細は野口の原典を\直接!/参照されたい

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1. 序論

心と体は一つもの.
したがって空想が筋の動きとして体に現れる傾向を観れば心に浮かんだことも判る.
すなわち心の変動を体の動きに変換する個人独特の生理的な感じ方がある.

このような体の癖——無意識の偏り習性——に対して整体操法の開祖・野口晴哉(はるちか)は何十年・何十万人に亘る整体指導を通じて 12 の原色的な素質を見出して体癖(たいへき)と称した.
上下とか九とかいうのが体癖の類型だ.
一人一人の個性はそれらの混色として表現できる.

体の裡(うち)の要求の方向は感受性の偏り反応を左右して不随意的な体運動の偏り習性を生じ,体もその方向へ偏り成長する.
at random にみえる言動にも体癖によって一定の傾向があり,気分もまた体癖的な体の波:体周期律で決まる.

すなわち誰しも体癖という宿命を背負って生きている;文字どおり背骨に.
したがって人生とは与えられた体癖的役割を演じる RPG のようなものだ.

本章では体癖が表す心身の関係を理解するための前提知識を示す.

1.1 圧縮エネルギ

人間は,技術の進歩にともなう生活様式の改善により,日常生活において著しい体力の余剰をきたしている.
そのような余剰エネルギは,ほかの動物と違って体の労力を不要としている人間にあっては,肉体の発達や体力の充実にならない.

動物のすべては、環境に適応してその機能、形態を変えることによってその生存を全うしているのであるが、独り人間だけは環境を自分に都合のよいように変え改めて、環境を人間に適応させることによって生きているのである。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 22.

しかし人間もまた動物であり,環境に応化適応する能力をもつことには変わりない.
そのため,改善した環境に住めば,その環境に適応して体の機能や形態を変えることは当然である.
したがって,技術の進歩体の退歩となってあらわれ,また次の改善の必要に迫られることになる.

かくして人間の潜在活動力は,体の中で凝集して密度を増し,圧縮されてゆく.
ところが,生きものはエネルギの集散の平衡状態を保とうとするため,エネルギが鬱滞すれば鬱散要求が生じ,エネルギが不足すれば集注要求が生じる.
人間の場合,体内で鬱滞した圧縮エネルギは,体のかわりに頭の活動に変換されて煩悶の種となり,感情として噴出することになる.

しかし子供の場合は大人よりも,頭で考えるより体で感ずる方が速く,また生理的変動として率直に現しやすい.
危ないことをして遊んでいる子供に「いけません」と言って制すると,それを頭で理解できても体は本能的に自由を欲している.
したがって,その窮屈を感じたことに対して鬱散を要求するようになり,放縦へと追いやられる.

元気な子供はエネルギの鬱散に忙しく,他の注意をそう問題にしない.
ところが,弱い子供はこの逆の現象として,注意の要求が生ずるため,周囲から無関心で忘れられていることが何より嫌で,注意を得られることなら何でもやってしまう.
そうすると大人は叱ったり褒めたりするわけだが,その区分は大人の頭にだけある.
しかし子供の体はそれらを同じものとして受け止めてしまうから,叱られても褒められても親の注意を得られればそれでよく,子供はその集注する方向へ伸びる
それを理解できない大人は,褒めるより叱る方に集注するから,叱言(こごと)によってその行為を育てている
これは子供の人間性が悪いのではなく,明らかに大人の責任だ.

集注要求は犬にもあり,ご主人様の注意をひくためなら,飛びかかったり吠えたり,何でもする.
その結果ご主人様が喜ぼうが怒ろうが,犬は——言葉が通じずとも,感情は読み取れるとされているにも関わらず——どちらでも嬉しい.
これが,褒めて躾けるのは簡単なのに,叱って躾けるのが不可能といえるレベルで難しい理由であり,人間の子供についても同じだ.

集注要求が犬系なら,鬱散要求は猫系なのかということになるが,行動原理という点ではあながち間違いとは言えない.
になったんだよな君,相手の注意を得るためというより,自分で自分の要求を満たすために行動しているから,自由奔放で関係もさっぱりしている.
すなわち,行動の起点ちゃんが自分にあるか相手にあるかというのが,平衡要求の二方向の違いといえる.

子育てに限らず,どのように叱る・褒めるかというのは,教育において最もむずかしい問題だ.
なんでも褒めてしまっては,何も褒めるところがないのと同じである.
叱ることで初めて褒めることが活き,また褒めることで改めて叱ることの意味が生まれる.
感受性によって効果的な指導方法は変わるから,当然,体癖によって叱り方・褒め方を変えなくてはならない.


エネルギの流れがつかえて凝集密度が高まると,自ずと圧縮もれ現象を生ずる.
これは,ペットに愚痴をもらしたりすぐふてくされたりする程度のことだ.
適度に圧縮もれが行われていれば,大きな噴出はない.
ところが,ルールや干渉などにより圧縮もれが閉ざされてしまうと,余剰エネルギの圧縮率が高まり,それが噴出速度の増大となって現れるから,つい行動が過激になる.

圧縮エネルギの昇華(噴出)方向は次の3つに大別され,この相違が体構造の差をもたらす.

  1. 大脳昇華

  2. 行動昇華

  3. 本能的流出

しかし,噴出様式だけが体癖理解の道ではない.
圧縮エネルギが噴出に至る許容量は人によって異なり,その噴出速度が凝集密度に反して遅い人もいる.
圧縮エネルギの自噴が間に合わず,裡に凝固してしまった凝縮エネルギほど始末の悪いものはない.

陰鬱無言、不平不満、怨恨憎悪の塊りのようになって暮している人すら稀ではないのである。凝固爆発の端的は破壊であり、自分を破壊に導くために、人をも傷つけるようなことが少なくない。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 21.

偶発的に思える圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性にも,人によって一定のがある.
これは,2.2 節で述べる 12 種類の体癖として整理できる.

このような癖を決めるのが,種族や個体によって異なる「要求」の方向である.

1.2 要求の方向

生きものの生きものたるゆえんは,裡なる要求を果たすべく,その運動系を駆使して,自力で活発に動き続けることにある.

生きているものと生きていないものとは違う。その相違は、生きているものは成長し繁殖しかつ自らの力で動くということであります。自動車も電車も動くが、生きているものの特色は自分の力で動く。他の力ではない。しかも、裡の要求を果たそうとして動く。

野口晴哉:『整体入門』,(ちくま文庫,2002)pp. 73–74.

ここでいう要求は,頭で考えた後付けの理屈ではなく,産まれたときから体の中にあるものを指す.
要求のもとは生きようとすることであり,要求 = 生命 としても過言ではない.
外的要因は感受性に対する刺激として働くが,感受性そのものは内部的な理由,とくに要求によって左右される.
要求は,自分の生命と結びついて最も体に感ずるものに誘導される.

生きものの根本的な要求は,
(1) 種族保存の要求
(2) 成長の要求
(3) 自由行動の要求
の3つである.
生きものの動きの元には,必ずこれらの要求がある.
これらの要求を満たすことが生きものにとっての幸せだから,汲々として作られた娯楽を追い求めていても幸せにはなれない.

ただし,体構造が異なれば要求の現れ方も変わる.
たとえば牛🐮✋は,母牛の母乳を飲んで育ったのだから,動物質のものを食べても不思議はないが,草しか食わない.
虎にとってのご馳走である羊肉になど,見向きもしない.
逆に虎は,野菜の山を見ても,食べ物があるとは思わず,野菜の倉庫でお腹を空かしている.

牛が草を食するのは,その気がおとなしいからではない.
虎が肉を食うのは,その性がすさんでいるからではない.
これらは各の体構造により,体構造が違えば,体運動習性も,感受性も,要求の現れる方向も,みんな異なってくる

人間の行動も本を正せば各人の体構造のもたらす体運動習性に他ならない.
ただし人間の行動習性や生活習性は要求がそのまま行動になっている他の動物よりもはるかに複雑だ.

 道に一万円の紙幣が落ちていても、牛は平気でそれを踏んでゆくが、人間になるとそうはゆかない。あたりを見廻してから、あわてて拾おうとしたり、見るが早いか素早く拾う人もある。拾ってから周りを見まわす人、ためらって横目で見て通りすぎる人もいる。

野口晴哉:『整体入門』,(ちくま文庫,2002)p. 80.

すなわち意識しない運動に加えて頭で考えたり感じたりして生じる感受性を通した意識的な運動が人間の動作の代表となっている.
したがって立姿による大脳動作こそ生きものにおける人間の特徴である.

人間は二本足で立って手を使って生活している唯一の動物です。したがって人間の身体運動の重点は立姿動作にありますが、この立姿動作を人間はどのように保っているのでしょうか。その平衡を保つ働きを観察することが「体癖」を知る第一の鍵になります。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 76.

このような人間独特の個人的な感じ方:体癖的感受性は,その人の生き方を決める生理的な宿命といえる.
したがって体癖論の対象は生きた人間に限る.

1.3 体周期律

反応の習性は人によって異なる.
さらに同じ人が同じ状況にあっても気分で変わる.
では気分はどうして変わるのだろう?

人間には下記の2パターンの運動状況が交互にあらわれる.

  1. 緊張傾向が濃くなる高潮期

  2. 弛緩傾向が濃くなる低潮期

この周期的な繰り返しを体周期律特性(体の波)とよぶ.
体の波は体癖素質であり心の動きに影響してその時の気分をつくる.
たとえば快感を覚える対象は下記のように切り替わる.

  1. 高潮期:原色,大きな音

  2. 低潮期:淡色,小さい音

体癖的な傾向は下記のとおりで,古代中国の陰陽論に通ずるものがある.

  1. 高潮期:奇数体癖,腰の緊張傾向,躁,能動,

  2. 低潮期:偶数体癖,腰の弛緩傾向,鬱,受動,

腰の緊張は下腹部の力として現れる.
したがって高潮期は腹に力があり抜こうにも抜けない.これは立姿において顕著で,要求の方向に沿う楽しいことがあると腹の底から興奮が湧き上がってきて腹筋がかたくなる.
逆に低潮期は歩いていても脱力して腹に力なく,何をするにも億劫.体力や寿命が減れば低潮期は長くなり不調の度合いも強まる.
そこで私は,躁鬱は特別な病気ではなく誰にでもある体の波だと考える.

体の波に気づかない現代人は気分の浮き沈みに翻弄される.
しかし体周期律特性を把握すれば下記のように対処できる.

  1. 高潮期はすこし気張ってもやり過ぎなほど働けるから積極的に活動

  2. 低潮期はいくら気張っても仕事は捗らないから静かに休養

体の波の移り変わる時こそ体癖修正の急所である.
やろうという意欲が生じたのに終わらないうちにやる気を無くしてしまうというのも体の波による.
何かにハマっていたのに,ある日を境にまるで別のことをやり始めたなら,臓器の動きを観察する.

ところが社会人はいつも一定の仕事を要求される.
体の波を無視して働き続ければ心身に不調を来す;現代病が薬で治らないのも当然だ.

誰の体にも無意識のうちに波が存在するが,その周期や程度は人によって異なる.
丈夫な人は高潮期が長く,小児は低潮期が短い.
寿命が少なくなるほど低潮の度は強まるが,最期の瞬間まで高低を繰り返す.
ただし,禁点に硬結ができると波は停止し,急に良く/悪くなったかのように見えるが,4日以内に4ぬという.

体内の水も、海の水と同じく、その高低の潮は月の影響によるものらしく、大高低の波は三年半また七年、中高低の波は八十週。小高低の波は四また八週で動く。さらに小さな波は一日の間にもある、一週の間にもある。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 72.

ここで,

  • 1日または1週の波は食,

  • 月または年の波は性,

に関連する.
体の波は,文字どおり潮として月の満ち欠けの影響を受けるが,これは月経に限らず男にもある.
前述のとおり,体の波は腰の緊張・弛緩の周期的な繰り返しだから,生殖器のはたらきが変動するのは自然だ.
特に男の場合,腰が抜けていては性行為でも踏ん張りがきかない.早漏は体力のない現代人に共通の状態だが,エネルギの不足した低潮期においては特に顕著となろう.

体の波を支配する月の満ち欠けの周期は,月齢周期 = 29.53059 d ≒ 4 w ≒ 1 m.
これは朔望月さくぼうげつとも呼ばれ,朔(新月,月齢 = 0)から次の朔,または望(満月,月齢 ≒ 14.8)から次の望に至る周期の平均値である.
したがって健康な人は,月齢1周期の低潮期と月齢2周期の高潮期とを交互に繰り返す.
そこで臨界月齢を見つければカレンダーから体の波を予測できるが,定期的に波は乱れるという.

体の波は体勢とも関連しているため,体癖の変動から波を知ることもできる.
日記をつけている人は,後からでも体の波を観察できるだろう.
体の波を知っていれば予定を立てやすく,人間関係も円滑になる.

体の波は体癖素質だから,周期律特性によって計 48 類に分けられるが,判別には長期的な観察が必要となる.
したがって体癖素質としては,2.2 節で述べる計 12 種を考えた方がわかりやすく,実用上も十分である.
そこで以降,体の波によって体癖が周期変動することを前提として論ずる.

2. 総論

体癖とは無意識に現れる動的な特徴をいう.
静的なパターンに理想の自分を投影して悦に入るための性格分類ではない
したがって心理テストのつもりで主観評価による自己分析に用いては性格分類と同じで意味がない.

体癖論では各自独特の個性をもって複合体癖という混色で表現する.
これにより野口は整体を,個人用の部分的偏り体操を設計する技術から正しい体を保つ為の教養へと落とし込み,直観によらず実践できるものとした.
そして自分で自分の体を正す整体の考え方の普及に生涯を捧げた.

しかし野口がしかと伝えた教養も 50 年を経て歴史的遠近法の彼方で古典になっていく
現代において体癖をよく当たる「性格分類」と誤認した/させる言説は目に余る.

そこで本章では体癖に関する誤解を訂正すべく野口の意を酌み深淵なる体癖の理解および体系化の一助となるべく用語の定義や分類の意義などについて野口の意を酌み——Wikipedia が事実も意見もごっちゃにして都合の良い情報をかき集めただけの無責任なまとめサイトにしか見えなくなるほど——厳密に述べた.

2.1 体癖とは

体癖とは個人ごとに異なる——生命の方向:要求の方向の偏りが生ずる——体の運動の癖および心身の偏り習性の関係をあらわす類型である.
体癖論を築いたのは整体操法の開祖でもある体育家・野口晴哉(はるちか)だ.

野口は毎日 100 人以上もの人への生活指導や整体指導を何十年も続けるうちに風邪の経過には人によって一定の方向があることに気がついた.
その個人の特性を分類しているうちに風邪の経過と体の構造,体量配分,体の偏り運動習性,感受性の偏り反応習性,そしてそれらを左右する要求の方向の関連性を見出した.
そこで個人の運動の中でどれが一番強く行われるかという偏り運動の方向を調べ出したのが体癖研究のはじまりである.

こういうことを三十年繰り返した頃、私は体癖を十分類しました。後の二つの体癖はそれから五年たった頃であります。三十万人ぐらい確かめたことになります。

野ロ晴哉:『大絃小絃』,(全生社,2021),p. 52.

