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部室棟の天井裏には死体がある⑤手切れ|オーディオミステリー|#創作大賞2025

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第五話 手切れ
  
  1
 
 母の疑念を晴らすために里崎に話を聞いていたはずが、まさか疑念を増強させるとは。やはり当時の生徒会には勇太さんをストーカーしていた女生徒がいた。これは綾雪母の話と里崎の話が一致している。また里崎が俺の顔を見て、明らかに何かに気づいた。そして態度が一変した。里崎は俺の母が勇太さん失踪の犯人ということを勘付いており、息子である俺がこの事件の真相に近づくのを遠ざけようとしたのか。里崎が俺に向けた態度は善意なのか敵意なのかはわからない。ただ少なくとも本気だった。この事件にお前はかかわるな、と強い意志が感じられた。
 しかし、俺はすでにかなり真相に近づいてしまった。俺の母は勇太さんのストーカーをしており、勇太さんの失踪事件にも関与した。この疑念を拭い去ることはもはやできない。あと少し調べてしまうと、疑念が確信にかわる気がする。世の中には知らなくてもよいこともある。手を引くのであれば今しかない。
 重い足取りのまま俺は帰宅した。
「ただいま」
「おかえり、貴広! 今日はバイトじゃなかったのか?」
 父はいつものようにリビングでくつろいでいた。呑気なものだ。まったく誰のせいで今の俺はこんなに悩んでいるのか。紛れもなく父だ。親父が部室棟に勇太さんの死体があるなんて言い出さなければ……
 俺は父の顔を見ると怒りが抑えられない気がしたので、顔をそむけ、「ああ」と無愛想に返事して、2階の自室にかけこんだ。その勢いのまま、着替えもせず、ベッドに倒れ込んだ。
 数秒後、無性にイライラが込み上げてきた。父の顔を見たからだろうか。自室で誰の目も気にしなくてよくなったことにより、感情も抑える必要がなくなった。俺は握り拳をつくり、マットレスを強く叩いた。力の限り何度も。
 30回ぐらい拳を叩きつけたところでくしゃくしゃになったシーツに最後は力無く拳をおき、握っていた手をほどいた。
 なぁ母さん嘘っていってくれよ。まさか俺の母さんが学校一の人気者にストーカーするなんて恥ずかしい真似しないよな。この無性の怒りの9割は羞恥心だ。実の母が人様に迷惑をかけるような真似をしていたと、何かの拍子に俺の周りの人間にバレてみろ。俺も同じように見られるかもしれない。俺が何かを犯したわけでもないのに周りに強烈な負の印象を与える気がして、やるせない気がした。俺の友人や綾雪にそんな目で見られたらどうしよう。恐らく、これが怒りの正体だった。
 結局俺は、実の母のことを心配しているフリをしながら自分自身のことを心配していた。そんな自分のエゴにまた嫌気がさした。
 コンコンと優しく二回部屋の扉をノックする音がした。
「貴広いるか?」
扉の向こうで父の声が聞こえる。
「なんだよ?」
「もしかして体調でもわるいのか?」
 まったくお節介な父だ。こっちはそっとしていてほしいというのに。
「いや、そんなことない」
「ほんとか?」
「ああ、ただ疲れただけだ」
「あんまり無理するなよ」
「心配しなくていいから親父は向こうに行っててくれ」
「そっか……何か俺に相談したいことがあればいつでも言ってくれよ」
「だから大丈夫って言ってんだ。早く向こう行ってくれよ」
「わるい」
 そういって父はまた1階へと戻っていった。少し強く言いすぎただろうか。いや、いいんだ。この災禍をもたらしたのは父だ。父がそもそも変なことを言い出さなければよかったんだ。何もかもを父のせいにしてしまいたかった。
 しかし、自分自身もわるいことを知っていた。父はこの一連の件の発端をつくったのは間違いないが、進んで真相に近づいたのは俺だ。大人たちはみな俺が真相に近づくのを止めようとした。しかし俺はそれを振り切って自ら首を突っ込んだ。わるいのは俺だ……だから余計やるせなかった。
 
