【民主系・迷走の裏面史④】なぜ彼らは学ばないのか。非自民という呪縛と、平成政治を壊した羽田孜の亡霊
繰り返されたM&Aの果てに
2012年の政権転落から始まった、旧民主党系政党の果てしなき迷走。
これまでの連載では、彼らが失った岩盤の1000万票を取り戻すために、いかにして第三極(みんなの党・維新の党)を喰い殺し、希望の党騒動で自壊し、そして2026年の中道改革連合という最後の大博打で完全に息絶えたのかを追ってきました。
党名を変え、代表の首をすげ替え、他党との合流と分裂を14年間も繰り返してきた彼ら。
しかし、結果として残ったのは、小選挙区での惨敗と、最盛期の3分の1にまで縮んだ比例票という無残な焼け野原でした。
ここで、すべての有権者が抱く一つの強烈な疑問があります。
「なぜ、彼らはこれほどの失敗を重ねても、全く学ばないのか?」
合流して規模を大きくしても、1+1が2にならないことは、民進党の時にも、国民民主党との合流の時にも、痛いほど思い知らされたはずです。それにもかかわらず、なぜ彼らは2026年に至るまで、他党とのM&Aという悪手に頼り続けたのでしょうか。
本連載の最終回となる第4回では、旧民主党の政治家たちを呪縛し続けた3つの虚構を徹底的に解体します。
そして、彼らが囚われていた「自民か非自民か」という二元論の病巣を辿っていくと、一人の歴史的政治家の亡霊へと行き着きます。
日本政治を混迷に陥れた真の元凶とは何だったのか。その総決算を行います。
彼らを狂わせた3つの虚構の正体
民主系の議員や熱心な支持者たちの言葉を聞いていると、ある共通の思い込みがあることに気がつきます。それは以下の3つの虚構です。
「野党第一党票」の虚構
「自民か、非自民か」の虚構
「二大政党制」の虚構
彼らは決まってこう主張します。
「有権者の中には、政治信条や政策の細かい違いはどうでもよくて、『とにかく自民党に対する一番大きな対抗馬(野党第一党)だから』という理由だけで票を入れる層が確実に存在する」と。
だからこそ、維新や国民民主といった自分たちのライバルとなりうる野党を吸収合併して潰してしまえば、行き場を失った反自民の票は、自然と野党第一党である自分たちのところに流れ込んでくるはずだ。そう本気で信じていたのです。
比例票が暴く野党第一党票の嘘
確かに、2010年代の選挙結果だけを切り取って見れば、小選挙区においてそのような動きがあったように錯覚することは可能です。
一般的に小選挙区制という1人しか受からないシステムの下では、有権者は死票を防ぐために戦略的投票を行うと言われています。
しかし、10年代の衆院選の動きを冷静に分析すれば、小選挙区で立憲民主党に入った票の多くは野党第一党だから積極的に選んだわけではありません。
自分の支持する政党(維新や国民民主など)がそこに候補者を出していなかったから、仕方がなく、消去法で一番マシな野党第一党(立民)の候補に入れただけというのが実態です。
その証拠に、維新や国民民主、参政党が大量に小選挙区へ候補者を擁立した途端、それらの政党を支持する有権者たちは死票になると分かっていたとしても、巷で言われているような戦略的投票をせず、それらの党の候補者に投票をしました。
さらに、有権者が真の支持政党を書く比例代表の票を見ると、この傾向はより残酷なまでに明確です。「野党第一党だから」という理由で立民の比例票が伸びたことなど、この9年間で一度もありません。
有権者は無定見ではない
民主系の最大の過ちは、有権者を馬鹿にしていたことに尽きます。
彼らは、「与党か野党か」、「自民か非自民か」という二者択一の構図さえ作ってしまえば、有権者は細かい政策(安保、エネルギー、憲法など)を無視して、雪崩を打って自分たちに投票する無定見な存在だと思い込んでいたのです。
しかし、過去の歴史を振り返れば、その前提が破綻していることは火を見るより明らかです。
1990年代の政界再編期。細川連立政権の崩壊後、反自民勢力が結集して巨大な新進党が結成されました。では、かつて自民党の最大の対抗馬であった日本社会党の支持者たちは、こぞって新進党に乗り換えたでしょうか?
