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慶光院清順のことを知る

夢の誘導により、伊勢に辿り着いた。
長い道のりであった(;^△︎^)
言葉で説明してくれたらいいのにね。
とっぴな事に飛んじゃうので、理解するまでに時間がかかる💧

慶光院清順さんの所に行った方がいいよってことね。
マジでその尼僧のこと、知らなかった。
旧慶光院に行ったらいいのね。

伊勢神宮に行ったら、ついついおかげ横丁が気になっちゃうよね。
私、前回の参拝時にそこ、歩いて通ってるな。


慶光院清順とは?

慶光院(けいこういん)の清順(せいじゅん)は、戦国時代の伊勢国(現在の三重県)にあった慶光院の尼僧です。主な功績は、応仁の乱などの戦乱によって100年以上中断していた**伊勢神宮の式年遷宮を再興したこと**です。清順は各地を勧進(寄付を募る活動)して歩き、その資金をもとに天文18年(1549年)に豊受大神宮(外宮)の正遷宮を実現させました。この功績により、後奈良天皇から「慶光院」の号を賜り、上人号を許されました。彼女の死後も、慶光院の歴代上人は遷宮の復興と維持に尽力し、織田信長や豊臣秀吉などの有力者からも支援を受けることとなりました。


戦国時代に式年遷宮が途絶えたことは知ってたけど、復活させた人の事は知らなかったな。


慶光院清順の足跡

慶光院(けいこういん)の**清順(せいじゅん)**は、戦国時代において伊勢神宮の式年遷宮を再興させるため、文字通り命を懸けて全国を勧進(かんじん)して回った比丘尼(びくに)です。
彼女の足跡は、単なる宗教活動にとどまらず、荒廃した伊勢神宮を救い、近世の遷宮制度の基礎を築いた偉大な歩みとして知られています。

## 1. 勧進の背景:100年以上の中断

当時、応仁の乱以降の戦乱により、伊勢神宮の式年遷宮は内宮で約100年、外宮で約130年も中断していました。社殿は朽ち果て、神宮の尊厳が失われつつある状況を憂いた清順は、遷宮費用の浄財を募るために旅に出ました。

## 2. 主な足跡と活動

清順は、時の権力者から庶民まで、階層を問わず広く支援を求めました。
* **駿河(静岡県):今川義元との接触**
  清順の活動の大きな転換点となったのは、駿河の今川義元からの多額の寄進です。義元の母・寿桂尼(じゅけいに)の帰依を受け、今川氏の強力なバックアップを得ることに成功しました。
* **相模(神奈川県):北条氏康への勧進**
  小田原の北条氏康にも働きかけ、関東地方での勧進活動を広げました。これにより、東国からの資金ルートを確保しました。
* **京都:室町幕府と正親町天皇への奏上**
  永禄年間には京都へ入り、室町幕府(足利義輝)や朝廷へ遷宮再興を働きかけました。正親町天皇から「慶光院」の号を賜り、勧進の正当性を公認されたことは、その後の活動において決定的な力となりました。

## 3. 実績:永禄の遷宮

これらの足跡の結果、清順は莫大な資金を集め、**永禄6年(1563年)**、ついに外宮の遷宮を実現させました。これは戦国乱世において、人々に神宮の再興を知らしめる奇跡的な出来事でした。

## 4. 継承された意志

清順自身は外宮の遷宮を見届けた後、内宮の再興を弟子の**周養(しゅうよう)**に託して没しました。
* **周養へのバトン:** 清順が切り拓いた道筋を使い、周養は織田信長や豊臣秀吉といった三英傑に接触。ついに天正13年(1585年)、内宮・外宮両宮の遷宮を成し遂げました。

**歴史的意義**

> 清順の歩いた道は、現在の私たちが目にしている「20年に一度の式年遷宮」という伝統を絶滅の危機から救った「再生の道」であったと言えます。


慶光院清順のことを調べていたら、清順のお墓が・・・

朝熊山に!!Σ(o゚д゚oノ)ノ

だから、金剛證寺に行けと。

清順さんのお墓参りをしないといけないのね?
何故?
式年遷宮関連行事に参加する予定だからかな?


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