 翌日、俺は学校を休んだ。制服を着て父にはいつも通り学校に行くふりを見せて、ゲーセンで時間を潰した。学校には行きたくなかった。学校に行くと勇太さん失踪事件の真相に近づく気がしたからだ。学校には綾雪や里崎がいる。何かの拍子に母が勇太さんのストーカーをしていた決定的な証拠を掴んでしまう気がした。あさはかな考えかもしれないが、学校に行くことはリスクに感じていた。
 綾雪もじきに真相に近づくだろう。数日前、一日彼女と過ごしただけで彼女の洞察力の高さに驚かされた。彼女が真実を知るのは時間の問題だ。勇太さんの失踪が事件で、犯人が俺の母だったとしたら、綾雪は俺のことも軽蔑するだろうか。その侮蔑はきっとあの時エロ雑誌を見られたものとは比較にならないものだろう。今の俺にはものごとを悪いほうにしか考えられなかった。
 俺は夕方バイトに行った。学校には行きたくないがバイトに行くこと自体に抵抗はなかった。むしろ何かしていないと暗鬱な想像が頭を支配しそうだったから、よい選択だった。いつも以上に熱心にバイトに打ち込んだ。何も考えたくなかったから、いつも以上に手を動かした。
 
 バイトを終え、帰宅すると父がまた声をかけてきた。俺と話をしたそうな顔をしていたが、俺は昨日と同じようにすげなく返事をした後にすぐに自室に駆け込んだ。もしかしたら、俺が今日学校を無断で休んだことで、学校から父に連絡が行き、心配していたのかもしれない。しかしそんなことはどうでもいい。父がどんなに心配をしようが今の俺は学校に行く気はない。それに、この原因の発端は父なのだから、文句は言われたくない。
  
 俺は翌日も学校を休んだ。午前は河川敷をぼけっと散歩した後に午後は近くのコーヒーショップで時間を潰した。夕方には昨日同様にコンビニでバイトをした。
 そんな不登校の毎日が1週間ほど続いた。そろそろ勉強にも追いつけなくなるころだろうか。トークアプリには、友人からのメッセージが何件も溜まっていたが、すべてに無視をした。最近はメッセージも届かなくなった。もうこのまま学校は退学してもいいのではと思っていた。学校を辞めて、フリーターとして生活をするのもわるくない。ひもじい生活を強いられるのは間違いないが、父は、高校卒業後、俺を養いながら生活してきたんだ。息子の俺が自分一人の面倒を見れなくてどうする。
 俺は自立して、家を離れることが母親との縁を断ち切る唯一の方法と考えていた。今は早く家を離れることしか頭の中にはなかった。もしかしたら自立をしたところで、実母に対する疑念や羞恥心は完全に拭い去ることはできないかもしれない。しかし、母との関係を少しでも希釈したい俺にとって、今はそれが最も手っ取り早く、クリティカルな解決策に思えた。他にもよい選択はあるかもしれない。だが一連の件で精神を消耗した俺には、そんなわかりやすい解決策しか思いつかなかった。今はそれを盲信して自立を実現することしか頭になかった。
 
 翌週も、例のごとく学校を休み、バイトに打ち込んだ後に帰宅する生活をしていた。
「おかえり貴広」
 今日は帰宅するなり、父のほうから声をかけてきた。俺は適当に返事して、いつも通り自室に籠ろうとした。
「待ってくれ、貴広。ちょっと話がある」
 思い詰めた表情で父は俺が自室に籠るのを制止した。
「なんだよ」
 説教でもするつもりか。こんだけ学校を無断で休んでるんだ。親父には担任から何度も連絡がいっているだろう。親父は今まで叱ることなんてめったになかったが、さすがに今はキレているかもしれない。
「学校に行きたくないのか?」
 想像以上に単刀直入な言葉に俺はドギマギした。
「ああ……わるいかよ」
「別にわるいとはいってない。休みたい時は休めばいい」
 意外な言葉に拍子抜けした。さすがの父も怒りをぶつけてくると思っていたのに。高校の学費を払っているのも父だ。卒業直前に退学になるような真似をしてるんだ。
「怒らないのかよ?」
「まさか。部活以外真面目にやってこなかった俺がお前に言えた口じゃない。もしかしたら、お前が思い詰めてるのは、先日、俺がお前に言った勇太の件が関係しているのではと思って」
「なんだ……知っていたのかよ」
「やっぱりそうか。ただなんとなくそんな気がしただけだ」
 やはり父の直感は鋭い。俺の思い詰めている原因だってわかっている。しかし、父はどうしてこうなることをわかってて、あの日勇太さんの話を俺にしたのか。俺の母親が勇太さんのことをストーカーしてて失踪にも関与していることを俺に調べさせたかったのか。親父はそこまでして、母の悪事を俺に知ってほしかったのか。俺が自発的に調べて真実に辿りつくことにより、親としての罪悪感を少しでも減らしたかったのか。どんな理由があろうと俺は知りたくなかった。
「なぁ、お前に言っておかなければならない真実がある。もしかしたらお前はそのことに気づいているかもしれないが……」
 やはりか。やはり俺の母親は勇太さん失踪に関与している。そして今まさに父はそのことを知らせようとしている。これを聞いてしまうと疑念が確信へとかわる。これから俺は母の犯した悪事への罪悪感を背負ってかなければならなくなる。
「もし、お前が聞きたくないのなら、話すことをやめる」
 口篭っている俺に父はそう助言した。いつも親父は卑怯だ。そうやって大事な決断を俺に委ねてくる。父らしく物事をもっと独断でいいからビシッと決めてほしい。俺はもう死に体なのだから本心としてはさっさととどめを刺してほしかった。
「どうだ、この先の話を聞くか?」
「……」俺は答えを出せない。
「別にお前が望まないなら、この先の話はしない。お前次第だ……どうする?」
「……やめておく」逡巡した結果、喉の奥から絞り出せた答えはそれだった。自分に絶望した。俺はやはり親父と一緒で天邪鬼でビビリだ。今、話を聞いておけば、楽になるのに、俺はそれを先延ばしにした。やはり真実は知らなくていい。疑念が確信にかわるぐらいなら、このまま少し望みを残しておきたい。母が勇太さんを殺めたなんて事実は俺の人生に不要だ。
 