答えは「ノー」です。
社会党を支持していた護憲・左派層の多くは、小沢一郎氏らが主導する保守色の強い新進党には絶対になびきませんでした。彼らは自民党と連立を組んだ社会党に残るか、あるいは社会党の離党者が新党さきがけの離党者と共に作った民主党などへと票を移し、新進党が反自民の受け皿として彼らの票を総取りすることは決してありませんでした。
イデオロギーや政策の不一致を無視した数合わせの野合には、有権者は絶対についてこない。この90年代の教訓を彼らは完全に忘却し、「M&Aさえすれば票はついてくる」という驕った姿勢で政治に臨み続けた。だからこそ、2026年の中道改革連合という最悪の惨状を招いたのです。
おわりに:平成政治を壊した羽田孜の亡霊
では、なぜ彼らはこれほどまでに「自民か非自民か」、「二大政党制」という虚構に縛られ、自縄自縛に陥ってしまったのでしょうか。
これについては様々な政治学者が論じていますが、私の見解は明確です。
一番の戦犯は、1990年代の政治改革を主導し、「非自民」とかいう野合極まりない概念を作り出した、羽田孜(はたつとむ)元首相です。
理念なき二大政党制の罪
羽田孜氏や小沢一郎氏が推進した1990年代の政治改革(小選挙区制の導入)の目的は、政権交代可能な二大政党制の実現でした。
それ自体は一つの理想だったかもしれません。しかし、彼らが犯した致命的な罪は、イギリスの労働党やアメリカの民主党のような、確固たる理念(社民・リベラル)を持った自民党の対極となる政党を地道に育てる努力を放棄したことです。
その代わりに彼らがやったことは、自民党を飛び出した保守崩れの政治家と、旧社会党の右派、さらには民社党などを無理やり接着剤でくっつけた、非自民(アンチ自民)というただ一点のみで結びつく鵺(ぬえ)のような巨大政党を作ることでした。
これが、すべてのボタンの掛け違いの始まりです。
イギリスの労働党にしろ、アメリカの民主党にしろ、彼らは自党に確固たる理念の軸を持っています。保守崩れが主導権を握るような中途半端なリベラル政党など、世界の二大政党制においてはお呼びではありません。
非〇〇や反〇〇というネガティブな理由だけで作られる二大政党制には、国家を牽引する何の価値もないのです。
有権者が突きつけたNOの歴史
2010年代から2020年代にかけての日本政治の歴史とは、まさにこの羽田孜が作った虚構に対する、有権者からの壮大なNOの連続でした。
日本維新の会が台頭し、国民民主党が熱狂的な支持を集め、チームみらいや参政党が躍進したこと。
それはすなわち、有権者が「自民党は嫌いだが、だからといって理念なき『非自民の野合』に入れるつもりは毛頭ない。我々は、自分たちの政策に合致する政党を選ぶ」という、極めて成熟した民主主義的な行動の証明だったのです。
この期に及んで、「小異を捨てて大同につき、自民か非自民かの二者択一を国民に迫るべきだ」と唱える政治家や評論家たちは、いまだに90年代の羽田孜の亡霊に取り憑かれているとしか思えません。
人工的な二大政党制の終焉
二大政党制というものは、社会の階層やイデオロギーの対立軸が成熟する中で、自然にできあがるものです。選挙制度をいじり、政党助成金で縛り付け、無理やり人工的に作り出すものではありません。
今までの政界には、「中身は空っぽでもいい、理念が違ってもいい、とにかく二大政党制であれば何でもいい」という亡霊に取り憑かれた人間が多すぎました。
その亡霊の最後の憑代(よりしろ)であった旧民主党系政党は、2026年、ついに完全に崩壊しました。
しかし、これは決して絶望ではありません。
古き悪しき非自民の呪縛が解けた今、日本の野党は初めて、ゼロベースで「自分たちは何者なのか」、「国家をどうしたいのか」というポジティブな理念を競い合う、真の多党化・政策競争の時代へと足を踏み入れたのです。
14年にわたる迷走の裏面史。それは、平成という時代が産み落とした人工的な二大政党制の失敗の記録でした。
焼け野原となった永田町から、どのような新しい芽が育つのか。私たちは今、真のポスト・リベラル時代の夜明けを目撃しようとしています。