すると体の中にある体癖素質が誰しもそのまま行動になっていることがわかった.
そこで野口は無意識の行動を丁寧に観ていけばその生命の在り方がわかるのではないかと考え生涯を通じて体癖を追究しつづけた.
野口の生涯については妻・昭子が残した次の伝記に詳しい.

昭子は第 34・38–39 代内閣総理大臣・近衛文麿の長女だ.
典型的な一種体癖で九種の野口とは相互補完の関係にある.
体癖分類も昭子から着想を得ている.

「体運動の習性が体に残っている状態さ」
「体質じゃアないの?」
「違うんだ。寧ろ素質の一種だ。腰椎部の過敏反応素質とでもいえばいいだろう」
「少し、長いわネ。気づかずに過敏運動の繰り返しをやってしまうんだから癖かしら?」
「そうだ。体の癖だ。体癖素質としよう」

野口昭子:『回想の野口晴哉——朴歯の下駄』,(筑摩書房,2006),p. 213.

体癖とは体の運動の癖である.
癖とは体癖現象を指して言い,生まれついた素質とは限らない.

体癖現象とは体の平衡を保とうとする要求の現われとしての身体運動の特異性の習性的現象である.
平衡要求にもとづく運動習性は全ての動物にそれぞれ存在する.
ただし体癖は立姿で生活する人間を対象とした類型であり他の動物には対応しない.

体癖は体運動の偏る傾向のほか,臓器や心のはたらく傾向,感受性の偏り反応にも表れる.

体癖とは、感受性の偏り特性とか、過敏反応の特性とか、そういう習慣的に繰り返されている状況をいうのです。

野ロ晴哉:『嫁と姑 下巻』,(全生社,2012),p. 75.

体癖現象は修正できる
たとえば風邪は偏り疲労が限界に達した不整体を復元しようとする自然の良能だ;風邪は治すのではなく経過するものである.

また 2.3 節で述べる体癖の複合状態(複合体癖)における体癖現象的なものはエネルギが余ってくると消える

そこで感受性を左右する——体運動の偏り以前に立姿すらとれない赤ちゃんにもある——要求の現れる方向の偏り:体癖素質とは区別する.
すなわち偏り運動習性は体癖現象だが体癖素質ではない.
ただし単に「体癖」という場合には体癖素質も含まれる.

ごく簡単にその違いを示せば下記のような因果関係がある.

  1. 原因:見えない素質

  2. 結果:見える現象

したがって整体を志す我々は体癖現象を通じて間接的に体癖素質を知りたいのである.
そして長期的な観察でそれを裏付けることにより,その人の体に得心できて初めて整体指導が可能となる.

体癖素質は感受性の偏り反応を左右する要求の方向になんでもかんでも結びつけてしまうというところにある.
偏り反応は過敏反応であり犯されやすいから体質(体の性質)というよりむしろ素質(本来の性質)に相違ないというわけで野口はこれを体癖素質と名付けた.

体癖素質は生まれついて生涯変わらない素質でありながら波のように強まったり弱まったりし続ける.
この体の波も体癖素質だから心の動きに影響してその時の気分をつくる.

体癖素質は下記のように,理性的な動作以外で行動するときに丸出しになる.

  • びっくりしたとき

  • 居なおったとき

  • 怒ったとき

  • 言い訳するとき

  • 負けたとき

  • 威張るとき

喧嘩しても酔っても同じ条件が重なれば同じ行動を繰り返すのが体癖の宿命たる所以である.
たとえば下記の特徴は全て体癖素質に起因する.

  • エネルギの分散の特徴

  • 反応の起こる特徴

  • 運動の特徴

  • 感じ方の特徴

  • 咄嗟の時に思わずしてしまう動作の特徴

すなわち体癖とは無意識の癖であり,錐体路(すいたいろ)という意識運動の経路を抜きにして意識せずに行う錐体外路系運動の偏り習性として表れる.

したがって何種体癖的な行為をしているか,どんな特徴があるかは,自分自身では絶対に気づかない.
そのため体癖を自己評価すると,ありとあらゆる体癖素質があるように思ったり,ちっともあてはまるものがないように思ったりしてしまう.
しかし思わずしてしまう誤魔化しようのない動きであるため,かえって周りの人は観察しやすく,遠い人ほどわかりやすい.

たとえば電車で周囲を観察すると皆まぬけ面で取り憑かれたようにスマホをいじっているゾンビにみえるが,本人に表情や姿勢が異常な自覚はない.
また VR をつけている人の動きは傍からみれば滑稽だが,録画で確認しないと当人はそれに気づけない.

このように体癖は客観的な観察によってのみ判別できるという点に主観的な自己評価に基づく性格類型論との決定的な違いがある.
また野口の関心は「生活している人間の体癖」であり,全ては生きた人間の動きから出発している.
したがって性格診断テストや血液型占いのような固定したパターンで人を判断することは体癖の定義により不可能.

体癖論のやさしい解説は数多くのサイトで見られる.
ただし判りやすさと正確さとはトレードオフである.
より厳密な理解には野口による原典を参照されたい.

2.2 体癖分類

個性は十人十色で一見して捉えどころがない.
しかし共通する体の癖がある以上そこにある法則を見つけられれば要素に分解できる.
野口は——莫大な人数に対する長期的な——偏り運動の観察によって心身の関係を明らかにし,その原色を次に示す 6 型 12 種の体癖素質に分類した.

体癖分類の 12 種類

ただし体癖素質は要求の方向であって目には見えない.
そこで代わりに観察できる体癖現象である運動と感受性との関係を表にまとめた.

体と心は一つものでも生命の根源には要求の方向がある.
心身はそれを実現するように偏り成長して感受性や運動の偏りを生ずる.

1.2 節で述べた人間の最大の特徴である立姿運動は次の6つの動作の重ね合わせとして表現できる.

  1. 上下

  2. 左右

  3. 前後

  4. 捻れ:半円回転,捻転

  5. 伸縮:伸び縮み,開閉

  6. 遅速:運動自体が速い/遅い,運動が行われる時間が短い/長い,敏鈍

一方で体構造の差をもたらす圧縮エネルギの昇華方向を細分化すると上記の立姿運動と対応する次の 6 自由度となる.

  1. 上下型

  2. 左右型

  3. 前後型

  4. 捻れ型

  5. 開閉型

  6. 剛柔型

これら 6 型が個人によって割合の異なる偏り運動習性である.
ただし剛柔型は体のある部分に独特な偏り運動習性があるのではなく,生まれついて変わらない体のある状態という面で特異だ.

生理的感受性の中心となる 5 つの臓器は,それぞれ偏り運動の焦点となる椎骨(L1–L5)に対応している.
したがって立姿で生活する人間を対象とする体癖論において
腰椎の数 5 + 体の状態 1 = 6 自由度
をもつ圧縮エネルギの昇華方向に過不足はない.
これは三次元空間において剛体がとりうる動きの自由度:6DoF(位置 3 自由度 + 姿勢 3 自由度)に等しい.

さらに前述の 6 型は,圧縮エネルギの噴出速度によって次の 2 種類に分けられる.

  1. 鬱散要求体癖(奇数体癖):噴出が速い.

    • 高潮期の腰の緊張傾向と一緒に濃くなる.

    • ある一点を緊張させて動作する緊張原理動作.

    • 積極的な奇数種は,自発的に内から外に働きかけてエネルギを分散してゆく.

    • 力があって,何かあるとパッと鬱散する行為をとる.

    • 気力があるから逆らうという行為が生ずる.

  2. 集注要求体癖(偶数体癖):噴出が遅い.

    • 低潮期の腰の弛緩傾向と一緒に濃くなる.

    • ある一点を弛緩させて動作する弛緩原理動作.

    • 消極的な偶数種は,受け身になって周りからの刺激にすぐに応じて動いてゆく.

    • 常に対象を意識して,他者からの注意を要求して行動する.

    • 自ら表に発散せず,内攻的で凝固しやすい.

    • 自分の生きていることで精一杯だから,鬱散でなくて自己保存的で,自分の保身/利益/名前のためにといったことばかり考える.

    • 気力がないから萎縮するだけで,背くことはできない.

これらは感受性の方向からみれば明らかに区別される.
野口は体癖素質の説明を奇数体癖で代表しており,二種を「一種」と表現している場合があることに注意する.

偶数体癖は要求する方でないから、どこかを修正すれば変ってくるのですが、奇数の方は変らない。そこで体癖素質として奇数体癖の説明をいたしました。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 213.

また偶数体癖は奇数体癖の低潮期における特徴と一致する面がある.
たとえば捻れ型は勝とうとする七種と負けまいとする八種とが交互に濃くなる.

七種の体癖素質は行動型であり闘争型である。だから二言目には”勝敗を度外視してことを為せ”と言う。それだけいつも勝ち負けに関心がかかっている訳だが、面白いことには、その勝とうと思う時と、負けまいと思う時が、交互に来るということである。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 69.

したがって私は,偶数体癖は体の波における低潮期の状態であり,体癖素質として持っているのは偏り運動習性の型の方だと考える.
ただし見えない体癖素質を追いかけてゆくより見える体癖現象をつかまえた方がわかりやすいので偶数体癖も含めて体癖と呼ぶ.

体癖は圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性によって次の 12 種類に分かれる.

  1.  一種:大脳昇華,  二種:間脳昇華

  2.  三種:感情鬱散,  四種:太陽叢凝固

  3.  五種:行動鬱散,  六種:胸部凝固

  4.  七種:闘争心昇華, 八種:腰部凝固

  5.  九種:性欲昇華,  十種:下腹部凝固

  6. 十一種:反応過敏, 十二種:反応遅鈍

このうち圧縮エネルギの凝固速度が速いものは,九種 > 七種 > 六種.

さて,閉捻れの野口は閉型九種体癖について次のように述べている.

勘でサッと決められるなら、考えて動作することはなかったろうと思うのです。そういう本能的な傾向が鈍ってきてから、行動が考えというものと結びついたのだと思う。だから九種は人間の原型だと思うのです。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 241.

人間の九種的な勘が鈍る原因となったのは,おそらく農耕の開始(新石器革命)にともなう分業だろう.
分業は今なお現代人の生活様式の基盤となっている.

誰でも、体の動きに偏り運動が無意識に行われます。その主なものは体癖です。職業という分業が行われるようになって、偏り運動の繰り返しです。

野口晴哉:『整体入門』,(筑摩書房 ,2002),p. 218.

動物は無意識の活元運動によって整体を保っている.
原始人も同様にぐっすり眠って体力を全回復し翌日に疲労を持ち越すことはなかったはずだ.

ところが現代人は,分業による体癖の多様化や,フッ化物の摂取による世代をまたぐダメージの蓄積で生じた松果体の石灰化などにより,動物の本能的な直観をほとんど失っている.
そのため活元運動が行われずに偏り疲労が蓄積し不調や現代病としてあらわれる.

野口は,原始人はみな野生の動物と同じように本能で動く開閉型だったが,分業によりそれ以外の体癖素質が生まれたと推論している.

昔々は、そういう集注力の強い野生の強いものと、弱いものとの二つしかなかったのではあるまいか、それがいろいろ偏ることによって、いろいろな体癖ができたのではないだろうかというようにも考えられるのです。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 239.

したがって開閉型は最も原始的でな体癖素質だといえよう.
その体は種族保存に適するようにできているから非常に丈夫で,もっと言うと野蛮だ.
なお整体において体が野蛮だというのは心が天真爛漫だというのと同じで最高の褒め言葉である.

また九種の特徴はしつこいという形で現れるが,子供は皆しつこい.
もちろん子供の頃はそのしつこさに無自覚だが,大人になると子供が「しつこい」と感じてしまう.
この理由について私は,誰もが人間の原型である九種的な特徴をもって生まれてくるが,家庭や社会に馴染むことで偏り発育が進み,大きくなるにつれてそれぞれ異なる複合体癖の体が固まってくるためだと考える.
さらに九種は非常に頑固で,TPO を弁えず自分の信念を貫き通すため集団になじめない.

本当は虎やライオンのように、ひとりで暮らすべきものなのです。サルやキリンのように集団で暮らすのに合う性質ではないようです。けれど人間の恰好をしているものだから人間の仲間に入っていますが……。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 244.

九種は性欲昇華かつ孤独なので父性的,十種は愛情昇華かつ何でも抱え込むので母性的である.
原始時代に開閉型しか存在しなかったのであれば,九種の男が群れずに狩猟しながら種をまきちらし,十種の女が採集しながら集団で子育てしていたのかもしれない.

一方で野口は,上下型を男性的,左右型を女性的な体癖素質だと説明している.
もちろん上下型の女もいれば左右型の男もいるが,やはりその場合には中性的ないし異性的な特徴をもつ.
それらの体癖素質が生まれる前は,男に九種が,女に十種が多かったとしても不思議はない.

なお同じ体癖・体量配分でも,男と女とでは違う面が出てくる.
特に複合体癖や開閉型の場合には差が顕著だという.
生殖器型は骨盤の開閉に特色があるから,性差が大きいのも当然だろう.

しかし,開閉型以外の体癖にも男女差はある.
これは,男女が体の構造からいえば全く別の生きもので,体構造が違えば感受性を左右する要求の方向も変わってくるためだ.
男女の違いについては,2.6 節で改めて述べる.

狩猟採集社会の人類は,種族保存的なを行動原理としていたはずだ.
利害得失に偏った五種的な現代社会においても,理想を描いた作品の多くが愛をテーマに掲げており,原始の名残を垣間見ることはできる.
近い将来,人類は生きものの存在意義が愛に帰着すると気付くかもしれないし,AI が愛を理解して新たな生命になるかもしれない.
これについては下記で論じている.

2.3 複合体癖

家族の風邪の型に着目すると,子供は両親の型からどちらかを引き継ぎ 1/5 は兼用だという.
風邪の型は体癖によって決まるから,子供の体癖は,両親のどちらかかその合いの子になる.
ただし,上下型一種の父 + 閉捻れの母 → 左右型三種の娘 というように,両親と異なる体癖の子が生まれることもあるようだ.
これは,親の潜在体癖が隔世遺伝のようにあらわれたり,両親の体癖素質が混じり合うことで別の体の恰好になったりするためといえよう.
体癖素質の遺伝について,野口は次のように述べている.

それも親、子、孫、親族と血の繋がっている人が多く、ある家では五代に渉り、三代、四代はザラで、その体の動きも家族の中には類型がある。親子だからといって必ずしも似ているとはいえないが、その類型は親族のどこかにいる。

野ロ晴哉:『大絃小絃』,(全生社,2021),p. 52.

このように,人は体癖の異なる男女から生まれるのだから,一人のなかに二つ以上の体癖が混ざった複合体癖となるのは珍しくない.
体癖論の初学者は,すべての人が 12 種類の体癖のどれかにピッタリ当てはまると勘違いしやすい.
しかし体癖は,互いに独立な類型ではなく,個人を形づくる原色的なものだ.
減法混色において,

  • 赤❤️(三種)+青💙(一種)=紫💜,

  • 青💙(一種)+黄💛(五種)=緑💚,

  • 全部の色が混ざると灰色🩶(九種),

となるように,混ざれば原色はなくなってしまう.
体癖と色との関係は,下記で改めて考察する.