  2
 
 数日後も俺は学校には行かず、夕方にコンビニでレジ打ちをしていた。今は父親に言い訳する必要もなくなったので、学校の制服に袖を通すこともなくなった。代わりにコンビニの支給のユニフォームを着用するのが日常となった。この生活にも初めは多少なりとも新鮮味を感じていたが、これが毎日となると少し飽きてきた。
 今さらながら、学校には行ってもいいかと思うこともある。学校に行ったからといって、母が犯罪者という確証を得られるわけではない。綾雪ももう、勇太さんの件には飽きているかもしれないし、里崎も俺に真実を知られないようにしているのだから、行ったところで、地雷を踏むことはないだろう。数日前の俺は、正気じゃなかった。だから物事を悪いほうにしか考えられなかったが、今は少し学校が名残り惜しかった。
 しかし今更どのツラ下げて学校に行けばいいのだろう。理由も理由だ。母さんが犯罪者かもしれないと疑念が拭えなくて落ち込んでいた……なんて言った折には周りはドン引きだ。俺から距離をおくかもしれない。
 結局そのような嫌な情景が頭に浮かぶことで、学校に行く行動の閾値を越えられず、俺は惰性で今の生活を続けてしまうのであった。今学校に戻ればまだダメージは少ないかもしれないのに。先延ばしにすればするほど、行動を起こすためのハードルが高くなっていくのにもかかわらず。
 
 夕方にバイトのシフトに入る都合上、学生の下校時間と重なる。うちの学生も時折、このコンビニを利用することがある。特にうちの制服を着た学生を見るといつも胃が締め付けられるような思いをした。学校の生徒がレジにやってくると、俺は伏目がちに対応するのであった。
 そんなこんな言ってるとまたうちの生徒が入ってきた。同校の生徒とバレたくないから俺はなるべく顔を見ない。
 うちの制服の女子が俺のレジの前に来る。
 たく、なんでわざわざこっちの列に来るんだ。もう一つのレジが空いてるだろ……
 極力顔だけは見ないようにしていたが、お釣りを渡す際に、彼女と目が合った。
 ショートボブの黒髪の少女が大きな黒い瞳で俺の顔をまじまじと見つめていた。
 ……綾雪?
 それは数日前に部室棟で彼女と会ったときと同じように冷たく鋭い視線だった。
 なんで綾雪がこんなところにいるんだ。このコンビニは綾雪の通学路ではないはずだ。
 彼女は何も言わずに、お釣りを受け取った。そして、購入した500mlのペットボトル飲料水を受け取ると、そそくさとコンビニを出て行った。
 もしかしたらギリギリバレなかっただろうか。彼女が俺のことに気づかなかったことを祈る。いや、別に気づかれたところで何もかわらないのだが……もう俺は彼女とは何の関係もない。俺は学校をやめることすら考えているのだから。
 その後、俺は一心不乱にバイトに打ち込んだ。客がとって乱れた商品棚を逐一綺麗に整え、棚の商品が減ればすぐに補充した。フライヤーでホットスナックをひっくり返し、揚げ上がりを待つ間にレジに小銭を補充した。客が入ってくれば「いらっしゃいませー」と威勢のいい声で迎えた。
 しかし先ほどやってきた綾雪のことが頭を離れない。作業をして気を紛らわせようとしているのに彼女のことを考えてしまう。さっきの俺はどう見られていただろうか。きっとカッコ悪いだろうな。だけど、どうしようもない。
 
