漫画家アシスタント物語 古い話で章〈9〉 アシスタントは夜逃げした!
《 写真上:東京、北千住から撮影。中央の奥にスカイツリー。この撮影現場の近くに加川さんから話を聞かせてもらった喫茶店があります2014年3月 》
< この「古い話で章〈9〉」は、文庫本約8ページ分 >
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
ただし‥‥ 各話が連続していますので、「古い話で章〈1〉」から読みいただく方がよろしいかと思います。
はじめての方は、「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!
その17
《 漫画家アシスタントが・・・少年時代にテレビに出演する!? 》
「なんだよ、お前の絵は」と馬鹿にされ、小さなミスを責め立てられ、すっかり落ち込んでいる新米アシスタントの加川さんでしたが‥‥
「 いいんだよ、失敗しても 」
やさしく、そっと声をかけてくれたのが、後に〇井豪として漫画界の大御所になる人物。( この当時の〇井先生は、加川さんよりも5歳年上の23歳、数ヵ月後に〇ャンプの『〇レンチ学園』でブレークします )
「 あ‥‥ そうですか‥‥ 」
‥‥と、18歳だった加川さんは、猫のようにおとなしい。
〇井豪先輩は、ちらりと、いじわるな先輩を横目に見ながら‥‥
「 あいつは、あんな事を言っているけど、気にするなよ 」
加川さんは、白髪の壮年になった現在でも、その時の話をすると若返ったように明るく微笑むのです。
「 なんて、イイ人なんだと思ったよ、将来大物に成る人は違うよなぁ! 」
それにしても、なぜ、加川さんは〇森プロ( ※参照 )へ入ることが出来たのか‥‥ また、その前は何をやっていたのか‥‥‥‥?
中学校を卒業すると、〇カラビニール( 60年代の『 〇ッコちゃん 』で有名な会社 )に、デザイン部希望で入社。 しかし、高卒の人だけがデザイン部へ配属、加川さんのような中卒は全員製造部へ回され、ゴムと化学薬品にむせる毎日を送ります。
「 ものすごいんだよ、臭いが‥‥ 気持ち悪くなっちゃって‥‥‥‥ 我慢できなくて‥‥ 中卒じゃダメなのかよ‥‥って、辞めちゃったんだよ 」
私は冷めたコーヒーに口をつけつつ‥‥
「 そもそも、漫画家に成ろうとしたのはいつ頃からだったんですか? 」
「 子供の頃から〇森さんが好きでさぁ‥‥‥‥ それから中学の時にテレビに出た事があってね‥‥ 」
「 テレビ‥‥? 」
「 うん、NHKの『 まんが学校 』って番組、〇なせたかし( ※参照 )と〇川談志( ※参照 )なんかが司会してた番組 」
「 凄いじゃないですか!? 」
「 冗談半分で応募したら、NHKから学校に連絡があって、それから大騒ぎよ! 」
中学3年生の時に、クイズ形式で数人の中学生が漫画に関する質問に回答するという番組に出演する事になったわけです。
その連絡が学校へ来たのですから、加川さんが通う学校で注目を集めてしまうのは当然です。
しかし‥‥‥‥
撮影日の当日、東京の地下鉄に慣れていない加川さんは、路線を間違え生放送の本番ギリギリにスタジオ入りするという大失敗をやらかします。
それでも、生番組はそつなくこなして出演の記念品のバッジなどをもらって帰るのですが‥‥‥‥
この時、とても印象に残っているのが、司会の〇なせたかし先生と〇川談志師匠の話だったそうです。
局の控室のソファに二人が座っている時に、加川さんが〇なせ先生から質問されたのです‥‥
「 君、漫画家に成りたいのかい? 」
「 はい 」
「 でもねぇ、漫画家に成るのは大変なんだよ‥‥ 」
しみじみと〇なせ先生からそう言われたそうです。もっとも、「大変だよ」とは、プロなら誰でも言いそうな言葉です。
私は、そこで、〇川談志師匠はその時に、何と言ったのか加川さんに質問しました。
「 〇川談志も『 大変だよ 』って言ってた! 」(笑)
「 二人とも『 大変だよ 』って? それで、結局『 止めた方がイイよ 』とか言われたんですか? 」
「 いや、そうじゃなくて『 頑張れよ 』みたいな‥‥ 」
「 一応、励ましてくれたんですね 」(笑)
中学生の頃から〇森先生に憧れていた加川さんは、〇カラビニールに就職して半年ほどで辞めて、日比谷にあるレストランでボーイさんの仕事をするようになります。
1967年頃から、本格的に漫画家アシスタントに成ろうと活動を開始するわけです。
「 〇森さんのアシスタントに成るのは難しかったんじゃないですか? 」
1960年代の〇森先生は、まさに漫画界の大巨星‥‥‥‥ そう簡単にアシスタントに入り込める先生ではありません。
「 どうやって入り込んだんですか? 」
