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【民主系・迷走の裏面史②】希望の党という集団ヒステリーと、立憲民主党が繰り返した維新・国民への死の宣告

「どうせ維新は放っておいても潰れる。だから、手堅く左の票を取ろう」

前回の記事で、民主党が比例2000万票を取り戻すために、第三極(みんなの党・維新の党)を解体・吸収し、民進党を結成した経緯を解説しました。

しかし、鳴り物入りで誕生した民進党は、結党直後から支持率の低迷という残酷な現実に直面します。政党の看板を掛け替えても、かつて逃げていった有権者は戻ってきませんでした。焦った民進党執行部は、ここで大きな戦略転換を図ります。それが、現代の野党史において最大の論争の的となる野党共闘(民共共闘)への舵切りでした。

本稿(第2回)では、この左傾化の背景と、それが引き起こした2017年の希望の党騒動という永田町最大の集団ヒステリー、そして立憲民主党への再合流という壮大な茶番劇の裏側を解き明かします。


民共共闘の罠:「放っておいても維新は潰れる」という慢心

2016年の参議院選挙。岡田克也代表率いる民進党は、日本共産党などと協力し、全国の1人区で候補者を一本化する野党共闘を本格的に始動させました。結果として、1人区で11勝21敗と、それなりの成果を挙げることに成功します。

なぜ、中道・保守層を抱える民進党(特に岡田氏のような穏健な政治家)が、共産党との共闘という劇薬を容認したのでしょうか。

実は、「共産党の票を借りる」という戦略自体は、2009年の政権交代時にも小沢一郎氏が水面下で行っていました(多数の選挙区で共産党に候補者を降ろさせた)。しかし、16年の民進党は、それを堂々と、前面に出してやってしまったのです。

この判断の裏には、当時の民進党執行部の慢心がありました。彼らはこう計算していたのです。「大阪都構想で敗北し、橋下徹を失った『おおさか維新の会(当時)』は、いずれ勝手に消滅する。だから、保守や中道の浮動票を無理に追う必要はない。手堅く共産党の組織票を足し算すれば、自民党に勝てる」と。

しかし、この目論見は大きく外れます。おおさか維新の会は、この参院選で比例約500万票を獲得し、しぶとく生き残りました。一方で、共産党と公然と手を組んだ民進党からは、アレルギーを抱いた保守・無党派層の浮動票が完全に離れていったのです。岡田氏の政局手腕が、かつての小沢氏のような裏で密かにまとめる狡猾さに欠けていたことも、この戦略ミスに拍車をかけました。

結果として、17年になっても民共共闘は続きましたが、民進党の支持率はじり貧の泥沼に陥っていきました。そんな閉塞感の中で、突如として巻き起こったのが小池旋風でした。

希望の党騒動:パニックと集団ヒステリーの正体

2017年夏。東京都知事の小池百合子氏が率いる地域政党、都民ファーストの会(都F)が、都議選で大躍進(127議席中、追加公認含め55議席獲得)を果たし、自民党を歴史的惨敗に追い込みました。一方の民進党は、公認候補41人のうち16人が離党して都Fに寝返り、残った候補もわずか5議席という壊滅的な結果に終わります。

この都議選ショックが、永田町に集団ヒステリーを引き起こします。

「民進党のままでは、次の衆院選で全滅する!」
この恐怖に駆られた民進党議員たちは、パニック状態に陥りました。長島昭久氏の離党を皮切りに、選挙の強いベテランから弱い若手まで、我先にと泥舟から飛び降り始めたのです。

今、冷静になって振り返れば、この17年秋の政局は明らかにおかしいことだらけでした。

小池新党の国政進出という非現実的な期待

つい先日、都議選で勝ったばかりの地域政党(都F)が、いきなり国政政党を作って全国に何百人も候補者を立てるなど、実務的にも資金的にも非現実的です。無所属で戦うにしても、地盤の強い細野豪志氏ら数人以外は、離党した方がかえって勝算が薄くなります。当時の下馬評では「民進党のままでも、小選挙区の当選は現状維持か少し増える」という見方もありました。選挙のことだけを純粋に考えるなら、保守系から票を貰っている議員以外は、連合の支援を受けられる民進党に留まった方がはるかに安全でした。