 21時までバイトをし、俺は帰宅した。いつものようにすぐさま自室に駆け込んだ。
 彼女との今日の接点があったことで、否応なく彼女に付随するさまざまな感情も呼び起こされた。今日、会話もなかったし、彼女が俺のことを認識していたかも怪しい。しかし、数週間前に綾雪とともに勇太さん失踪の件に熱を上げたからか。今日、ほんの一瞬彼女に接しただけでも、何日も前の出来事が、また鮮明に蘇ってきた。付随するさまざまな負の感情も当然のように再燃した。特に強く心の奥底に封じ込めようとしていた母への疑念は粉塵爆発のように思い出された。
 ふと、俺は勉強机の引き出しの奥にしまっていた銀色の細長い鍵のことも思い出す。綾雪と忍び込んだ部室棟の天井裏で見つけた鍵。俺は引き出しを開けその鍵を取り出した。もしかするとこの鍵の先に勇太さんの死体があるかもしれない。この鍵は本当にどこのものなのだろうか。そもそも学校の部屋の鍵かもわからない。結局は何の関係もない無用の長物の可能性だってある。
 だけど、こんなものいつまでも持ってるもんじゃない。俺は鍵を強く握りしめた。今日の件で俺の封じ込めたい思いを想起させるものは、あらゆるところにあることに気付かされた。すべてのリスクから俺は遠ざかる必要がある。今のバイト先だってかえたほうがいいかもしれない。とりあえずまずはこの鍵から捨ててしまおう。俺は形のある手切れの儀式をほっしていた。この鍵を捨てることで、一連の出来事からより遠いところに行けると無意識に思っていた。
 