体癖も色と同様に,複合すれば,原型とはぜんぜん違ったものに変わってくる.
したがって,体癖素質を類型的に見てきた知識が,そのままあてはまることはほとんどない.
そこで,実際に体癖の観察に入る前に,複合体癖という概念を導入する必要がある.

野口は,複合体癖を何型何種何種・何種という一組で説明している.
X を偏り運動習性,$${m}$$ と $${n}$$ とを自然数とおくと,複合体癖は次のように表せる.

〈X 型 $${n}$$ 種〉とは,体の恰好かっこうは X 型だが,感受性・動き・顔は $${n}$$ 種ということだ.
すなわち閉型九種のような原型だけでなく,開型三種や上下型五種など,形と動きとの組み合わせに制限はない.
一応は表に出て見えるもの,形に現われているものを前面に出す.
つづく $${n}$$ 種は,潜在体癖や後天的な体癖などいろいろだが,体癖現象的なものは,どこかを修正したりエネルギが余ってきたりすると消える.
$${n}$$ 種が応援している X 型だから,主体は X 型のまま変わらない.

〈$${2m-1}$$ 種・$${2n}$$ 種〉($${2m-1}$$ 種と $${2n}$$ 種との混じり)とは,高潮時に奇数 $${2m-1}$$ 種傾向を呈し,低潮時に偶数 $${2n}$$ 種傾向を呈するというように,体の波によって,異なる型の体癖傾向が交互に濃く現れるものをいう.
2つの体癖が交互に強まったり弱まったりする場合,それらは体癖素質であり,生涯変わらない.

 高潮期に濃くなるのは、腰の緊張傾向と一緒に濃くなる体癖だから奇数種、低潮期の腰の弛緩と一緒に濃くなるのは偶数種なのです。そこで、体癖が混り合う場合は、両方とも奇数種、両方とも偶数種ということはない。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),pp. 54–55.

ここで,「体癖が混り合う場合は」という仮定が入っており,必ず異なる型の複合体癖になるとは限らない.

両者の違いは,体の波によって,動きとして現れる偏り運動習性の型が変化するかどうかにある.

だから何型何種と言うのと、何種何種と言うのは、表現の違いではなくて実体が違うのです。三種と二種の複合は、その体型は捻れ型になりますが、本来の捻れ型とは異なるのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 63.

ここでいう三種と二種の複合とは,三種・二種のことだ.
この複合状態の場合,捻れ型の四角い体になるが,七種や八種の体癖素質を両親から引き継いだわけではないから,本来の捻れ型とは異なる.しかし,体構造によって要求の方向が変わり,その方向に感受性も偏ってくるから,実際に捻れ的な感受性も持つことにはなるはずだ.
したがって,顔や動きには三種・二種が交互に濃く現れるが,体は生涯変わらず捻れ型だといえよう.
より細かくみてゆくと,次のように書き分けられるだろう.

  • 高潮期には,捻れ型三種

  • 低潮期には,捻れ型二種

  • 長期的には,三種・二種

  • 総合すると,捻れ型三種・二種

次の場合には,一種・十種という体癖素質の複合によって,体が捻れ型になるということを併せて,捻れ型一種・十種と書けるはずだ.

それからもう一つ、開型に、捻れの加わった開型があります。これは余り多くないのですが、上下傾向と開傾向が重なると捻れる傾向になってきます。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 247.

野口は,簡単のため基本的には,複合体癖を2つまでしか明記していない.
しかし私は,体の形と体の波とをあわせて,〈X 型 $${2m-1}$$ 種・$${2n}$$ 種〉と表記した方が正確だと考える.

野口はまた,X 型 $${n}$$ 種と $${2m-1}$$ 種・$${2n}$$ 種との表記をごっちゃにしたり,偶数体癖を奇数体癖で表記したりすることがある.
したがって,野口による複合体癖の解説は非常に難解だ.
そこで私は野口が「何種(・)何種」という場合には,前面にでている体癖素質が体の恰好を,後につづく体癖素質が感受性を表すと考える.体の波を意味している場合にも,体の形が別の体癖素質として説明されていないのであれば,主体は高潮期に濃くなる体癖素質と一致するとみてよいだろう.
たとえば,「五種七種の複合体癖」の節では次のように述べている.

高潮の時には五種がおもてにでて低潮の時には七種がおもてに出るという場合と、高潮だと七種になり、低潮だと五種になるという二つのタイプとがありますが、全然違ってしまうのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 125.

これを前述のルールにしたがって書き直すと,前者が五種・八種,後者が七種・六種となる.
どちらも体癖素質として前後型と捻れ型とを複合していることは共通しているが,主体が逆転すると複合体癖の結果として生ずる体癖行動や感受性も異なってくる.

また,次に示す「上下型三種」の節では,一種・四種の意味で上下三種と表現している.

 一種(上下型)と三種(左右型)が混っている体癖を上下三種といっております。一種は思索的です。三種は感情的で、およそ理論的でないのだから、いろいろな理論をちゃんとわきまえていて、それが行動に現われないで「好きだわ、嫌いだわ」で決めてしまう。 この二つの性質が、周期的に濃くなったり薄くなったりするのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 194.

一方で,次に示す「一種・三種と三種・一種」の節では,

  1. 上下型三種の意味で一種・三種,

  2. 左右型一種の意味で三種・一種,

と表現している.

 一種・三種というのは、一種の長方型の体に対して三種的な動きがあるということです。三種が混じると、どこか穏やかなふんわりした感じが出てくるのです。そこで一種・三種という場合には、突慳貪に見える体型の中に、少しほのかな暖かさがある。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 215.

 ところが三種・一種というのは、三種の形をしていて、上下の頭の働きがあるということです。或る時期は、それで人を吃驚させるようなことを言う。柔らかい、いわゆる三種の形をしている人が、突然、理屈を言って、その理屈がよく通るのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 216.

このような反対の組み合わせでは,その特質も大きく異なる.
三種を憎悪する九種の野口に言わせれば,上下型三種がそのよさを強調するのに対して,左右型一種はお化粧の代りに一種的な表現を使うため,両方の特質を低下させる.

なお野口は,

  • 誰でも異なる体癖素質が複合しており,必ず奇数種と偶数種が組み合わせになるとか

  • 対比できるような正反対の傾向を持つ体癖同士が一緒になる傾向があるとか

いう弟子の意見を肯定も否定もしていない.
ただし,複合体癖は少なくないという.

私が今まで見てきたところでは、一人の人の中に2つ3つの体癖が混っていることが少なくないことは事実です。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 89.

一方で,体癖は誰でも3つの組み合わせになると主張する体癖論者もいる.
キリスト教における三位一体から着想したのだろうが,これは反イエスだったパウロが,キリスト教を偶像崇拝に書き換えるために新約聖書で追加した概念にすぎない;すなわち旧約聖書にも書かれていなければ,宇宙の真理でもない.
分業により体癖が分かれたとする野口の見解とも異なるため,私はこの説を棄却する.

もっとも誰もが全ての体癖素質を内包しているのだから,体癖を3要素に簡単化して表現すること自体は妥当だ.
ただし私は,それらの3要素がそれぞれ異なる型であるとは限らないと考える.

また結果として一人の中に3つの体癖があるように見える場合が多いとすれば,前述のように体の波をなす2つの体癖素質が複合することで,異なる体癖の恰好になることがあるためだろう.
それならば体癖は誰でも,体の波をなす2つの体癖素質 + 体の形,という3要素の複合体癖として表せるはずだ.
ただし体の波は一瞬だけをみても判らないため,長期的な観察を要する.

体癖素質が1つしかない場合,その偏り運動習性の型の中で,奇数種・偶数種の波があるという捉え方もできるだろう.
その場合,開閉型しかいなかった原始人の体癖も,

  1. 男:閉型九種・十種,

  2. 女:開型九種・十種

という複合体癖として表現できる.
実際,野口は開閉型について次のように述べている.

だから九種の圧縮もれ状態を十種だともいえるのですが、凝固度が弱い。

野口晴哉:,(筑摩書房 ,2013),p. 240.

ところが,形で見分けのつかない上下型一種・二種体癖をどのように書き分けるかということになってしまうので,簡易的に

  1. 上型一種・二種 = 上下型一種,

  2. 下型一種・二種 = 上下型二種,

と書く方が,むしろどちらの体癖素質がより濃いのかが明確になる.
そこで,X 型 $${2m-1}$$ 種・$${2n}$$ 種という一般の複合体癖も,その割合に応じて,

  1. 高潮期が長く,奇数体癖の傾向が支配的なら X 型 $${2m-1}$$ 種,

  2. 低潮期が長く,偶数体癖の傾向が支配的なら X 型 $${2n}$$ 種,

  3. 体の波で偏り運動習性の型が変わるなら $${2m-1}$$ 種・$${2n}$$ 種,

と代表して表記した方が,本質を捉えられる場合がある.
野口も,複合体癖を2つの原色で説明している.

また遺伝する体癖素質は,偶奇を区別した 12 種類ではなく,偏り運動習性の 6 つの型ではないかと思う.
異なる型の体癖素質を同時に引き継いだ場合には,その割合ないし塩基配列の順序にしたがって奇数種・偶数種に分かれ,体の波となるのではないか.
一方で体の恰好は,それらの複合によりまた異なってくる場合があるから,遺伝であるとは言い切れない.
この考え方は,親子で顔がそっくりでも,体型は異なっている場合も多い理由として妥当だ.

ここで,野口が定義した X 型 $${n}$$ 種について改めて考えよう.

前者の X 型は主体であり,生涯変わらない体の形だ.
したがって,開型十種体癖は偶数体癖だが,体の形として開型をもつ人は,どう修正しても体の形は開型のまま変わらないということになる.

一方,後者の $${n}$$ 種は顔に現れる,体の内の感受性や動きだ.

  1. 潜在体癖なら,体癖素質として生涯変わらない.

  2. 怪我や整形で後からできた体癖の場合,整体で修正できないようなら体癖素質に近い.

  3. 体癖現象なら,どこかを修正したりエネルギが余ってきたりすると消える.

そこで私は,複合体癖の一般形を次のように定義する:〈X 型 $${\sum (2m-1)}$$ 種・$${\sum 2n}$$ 種〉.
ただし,全てを表記しても逆に本質が見えにくくなるし,そもそも正確な見極めは難しい.
したがって結局は,野口のように濃い2要素で代表して,X 型 $${i}$$ 種と書いてしまった方がわかりやすい場合も多い.

前述のように,体癖現象は消えるが,偶数体癖も修正すれば変わってくるという.
これは,低潮期に濃くなる偶数体癖が体の要求する方でないから.
一方で,体の波は生涯変わらない体癖素質だから,偶数体癖がなくなっては波がなくなってしまう.
すると野口が「変わってくる」と言ったのは,整体により高潮期を活用して偶数体癖のネガティブな面を抑えるという意味で,偶数体癖を存在ごと消し去るわけではないはずだ.

複合体癖について,野口は次のように述べている.

十二種類がいろいろと混じって個人を作り、四十八類の動きによってその特性が生じているのでありますから、各自独特の個性を持ち、また、やりやすい技術あり、難しい体の使い方あり、その難しい使い方も他の人にとっては容易である等々、難しいことがたくさんあります故、これからもこの問題の追求には大変な努力が必要だと思いますが、私は少しも負担ではありません。それは興味が尽きないばかりかいよいよ面白くなって、毎日が楽しいからであります。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 287.

この言い方だと,十一種も十二種も複合体癖を形成するように思える.
しかし剛柔型は,生まれついて変わらない体のある状態という点に特色がある.
したがって私は剛柔型について,体の波として複合することはないと考える.
そこで剛柔型は遺伝しないのではないかと思うが,剛柔型の人を見つけること自体が難しい.
なお野口は次に示すように,十二種が十一種の鈍った状態であると述べている.

十一種が三種とか五種になるというようなことはありませんが、十一種的なものが年を取ると、十二種的になります。

野口晴哉:『体運動の構造 <第2巻>』,(全生社,1997),p. 293.

体の波で体癖の濃さが変わるとき,姿勢や体重の変化はあっても,骨格までは変わらない.
したがって,変わらない体の形と,変わる体の波との両者を考慮にいれるべきだと思う.

野口は,次のようにも述べている.

 しかし重要なことは、ひとりの人に種々の体癖がある場合には、それが二つ、三つというのでなくて、例えばえのぐの青と赤を混ぜると、ここまでが赤、ここまでが青というのではなく、やはりそれは紫という色になるというように、正反対の体癖が混ったり、奇数とか偶数とかの反撥があったとしても、やはり混ったものは二つの体癖の集まりではない。その人の体癖そのものが総合的に紫であり、茶であり、グレーであるというように見るべきだと思っています。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 89.

すなわち,複合体癖はみんなそれぞれの異なる一色であり,多重人格なわけではない.
二重人格かと思うような性格の豹変も,体の波による周期的な変動であり,その波も含めて一つの人格なのである.
体癖の原色の中でどれとどれが濃く働いてこういう状態を作っているのか.
そこに男なり女なりをプラスすれば,体癖は読める.

実のところ,人間はすべての体癖素質を内蔵している.
ただし,その割合が人によって異なるために,十人十色の個性が生じる.
したがって,体癖を自己分析すると,ありとあらゆる体癖があるように思えるが,どれも本当だと言える.
ただ,その割合でどれが一番濃いか,どれとどれの体癖が濃く働いてこういう状態を作っているのか,その代表をつかまえて,何型何種とか何種・何種とかいう一組で考えた方がわかりやすいというだけだ.
なお,ある体癖素質が薄まることで,他の体癖とある割合で複合しているのだから,それらの総和は誰でも 1 となる.

この割合の視点は,整体の観点からも割合に重要だ.
日常生活における本能的な体の調整:整体を忘れ,技術や薬に依存している現代人にとって,熱中症や風邪が死活問題となっているのも当然だろう.

2.4 体癖の観察

YouTube で体癖論を広めた精神科医・名越康文はパッと見「この人は何種」と鮮やかに断じているから体癖がごく単純なものに思える.
しかしそれはあくまでエンタメだからで,ビジネスやフィクションだからこそできる芸当としてみる必要がある.

その人の生涯を観てこの人が何種だという見極めは易しい。 しかし、これから何をするか判らない人の一端をつかまえて、これは何種だと言い切るには、度胸がいる。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 211.

人は全ての体癖素質を内包しており,その割合によって個人が形作られるから,安易に体癖を決めつけるのは危うい.
複合体癖には矛盾した混り合いもあるから,人間の行動には矛盾が多い.
そういう意味でも体癖分析は常に応用で,その人に独特の個性を動的に観察してゆく必要がある.
決して,静的な性格診断テストとして用いてはならない.

相手の潜在体力を発揮する方向に体癖を活用するには,複合体癖のうちどの体癖にどのように働きかけるかが重要になる.
表に現われている体癖は,すぐ応える代りに,中に眠る力をよび覚ますことにはつながらない.
そこで表の体癖の傾向を満足できる形で,裏の体癖素質に働きかけるようにしないと,潜在体癖の傾向を損ねることになる.

