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自分を傷つけているのは、起きたことでも他人でもない

このときはまだわかっていなかった。
今になって確信し、やっと言語化できることがある。

スピリチュアルもフォーカシングも同じ

数年前からスピリチュアルを学ばざるを得なくなった。

先日、友人と話していたときのこと。
「結局のところ、ハードな痴漢に遭ったところで傷つかないというか被害者にならない、それがスピリチュアルの目的じゃないかと思う。」
そういったわたしに、友人が眉をひそめて、言った。
「それは極端じゃない?誰だって、傷つくよ。」
そうなんだけど、とわたしは続けた。
「誰かに傷つけられる、ということは自分の人生を不幸にする権利を誰かに渡すことなんだよ。だから、たしかに傷つくことはあると思うけど、それを自分で癒せれば、誰かに主導権を開け渡すことは絶対に起こらない。」
少しの無言ののち、「なるほど。そういう意味。」と友人は頷いた。
それにね、とわたしはさらに続けた。
「最初触られた瞬間の気持ち悪さ、はもちろん外からの刺激によるものだけど。その後、自分がいつまでも汚れが残っている感じがするとするじゃない?それは自分の中の自分からの攻撃だよ。痴漢に遭ったひとは汚い、という誰かからもらってしまった、自分の中の思い込みが攻撃しているだけ。だって、子どもはそんなこと言わないもん。」
でね、とさらに続ける。
「スピリチュアルって、この思い込みを外し続けて、生まれたときの純粋な自分に戻っていくこと。ヨガとか瞑想とか全部行き着くところは一緒。」
友人は言った。
「イメージ違った。完全に誤解してたわ。」

ここまでフォーカシングについて書いてきたけれど、この話は、わたしのこの20年で出した結論だと改めて思った。

前回書いたワークショップで見えたイメージでも共通していること。

どんなひどい体験でも、その相手や体験が自分に何かできたのはその時だけだ。今は、もうそれ以上何もできないのだから、今ここは安全なのだ。

けれど、その何かが今も自分を脅かしている。
だとしたら、その犯人は自分の中にいる。

過去の何かに苦しむとき、自分はまだ過去にいる。
そして、その出来事について考えている自分が、自分を苦しめる犯人だ。
あのとき逃げればよかったのに、なんて自分は弱かったんだろう。
もう、自分は汚れてしまったんだ、もう戻れない。

自分を外からジャッジして、結果生まれる罪悪感が、心の傷を広げる。
そして、「間違った」自分を誰にも見せたくないから、それを隠す。
全部、自分の中にある。

だから、自分で自分を癒せるのだ。
けれど頭が犯人なのだから、頭を使うカウンセリングでは自分を癒せない。
代わりに、嘘がつけない身体を感じて心の声を聞くフォーカシングがいいよ、というのがここまでの話。

そして、身体を使って心の声を聞く方法は、フォーカシングだけではなくて瞑想やヨガも一緒だ。

癒しについて

結局どうしたら癒されるの?
ということを書いてなかったのだけれど、正しく自分の心の声を聞けば、癒される。

もちろん、一気に癒すのは難しい。

最初は浅い安全なところにある軽めの傷から、浮かんでくる。
それについてきちんと聞いてあげると、信頼が得られる。
次は少し奥にある、ハードな傷が出てくる。
そうして、薄皮を剥ぐように少しずつ芯の部分へ徐々に近づいていくのだ。

そして、出すのだ。
入れた量と同じだけを出さなくてはいけない。
感情や涙を出して、過去のものを自分の中に閉じ込めておいてはいけない。
シンプルな今の自分だけに近づく。

続きます。


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