「 俺の原稿を〇森さんに見せたら、『 面白い 』って言ってくれて‥‥ 」
「 えええ~~~っ、『 面白い 』ですって!? 」
「 うん『 面白い 』って 」
「 あの〇森先生が!? 」

その18
《 漫画家アシスタントが・・・夜逃げする!? 》
加川さんが〇森先生に見せた漫画がどんな作品だったのか‥‥
それは、一人の青年が自殺するまでの話を、なんとコマ割りなしの、全ページ見開き( 絵巻物風 )で完成された漫画でした。
画力や内容はともかく、その手法がいかにも挑戦的で若々しいエネルギーにあふれていた点を、〇森先生は高く評価されたのです。
もっとも、原稿を見てもらう前から、数回、ファンとして先生を訪ねて顔見知りになっていたので、アシスタントに入る事にそれほど苦労する事はありませんでした。
こうして、7~8人いるスタッフの仲間入りをするのですが‥‥‥‥
徹夜の続く過酷な労働条件と、タコ部屋式(二段ベッドが並んだ個室)の暮らしに、さらに、いじわるな先輩から毎日イビラれるのですから耐えきれません。
まだ18歳( 1967年当時 )だった加川さんは、〇森プロを夜逃げしようと決心します‥‥‥‥
〇森先生から認められて、わずか2,3ヶ月後のことです‥‥‥‥
きっと、悩んで、先生に相談しようかと思った事もあっただろうと思うのですが‥‥‥‥
当時の〇森先生は、待機する編集員にガードされる様に、個室にこもって漫画制作に没頭しいるわけです。
つまり、気安く新入りの加川さんが話に行ける雰囲気ではなかったのです。
まるで雲の上の人‥‥‥‥ そんな風に遠くの存在になっていました。 せっかくアシスタントとして、すぐそばで仕事が出来るようになったのに、逆に距離が離れてしまうとは皮肉なものです。
また、〇森プロに入った当初は、あれほど自信に満ちあふれていたのに、その自信がアシスタントをする中で、すっかり砕け散っていきました。
「 何やってんだよ! 」
「 こんなのしか描けないのかよ! 」
「 ダメだよこれじゃ! 」
学校や、友達同士の間では「 上手 」でも、プロの世界ではまったく「 未熟者 」でしかないという現実に、打ちのめされてしまったわけです。
「 自分は結構上手な方だろう 」と思っていたのに、実は、「 まるっきり下手クソ 」だった事を悟った時の苦しみは、まさに‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥無能地獄!( 私も、若い頃に経験した事があります )
深夜、一人、二段ベッドの上でこっそりと「 書置き 」にペンを走らせます‥‥‥‥‥‥‥‥
「 短い間でしたが、お世話になりました‥‥‥‥ 」
その手紙を、仕事場のデスクの上に置いて、深夜、〇森先生の豪邸の壁を脱走するように乗り越えてしまいます。
深夜、冷たい石の壁を乗り越えていく‥‥‥‥ どんな気持ちだったのか‥‥‥‥ 世の中の厳しさをヒシヒシと感じていたのではないでしょうか。
しかし‥‥‥‥
人生とは面白いもので、一つの挫折が、一つの別れが‥‥‥‥ 新しい世界との出会いを生み出すものです。
加川さんは、生活のためにも、落ち込んでいるヒマはありません。 すぐに次の職場( アシスタント )先へ向かいます。
それは、時代劇画で有名な〇ン月影先生( ※参照 )でした。
当時の〇ン先生は、ウエスタン劇画やアクション劇画を描いていました。 加川さんよりも9歳年上の27歳。
「 お~~君かぁ! 君、加川君だろう!? 」
「 はい、先生。 加川です! 」
「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈10〉」へつづく・・・・
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~~~ 参照 古い話で章〈8〉 ~~~( 読んでも、読まなくても!)
【その17】
・加川さん : 中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。1969年にジョージ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・〇森プロ : あまりにも有名な漫画家の仕事場、桜台のプール付豪邸。1967~8年当時は、名作「〇魔大戦」を制作していました。
・〇なせたかし先生 : 「〇んぱんマン」で有名な児童漫画界の巨星。
・〇川談志師匠 : 落語家の天才とか鬼才とか、云われている。
【その18】
・〇ン月影先生 : 1941年生まれ、官能時代劇画家、1969年当時は西部劇漫画などのアクション漫画を描いていた。
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