門番レイン 第十七話 村長 おはようの果て
※「挨拶の文字」だけでクライマックス相当の分量になったので、今回は少し長めです。ご了承ください。
※試し読み(合流ポイント)はこちら →🌀第十三話「村長は、無視した」
※前話がまだの方はこちら →🌀 「噴水前ボルテックス」(📗読むと理解が進みます)
第十七話「村長 おはようの果て」

噴水前。
村長は、まだ役場に着いていない。
列はもう巻いている。渦のように……。
付き人は半歩うしろで帳面を抱えた。
噴水の水音の上で、挨拶が輪になって戻ってくる。
「おはようございます、村長ー!」
先頭から順に。
次、次と。
付き人が帳面の端で数を追っていた。
指が、止まりかける。
「……百、越えました。そろそろ役場に……」
村長は掛け軸の一行を思い浮かべた。
一、誠実に対応。
「うむ。乗り切るぞ」
「もう数えるな」
「……はい」
付き人は小さく鼻から息を抜き、目を閉じて、帳面を閉じた。
噴水の縁に沿って、列はほどけない。
むしろ、形が固まり、整っていく。
「おはようございます、村長ー!」
先頭。
次。
また次。
村長は、きっちり返事を置く。
「うむ。おはようございます」
水音は変わらない。
太陽だけが、少しずつ動く。
「おはようございます、村長ー!」
先頭。
次。
また次。
村長は返す。
「うむ。おはようございます」
――その中に、違う音が混ざった。
「こんにちは、村長ー!」
付き人が反射で村長を見る。
「村長、もうすぐ昼です」
「うむ」
付き人が小さく言う。
「……返事は」
村長は一拍も迷わない。
「うむ。おはようで通す」
村長は返事を置く。
置く。
置く。
目は列の次へ、口だけが追いつく。
付き人が半歩寄る。
「村長、昼飯は?」
村長は間をあけない。
「温いお茶をくれ」
「……はい」
列の端が、いったんほどけたように見える。
見えただけだった。
村長の視線が、何かを拾う。
挨拶を終えたはずの村人が、凪いで――戻ってくる。
帽子を直し、列に入り直す。
「こんにちは、村長」
村長は少し気になった。
「うむ。君は一度見かけたが」
村人はまじめに言う。
「はい。なんか挨拶がうまくいかなかったので、もう一度ならびました」
「うむ。届いている。安心して帰りたまえ」
次が来る。
背負い袋の鈴が小さく鳴る。
「こんにちは、村長」
村長は目を細めた。
「うむ。君は見かけない顔だが」
「はい。私は行商人でして。何事かと気になりまして」
村長は返事を置きながら言う。
「うむ。おはようございます。――ただの挨拶だ」
「そうでしたか。何かのイベントかと」
「うむ。挨拶だ」
付き人が、目だけで列の終わりを探す。
見つからない。
「……戻りが出ています。見かけない人もいます」
村長は返事を置きながら言う。
「うむ。増えてるな」
増える。
目を離した隙から、また増える。
村長は返事を置く。
置く。置く。
置く。
喉が熱い。
頬の端が、きゅっとつった。
村長は気づかないふりをして、温みがほどけたお茶を飲む。
水音は変わらない。
噴水の影だけが、少し長くなる。
「こんにちは、村長ー!」
連なる。
村長は無心で返す。
「うむ。おはようございます」
次の声。
村長の口が先に動いた。
「お……」
音が、空振りした。
そこに言葉が入らない。
付き人が一歩だけ寄る。
「村長、言えてません」
村長は息を入れ直す。
「……うむ。おは……ようございます」
返事は置けた。
けれど、置いた場所が、少しずれた。
置く。
置く……。
――置き直す。
夕方の風が、噴水の水しぶきを冷たく運ぶ。
影はさらに伸びて、石畳の目地がくっきりした。
列は薄れ、間があく。
付き人が小さく言う。
「村長、終わりが見えます」
「うむ」
村長は、安堵した。
「こんにちはー!」(昼)
「こんばんはー!」(夜)
混ざった。
声の色が、変わった。
村長は返そうとする。
――置く。誠実に。
口が動く。
「……おは……ようございます」
音にならない。
リズムは崩れたが、保とうとする。
列の端。
遊んだかえりの子どもたちが、笑いながら言った。
「こんばんは、村長ー!」
「こんばんは、村長」
村長は反射で――返そうとした。
「……おは……よう……ござ……います」
子どもが首をかしげる。
「アハハ。村長、もうすぐ夜だよ?」
「ねー。うふふふ」
その言い方が、やさしくて、残酷だった。
ばちん。
村長の中で、弦が切れた。
噴水の水音が、急に大きく聞こえる。
だが――世界は遠くなった。
「こんばんはー! 村長ー!」
まだ降っている。
挨拶だけ。
付き人が村長の袖に触れた。
「……村長」
返事がない。
村長の目は、夕焼け空の一点を見ている。
付き人は帳面を落とし、声を張った。
「村長!」
水しぶきが、その声にだけ反応したみたいに揺れた。
オレンジ色が、噴水の縁にそっと溜まっている。
村人たちは、ほろほろとすり抜けていった。
大波の果ては、
しゃあしゃあと流れていった。
第十八話「村長 筆談とタマゴサンド」
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