【助けてあげたい】という病。あなたが彼を無能にした。私がいなきゃダメという男は、私が作った【最高傑作】
「私がいないと、あの人はダメになっちゃうから」
そう言って微笑むあなたは、聖母のように慈愛に満ちているかもしれませんね。
でも、その毛布のような優しさは、相手をじわじわと窒息死させているんです。
そう気づいたのは、私が良かれと思って尽くし続けた相手から、「お前に救われるたびに、自分が惨めになるんだ」と絶望を叩きつけられたことでした。
その「救済」は誰のためのものか
私たちが誰かを「助けたい」と願うとき。
そこには純粋な善意しかないと信じ込んでいます。
でも、その「助け」を差し出している瞬間、あなたは少しだけ、相手より「高い場所」に立っている自分に酔ってしまう。
そんなことないですか?
「困っている彼」と「救える有能な私」。
あなたは、彼の「不幸」というエサを食べて、自分の自尊心を太らせているだけではないですか?
その歪な上下関係が、あなたの空っぽな自尊心を満たすための、最高に贅沢な報酬になっていたということです。
依存という名の「去勢」
人間が生きる喜びって、
「自分の力で世界に影響を与えること」にあります。
失敗し、泥をすすり、それでも自分の足で立ち上がる。その「手応え」こそが、その人の人生をその人のものにする。
あなたは、先回りして問題を解決し、失敗の芽を摘み、至れり尽くせりの介護をする。
それは、相手から「生きる手応え」を奪う行為に他なりません。
あなたは彼を救っているのではない。
彼から「男」を奪い、あなたなしでは呼吸すらできない「無力な肉塊」へと作り替えているのです。
これを「虐待」と呼ばずして、なんと呼ぶのでしょうか。
「かわいそうな人」を消費する快楽
なぜ、そんな残酷なことを無意識にやってしまうのでしょう。
それは、あなたが「自分を愛していないから」です。
自分を愛せない人間は、誰かに「必要とされること」でしか自分の存在意義を確認できません。
だから、相手が立派に自立して自分を必要としなくなるのが、死ぬほど怖いんですよ。
無意識のうちに、相手が弱いままでいることを望み、心のどこかで彼の失敗を「期待」している、依存の鎖を太くしていく。
「あなたがいないと生きていけない」という言葉は、愛の告白ではありませんよ。
あなたが相手の魂を飼い慣らし、完全に去勢したという、呪いの完了報告です。
孤独を引き受ける「冷酷な愛」
本当の愛って、相手が地獄の淵で震えているとき、あえて手を出さずに見守る「冷酷さ」のことなんです。
「それはあなたの人生だ。あなたが自分で越えなければならない壁だ」と突き放すこと。
相手が傷つく権利を、奪わないこと。
そのときに訪れる沈黙と孤独は、耐え難いほど苦しいでしょうね。
でも、その地獄を一人で歩かせる勇気のないあなたは、愛が深いのではないです。
ただ自分が「悪者」になりたくないだけの卑怯者ってわけです。
孤独を共有することなく、それぞれが自分の足で立つ。その「個」と「個」の間にしか、本物の対話は生まれないんです。
檻を壊し、彼を野に放て
あなたが今まで必死に積み上げてきた「献身」は、彼を救う盾ではなく、彼を閉じ込め、あなた自身をも縛り付ける檻でした。
「助けてあげたい」という病を、今ここで殺してください。
あなたが彼を「無能」として扱うのをやめたとき、初めて彼は、自分の人生を取り戻すことができます。
そしてあなたもまた、「誰かの役に立つ道具」であることを辞めて、ただの「私」として生きる覚悟が決まるんです。
もし彼が去っていったとしても、それは彼が「自分の足」を手に入れた証拠。
そして、それを笑って見送れるようになったときです、
あなたは初めて、自分自身を愛し始めたと言えるのかもしれませんね。
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