自分あらば「好き」語り・その42——東京湾岸エリア
きょう、m-floのライブ『SUPERLIMINAL』が、東京ガーデンシアターで開催されます。場所は東京有明。いわゆる東京湾岸エリアです。
ライブの日は、少しだけ時間の流れ方が違います。有給休暇を取って正解でした。朝からどこか落ち着かず、会場に向かうまでのあいだ、心の中でカウントダウンが進んでいきます。
そしてふと、これまで私が好きになってきたエンタテインメントを思い返してみると、不思議なことに、その多くが東京湾岸エリアにゆかりを持っていることに気づきました。
そこできょうは、その、私が好きになってきたエンタテインメントの「舞台」としての東京湾岸エリアについて語ってみたいと思います。
いまも、近未来の匂い──『機動警察パトレイバー』
まず思い浮かぶのは、『機動警察パトレイバー』です。
東京湾岸エリアに新設された、レイバーと呼ばれる人型作業機械。そして、それを悪用した犯罪を取り締まる架空の警察組織・特車二課。埋立地に設けられた格納庫、湾岸道路、高層ビルと工事現場。あの作品が描いた近未来の東京は、まさに「これから形づくられていく都市」でした。
私は原作を何度も読み返しました。近未来SFでありながら、描かれているのは人間の営みです。レイバーという巨大な機械が登場しても、物語の重心はあくまで人と人との関係にあります。群像劇であり、仕事の物語であり、組織の物語でもあります。
舞台が東京湾岸エリアであることは、単なる背景設定以上の意味を持っていたように思います。あの場所は、すでに出来上がった街ではなく、「開発途上」であることが前提の土地です。未完成であるがゆえに、未来を描く余白がある。『機動警察パトレイバー』がそこを舞台に選んだのは、必然だったのではないでしょうか。

ちなみに、『機動警察パトレイバー』の新シリーズEZYの舞台は武蔵野市。きょうのお題「東京湾岸エリア」からは外れますが、これはこれで、地元民として、関心が高まるお話です。
群像劇の系譜──『踊る大捜査線』
もうひとつ、東京湾岸エリアを象徴する作品として外せないのが、『踊る大捜査線』です。
お台場の湾岸署を舞台に、現場と本庁の軋轢、組織の論理と個人の正義が交錯するあの物語。コミカルでありながら、組織論としても見応えのある群像劇でした。私はあの空気感がとても好きです。
そしてテーマ曲『RHYTHM AND POLICE』。この楽曲は、りんかい線の東京テレポート駅の発車メロディにも使われています。ホームであの旋律を耳にするたびに、物語と現実がゆるやかに接続される感覚があります。
『踊る大捜査線』が『パトレイバー』へのオマージュを含んでいることは有名ですが、どちらもまた、湾岸という「少し現実からずれた空間」を舞台に、組織と人間を描いている点が共通しています。
完成されすぎていない街。余白のある空間。だからこそ、物語が入り込む余地があるのだと思います。
音の記憶が積み重なる場所
そしてやはり、以前このシリーズでも取り上げたm-floです。
彼らのライブやイベントの多くもまた、東京湾岸エリアと結びついています。
2013年、『NEVEN』の東京公演はZepp DiverCity Tokyo。2010年代半ばには、新木場STUDIO COASTで開催された『BONENKAI』と称するオールナイトDJイベントに何度も足を運びました。