勝とう勝とうとして負けてしまい、体が硬張ってしまうのが人間です。ビルからビルに三尺の板を渡して「渡れ」と言われても渡れないが、三尺の廊下なら平気で歩いている。やろうと思うと却ってやれなくなってしまうのだから、下に潜んでいる体癖に呼びかけてゆけば潜在体力の喚び起こしができるのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 93.

ただし体癖ごとに力を発揮できる方向は違うから,相手の複合体癖にかなうように力を誘導するには,潜在体癖の正確な見極めが不可欠である.
したがって,潜在体癖を観察することが,潜在体力の活用の第一歩となる.

体癖は心身の偏り習性の関係だから,その観察も心身の両面から進めるのが本当だろう.
とくに複合体癖における潜在体癖などは,体の恰好を見ただけではわからないので,双方向の検証が必要となる.

そこで,他人の体癖に見当をつける場合は,まず体の恰好や偏り運動習性,顔の動きを眺める.
体の恰好は臓器の動きに直結し,顔の動きは感受性の動きに直結する.
そこで体癖が混ざっている場合には,体と顔とを足して考える.
体と顔とに異なる体癖があらわれている場合,混ざったものは二つの体癖の集まりではなく,総合的にみて原型とは異なってくる.
したがって,12 種類の体癖のうちのどれに当てはまるかという考え方ではなく,むしろ複合体癖であるのが当然と思ってみてゆかなければ,見落としや矛盾が生ずる.

 ごく大雑把に二つ以上の体癖を持っているという場合を見るには、姿勢から観てゆくのが一番簡単ですからまずこれを研究して、少し慣れてから、同時に体癖的な行動特性を見、体癖的な感受性、要求の方向を観察なさるのがいいでしょう。そして次に、どちらが潜在体癖なのか、それが出ているのは顔か体か、それもどちらの方が濃く現われているかということを観察していただきたいと思います。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),pp. 103–104.

ただし姿勢というのは,外面的な体の恰好ではない.
生きものの姿勢は,形のないものの形としての現れだ.
「姿」は恰好だが「勢」は勢いであり,気の動きが形として現れているのが「姿勢」である.
だから,姿勢を正そうと無理に努力して背骨を伸ばしているのは滑稽で,背骨が自然に正しくなるような心や体の使い方が根本にある.

姿勢のうち,表面にあらわれている顔の表情を観察すれば,心の動きはほとんどわかる.
顔は体の裡の動きにしたがって絶えず変化しており,その時と同じ顔は二度とない
したがって,顔付きや顔色,顔の動きといったものを心の奥の表情として見得るように,相手の顔を注意深く観察する必要がある.
笑ったからといって,必ずしも楽しい・嬉しいとは限らず,お世辞笑いや馬鹿にした笑い,冷笑といったものと見分けられなければ意味がない.

姿勢を見るのに慣れたら,同時に体癖的な行動特性としての無意動作を観察する.
これは観察者のカン・コツによるところが大きく野口も明文化していない.

ただし長期的な観察ができれば絞り込みやすい.
複合体癖の場合,体の波と同期して無意識の行動も切り替わるから,その差異がヒントとなる.

自分に対してもわかりやすいのは暇潰しの方法だ.
たとえば同じように音声を垂れ流しているようでも,しばらく雑談ばかり聞いていたのが,いきなり音楽ばかり聴き始めておまけに歌い出したら,一種・八種的な頭のはたらきに濃淡がある体の波ではないかとみる.
それがわかれば,あとは生理的な変動の面から体癖を分析できる.
このように体の波がバチっと切り替わる臨界月齢を知って初めて,自身の体癖を客観的に観察することができる.

その人がどうあろうとして振る舞っているかということに注意して観察すれば,その人の体癖に見当がつく.
人間は自分にないものを求めるから,うらやましいと感じる他の体癖の言動を,意識的に真似してみることがある.
おつりを正確に数えてレシートもきっちり持って帰るという五種的な行動も,計算にうとい三種の,計算高い五種へのあこがれかもしれない.
このように,パッと出た無意識の動きには体癖がむき出しになるが,意識的な言動には演技が混じる.

芸能人の体癖分析も,ほとんど意味をなさない.
その理由の一つは,アイドル売りにおける整形の横行.体癖素質による外見的な特色はコンプレックスになりやすく,そこを削られれば見間違う.
もう一つの理由は,台本やカンペに従った演技:ロールプレイング.テレビは事務所から与えられたキャラクターを演じる舞台であり,生放送やSNSで勝手に本音を表明するような制御不能なタレントは干されて終わりだ.

これはテレビに限らず,YouTuberなどのネットタレントも同様である.
たとえば天然やおバカといったキャラクターは,カメラの回っていない日常動作に現れていれば体癖現象といえる.
しかし,人目のある状況でぶっ飛んだ言動をして笑いをとった際に,何が面白かったのかを自分で理解していたら,それは計算ずくの演技やビジネス沼であり,体癖ではない.
スクリーンに映るのは仮の姿で,裏話として後日,他人の口から語られる印象の方が本当の姿とみるべきだ.

これは自他どちらの体癖分析でも見逃しがちな落とし穴である.
しかも体癖は無意識の偏り習性だから自分の体癖はどれだけ考えても正しく評価できない
主観が混じると目まで歪むから,体癖論も自己分析に使えば間違える.

たとえば九種の特徴は集注の激しさにある.
ところが本人は,勉強していても興味のないものには一切やる気がわかず,すぐに別のことをやりだしてしまうことから,自分には集中力がないと思いこんでいる.
しかし,それは興味のあるもの:要求の方向に激しく集注しているためであり,集中力が強すぎて他に集注できないという真逆の状態だ.

このように自分に対してはどうしても客観的になりきれない.
ただ,生理的な変動は誤魔化しようもない.
そこで主観が入りやすい自分や家族の体癖は生理現象から観察するのが,できるだけ鋼兵公平かつ正確に判断するコツだ.
特に風邪をひいた時は絶好のチャンスで,経過の特徴に体癖があらわれる.

生理的な面から体癖に見当がついたら,次に体の恰好や体の要求,感受性をみてゆく.
ただし,やはり近くの人は後回しにして,遠くの人から観察した方がわかりやすい.
他人の体癖を理解できるようになってからでないと,自分の体癖を客観的に観察することなどできない.


体癖の定量的な観察手法として,体量配分計による立姿動作での体重移動の測定がある.
体量配分計は本来,体癖ではなく心身の偏り状況をみるものだが,

  • 体の運動特性をみたり,

  • 体の運動特性を通じて心の働く特性をみたり,

  • 心の働く特性を通して体の現在の状態をみたり,

  • それらを通して変動の現在の状態,経過の速度,歪み具合をみたり,

  • 今日の行動がスムーズだったか,疲れたか,感受性はどういう方向にあったのかをみたり,

もできる.
さらに体量配分の長期測定により,体癖としての偏り運動習性に加え,体の波(体周期律)も知ることができる.
ただ6個も体重計を用意するのは大変なので,同じ体重計を2つ並べたり,体重計と高さを合わせた台を用意したりして,簡易的に前後・左右の半分ずつ測るぐらいが現実的だろうか.

一般に,人間の緊張状態は体重が前に移動することによって表現され,逆に弛緩姿勢では体重が後ろへ移動する.
後ろでも,外側に重いほど不安定になり,内側にかかるほど安定する.
そこで,前の内側に力がかかるほど緊張する.

ところが上下型や前後型は,立っているだけで前へ力がかかっている.
そこでわずかでも前屈傾向のある人は,お辞儀すると前につんのめりそうになり,代わりにお尻を後ろに突き出すから後ろが重くなる.

分娩の直後は誰でも,腸骨が開いて緊まる力が十分でないので,うまくしゃがめない.
ところが開型は,もともと腸骨が開いているため,足を腸骨の幅に開いて踵をつけたまましゃがむと,後ろにひっくり返る.

片足立ちでフラフラする人は,足の外側が重い.
しかし,普通は一方でフラフラしても,重心のある側で立てば安定する.
両足とも不安定な人は,足に異常があるか,腸骨に変動があり片側だけ拡がっている可能性がある.

ハンドバッグをかかえる時は,重心のある方でかかえる
伸ばす時,さげる時は重心のない方でさげる
遠いものは重心のない方の手を伸ばしてとり,重いものは重心側で持つ

捻転動作において,捻れがなければ左右の配分は変わる.
どちらに捻っても変わらず一方の足が重い場合はその片足だけ扁平足で,その方向へ腰が捻れている
重心側へは楽に捻ることができ,後ろが重くなる.
その反対方向へは,緊張しなければ捻りにくいうえに十分には捻りきれず,前が重くなる.
たとえば,左に上体を捻った時に後ろが重くなり,右に捻ったら前が重くなるという人の腰は,左捻れ傾向があり,普段から下半身に対して上半身が左に向いている.
左捻れは,決断しようとしてもできず,受け身で不決断な状態を示す.
不決断のアベコベ(反対)は,決断しすぎる,決断が速い,考えないでやってしまうというもので,やるにしてもやめるにしても決断した時は重心が右側に帰り,右捻れになる.


まとめると,生きた人間の体癖分析における他者の観察手順は次のとおり.

  1. 姿勢:体と顔とを足してゆくことで複合体癖を観察

    1. 主体として変わらず,臓器の動きに直結する体の恰好

    2. 体の波として周期変化し,感受性の動きに直結する顔の動き

  2. 偏り習性:姿勢の観察に慣れてきたら,姿勢と同時に観察.その人がどうあろうとして振る舞っているかに注意

    1. 体癖的な行動特性,偏り運動習性

    2. 体癖的な感受性,偏り反応習性

    3. 要求の方向:体が快いと感じる方向

  3. 潜在体癖

    1. どちらが潜在体癖か

    2. それが出ているのは顔か体か

    3. どちらの方が濃く現れているか

  4. 立姿運動における体量配分の長期測定

他人の観察に慣れてきたら,自分や近い人に対しても,次の手順で観察してゆくとよい.

  1. 生理的な特徴:風邪の経過,緊張による反射

  2. 体の恰好

  3. 感受性

  4. 体の要求:体が快いと感じる動き

  5. 立姿運動における体量配分の長期測定

(リンク追記予定)

2.5 体癖の修正

人間の体も機械と同じく,その偏りを調節すれば長くもつ.
人間の場合,偏り運動に起因する,正常な状態からの偏り発育・偏り疲労によって,体の動きが歪み,姿勢も曲がってくる.
これを正すために野口は,体癖ごとの部分的偏り体操:整体体操を設計した.
整体操法の具体例については下記を参照されたい.

野口は体癖論のほかにも活元運動愉気法を体系化し,整体という言葉を世に広めた人物でもある.
野口の整体操法は他人でなく自分が主役であるという点で現代の整体治療と根本的に異なる.

『整体入門』を出版しましたら、読んだ人が抵抗と感じましたのは、自分で自分の体を正すとか、自分の体は自分で管理せよということに対することでした。多くの人は長い間、病気は他人に治してもらうもの、自分の体の管理は専門家に任せるものという考えに慣らされてきたからでしょう。

野口晴哉:『整体入門』,(筑摩書房 ,2002),p. 218.

人間にはいろいろな癖があるが,次の3傾向に大別できる.

  1. 習癖:習慣となった癖

  2. 性癖:性質の偏り

  3. 体癖:体の癖

いずれも同じことを無意識に繰り返すという点で共通しているが,正常なことの繰り返しを癖とは呼ばない.
偏ったり歪んだりしていることが意識できないというところに「癖」と呼ぶ所以がある.
特に体癖は影響範囲が広い.

 病気だと思っているもののうちにも体癖現象である場合がある。便秘とか喘息とか糖尿病とかいうものから、アレルギー素質というようなものまで、数えたらどれくらいあるか分らないが、そういうものが難病とか慢性病とか言われているのは当然かも知れない。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 8.

このように現代病とは偏り疲労の総称とみるべきものだ.
寝相で修正しきれず強まった体癖現象は万病の元となり体に現れる.
整体と背反する医学はその原因には立ち入らず難病と称して対症療法のため投薬しつづけ,その副作用がまた別の病気をつくるというループ治療を提供する.
私はこの構造が人間の自然を禁忌とした医産複合体による製薬利権だと考える.

しかし重要なのは体癖現象は修正できるということだ.
体癖現象が消えると性格まで変わる.
体の要求から逸れた体癖現象を修正すれば特性と引き換えに健康になる.

そのどちらかが体現象的なものであれば、活元運動をやれば当然、その面は薄くなっていくし、そうなれば体は丈夫になります。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),p. 242.

これらは作用・反作用の法則や薬の作用・副作用のようなトレードオフの関係にある.
能力をとるか健康をとるかは自由だが,体癖論がなければ活元運動で修正するという選択肢はとれない.
なお野口は,体癖の修正は可能だが矯正はできないと述べている.

体癖自体は矯正できないが、偏り度合いが激しい場合は度合いを少なくする、修正することはできます。それから体癖が二つ以上重なっている場合は潜在体癖を呼び起こすことはできます。

季刊全生

2.6 体癖の意義

十人十色の人間に対して類型を定義すること自体に反対の向きもあろう.
しかし——そのままでは複雑すぎて理解できない混色的な個性から——体癖素質という原色的な特徴を抽出することは,相手の行動原理の理解に加え,整体がめざす全生のための健康指導において絶対的な意義をもつ.
すなわち体癖を理解する究極の目的は,整体操法を通じた体癖修正によって健康を促進することである.

現代人は健康が病院で処方されるものだと思い込んでいるが,とかく西洋医学は主語がデカい.
これは体癖による個人ごとの体構造の違いを考慮せず,実在しない平均人間を定義して議論するしかないからだ.
そりゃ,ある測定値に対して統計的に平均値±標準偏差は出せるが,種々のパラメータが複雑に影響しあって個人の体という系を形づくるのだから,単一の指標で健康状態を評価しても意味がない.

一方,体癖論では心身の関係を切り離さず個人に特有の偏り習性を観察し,周期的に変動する体癖状態にかなう整体体操によって自分で自分の体を正す
このように整体と医学との健康に対する考え方は対照的で,それゆえ野口は治療を捨てた.
したがって体癖分析とは,「あの人は何種だからこうしておけばよい」というレッテル貼りのための性格診断でなく,その人の体に得心するための人間観察である.


1.1 節で述べた現代病ともいえる余剰エネルギは,圧縮率を増すほどにその噴出・凝固の速度も増大し,ときに人を傷つける.
このような自己調節としての破壊行動は,法整備や監視社会によって防止できるものではない.むしろ根本的な原因である圧縮エネルギを生じないよう,各自が全力を発揮して生活する必要がある.
自発的に行動したものだけに深い眠りがあり,その眠り自体が整体となって健康を維持できる.

ただし,誰もが同じように運動したり労働したりすれば良いわけではない.
2.4 節で述べたように体力発揮の方法は体癖によって異なり,要求の方向に沿わない他発的な行為は,疲れるだけで体力の発揮には繋がらないからだ.