維新出身者の謎の裏切り

最も理解に苦しむのが、「民共共闘では戦えない」と言い残して離党した人々の行動です。特に、かつて維新の党から民進党に合流してきた議員たちです。彼らは、共産党の票を目当てに民進党という箱を選んでおきながら、都合が悪くなると手のひらを返して離党しました。維新の関係者に多大な不義理を働いてまで民進党に来た意味は何だったのか。民共共闘が嫌なら、最初から維新に残っていればよかったはずです。彼らの行動は、理念でも何でもない、ただの風見鶏でした。

小池百合子自身の誤算

実は、小池都知事自身も、このタイミングでの本格的な国政進出(新党結成)は考えていなかった可能性が高いのです。当時は「18年の自民党総裁選後に解散がある」という予測が主流であり、彼女の狙いも、若狭勝氏ら数人の側近や離党者を応援する程度だったと推測されます。しかし、民進党からの離党者が想像以上に続出し、メディアが「小池新党結成か!」と異常に煽り立てたことで、引き返せなくなってしまった選挙に弱い離党者たちが細野氏らに「早く小池新党を作ってくれ」と泣きついた結果、無理やり希望の党が立ち上げられたのです。

そして、この混乱の頂点に達したのが、前原誠司・民進党代表(当時)による事実上の解党宣言でした。

全会一致の謎と、小池百合子の致命的ミス

左傾化し、じり貧となっていた民進党。当時の前原代表は、ある恐ろしいシナリオを恐れていました。
「このままでは、せっかく維新から奪った保守・中道票(実際に奪えていたかは結構微妙だが)が、全て小池新党に持っていかれてしまう」

そこで前原氏が打った大博打が、民進党を丸ごと、希望の党に合流させるという戦略でした。これなら、希望の党が取るであろうリベラル右派(保守中道)票と、民進党が持っているリベラル左派票を丸抱えにできる。合わせれば、念願の2000万票政党になれる。そう踏んだのです。

2017年9月。前原氏は両院議員総会で「どんな手段を使っても、安倍政権を止めなければならない」と訴え、希望の党への合流(公認申請)を提案します。驚くべきことに、この提案は全会一致で採択されました。事実上の解党です。

今考えても理解に苦しむのは、辻元清美氏をはじめとする左派系の議員たちが、どういう心情でこの右派政党(希望の党)への合流に賛成したのか、ということです。「とりあえず全員で希望の党の看板を乗っ取ってから、中で自分たちの主張を通そう」と甘く考えていたのか、あるいは純粋な集団パニックで思考停止していたのか。いずれにせよ、理念なき野合の極みでした。

小池百合子の排除の論理と誤算

一方の小池百合子氏側から見ても、この合流劇は異常でした。希望の党のメンバーのほとんどは、つい数か月前まで民進党にいた人間です。実態は民進党が新装開店し、外部から小池オーナーを雇われ社長として招聘しただけの党だったのです。

前原氏はこれを機に共産党との共闘を清算するつもりでしたが、小沢一郎氏らは「希望の党の看板を掲げた上で、裏では共産党と共闘して選挙をやる」という腹積もりでした。小池氏としては、そんなトロイの木馬を丸呑みすれば、新党が第二民進党と化して事実上乗っ取られることは火を見るより明らかです。

そこで飛び出したのが、あの有名な「排除いたします」という発言です。安保法制や憲法改正に反対するリベラル左派を公認しないという踏み絵。彼女の政治的保身としては当然の判断でした。しかし、彼女のやり方が拙かった。もし本当に民進色を消し、小池新党の純度を保ちたいなら、民進党出身者はケジメとして細野氏や長島氏も含め全員小選挙区一本(比例重複なし)で戦わせ、比例名簿の上位は自身の側近(若狭氏や区議出身者など)で固めるべきでした。しかし、彼女にはそこまでの国政における人材プールも、組織的準備もなかったのです。結果、排除の言葉だけが独り歩きし、世論の猛反発を招くことになります。