LISAの電撃復帰後、つまりTripod Era 2の幕開けとなった2019年の『KYO』は、ゆりかもめ青海駅そばのZepp Tokyoでのライブでした。LISAが電撃復帰したあの瞬間の会場の熱量は、いま思い出しても胸が高鳴ります。広いはずの空間が、熱気で満たされ、音が天井にぶつかって跳ね返ってくるような感覚でした。Zepp Tokyoなきあともなお、鮮明な記憶として残っています。
『BONENKAI』では、アニソンDJ「お父ちゃん。」のプレイに出会いました。そこから、私の興味は思いがけない方向へ広がっていきます。音楽イベントという開かれた場で、ジャンルが横断され、新しい出会いが生まれる。そのダイナミズムもまた、湾岸エリアという土地の広さと無関係ではない気がします。
お台場のもうひとつの群像劇——『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』
その流れ——EDMを通してアニソンに出会うという流れのなかでたどりついたのが、『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』です。私を知っている人から見るとちょっと意外かもしれません……いやそうでもない?!
https://www.lovelive-anime.jp/nijigasaki/
お台場を舞台にした、学校の部活動としてアイドルをする(架空の概念)「スクールアイドル」の物語。ここでもまた、群像劇が展開されます。ひとりひとりが異なる志向を持ち、ソロ活動を尊重しながらも、ゆるやかにつながっていく関係性。私はこの「個が立ちながら、全体も成り立つ」という構図にもまた、惹かれました。

なかでも私が最も好きなキャラクターは朝香果林。EDM好きの私には必然の選択です。
そして、彼女が作中で立った『DiverFes』のモチーフが、湾岸エリアで開催される音楽フェス『ULTRA JAPAN』であることを知ったとき、現実とフィクションが再び重なりました。
残念ながら、ULTRA JAPANにはまだ足を運べていません。しかし、ゆりかもめに揺られながら会場付近を通るたびに、「いつか」という気持ちが芽生えます。
ゲームもまた、湾岸を選んだ
位置情報ゲームIngressの大規模イベント「XMアノマリー」のひとつ、『Aegis Nova TOKYO』が東京で開催されたときも、舞台の中心のひとつが、東京湾岸エリアでした。
広い歩道、見通しのよい空間、象徴的な建造物。プレイヤーが集結し、都市をフィールドとして戦略を展開するには、あのエリアはとても相性がよいように思います。

私は、Ingressを通じて都市を「レイヤーの重なった空間」として見るようになりました。現実の街並みの上に、もうひとつの物語が重なる感覚。その感覚を最も強く味わえた場所のひとつが、東京湾岸エリアでした。
なぜ、舞台として惹かれるのか
東京湾岸エリアは、埋立地として開発された比較的新しい土地です。昭和後期から平成初期にかけての都市計画思想が色濃く反映され、住居、商業施設、オフィス、そして憩いの空間がバランスよく配置されています。
そして何より、広いのです。
建物と建物のあいだが広く、空が大きい。歩くと意外と距離があり、視界が抜けています。この「物理的な余白」が、精神的な自由さにつながっているのではないかと私は思います。
いろいろなものが一望できるのに、すぐには辿り着けない。その距離感が、物語や音楽やゲームにとって、ちょうどよいスケールを提供しているのではないでしょうか。
完成されきっていないからこそ、なにかを重ねられる。未来を想像できる。異なるジャンルが共存できる。東京湾岸エリアは、そうした「余白の器」として存在しているように思います。
いま、この場所で書いている
そして私はいま、湾岸エリアのカフェ『Cafe HOP&STEPS』で、この文章を書いています。窓の外には、ゆるやかに行き交う人の流れ。遠くに見える高層マンション。空は高く、風はどこか潮の匂いを含んでいます。ここでキーボードを叩いていると、自分が好きになってきた物語や音楽やゲームが、一本の線でつながっていく感覚があります。
パトレイバーも、踊る大捜査線も、m-floも、虹ヶ咲も、Ingressも。それぞれは別のジャンルでありながら、「舞台」としての東京湾岸エリアを共有しています。私は、作品そのものが好きなのと同じくらい、その作品が広がる「場所」が好きなのかもしれません。

これからも、舞台は続く
まもなく、東京ガーデンシアターへ向かいます。きょうもまた、この湾岸の空の下で、新しい音の記憶が刻まれるでしょう。
東京湾岸エリアは、これからも変わり続けます。建物が増え、施設が生まれ変わり、人の流れも変化するでしょう。それでもきっと、この土地が持つ「余白」と「自由さ」は、かたちを変えながら残っていくのだと思います。
舞台は、固定されたものではありません。人が集まり、物語が生まれ、音が鳴ったときに、そこが舞台になります。
私にとって東京湾岸エリアは、まさにそのような場所です。
行ってきます。