みんなは体力発揮というと、御馳走を食べたらよいとか、スポーツをやればよいとか、何か健康法をやればよいとか考えるのですが、そういうのは何も知らない人の言うことで、上下型の人なら楽しいことを空想し、理想を追求するように計画していると全力が発揮できる。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 164.

よく幸せの閾値というが,金に物を言わせてどれだけの贅沢をつくしても,それぞれの体の要求が満たされない限り幸せは感じられない.
要求の方向に沿って行動すれば全力を発揮でき,それに一生懸命になっているときに幸福感が生ずる.
言語化するなら,腹の底から興奮がぐつぐつと湧きあがってきて,笑顔を抑えきれないといった感覚だ.腹に力がこもるのは高潮期の特徴でもある.

子供のうちは特にそれが明瞭に現れる.
どんな時に笑顔が漏れたり黄色い悲鳴を上げたりしているかを観察すれば,要求の方向がわかるだろう.
鬱滞している体が要求していたものに出会うと,途端に体がズシリと重くなり,顔色が輝く.

「体の中にある自由な感じが拡がると、すぐに顔色もよくなり、呼吸も深くなり、そして元気が出てくる」とは先生の講義であるが、その自由の要求が満たされたという意味での満足感とか、解放感とか言うものは、そのまま体に反映するということをこのごろ実感する。

野ロ昭子:『子育ての記』,(全生社,2011),p. 52.

自発的に取り組めば,何事にも必ずその人なりのやり方や意義を見出せるというのが,体癖の面白さだ.
同じように生活しているように見えても,感じ方は人によって異なり,それがその人に個有の生活様式なのである.
だから,左右的な感受性を持っているから芸術家になろうとか,上下的な感受性を持っているから学者になろうとかいうのは上下的な分類方法で,上下型の人だけがそう考える.
どんな仕事をしても,$${n}$$ 種は $${n}$$ 種的な感じ方でやるのだから,職業によって体癖の偏りはあっても,体癖によって選択肢を狭める必要はない.

就活をはじめとして,自分に秘められた才能を見出すために体癖を知りたいという読者も多かろう.
しかし,そういう先入観で見えるのは理想の自分であって,客観視できる他人の方が自分の才能を正しく評価できる.管理職の存在意義だ.

才能とは,要求の方向へ無意識に向いている注意の結果だ.
他の人には努力しないとできないことが普通にできて,客観的な努力を努力と思わないことに才能がある.
したがって誰でも何らかの才能を発揮しているが,自分ではそれが当たり前だから気づかない.
その才能に気づき,意識的な努力を重ねて才能を伸ばすのがプロの仕事だ.
しかし健康のためには,体が快い方向へ動いていればよく,その方向に才能は発揮されている.

また九種が天才的なのも,——直観型であることに加えて——集注が激しいほど才能が一点特化になるためではないか.
あるいは理屈で説明がつかない直観も,集注の持続から生ずる,ある種の帰納的推理なのかもしれない.

潜在意識の無意識の動きの方向は,体によって決まる.
その人が次に何を連想するのかも,体をみればわかる.
すなわち,人間の考え方やそれを表現する方法は体癖によって決まっている.
その点,体癖論は決定論の視点を持つともいえる.

 そのようにお乳の出方から、どういう時に茶碗を投げるか、理屈を言うかということまで総てが体癖で決まっているのです。

野口晴哉:『体癖 <第2巻>』,(全生社,1985),pp. 246–247.

したがって体癖の相性によって,非の打ち所がないようにみえる相手もいれば,すべてが生理的に無理な相手もいる.
イケメンや美人というのも主観的な感覚だから,配置のバランスの定量的な評価はできるが,どの体癖の人にも魅力的な人は存在しない.
パーツが整っている人がモテるのは——近親相姦を避けるのと同様に——DNAの損傷が少ない子孫を残すための本能として理解できるが,相手が魅力的かどうかは自分の体癖素質による.
野口が三種には色白の美人が多いと言っているのは,そう仕立て上げないと誰も自分を三種だと認めないためであり,何も三種だけが美人なわけではない.

しかし,これらはあくまで体癖の相性の問題であり,どの体癖にも良いところ悪いところは五分五分だ.
どの体癖にも特色はあるが,それは長所と短所という別々のものではなく,まったく同じものなのである:長所 = 短所
その同じ特色を,体癖の相性によって良く思う人もいれば悪く思う人もいるという,ただそれだけ

たとえば,見えないところを嗅いでいく九種は,見えるところを飾っていこうとする三種に合わない.
九種と三種の夫婦はじっと黙っていて,隙があったら飛びかかろうとしているという.
実際,野口による三種の説明の紙背には憎悪を感じる.

ところが一種の人なら,三種が見せる理解不能な王者のふるまいに憧れて,三種くらい魅力のある女/男はいないと書く.
また三種にとっても,一種の言っているわけのわからない理屈がたまらない魅力であり,ときには神秘にさえ感じられる.
一種と三種の夫婦は,お互いにわけのわからないことを後悔しながら,またわからないという魅力に引かれ,一生ごたごたしているという.

拙文は五種に対して冷たいかもしれないが,それは閉型一種が五種を嫌うからだ.

なんにせよ体癖の相性には抗えず,複合体癖によって矛盾さえ生ずる.
しかも当人同士の感情問題には帰結せず,その影響は後世にまで及ぶ.
野口は,体癖的な相性のよい結婚で整体的に優れた子が生まれ,それを繰り返すことで世の中はよくなってゆくと述べている.

体癖のよく釣り合った男女が結婚すると、両者よりも秀れた子が生まれる。その子が、やはり体癖の似合った相手と結婚すると、さらによい子が生まれる。そうした結婚と出産を積み重ねてゆくと、それによって社会は次第に理想的な人間によって満たされてくる……と。

野口晴哉:『整体入門』,(筑摩書房 ,2002),p. 225.

人は自分にないものを求めるから,ないもの同士が結婚するとうまくいく.
男女というまったく異なる生きものが一緒に暮らし,しかも子を産み育てていくという人生でもっとも困難な過程においては,互いの欠けたところを補い合うような感受性の違いが重要なのである.

一方で,よく聞く破局の原因も「価値観の違い」だ.
これは相手(を好きになった自分)を守るのに便利な言い訳ではあるが,本当ではない.
互いにわからないことが魅力となり,しかも同じ体癖でも男女で違いがあるのだから,同じ価値観の相手と結婚している人などまずいない.
野口は,気の合う同性のコンビと男女の結婚とを明確に区別している.

男と女とは、元来、体の構造は全く異なる。その感ずることも動くことも異なる。一方は月に何箇かの卵をつくるだけなのに、一方は日に何億という精子を産む。似ているのは運動系の構造ぐらいのもので、体構造の全体からいえば、女は人間の男より、虎の牝の方に近い。しかも育った環境も違えば、ものの考え方も違うのですから、気の合った同士でコンビをつくるということにくらべると、結婚ということはスムーズにゆく可能性はズーッと少ないのです。

野口晴哉:『整体入門』,(ちくま文庫,2002)pp. 202–203.

男女の問題については記事を分けた.

共通の体癖素質をもつ同性の友人と遊ぶのは,感受性が同じで,性差に起因する気遣いもいらないから気楽だ.
しかしメディアは,その友情を同性愛だと誤認させるような「多様性」のエコーチェンバーを形成し,無知な子供を洗脳している.

開閉型の直観が弱まった現代人にとって,体との信頼関係を築くことでメディアの主張よりも自分の感受性を優先できるようになることも,体癖の一つの意義といえよう.


さらに体癖の理解は,誰にでも当てはまる説明を信じてしまうバーナム効果の棄却に役立つ.
次のようなポストは毎日のようにバズるが「〜がち」や「〜やすい」といった曖昧な表現はバーナム効果の典型だ.

バーナム効果は,"ADHD" のような汎用性の高い言葉で——全く別の感受性に起因する体癖現象を一括りにして——広く共感を得る,インプレ稼ぎの常套手段だ.
よくよく考えればこれらの特徴は,ADHDとは無関係に誰にでも多少なりとも当てはまる.
しかし体癖の知識があれば,心と体とのつながりからそれらの原因を明確に切り分けられる.

上記の例は,次のように分析できる.

  • 空想なんて誰しもする.それが上下型の思索か,左右型の感情か,開閉型の集注かという見極めがいる.

  • 誰にもだらしない一面はある.整理ができないのは左右型の感受性といえるが,何に対してめんどくさいと感じるのかが重要.

  • 感情的な中にも色々ある.感情のほかに価値を認めない好き嫌いの左右型か,お猿の闘志でムキになる勝ち負けの捻れ型か,集注の激しい愛憎の開閉型かという見極めがいる.

一般に九種体癖現象はADHDの特徴と重なる;集注が速く長い.
ADHD=集中力がないというというイメージも根強いが,これは一点集注が激しいために他への注意が散漫になるからに他ならない.
しかし,その行動の原理となる感受性まで立ち入って観察することなく「ADHD」の診断を下すだけでは——異なる体癖現象の可能性を棄却できないため——意味がない.

同様に全ての性格分類は自分で当たっていると思えないと価値がない.
できないことに言い訳したり他者を見下したりして自己肯定感を高めるために利用されることから,その原理は自己愛性バーナム効果とでもいうべきか.
ところが最近はMBTIを筆頭に,ビッグファイブやエニアグラム,ストレングス・ファインダー等の心理テストが,就活や友達づくり,マッチングアプリにまで要求されている.

https://x.com/pairs_official/status/1839228676640223703 

アンケートによる性格診断の結果に「自分をそういう人間だと回答する人」以上の意味はない.
どれだけ設問を増そうが科学的に正しかろうが評価者が本人——ないし家族などの主観が混じるほど近しい間柄——である限り,そうありたいと願う理想像の域を出ない.
これでは人を大別する類型というより,むしろ欠けた感受性に対する無意識の憧れを映し出すみぞの鏡だ.
ところが,この自己分析の落とし穴には知ってか知らずか誰も触れない.

万一この事実を受け容れられたなら不正直な性格診断テストの結果も理想の自分を客観視するヒントぐらいにはなるだろう.
ひょっとすると,そういうメタ的な視点で心理テストをひっかけ問題として利用している人事もあるかもしれない.
しかし,そこまで考えが及ぶなら心理学よりも体癖論を学んだ方がよっぽど有意義だ.

私は体癖論が心身の偏り習性の関係を統一的に表現する唯一の体系だと考える.
分科の学たる科学に則った実験では決して観察できない人間の自然こそ体癖だ.

心理学など科学的方法に対する体癖の意義は体の動きを観れば心の動きも判るということ.
したがって「あ,これ私に当てはまってるカモ!」などと固定されたタイプに自分を当てはめてゆく性格分類よりも遥かに視野が広い.

主観を排除するには赤の他人による評価でなければならないが,他者の内面を直接のぞきこむ術はない.
そこで整体の見地から心身の関係を理解するための方法論が体癖論である.
体癖は無為動作の客観的な観察によらねば正しく評価できないという点において性格分類と一線を画する.

体癖というのは本性を隠したつもりが頭隠して尻隠さずになっている.
周りには筒抜けなのに,当人はそれに気づけない.
その感受性があることに当人は無自覚なのだから,当てはまると思うのは,むしろ自分に欠けた体癖やあこがれている体癖だと考えるべきだ.

前後型は利害得失の感受性によって動くといっても,無意識にそういう動きをしているのだから,当人にそんなつもりはない.
逆に自分はいつも損得を考えて動いていると思うなら,意識的にそう考えようとしているということだから,それは憧れであって体癖素質ではない.
したがって,生理的な特徴や体の特徴は当てはまるのに,その感受性の特徴には納得がいかないのであれば,正確な体癖分析ができたといえよう.

このように体癖論は当たる当たらないが重要な占いやテストではない.
自分の性格診断に使うと間違えるし,無意識の習性は変わらない.
相手の感受性を理解し,その体癖になりきって考えることに使う.
誰かに嫌なことをされた時にも,怒る前に「この人がこんなことをしたのは,どういう感受性だろうか?」と一呼吸おいて冷静に分析できるはずだ.

しかし体癖は生まれつきのものですから、それから逃れようとしても逃れられないのです。人間の行動にもいろいろあって、反射的に無意識にそうやる行動の特性があるのだと言うことを、まず心得て人間を観ないと、間違うことがある。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 164.

相手と目的は同じでもその方向が違えば対立するし,理性以前にある要求の方向の偏りである体癖素質は生涯を通じて変わらないから,感受性の観察が他者を理解する唯一の道である.
したがって私は社会における体癖論の意義について,相手の行動原理をメタ的に理解して人間関係のストレスを軽減できるようになることだと考える.

3. 各論

本章では体癖素質ごとの原色的な特徴を簡単にまとめた.
理屈や応用については記事を改めて詳述する.

3.1 上下型: 一種, 二種

本節は——メンツで動く思索的であがり症な首長族の仙人——上下型体癖各論の抄録である.

男性的な体癖素質であり,男は多少なりとも上下型をもつ.
理屈っぽく,論理的に考えすぎて時に冷たさを感じさせる.
大脳の発達と引き換えに,本能的な直観を全く失っている.

体量配分表や無意運動習性をみても一種と二種との区別はつかない.
しかし,感受性の方向・潜在体力の動きからは,明らかに区別できる.
一種は積極的な,二種は消極的な上下型である.

