自分で自分を癒せる、フォーカシング
前回は、わたしが得たフォーカシング体験について書いた。
自分のどこかが確実に癒された感覚を得たわたしは、フォーカシングのワークショップに参加した。
初心者向けとはいえ、3日間通うコースで、プロのカウンセラーも参加していた。
フォーカシングは「優しい」
ここで、フォーカシングのやり方や用語について簡単に説明する。
・はっきりと言葉にならない身体の感覚をフェルトセンスと呼ぶ。
・基本的に、フォーカサーとリスナーの2名で進行する。
・フォーカサーは話をするひとであり、身体の内側にあるフェルトセンスに注意を向ける(フォーカスする)。カウンセリングでいうとクライアント側にあたるが、フォーカシングには「クライアント」という概念はない。
・リスナーはフォーカサーの言葉に耳を傾け、フォーカサーがより深く自分を感じられるように援助する。
そして、フォーカシングにはルールがある。
・安全な場所をつくる
フォーカサーが安全に発言できるよう、リスナーはジャッジしない
フォーカサーは、以下のように振る舞う
正直に感じる
やりたくないことをやらないでよい
言いたくないことを言わなくてよい
リスナーに遠慮しないで言いたいことを言う
とどまりたいときはペースを気にせず、そこに留まる
リスナーはそのようなフォーカサーを受け入れ、傾聴する
この場で見聞きしたことは、口外しない
ルールを説明され、参加者は2人でひと組になり初めてのワークを行った。そのときのカウンセラーの方の感想は今でも忘れられない。
「フォーカシングは、優しい。」
彼女はそう言った。
わたしも、そのとき、同じことを思っていた。
カウンセリングでは、言いたくないことを言わなくてはいけなかった。
けれど、ここでは言いたくないことは言わなくていい。
触りたくない傷に、今触れなくていい。
それに触れられる、その傷が癒える瞬間は、必ずいつかやって来る。
そう、フォーカシングに携わるひとはみんな知っているのだ。
その力が誰にでも備わっていること。
フェルトセンス、それは今スピリチュアルでいうエネルギーを感じているわたしの「体感」と同じものだ。
ワークでは、自分の身体を上から下までスキャンするように、すべての部分、臓器や器官のひとつひとつに ” フォーカス ” していく。
わたしは、小さな自分が自分の身体の中を探検させて、身体の隅々に異変がないか教えてもらう。
腰が痛い、ひとことで済んでしまうようなその感覚を掘り下げる。
それはどんな痛みか。
何かが詰まっているのか、あるいは外から攻撃を受けているのか。
硬い板が入っているような気がする、というひともいれば、外から針でチクチク刺されているような感じというひともいる。
そう、感じ方はそれぞれだ。
深く深くその感覚に潜っていく。
その細いロープの先に、そのひとの問題は潜んでいる。
カウンセリングでは、傷を直接言語化し、表面に引きずり出そうとする。
言語化は社会的な自分をコントロールする頭(理性、知性)を通る。
その痛みが表面化すると危険だ、そう判断されると、痛みは実際より軽いものにすり替わるなどして誤魔化され、表に本当の痛みは出てくることができない。
そうなると、癒しはすり抜けていく。
フォーカシングは、傷をまず身体で感じる。
頭と違って、身体は嘘をつかない。
大抵の日本人は、「ちょっと気分が落ち込んだ」くらいで精神科やカウンセリングにはかからない。
「毎日眠れない」「ずっとストレスでお腹が痛い」「身体が動かない」「生理が止まった」等々、心理的なストレスが身体に影響を及ぼしている。
身体が悲鳴をあげている。
つまり、わたしの声を聞いてほしい、身体がそう言ったから今その傷に向き合おうとして今ここにいる。
だから、身体に聞くのは、合理的な方法だと今はすんなりと理解できる。
続きます。
