文学作品「祖父から継承されたもの」
※この記事は約1300文字です。
幼少期に父親がいなかった私に、父親のようにそばにいてくれた祖父。
無口な背中が、最後に教えてくれたこと。
***
物心ついたころ、私には父親がいなかった。
それでも、寂しいと感じたことはなかった。
ただ、父親がいないという感覚がわからなかっただけで、私にとっては、それが日常だった。
きっと私は祖父に父親の一面を感じていたのだろう。
父親参観に来てくれた。
キャッチボールもしてくれた。
何でも好きなものを買ってくれた。
ラジオ体操にも一緒に行ったし、
一緒にかけっこもした。
たくさん愛されて育った。
祖父は、遠くの誰かに立派なことを語る人ではなく、自分の手が届く距離にいた私を、ただ粗末にしなかった人だった。
だが、灯台下暗しという言葉があるように
それに気がついたのは随分後になってからだった。
それが当たり前の出来事だと感じているうちは、その本当の価値には気づけない。
その日の私は、苛立っていた。
仕事から、帰宅した私は祖父に暴言を吐いてしまった。
ただの八つ当たりである。
祖父は寡黙な人だった。
何も言い返しては来なかった。
確かに私は、まだ若かった。
それでも何の言い訳にもならない。
私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
それから、すぐに祖父は引っ越した。
と、いうよりも母が祖父に、まだ幼い私の妹達の世話を頼んでいたのだ。
それが無くなった。
その時はそれしか感じていなかった。
それから何年も祖父には会わなかった。
罪悪感があったわけではない。
それよりもずっと悪い。
私は、祖父の存在を当たり前のものとして扱っていた。
私は私の好きなように生きていた。
次に祖父に会ったとき、祖父は認知症になっていた。
もともと寡黙な人だったので、言われても気が付かないくらいだ。
私のことは誰だかわからなくなっていた。
その頃から、人はいつか死ぬということを
少しずつ意識し始めた。
ふと、私は考えた。
祖父にはあと、何回会えるだろうか?
実家に帰るのが年に3回で、その内の1回会うとして、あと10回は会えないかもしれない。
そう考えた私は、意識して祖父母に会うようにはしていた。
それでも私はまだ軽薄だった。
照れ隠しもあったかもしれない。
生前供養と称して、適当に見繕った和菓子をお供物と言って渡していた。
それでお盆に私、母、祖父母の4人で墓参りに行くのが恒例のイベントだったのだ。
ある年の盆に、ふと祖父に尋ねた。
「俺の事が誰だか、わかるか?」
すると祖父が、
「ひろだろ?」
そう返してきた。
私は驚きと共に、妙な予感がした。
(もう、これで最後かも知れない)
その予感は母にだけそっと伝えた。
その次の年に、祖父が亡くなった。
死因は脳卒中と誤嚥性肺炎だった。
85歳。 充分に生きたとは思う。
亡くなった事よりも、苦しかっただろう、痛かっただろうと言うことに胸を痛めた。
ちょうど世間は、コロナ禍で外出自粛中だったため
すぐには会いに行けなかった。
だけれど、夢の中で祖父に会った。
場所は、祖父の家の近所の陸橋の下
夢の中の祖父は背を向けていた。
祖父は何も語らなかった。
私は、あの日のことを謝った。
祖父は相も変わらず、何も語らなかった。
夢の中の祖父は背中で何を語っていたのだろうか。
それは今でもわからないが、祖父に顔向け出来ない生き方だけはしない。
と、心に誓ったのだ。
祖父から継承したもの、それは無償の愛だった。
最後に。これは、私が言える事ではないかもしれない。
けれど、ここまで読んでくれたあなたには、どうしても伝えたい。
まだ、間に合うのなら、どうか会いに行って欲しい。
最終命題
愛は、受け取っている最中には見えない。
けれど、人は遅れてその価値に気づき、その遅れを悔いながら、ようやく誰かの愛を継承する。
関連記事
『短編小説「花束を贈る日」』
『因果応報の5象限モデル 「自分に返ってくる」の正体と、終わらせる力について』
『文学作品「これが人間だ」』
『最適化されすぎた世界では、魂はどこに宿るのか』
『死は平等である だからこそ、語りが始まる』
『「当たり前」が更新されるたび、人は不幸になる』
いいなと思ったら応援しよう!
応援よろしくお願いします!いただいたチップは研究費用に回します。