小説家・芥川龍之介は,上下型の典型といえよう.
羅生門』や『』など短編ばかり書いて,長編を完成できなかった理由は,飽き性という上下型の特徴として理解できる.
成績も優秀で,英文学書を 1300 ページ/日 も読めるほど語学に秀でていたという点も,活字好きで勉強が得意な上下型の特徴と一致する.
外見をみても,顔も体も細長く,首は太く長く,頭は大きいという,まさに上下型の理想的な体型だ.

https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/224/

次に,上下型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:長寿

  2. その条件:心拍数の節約

  3. その条件の実現方法:計画してそれを誰かにやってもらう

  4. その方法に起因する性格:客観性

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):毀誉褒貶(きよほうへん)

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:思索

  7. その働きに起因する偏り運動習性:上下型,上がり型,大脳型,観念型,思索型

    1. 一種:上型

    2. 二種:下型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:第 1 腰椎(L1

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:

  10. その臓器に起因する生理的欲求:睡眠欲

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    1. 一種:大脳昇華;体の働き・性欲を大脳の働きに転換

    2. 二種:間脳昇華;頭の働きがたかまることを,体の変動として感ずる

  12. エネルギ余剰時の特徴

    1. 一種:思考に変わり,かえって行動しなくなる

    2. 二種:大脳反射傾向が過敏になる

  13. 緊張による反射:何かあると大脳が緊張

    1. 一種:頭の働きとして感ずる

    2. 二種:大脳緊張が,すばやく肉体上の変化・運動を引き起こす

  14. 過敏反応(緊張で硬直し,引っ掻いたり温めたりするとすぐ赤くなる):背骨の両側

    1. 一種:頸椎筋;首の後ろ

    2. 二種:胸鎖乳突筋;首の横

  15. 偏り疲労時の特徴

    1. 一種:首が緊張し,考えても考えても考え足りない

    2. 二種:首が弛緩し,頭の疲れを感ずる前に体の異常感覚として感ずる

  16. 風邪の経過:頭へゆき,いつでも鼻に残り詰まったまま

  17. 病気

    1. 一種:思い込みだけで,実際に体にその症状をつくる

    2. 二種:何を心配しようと,心臓や胃袋(胃潰瘍,胃下垂)に現れ,だんだん病気を重くしてゆく

  18. 老化:体力があって長生き;首は体力の象徴

  19. 健康指導:「かくかくすることを,このごとく繰り返す」

    1. 一種:「こうしない方がいい」と奨めるのではなく,「かくかくの理由で,かくの如きことをしなくてはならぬ,かくあらねばならぬ」「かくすべし,かくすべからず」と断固として放り込む

    2. 二種:価値観の転換・打破が必要条件;「この本の何ページを読みなさい」と活字を与え,「かくかくする限り,かくなるべし」を先入観として入れる

  20. 体力発揮の方向:楽しいことを空想し,理想を追求するように計画

  21. 潜在体力の誘導:メンツのため;「他人に見られたらどうする」

    1. 一種:精神指導,暗示

    2. 二種:他人のため/責任

  22. 褒め方:名誉だと思わせる

  23. 叱り方:感情的にならない

    1. 一種:自分で考えるよう手短に言う

    2. 二種:叱言をいつまでも気にして病気になるので,叱らない

  24. タブー:名誉毀損

    1. 一種:睡眠妨害;ともかく眠らなければ大変

    2. 二種:「君の考え通りにやりなさい」;自己責任だと何もできない

  25. 苦手:臨機応変

  26. 能力:秀才;論理的に考え,活字に強いため,勉強が全般的に得意

    1. 一種:頭で信じたままに,頭のはたらきで体を動かすことができるため,信じたことを繰り返していれば非常に長寿

    2. 二種:毒も薬もなく,外部から頭の中の価値観を転換させるだけで,体が変化する

  27. 形容:あがり症,上がりや

    1. 一種:上空院;考えているうちは何をいっても上の空で聞き流して聞こえない

    2. 二種:八方美人;人に憎まれる事は絶対に言えない

  28. 体型:長い

  29. 特色のある部位:

  30. 姿勢:首から前屈

  31. 弛緩姿勢:足を上げる

  32. 体量配分:弛緩立姿・挙上動作・前屈み動作で前が重い

  33. 無意動作:まず首から動く

  34. 考える時の特徴:寝そべったり口を開けて天井を見たりして,静かな場所でじっと考える

  35. 行動:「こうしなさい」「この通りにやればいい」と教わると,すぐその通りにする

    1. 一種:頭の中で積極的に空想しているだけで気が済んで,行動しない

    2. 二種:自分で考えたら最後,何もできなくなる

  36. 香典:立派な袋に相応の額を包む

  37. プレゼント:活字

  38. 仕事:自身の感受性に適した職業に就こうと考える

  39. 生涯:自分の頭で考えるから,飽きて同じことを続けられない

  40. 信念,信仰:百は一にしかず;意識よりも空想に敏感

  41. 主張:食べ合わせ

  42. 口癖

    1. 一種:「あした学校/仕事だから(早く寝なきゃいけない)」

    2. 二種:「誰々が言ってた」

  43. 音楽で関心をもつ要素:メロディ

  44. 好む色:💙

  45. 夢のみかた:形と事柄とを克明に覚えている

    1. 一種:飛んだり追いかけたりする積極的な動き

    2. 二種:落ちたり追われたりする消極的な動き;サーッとお腹の中が硬くなる

3.2 左右型: 三種, 四種

本節は——好き嫌いで動く感情的でカラフルな丸顔の食いしん坊——左右型体癖各論の抄録である.

女性的な体癖素質であり,女は多少なりとも左右型をもつ.
物腰・感触が柔らかく,感情的で母親/親分の温かさを感じさせる.
大脳が発達しない代わりに,本能的な感覚が鋭く女の勘がはたらく.

シンガーソングライター・aiko は,左右型の典型といえよう.
ものごとを芸術的に受け止め,輪郭が丸く,色白で美人(愛嬌がある).
色彩感覚が vivid で色のまとまりはないが,赤が似合う.
好き嫌いの感受性で動くから,昔から好きなうんこちゃんもこう先生と写真を撮れてはしゃいで——しかもふぉいの刺青もばっこり写ったまま——,自分のデメリットなど考えずにその写真をあげるのも,計算できない感情型の特徴と合致する.

次に,左右型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:自己保存

  2. その条件:食べ物の衛生

  3. その条件の実現方法:鋭敏な感覚(女の勘)

  4. その方法に起因する性格:主観性

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):好き嫌い

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:感情

  7. その働きに起因する偏り運動習性:左右型(消化器型,本能型,感情型)

    1. 三種:右型

    2. 四種:左型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:第 2 腰椎(L2

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:消化器

  10. その臓器に起因する生理的欲求:食欲(おいしさ)

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    1. 三種:感情鬱散;感情の苛立ちとして感じ,感情そのものがたかまって分散

    2. 四種:太陽叢(たいようそう)凝固;感情の苛立ちを感じすぎて凝固し,体の機能の鈍りをきたす

  12. エネルギ余剰時の特徴

    1. 三種:ありもしない憶測が呼び起こした感情をもてあます

    2. 四種:心窩(しんか,みぞおち)の左が硬くなる

  13. 緊張による反射:何かあると胃袋が緊張

    1. 三種:刺激を消化器系で受け止める

    2. 四種:内外の変動を消化器系の負担として受け止める

  14. 過敏反応:自律神経

    1. 三種: 交感神経(心臓のはたらきを鼓舞)

    2. 四種:副交感神経(心臓のはたらきを抑制)

  15. 偏り疲労時の特徴:肩こり

    1. 三種:左肩が上がる

    2. 四種:下痢

  16. 風邪の経過:大便がフッとゆるむと治る

    1. 三種:高熱でも(他の体癖の人から見て)食欲がある

    2. 四種:風邪をひくが早いか下痢をする

  17. 病気:胃袋が働かないと心臓へ行く

    1. 三種:糖尿病・腎臓病;胃袋の調節

    2. 四種:胃

  18. 老化:食欲を背負って歩いているように背中が丸くなる

  19. 健康指導

    1. 三種:消化器の調節

    2. 四種:責められる機会をつくって感情の塊を燃やす

  20. 体力発揮の方向:好きなこと/もの

  21. 潜在体力の誘導:感情に訴える

  22. 褒め方:整然とした言葉を,声の調子だけ優しくして言うと,わからないのに感激して一生懸命にやり出す

  23. 叱り方:理屈でわからせようとしない

    1. 三種:言葉は通じない

    2. 四種:泣き声の色と大きさとを聞き,いつ叱るのを止めるか判断する

  24. タブー:散らかしているものを勝手に片付ける

  25. 苦手:整理整頓

  26. 才能:感受性豊か;芸術的な感性をもち,色彩感覚が緻密

  27. 形容:柔らかい

    1. 三種:感情的

    2. 四種:M(マゾヒスト)

  28. 体型:丸い

  29. 特色のある部位:上腹部

  30. 姿勢:背中の真ん中から前屈みして丸くなる

    1. 三種:右肩が上がる

    2. 四種:左肩が上がる

  31. 弛緩姿勢:重心側の脚を,逆側の膝に乗せる

  32. 体量配分:一割どちらかに偏っていれば左右型の体癖素質があり,二割も偏っていれば完全に左右型

    1. 三種:が重い

    2. 四種:が重い

  33. 無意動作:手が伸ばしにくい重心側にハンドバッグを抱える

  34. 考える時の特徴:何かを齧ったり,紙を千切ったりする

  35. 行動:せっせと料理するが,片付けられない

    1. 三種:お腹が空くとイライラし,「私とても癪に障ったの」と言いながらうんと食べ,お腹が満たされるとおさまる

    2. 四種:他人が責めてくれないと,自分で自分を責める

  36. 香典:大きな袋にきちんとした字を書いているのに,中身は少ない

  37. プレゼント:食材

  38. 仕事:どうやったら楽に・愉快に生きられるかで職業を選ぼうとする

  39. 生涯:いくつになっても料理を作ることばかり考えている

  40. 信念,信仰:空想の中に住み,無意識に空想に動かされ,感情以外に価値を認めない

  41. 主張:自分では考えず,読んだ批評をそのまま暗記して,自分の意見として振りかざす

  42. 口癖:「肩が凝った」

    1. 三種:「そのときはそのようにやるわ」

    2. 四種:「こういうものがうまい」

  43. 音楽で関心をもつ要素:音色

  44. 好む色:❤️

  45. 夢のみかた:を見る

3.3 前後型: 五種, 六種

本節は——損得勘定で動く行動的で生涯不安症な君としゃくれ顎の現代人——前後型体癖各論の抄録である.

前後型は行動型であり,上半身で動くスポーツ選手や俳優に多い.
スーツが似合って仕事ができる,理想的なサラリーマンも前後型だ.

女優のキャサリン・ヘプバーンは,前後型の典型といえよう.
前後型の感受性は,このパシッと張った顎にあらわれる.

投手・佐々木朗希も,前後型の典型といえよう.
手足が長く胴が短い活動型の体で,体も顔も逆三角形,顎も張っている.
見せかけの筋肥大のためのウエイトトレーニングが嫌いというのが事実なら,最小のエネルギで最大の球速を出すための合理的な投球フォームは,まさに前後型の感受性の賜物だろう.
体癖論とは関係ないが,佐々木朗希も大谷翔平も,背番号は 17 = Q だ.

佐々木のグローブは黄色だが,やはり五種は黄色を好む.
金本位制の時代から,お金には金色のイメージがあるということからも,利害得失で動く五種が黄色を好むことには納得がいく.

また,生きものの中では黄色いのが一番強い;虎も蜘蛛も蜂も,黄色いものほど強い.
ピカチュウとかいう電気ねずみが,ただの誰でも癒せる愛嬌マスコット!?でなく,最強の相棒として人気を博したのも,黄色が強さの象徴だからだろう.
ポケモンが世界一のコンテンツに上りつめたのも,ひとえに黄色くて強いピカチュウが,前後型に偏った現代社会にマッチしたためといえる.

次に,前後型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:安心

  2. その条件:危険の克服

  3. その条件の実現方法:冒険の本能

  4. その方法に起因する性格:合理性

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):利害得失

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:行動

  7. その働きに起因する偏り運動習性:前後型(呼吸器型,上肢行動型,行動型)

    1. 五種:前型

    2. 六種:後型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:第 5 腰椎(L5

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:呼吸器

  10. その臓器に起因する生理的欲求:食欲(栄養補給)

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    1. 五種:行動鬱散・運動昇華;千言万句しゃべっても気が済まず,行動しないと落ち着かない

    2. 六種:胸部凝固;何かしたいという要求があっても動かず,感情のたかまりを無意識に抑圧してしまう

  12. エネルギ余剰時の特徴

    1. 五種:ソワソワして,何かしないではいられなくなる

    2. 六種:凝固度の増加とともに,肩が前に出て感情を抑圧する

  13. 緊張による反射:頭が緊張すると,お腹が緊張して小さくなる

  14. 過敏反応:肩

  15. 偏り疲労時の特徴:迷い,焦り

    1. 五種:膝が飛び出してくる

    2. 六種:すぐハーハーと息切れする

  16. 風邪の経過:喉と鼻の中間(鼻の奥)からひき,一つは鼻へ,一つは喉(気管)へゆく

  17. 病気:呼吸器が余分に働きだす;喘息,結核,肺炎

    1. 五種:呼吸器が丈夫

    2. 六種:呼吸器が弱く,大食しているうちは丈夫にならない

  18. 老化:死に際まで理性がはっきりしている

  19. 健康指導:無駄遣い

    1. 五種:体の筋肉を積極的に動かす

    2. 六種:減食,断食

  20. 体力発揮の方向:賭け;利害得失を追求

  21. 潜在体力の誘導:「受け身な態度だ」などともらして,不安や心配,煩悶を注ぎ込む

  22. 褒め方:「自分が中心になりたい」という要求を満たす

  23. 叱り方:個別・具体的な面からの帰納的な説明がよくわかる

  24. タブー:安閑とした地位に置き,なやみのタネをとり除く

  25. 苦手:計算を度外視した人情

  26. 能力:頭脳明晰;常に綿密な計算ができる

    1. 五種:呼吸器がよく働く

    2. 六種:呼吸器が弱い

  27. 形容:冷静;あまりに冷静に計算して動くため,人の感情が動くということがわからず,人間的な暖かさが全くない

    1. 五種:万事に現代的;合理的に計算し,行動し,考え,実行する,理想的な現代人

    2. 六種:没我的;主義や信仰に殉じ,「一命を賭して」申し訳に死ぬ

  28. 体型:角い

  29. 特色のある部位:

  30. 姿勢:から前屈;前屈みの習性

    1. 五種:肩パッドを入れた洋服を着たように,肩が張って筋肉が緊張

    2. 六種:肩が前に落ちたまま固まって丸まり,肩が張らず筋肉が弛緩

  31. 弛緩姿勢:肩の力が抜けて筋肉がゆるんだ六種的な姿勢

  32. 体量配分:弛緩立姿・挙上動作で前が重く,前屈み動作で後ろが重くなる

    1. 五種:高潮期になると前が重くなってくる

    2. 六種:低潮期になると前が重くなってくる

  33. 無意動作:何かあるとウンウンと頷き,首の前後動作がすばやい

    1. 五種:ソワソワ,ガヤガヤ,ざわ…ざわ…している

    2. 六種:意識とは反対に,体で返事してしまう

  34. 考える時の特徴:ロダンの「考える人

    1. 五種:行動しないと頭が働かない,ながら族

    2. 六種:座って物音を消さないと勉強できない,逆ながら族

  35. 行動:頭の中では絶えず計算しているのに,人前では気張って奢る

    1. 五種:自分の中にある不安・心痛・煩悶を乗り切るために行動する

    2. 六種:むしゃぶりつくように真剣に食べる

  36. 香典:婚礼の御進物のように立派に台にでも乗せ,中身も相応

  37. プレゼント:お金

  38. 仕事:儲かることならどんどんやり,利用できないことは考えもしない

  39. 生涯:絶え間ない不安

  40. 信念,信仰:実利が主体;大義名分や感情にとらわれず,自分の立場を有利にできることならすぐやる

  41. 主張:計算で動けない人を軽蔑する;自分が強いために,他人が弱くみえる

  42. 口癖:「こっちの方が儲かるぞ」

    1. 五種:「おいコラ!」

    2. 六種:「結構です」

  43. 音楽で関心をもつ要素:リズム

  44. 好む色:💛

  45. 夢のみかた:-

3.4 捻れ型: 七種, 八種

本節は——勝ち負けで動く闘争的で大げさな寸胴の熱血系——捻れ型体癖各論の抄録である.