立憲民主党の誕生と、繰り返される死の宣告

小池氏の排除の論理に弾かれた(あるいは反発した)枝野幸男氏らは、急遽立憲民主党を結党します。この立憲民主党は、本来民進党が持っていたリベラル左派の票(と共産党との共闘路線)をそのまま引き継ぎ、判官贔屓の追い風も受けて急速に支持を拡大しました。

結果として、17年の衆院選では立憲民主党が比例約1100万票を獲得し、野党第一党に。希望の党は比例約1000万票に沈みました。前原氏が夢見た合わせて2000万票の野望は、1000万票ずつの真っ二つに割れ、両者とも夢破れるという皮肉な結末を迎えたのです。

国民民主党の誕生と、立憲への逆回転

選挙後、求心力を失った希望の党は、当初の予定通り、残存していた民進党と合流して国民民主党を結成します。またそれとは別で松沢成文氏らが分党して別の希望の党を作ったり、これを機に無所属となる議員も多数出ました。しかし、この国民民主党は遠心力が止まらず、立憲民主党の勢いに惹かれて離党・移籍する議員が後を絶ちません。17年選挙で無所属で当選していた議員の多くも立憲に合流し、国民民主はさらにじり貧となっていきました。

立憲民主党は当初、「永田町の数合わせには与しない」と高尚なことを言っていましたが、19年の参院選で比例約800万票と伸び悩んだことを機に、態度を豹変させます。
「やはり、国民民主を吸収して数を増やさなければ」

国民民主党側(参院選で比例約350万票)も、党勢の低迷から合流を求める声が強まりました。玉木雄一郎代表は立憲への合流に強く反対し、交渉すら嫌がっていましたが、党内の多数派には抗えません。結果、非常にややこしい手続きを経て、国民民主党は合流不参加組(玉木新党)と合流参加組に分党。合流参加組と立憲民主党が一旦解党し、新たに立憲民主党(新)を結党するという奇策が取られました。実態は、国民民主の中にいた立憲に行きたい議員が全員立憲に移り、玉木氏のもとに純化された少数の国民民主が残ったという形です。

なぜ、立憲はこの合流を急いだのか?

立憲側にはいくつかの狙いがありました。

  1. 19年時点での過度な左傾化に対する危機感から、国民民主の保守・中道層を入れてマイルドにしたかった。

  2. 最大の支援組織である連合からの強い合流圧力に応えざるを得なかった。

  3. 党内に「希望の党騒動は全て間違いであり、偉大な『民進党』をもう一度取り戻すべきだ」、「前原氏に騙された議員たちは被害者だ」という同情論があった。(理念はともかく、手続き上は「民進→希望」が正式な党の決定であり、枝野氏らの「民進→立憲」の方が手続き上の裏切りであった、という理屈も成立します)

まとめ:再び2000万票の幻影を見る立憲民主党

しかし、中道派(旧国民民主組)を吸収したはずの立憲民主党(新)は、その後右にシフトすることなく、むしろ左傾化の道を突き進むことになります。

なぜか。ここでも彼らは、かつて民進党時代に犯した致命的な錯覚を繰り返したのです。

「どうせ、玉木が残った国民民主党も、維新の会も、放っておいても潰れる。だから、手堅く左の票を取ろう」

当時の状況を見れば、その判断も無理からぬことでした。維新の会は二度目の都構想の住民投票で否決され、松井・吉村体制に行き詰まりが見えていました。玉木氏の国民民主党も、支持率は1%台を低空飛行していました。

「これで野党のライバルは完全に消えた。次の衆院選こそ、共産党と組んで手堅く戦えば、立憲民主党は念願の『比例2000万票政党』に返り咲くことができる!」

彼らは、そう信じて疑いませんでした。しかし、有権者の足音は、彼らが全く予想もしなかった方向へと向かい始めていたのです。

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