門番レイン 第十六話 村長 噴水前ボルテックス

※レインが就任する前の話です。
※「挨拶の文字」だけでクライマックス相当の分量になったので、今回は少し長めです。ご了承ください。
試し読みの方の合流ポイントです。→🌀第十三話「村長は、無視した」

第十六話「村長 噴水前ボルテックス」

「おはようございます」

「おはようございます、村長」

その日、村では挨拶が不自然なほどの確率で重なった。


――


ねば、ねば。

納豆をかき混ぜる音が、居間の静けさをほどく。

村長は低い卓の上で箸の先を見つめた。糸が、細く、長く伸びる。

ひと口、飲み込む。

村長は納豆の喉の通りの感触を確かめながら、うなずく。

目だけ上げると、居間の壁に掛け軸がある。歴代村長の言葉。

一、誠実に対応。

二、村の為につくす。

三、見返りを求めるな。

四、不思議に寛容になれ。

村長は納豆を口に入れて、その文字を見ながら、もう一度うなずく。


村長は湯のみを置き、静かに立つ。

素早く衣の紐を結び、上着を整え終えるころ、玄関のほうで、呼び鈴が小さく鳴った。


「おはようございます、村長」

「うむ。はいってこい」


戸が開く。冷えた空気が、すっと入る。


付き人が帳面を抱えて立っていた。

「本日の回覧です」

「うむ」

村長は戸口へ向かった。

さあ、出勤しよう。


「おはようございます、村長」

「おはようございます、村長」

村長はひとりずつに向けて言った。

「うむ。おはようございます」

「うむ。おはようございます」

きっちり、誠実に。

朝の空気を感じようとしてすぐ、戸口の向こうに二人。

釣り竿が二本、肩で揺れていた。

付き人が小声で言う。

「今日は早いですね」

「うむ」

しばらく歩くと分かれ道だ。

湖のほとりコース。畑コース。

付き人が言う。

「どちらにしますか」

村長は一拍だけ考えた。

「……畑にしよう」

畑道に入ると、道の端に農具が並んでいた。

いる。たくさん人がいる。

村長は、ほんの一瞬だけ足を止めた。

付き人が小さく息を吸う。

「……村長、今日は……」

村長は短く言った。



「うむ。波の日だ」

その直後だった。

遠くの盛り土と溝のあいだから、声が湧く。

まるで投石のように。あちこちから。


「おはようございますー!」

村長が息を吸うより早く、反対側からも、さらに重なる。


「おはようございます、村長ー!」

さらに横からも飛んでくる。

「おはようございますー!」

いろんな面からくる声に、反応は遅れそうだった。


届く順番が、きれいじゃない。


それでも村長は、しっかり返す。

「うむ。おはようございます」

「うむ。おはようございます」

数歩、また数歩――村長は息を乱さず、同じ調子で返事を重ねていった。

付き人が帳面を見た。

「村長、すでに二十を越えました。いつもの波の日の三倍以上のペースです」

村長は息をひとつ置く。

「うむ。多いな」

村長は歩みを止めない。

返事を置きながら、畑道を抜けていく。

「うむ。おはようございます」

「うむ。おはようございます」

道が少しずつ広くなる。

土が石に変わり、足音が軽くなる。

右手の向こうで、湖の空気が匂った。

水の気配が、冷たく、近い。

付き人が村長の横で、目だけを動かした。

「……あっちの声も、乗ってきました」

「うむ」

前からも来る。

後ろからも追いつく。

横からも差し込む。

「おはようございますー!」

「おはようございます、村長ー!」


村長はひとりずつに向けて置く。

「うむ。おはようございます」

「うむ。おはようございます」


付き人が小さく言う。


「ここ、道が集まるところです」


言い終わる前に、水音が強くなった。

しゃあ、しゃあ。

噴水前へ、流れが吸われていく。



噴水前は、いつもの広場だ。

石畳も同じ。水音も同じ。

特別な市(いち)の日でもない。

なのに今日は――声だけがよく回る。

村長が返事を置く。

「うむ。おはようございます」

置いたはずの返事が、返ってくる。

右から。

左から。

正面から。

湖のほうの声が、ひとつ遅れて重なる。

畑のほうの声が、ひとつ早く追い越す。

「おはようございますー!」

「おはようございます、村長ー!」


村長は息を乱さない。

ひとりずつに向けて、きっちり置く。

「うむ。おはようございます」

「うむ。おはようございます」


それを合図にしたみたいに、人が一歩寄る。

もう一歩。

次の人も、もう一歩。

気づけば噴水の縁に沿って、並びが生まれていた。

列は、誰の指示もないのに形になっていく。

付き人が帳面を胸に寄せ、小声で言う。

「……渦のようです」

村長は目だけ動かした。

「うむ。噴水前ボルテックス(渦)だ」

第十七話「村長 おはようの果て」
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総目次

※噴水前ボルテックス――挨拶が渦になって、人が勝手に列になる現象。


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