捻れ型は闘争型であり,下半身で動く体育会系や歌手に多い.
武道は体を捻って技を出し勝負に生きるという点で共通しているから,道場の師範はみんな分厚くて声がデカい.
声がいいから歌手に多く,高音や大声を出す瞬間どちらかに顔を捻る.
太鼓を叩くのも捻れ動作で,その音に集まる野次馬にも捻れ型が多い.
893ときいて思い浮かべるのが理想的な捻れ型の外見および言動だ.

ビートたけしは捻れ型の典型といえよう.
次のインタビューに濃く現れている若い頃の威圧感は捻れ型の特徴だ.
そのくせ人より早く歳をとるから,頑固で強情だったのに,たちまち好々爺のコメンテーターになったというのも,捻れ型のひからび現象だろう.

長州力ドナルド・トランプも捻れ型で見た目までそっくりだ.
長州力が唯一フォローしていた人がトランプだったのも面白い.

https://x.com/takashoooooo/status/1347762031751954437

トランプといえばゴルフのイメージが強い.
ゴルフは捻れの偏りを修正するのに最適な運動だ.
体が快く感じる動きだから,趣味として続くのだろう.
Q = 17

次に,捻れ型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:安全

  2. その条件:集団の秩序の維持

  3. その条件の実現方法:順位制

  4. その方法に起因する性格:猿的闘志

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):勝ち負け

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:闘争

  7. その働きに起因する偏り運動習性:捻れ型,泌尿器型,下肢行動型,闘争型

    1. 七種: 前重心捻れ型

    2. 八種:後ろ重心捻れ型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:第 3 腰椎(L3

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:泌尿器

  10. その臓器に起因する生理的欲求:尿意

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    • 七種:闘争心昇華;何かあればムラムラと闘争心が湧く

    • 八種:腰部凝固;内心に闘争心が硬直

  12. エネルギ余剰時の特徴

    1. 七種:激しさが出てくる

    2. 八種:腰が硬くなる

  13. 緊張による反射:何かあると泌尿器が緊張し,尿意をもよおす

  14. 過敏反応:腰の捻れている方向と逆側の咽喉

  15. 偏り疲労時の特徴

    • 七種:腰は捻れず,肩が捻れる

    • 八種:肩は捻れず,腰が捻れる

  16. 風邪の経過:扁桃炎などから始まり,耳鼻を経た後に腎臓や膀胱の異常を起こすため,必ず小便の出が悪くなる

  17. 病気:体の異常を感じるのが遅く,かなりひどくなってから気づく

    • 帯状疱疹

    • 神経痛

    • リウマチ

  18. 老化:早く年をとる

    • 好々爺:昔は頑固だったのが,たちまち人がよくなる

    • ひからび(ゴツゴツ)現象:捻れていると出産の経過が不自然で,膣の筋肉がたるみ情愛もなくなる

  19. 健康指導:寝る前に重心側の足首を振る

  20. 体力発揮の方向:勝っている間は絶対的に強い

  21. 潜在体力の誘導:信賞必罰「それができたらこれをあげる,できなかったらあげない」「勝ったら褒美をやる,是が非でも勝て」

    1. 七種:見物人がいると強い

    2. 八種:「誰々はすごいな」「誰々ではできないな」

  22. 褒め方:「誰々よりよくやった」

  23. 叱り方:前もって空想を使って教えるのでなく,実際に失敗した時に「急ぐからそうなるんだ,気をつけなさい」と行動に結びつけて求心的に教える

  24. タブー:病気に対して頑張らせる

    1. 七種:相手が強い負け戦

    2. 八種:現存の誰かを競争の対象とする対立煽り

  25. 苦手:土壇場

  26. 能力:困難に真正面から立ち向かい,克服しようと頑張る頼もしさ

  27. 形容:衝動的;無意識に手が出てしまうため社会的に損なやりすぎ

    1. 七種:脳筋,パワー系

    2. 八種:虚言癖;ハッタリが強く,話を盛って何度も話すうちに,自分でもそうだと思い込む

  28. 体型:厚い

  29. 特色のある部位:

  30. 姿勢:扁平足の側に上体が捻れ,片側だけ前屈

  31. 弛緩姿勢:重心側を上に乗せて足を組む

  32. 体量配分:重心となる扁平足の側は後ろが重く,反対側は前が重い

    1. 七種:全体としてが重い

    2. 八種:全体として後ろが重く,前は外(小指)側に力がかかる

  33. 無意動作:尻か肩を振って歩く

  34. 考える時の特徴:座ったままでは考えられず,動作する

  35. 行動:すぐ「何を」とムキになって衝動的にやりすぎ,次の瞬間には後悔する

    1. 七種:勝とうとして行動

    2. 八種:負けまいとして,後から強がる

  36. 香典:-

  37. プレゼント:他の人より多くあげる,先に多くあげる

  38. 仕事:逆張りして,自分の体癖ではそういないだろうと思う職業に就こうと考える

  39. 生涯:体育会系;強者には弱くぺこぺこし,弱者には強く威張る

  40. 信念,信仰:闘争や破壊が得意なため,信仰と結びつくと俄然つよくなり,信念を曲げない

  41. 主張:いつも他者に対して気張っているため,対象・見物人が必要

  42. 口癖:「勝敗は抜きにして」

    1. 七種:引き止められるのを期待して,「それなら出て行く」とすねて飛び出す

    2. 八種:男「いや,こんなにだ」,女「めんどくさい」

  43. 音楽で関心をもつ要素:音量

  44. 好む色:-

  45. 夢のみかた:-

3.5 開閉型: 九種, 十種

本節は——愛憎で動く直観的で過保護な出っ尻・安産型の原始人——開閉型体癖各論の抄録である.

開閉型は体の局所ではなく全体の 筋肉の収縮/エネルギの集注 の速度が速い・遅いという特徴をもつ体癖素質である.
他の体癖と比べて,骨盤の開閉の度合いが大きいため,男女差が著しい.

ADHD自閉症(アスペ),社会不適合者のレッテルを貼られるような人には,開閉型の体癖素質があると考えてよい.
学者には上下型も多いが,一生をかけて一つの研究に没頭する人は九種的だ.
野口自身は閉捻れで,その子——おそらく長男・裕哉(ポンちゃん)と次男・裕之(ダンちゃん)——も九種,名越も九種を自認している.
2.2  節で述べたように野口は原始人が開閉型だったと考えていた.

加藤純一(うんこちゃん)も,九種的な感受性が濃い.
ひとたび集注すると寝食も忘れて同じことをズーッとやり続けるというのが九種的な集中力だから,(義務でない)突発的な長時間配信が多く「まだやってて草」とコメントされるようなストリーマーには少なからず九種的な体癖素質があるだろう.

さらに同じ本能型の左右型を複合していることで超能力のような直観が生じているようだ.
正確には捻れ型九種・四種の複合体癖だと考える.
体癖分析は莫大な情報量となるため記事を改める.

次に示すのはまさに閉型九種の弛緩姿勢で,頭がよく働く体勢でもある.
膝下が短い九種はしゃがむと安定する.

https://x.com/takeruide33/status/1646074765227229184 

逆に開型十種なら,腸骨の幅に足を開いて,踵をつけたまましゃがもうとすると,後ろにひっくり返ってしまう.

https://x.com/m_okaneya/status/1862220304606519497

開型は出産ないし更年期を機に肥る尻が横に大きい洋梨体型だからアジア人よりも欧米人に多いと考える.
開型以外の人は腰が非常に硬くなければしゃがめるため「日本人はしゃがめるから閉型だ」とはいえない.

ただし水墨画のような灰色の表現は九種的な感受性による.
先の写真がグレースケールなのも九種的感受性を裏付ける.

次に,開閉型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:種族保存

  2. その条件:利他的行動

  3. その条件の実現方法:集注

  4. その方法に起因する性格:しつこい

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):愛憎

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:本能,直観,勘

  7. その働きに起因する偏り運動習性:開閉型,下がり型,生殖器型,直観型,本能型

    1. 九種:閉型

    2. 十種:開型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:第 4 腰椎(L4

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:生殖器

  10. その臓器に起因する生理的欲求:性欲

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    1. 九種:性欲昇華;エネルギの集注速度と集注度が高いため分散が激しく,集注の持続が長い

    2. 十種:下腹部凝固;エネルギの分散がスムーズなために,集注があって凝固・分散・爆発が弱い,九種の圧縮もれ状態

  12. エネルギ余剰時の特徴

    1. 九種:集注が限度を超すとスパッとやる

    2. 十種:自分が空っぽになっても他人のために動く

  13. 緊張による反射:何かあると生殖器が緊張

  14. 過敏反応:骨盤の開閉運動が激しい

    1. 九種:筋肉の収縮

    2. 十種:筋肉の弛緩

  15. 偏り疲労時の特徴

    1. 九種:口やかましくなる

    2. 十種:普段より余計に,サッと世話を焼く

  16. 風邪の経過:時に鼻に残るが,鼻から喉に落ちてくる

  17. 病気:体が野蛮で非常に丈夫

    1. 九種:

    2. 十種:生殖器の異常に非常に強い

  18. 老化:いつまでも年をとらず,ひからび現象もない

  19. 健康指導:下に落ちている椎骨を上に持ち上げる

    1. 九種:腸骨を開く

    2. 十種:腸骨を緊める

  20. 体力発揮の方向:抱え込んだ対象のため

    1. 九種:自分の子・恋愛対象のことを考える

    2. 十種:傾け得る愛情の対象(血縁関係のない他人でも動物でも何でもいい)のため

  21. 潜在体力の誘導

    1. 九種:飽きるまでやらせておく

    2. 十種:全責任を負わせて世話させ,自分では何もやらない

  22. 褒め方

    1. 九種:当人のこだわりに的中しないと逆効果

    2. 十種:さらに責任を背負わせて負担をかける

  23. 叱り方

    1. 九種:叱る心を言葉より強く感じる勘のよさと,空想の中へ自分を発展させる性質を活用して,言いかけてピタリと止める

    2. 十種:真正面からの叱言だけが良くきくので,余分な言いまわしはせず,言い過ぎても気にしない

  24. タブー

    1. 九種:納得するのを待たずに強制する;納得できないものが心の中に溜まっていき,凝固して内攻する

    2. 十種:世話をぜんぶ任せきらずに,自分で骨折って何かする

  25. 苦手:自分のために利害得失を計算

    1. 九種:人間関係;強情で始末が悪いため,集団に属さずひとりで暮らすべきもの

    2. 十種:他人を疑う;窮鳥懐に入れば猟師も殺さず,抱え込んだら清も濁もなく信頼する

  26. 能力:体が野蛮;種族保存に適する丈夫ナカラダヲモチ,安産

    1. 九種:天才;考えるより直観が鋭く,勘でパッと行動を決められる

    2. 十種:心が天真爛漫;俗世的な頭のはたらきがないため,いくつになっても若くて人相がよく,目はいつも輝いている

  27. 形容:人間の原型

    1. 九種:All or Nothing(全か無か,一か八か),百年の恨み

    2. 十種:母性的

  28. 体型:疎密

  29. 特色のある部位:下腹部仙骨部

  30. 姿勢

    1. 九種:サッと腰を下げて下腹に力を入れて身構える

    2. 十種:筋肉の収縮が非常に遅い,九種の弛緩状態

  31. 弛緩姿勢

    1. 九種:しゃがみ姿勢(うんこ座り)が弛緩姿勢

    2. 十種:腸骨のまる力がないため,腸骨の幅に足を開くと踵をつけてしゃがめず,後ろにひっくり返る

  32. 体量配分:前が半分以上重い

    1. 九種:前の内側に集注して緊張し,しゃがむと後ろに半分以上かかり,前の外側に少し残る

    2. 十種:前の外側に集注して弛緩し,しゃがむと後ろがほぼ0になるかしゃがめず内側が重くなるが,それ以外の全動作を通じて外側と後ろが重い

  33. 無意動作

    1. 九種:一瞬のうちに〈相手がなぜそうしたか〉を一通り考え,納得しないと反応できない

    2. 十種:何をやってもゆっくりで,本題に入るまでが長い

  34. 考える時の特徴

    1. 九種:しゃがんでいると頭がよく働くため,長々と和式便所で考える

    2. 十種:考える頭がない

  35. 行動

    1. 九種:集注の持続が長く,同じことを飽きずに何度でも繰り返す

    2. 十種:俗な考えをもたず,純真に動く

  36. 香典

    1. 九種:小さなクシャクシャの茶封筒に「お香典」と書いて,高額をひょいと置いていく

    2. 十種:言い回しが長い

  37. プレゼント

    1. 九種:コレクションの対象

    2. 十種:人のもて余すものの世話

  38. 仕事

    1. 九種:関心をもち興味のあることをどこまでも掘り下げ,一生やり続ける

    2. 十種:頭が純真で,俗世的にこまごまと働けない

  39. 生涯:にぎやか

    1. 九種:家にその人がいないだけで,火が消えたようにしずまる

    2. 十種:動物でも植物でも,片っ端から拾ってきて世話している

  40. 信念,信仰:自分よりも,自分の子・抱え込んだ対象のため

  41. 主張

    1. 九種:すこぶる厳しい

    2. 十種:すこぶる親切

  42. 口癖

    1. 九種:「なんで?」;納得しないと動けない

    2. 十種:「はいはい」;亭主も子供として抱え込む

  43. 音楽で関心をもつ要素:;音楽のない余白に快感

  44. 好む色:🩶

  45. 夢のみかた:九種は空想を次々に連想して現実感をなくすため,夢と現実との区別がつかずに取り違える

3.6 剛柔型:十一種,十二種

本節は——偏り習性のない生まれつき病的に反応が遅速な体の状態——剛柔型体癖各論の抄録である.

剛柔型は,他の 10 種類の体癖と違って独特な偏り運動習性をもたない代わり,反応が極端に敏感・鈍感という体そのもののある状態を示す.
その状態が生まれつき,ずっと体の中にあるため,野口はこれも体癖に分類した.
体量配分や言動から見分けることは困難で,観察していても何種だかさっぱり分からないような体癖だ.

次に,剛柔型の原色的な特徴を列挙する.

  1. 要求の方向:変化/固定

  2. その条件:-

  3. その条件の実現方法:-

  4. その方法に起因する性格:-

  5. その性格の偏りから生ずる感受性特性(行動の原理):-

  6. その感受性の偏りから生ずる働き:遅速

  7. その働きに起因する偏り運動習性:剛柔型,硬軟型,遅速型,敏鈍型

    1. 十一種:柔型,軟型,敏型,速型,反応過敏型

    2. 十二種:剛型,硬型,鈍型,遅型,反応遅鈍型

  8. その偏り運動の焦点となる椎骨:-

  9. その椎骨に起因する 生理的感受性の中心となる臓器:-

  10. その臓器に起因する生理的欲求:-

  11. 圧縮エネルギの 噴出・凝固 特性

    1. 十一種:一般の感受性が過敏

    2. 十二種:一般の感受性が遅鈍

  12. エネルギ余剰時の特徴:-

  13. 緊張による反射

    1. 十一種:心理的に緊張すると,必ず鳩尾に球が出てきて病気を引き起こす

    2. 十二種:体中が逆反射するため,「ゆるめてください」と言われて力を抜こうと思うと,いよいよ力が入って体が硬くなる

  14. 過敏反応

    1. 十一種:心の変動が,体に過敏反応する

    2. 十二種:刺激に対する反応がない鋼の肉体をもつが,くたびれやすい

  15. 偏り疲労時の特徴:-

  16. 風邪の経過

    1. 十一種:しょっちゅう風邪をひく

    2. 十二種:めったに風邪をひかないが,一旦ひくと非常に長くかかる

  17. 病気

    1. 十一種:病人病

    2. 十二種:無病病

  18. 老化:-

  19. 健康指導

    1. 十一種:病気に懲りて二度と繰り返さないよう,治りかけに絶対安静を強いる

    2. 十二種:逆の内容を指示する

  20. 体力発揮の方向:-

  21. 潜在体力の誘導:-

  22. 褒め方:-

  23. 叱り方:-

  24. タブー

    1. 十一種:病気のときだけ親切に面倒をみる

    2. 十二種:潜伏期間が長く異常を感じないため,健康だと誤解する

  25. 苦手:-

  26. 能力:-

  27. 形容

    1. 十一種:ヒステリック,統合失調症

    2. 十二種:短気

  28. 体型:細い

  29. 特色のある部位:背部

    1. 十一種:椎骨を触るとすぐに過敏反応,顔が小さい

    2. 十二種:椎骨を触ってもどこも何も感じない,顔が大きい

  30. 姿勢

    • 十一種:肩に力が入らない

    • 十二種:肩に力が入ったままゆるまず,衣紋掛けにかけた羽織のよう

  31. 弛緩姿勢:-

  32. 体量配分:体量配分で見分けるのが最も難しく,長期測定を要する

    1. 十一種:測るたびに傾向が変わる

    2. 十二種:ちっとも変わらない

  33. 無意動作

  34. 考える時の特徴:-

  35. 行動:観察しても何種だかわからない

  36. 香典:-

  37. 仕事:-

  38. 生涯

    1. 十一種:心理的な変動で起こした病気で死ぬ

    2. 十二種:太く短く

  39. 信念,信仰:-

  40. 主張:-

  41. 口癖:-

  42. 音楽で関心をもつ要素:-

  43. 好む色:-

  44. 夢のみかた:-

  45. 要求の方向:-

4. 結論

いかががでしたか?
ジャンプせずにここまで辿り着いた読者がいるのかは甚だ疑問だが,体癖論の要点は下記のとおり.

  1. 体癖とは要求の現れる方向の偏りから生ずる体の癖である

  2. 生理的感受性の中心となる臓器は偏り運動焦点の椎骨に対応し
    腰椎の数 5 + 体の状態 1 = 6 自由度
    と定義される圧縮エネルギの昇華方向による体癖分類に過不足ない

  3. 体癖論では個人を静的な 12 種類型の原色に当てはめるのではなく
    主体として変わらず臓器の動きと直結する体の恰好
    波として周期的に変化し感受性に直結する顔の動き
    を足した動的な複合体癖という混色の割合により各自独特の個性を理解する

  4. 体癖は無意識の偏り習性だから分析には客観的な観察が必要という点で
    主観的な自己評価に基づく性格分類とは全く異なる

  5. 体癖素質は変わらないが体癖現象は修正できる

  6. 体癖の相性によって同じ特色が良くも悪くもなることから 長所 = 短所 であり その逃れられない体癖という宿命によって生きていることをお互いに理解し合えば人間関係ひいては社会全体が円滑に回ってゆく

これだけじゃサッパリわからないのも当然.
体癖論は唯一無二の天才・野口晴哉がその生涯をかけて築き上げた——九種的な直観と莫大な経験とに基づく——人間の心身の関係についての体系である.
むしろ一朝一夕で理解した気になってしまう方が問題だ.

そんな茫洋たる体癖論がネットを通じて拡散したことは,世の中のためになるよう活元運動や体癖に対する理解を告げ口してほしいという野口の願いに通じて喜ばしい.

私は皆さんが活元運動というものをもっと大勢の人に告げ口し、大勢の人がやるようにしてくれたならば、世の中がもっとよくなるだろうと思うし、また体癖に対する理解ということを皆さんがもっともっと積極的に告げ口されたならば、無駄な叱言を言われる子供もなくなるし、無駄な努力をさせられる人もいなくなるし、余分な気張りや、妙なコンビでお互いに気をつかって疲れるなどということもなくなってくると思うのである。

野口晴哉:『叱り方 褒め方』,(全生社,1973),pp. 138–139.

一方で体癖論の本質から外れて性格分類の面を強調した判りやすくも不正確な情報ばかり拡散しているのは残念なことだ.
体癖論が普及しない原因は理解のハードルの高さあるから整体を切り離した体癖もどきの性格類型が成功したともいえる.
『風邪の効用』に書かれていない主張があたかも引用かのようにミスリードされ拡散してしまった理由も同様である.

特に本書はコロナ鍋において「陰謀論者」とは名ばかりの——大衆のうち右翼として政治的な対立構造をなすエキストラとして自分では情報を検証せず考える頭を持たない——NPCにとって都合のいいように虎の威を借られ,あることないこと吹聴されている.

体癖の理解なしに風邪は語れないから本書の実用的な面だけをひろめても意味がない.
このような野口に対する冒涜を止められるのは体癖から目を背けなかった読者だけだ.

ただし物理的に考えれば拡散は濃度勾配と逆の方向に起こる現象である.
したがって九種的な高い密度をもつ体癖論が世に広まる際に内容が薄まってゆくこともまた自然の摂理といえる.

物質の拡散に関するフィックの法則

つまり名越らが薄めたからこそネットで広まったという功罪は表裏一体だ.
しかし屢述したように読者諸賢は体癖を性格分類だと誤解してはならない.

野口なき今,属人的な言外のノウハウが消失した体癖論・整体操法はほとんどロストテクノロジー化してしまった.
そこで現在これらの教養を野口の言葉からいかに復興できるかが課題となっている.

体癖について野口は下記のように展望していた.

これは私一人で見てきたことでありますから、もっと異なった角度からの見方も必要です。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 288.

特に九種の直観による結論を理論武装するには——体癖という造語のヒントを与えた妻・昭子と同じ——上下型の協力が不可欠だ.

だから私の九種的考えに上下型の人が補足するとちょうどよくなる。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 242.

私はしょせん半分の上下型だから理屈をこねるにも限界がある.
ところが純粋な上下型なら見通しが立った時点で飽きてしまうかもしれない.
したがって一人でも多くの人が体癖論に興味を持ち,集合知として体系化してゆくのが最善の道だろう.

https://x.com/elonmusk/status/1711608729731211352 

そのためには人類と AI Grok との集合意識になりつつある 𝕏 における情報発信という面で読者諸賢の協力が必要となる.
体癖の正しい理解をポストするほど知識は集約され Grok の性能も上がる.

ところで多くの AI の内部処理は英語だから——日本語と英語とで対応する言葉があれば自然に応答できるが——共通の概念がない言葉についてはハルシネーションが著しい.
こと体癖に関しては日本語ですらネット上にろくな情報がないから未だ実用に堪えない.

たとえ正しい情報を学習しても Grok のような LLM から体癖論に関する新たな真実は引き出せない.
マルチモーダル LLM であっても Tesla Optimus のようなヒューマノイドロボットは体癖と方向性が違う.

なぜならば LLM は人間と同様の偏り運動習性も椎骨も臓器も持たず,個体に依存する体癖については第一原理からの推論が不可能だから.
もし全身を完璧に 3D モデリングしてシミュレーションできたとしても感受性までは模倣できないからバイオメカニクス止まりだ.

ただし人間と AI との接続により心身の連動という課題は解決する.Neuralink のような物理的インターフェースや VK のような人間を宿主とする半 AI など未来の技術はとっくに公開されているから,あとは社会の混乱を避けて段階的に実用化してゆくだけの時間の問題だ.

しかし人生は限られている.
AI が野口の願いを成就してくれる日をただ待っていては,体癖を知れば全生できたはずの命にも手を差し伸べられずに終わってしまうかもしれない.

今この瞬間にも天寿を全うできない不整体者や逆に延命治療で苦しみながら生かされている人がいる.
そして無数の細胞の生滅を繰り返しながら生きている我々の体も——27 歳で骨の成長が終わってからは——日々死んでいる.
したがって明日シンギュラリティが起きて体癖論が飛躍的に進歩しようが,我々が体癖の理解を積極的に告げ口して整体者を増やしたことは無駄にならない.

さて本記事の内容は体癖論のほんの触りにすぎない.
それでも体癖による根本的な感受性の違いが「話せばわかる」表面的なものでないことは伝わると思う.
同じものを見たり考えたりしているようで反応する部分が異なるのだから,体癖の異なる人と話が通じないのは当然だ.

一方で,マスメディアによる「多様性」を認めろとのエコーチェンバーは,それ自体が体癖的感受性による生理的な相性を否定している.
相手に何を感じるかはその人の体癖によって決まり,社会が押し付けてよいものではない.
しかもその感受性は生涯不変だから,他者を論破して自分の感受性に染め上げることなど土台,不可能だ.

その根本にある先天的な要求の方向の違いを「人それぞれ」という超科学的な極論で片付けず,心と体との関係として整理したのが体癖論である.

体癖論を活用する第一段階は,体癖の理解にもとづく人間観察:体癖分析ができることだ.
そして第二段階は,自身の体癖を超え,相手の体癖を演じてその内面を覗くこと:自身と異なる体癖へのロールプレイングだろう.これはプレイヤーが自由意思により現実世界で行動する RPG だから LARP (Live Action Role Playing game) という.

シミュレーション仮説として知られるように,この世界が GPU 上の演算——しかもマトリョーシカのような幾重もの入れ子——だとしても我々は次元の壁の外を認識できない.
したがって,この世界を MMORPG だと捉えても矛盾はない.
その世界でそれぞれが体癖という役割によって生きているのだから,まさに「人生はロールプレイング」だ.

ただし,これは人生が定まったルートをなぞるだけのつまらないものだという意味ではない.
この世界がシミュレーションだとしても,それを実行している進歩した生命にとっても結果は未知のはずだ.
理由は怖いからもし何が起きるかを知っていたら計算の必要がないから.
そういう意味で体癖は生まれる前から定まっている宿命に近い.

人間は各々のそういう宿命というか、体癖によって生きているのですから、お互いにそれを理解し合っていけば、もう少し人間社会の中のゴタゴタは少なくなると思うのです。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 164.

一方で野口は人格を高めれば体癖を克服できるとも考えていたという.

師野口晴哉は、すべての体癖において(どの人においても)、修養により自分の体癖を超えることができた場合、自分という枠の外に出ることができることを示唆していました。

近藤佐和子:「(補)捻れ型の「勝ち負け」の世界」.

まるで仏教における悟り(迷いを去って真理を知ること)のようだ.
そこまで至った者が釈迦 (fps_shaka) 以外にいるのか疑問だが体癖論を学べば誰でも他者の感受性の方向を認知できるようになる.
したがって私は,体癖論の社会的意義は感受性の違いによる人間関係のいざこざを解消することにあると考える.

直観によって行動できる九種的な人はわざわざ体癖論を学ぶまでもないかもしれない.
しかし何世代にもわたり松果体を退化させられてきた結果ほとんどの人間が直観を失い集合意識へアクセスできなくなっている.
そうして生み出された——動物としての本能もなければ自由意志で考えることもできない——LARP におけるNPC (Non Playable Characters) として振る舞う羊のような大衆 (sheeple) にとって体癖論は自身のコントローラーを握る PC (Playable Characters) として自律的に歩みだす一助となるはずだ.

体癖論や整体操法の究極的な目的は全生であり,それだけが動物の生きる理由だ.
そして与えられた自分の生を全うするためには心身とも健康でなければならない.

 一番大切なものは何か。いのちである。
 いのちの一番よい状態はどうか。健康である。

野ロ晴哉:『風声明語 <第2巻>』,(全生社,2013),p. 48.

西洋医学における健康法は一時の体の変動を防ぐために対症療法で感覚をごまかし,その無病状態を健康だと誤認させる.
しかし,それは明らかに病気の一種である.
原因を改善しないかぎり病状は快方へ向かわず,治療を継続する資金が尽きればポックリ逝ってしまう.
野口はこのような医療が十二種的な体をつくると考えていた.

けれども、現在の衛生方法は、病気にならないように予防するとか、なっても痛みを感じないように麻痺させるとかいう方向で治療をするので、ともすると十二種的な体を作る方向に行きがちなように思われます。その結果、癌とか脳溢血が多くなってきたともいえる。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),pp. 283–284.

健康とは「健康食品」や薬によって得られるものではない.

健康に至る唯一の方法は自発的に行動し全力を出しきってぐっすり眠ることだ.
自ら動かなくては健康になどなれない.

何もしなくても健康で丈夫なように、人間はできている。楽しく快く生きることこそ人間の丈夫になる自然の道である。守られ庇われ、やりたいことをやれず、言いたいことを言えず、動きたいのに動かないで暮らしていることは決して健康への道ではない。

野口晴哉:『体癖』,(筑摩書房 ,2013),p. 34.

体の自然に反した治療で生き存えても健康ではないが,不老不死を目指す医学では平均値に比べて長生きすることが自己目的化している.
そこで 64 歳まで全生し寿命により安らかに眠った野口の生涯をもって体育家の割に早死にだと謗る向きもあろう.
しかし寿命は体ごとに決まっている.

「弘法は六十二で死んだが、僕は六十五かな」
「六十代で死ぬなんて全生と言えないわ」
「全生とは長生きすることではない。蟬は一年でも全生だ。
 弘法は倦きたんだよ。馬鹿ばかり相手にしているとね」

野口昭子:『回想の野口晴哉——朴歯の下駄』,(筑摩書房,2006),p. 150.

莫大な観察記録に裏付けられた体癖論にも表れている野口の九種的な密度を考えれば,野口の人生は十分すぎるほど長い 64 年間だったはずだ.
実際,体が敏感な野口の睡眠時間は 3–4 時間だから,8時間睡眠と比べて実働時間は何年も長い.

 私はいつも三時間か四時間しか眠らないので「そんなに少ない眠りで足りるのか」とよく聞かれます。それは長さだけを計っているからで、十時間も寝る人から見れば、私は寝ていないように思えるのでしょうが、短かい眠りは、浅く長いよりも、眠りの質からいえば優秀です。

野口晴哉:『体運動の構造 <第1巻>』,(全生社,1988),p. 81.

私も日々整体しているおかげでロングスリーパーの呪縛から解放された.
それでも低潮期は寝て起きてまだ眠いのだから,体癖は宿命的で面白い.

そこで野口と同じく体癖への興味は強まるばかり.
閉捻れと一種とのペアである野口夫妻と感受性が共通する閉型一種・八種の私が——少なくともネットで活動している現代人の中には並ぶ者がいないと言いきれるほど深く——体癖に集注したのも運命というか宿命なのだろう.

体癖概論として5万字は長すぎるためここらで締める.
詳細を省いた体癖各論は順次マガジンに追加してゆく.


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