 翌日の夕方、俺はまた学校を休み、コンビニでレジ打ちをしていた。
 忙しくしていれば、多少なりとも気が紛れた。
 客が入ってきたので、威勢のいい声で出迎える。
「いらっしゃ……」
 またやつがきた。どうしてわざわざ俺の勤め先に来るんだ。昨日、俺が接客をしたというのに、嫌がらせのつもりか。それともやはり、彼女は俺に気づいてないのか。今日は彼女の接客をしたくなかったので、すぐさまレジカウンターから出て、なるべく彼女の視界に入らないようにした。何も買わずに出て行ってくれ。祈りも虚しく、彼女は昨日と同じように500mlのペットボトルの水を手にとり、レジに向かった。レジが無人だったので、彼女は「すいませーん」といつものように通るハリのある声で呼びかけた。今日はワンオペなので、俺が出るしかない。
 俺は顔を伏せながら、レジカウンターに入り、一切顔をあげず、レジを済ませ、無言で釣りをキャッシュトレーに乗せた。受けとった彼女の後ろ姿を上目遣いで恐る恐る見る。彼女は昨日と同じようにそそくさと店を出て行った。
 くそ、さすがに気づいてほしいものだ。俺のことに気づいていれば二日連続でこの店に来るはずがない。だけど、もしかしたら彼女はそもそも俺のことを覚えていないのかもしれない。学園の人気者でアイドル的存在の彼女が一日一緒に過ごした男のことをいちいち覚えている道理もない。俺が思い上がっていただけかもしれない。それならそれで俺にとっても好都合だが。
 その後、仕事に打ち込んだが、彼女とほんの一瞬接しただけだというのに、それが触媒となり、また忘れたかったいろんな物事が走馬灯のように想起された。勇太さん失踪の件、母への疑念、それからなぜか里崎の剣幕さえも思い出された。俺はこの一連の業火から一生逃れられないのか。握り拳を作り思いっきり、レジカウンターを叩きたい衝動にかられたが、ここは自宅ではない。拳を強く握りしめ、ポケットに突っ込んだ。硬い金属片が手に当たる。
 俺はコンビニでその金属片を処分しようと思っていた。家で捨てると父の目につくかもしれないからだ。父がこの鍵に見覚えがあるとしたら、また余計なことを思い出す恐れがある。勇太さんに関連する話はこれ以上聞きたくなかった。俺は一連の件から、完全に手を引きたかった。変なリスクはとりたくなかった。
 考えすぎかもしれないが、特にこの鍵のポテンシャルはすさまじい。万一、この鍵の先に勇太さんの死体があるとしたら……俺は死んでもそんな場所に行きたくない。そして勇太さんの死体を見つけたら、それは誰がそこに置いたという話になる……これ以上は考えたくもない。要は怪しきは処分せよだ。処分してしまえば、もう何も考えなくてよくなるのだ。
 俺は客がいなくなったころを見計らって、コンビニの裏手にある廃品置き場に向かった。コンビニの正面ドアを出て裏手に回ろうとしたときであった——
 「あ……」俺は思わず、声を出してしまった。つややかなキューティクルのおかっぱ少女がコンビニの外壁に背を預け、暝目し腕組をしていた。
「……綾雪」
「遅いわよ」彼女はゆっくりと目を開けた。
「遅いも何も、何か約束していただろうか」
「約束したじゃない。例の勇太って人の件、真相を究明するって……なのにあんた学校にも来ないから、こうやってわざわざ私があんたのバイト先にまで出向いてやってるというのに、挨拶もなし?」
「ああ、君よくそんなこと覚えてるね」正直、彼女が俺のことを覚えていてくれたことに加え、あの夜の約束をも覚えていてくれていたことがうれしかったが、俺は強がってしまった。
「はぁ? あんた最低ね。まさか、あの時、ほんとうにエロ本のことしか頭になかったの?」
俺は無視をした。
「で、なんで学校に来ないわけ? やっぱり、あのエロ本を私にみられたのがショックで学校に行きたくなくなったっの?」
「ちがう」と咄嗟に大きな声が口をついてでた。たしかに流れでエロ雑誌を俺の所有物と綾雪に思われたことはショックだった。しかしそんなこと些細な問題だ。俺が学校を休む理由は、紛れもなく、実の母が勇太さん失踪にかかわっていたのではないかという疑念からだ。綾雪の真相究明への熱が薄れていることを期待していたが、むしろ前より増しているようだ。この状態で学校に行くと、やはり母が犯人だという真相に俺は近づく気がしてきた。学校に行ったところで地雷を踏むことはないという考えは甘かった。
「ごめん……ちょっと色々あって学校には行きたくないんだ」
「そ」と綾雪は意に介さないようである。「ところでだけど、あなた例の部室棟で見つけた鍵、まだ持ってない?」
「鍵?」
「ほら、あんたが天井裏で見つけた細長い鍵……」
「いや、わかるけど。どうして?」
「実はあれの使い道、わかったかもしれないの」というと彼女は、脇にかかえていた何かコピー用紙のようなものを取り出し、俺に見せた。そこには図面のようなものが描かれていた。これはなんだ。あたりは薄暗かったから、そこに描かれているものを俺はよく認識することができなかった。ただ、なんとなくイチ高の間取り図ということだけはわかった。
「ここに今使われていない部屋があって、ここが旧生徒会室だったみたいなの。勇太って人、生徒会長だったんでしょ? ちょうどその頃に使われていた部屋なの。もしかしたらこの部屋の鍵が、天井裏で見つけた鍵かもって……」
 彼女が意気揚々と説明するも、俺はこの件にはもうかかわりたくないので上の空だった。
「で、あんたその鍵まだ持ってるの?」
「奇遇だ。ちょうど今この鍵を持っていた。君にくれてやる」この鍵の先にもしかしたら、勇太さんの死体があるかもしれない。でも彼女がこの鍵を欲するのであれば、もう俺には止める義理はない。
「へー、あんたもやっぱりこの件には未練があったわけ?」
「そんなんじゃない。逆だよ。むしろ今からこの鍵を捨てようと思ってた」
「捨てる? どうして? しかもなんでわざわざバイト先で捨てるのよ?」
「いいだろ。いろいろあんだよ。それをあげるから、もうここに来るのをやめてくれないか? これで手切れだ」
「何よ、わざわざあんたの顔を見に、足を運んであげたってのに」
「俺が君に来てくれって頼んだか。いい迷惑だよ」
「……そうね」
 彼女は寂しそうな顔をした。はたしてその表情の真意は……
「ねぇ、一つだけ教えてくれないかしら」彼女は時間をおいてからゆっくりと口を開いた。「どうして学校に来なくなったの? まだあなたからその理由を聞けてない」先ほどまで威勢のよかった綾雪がもじもじしながら言う、「そんな態度とられると……私、あんたに悪いことしたかなって思うじゃない」
 彼女の意外な言葉に俺は罪悪感を覚えた。俺は一方的に彼女に怒りをぶつけてしまっていた。彼女は何も悪くない。今更気づく。本当にわざわざこんなところまで何度も足を運んでくれたというのに……
「実は……一連の件、勇太さん失踪の件なんだが……俺の母親がかかわっているかもしれないんだ」
 誰にも打ち明けていなかった母への疑念を俺はとうとう打ち明けてしまった。特に一番彼女にこの話を知られたくなかったはずだ。それほどまでに、心身を消耗し続けるこの爆弾を誰かに共有することで楽になることを無意識の俺は望んでいたのか。
「……あなたのお母さんがかかわっている?」
「ああ、前も言ったけど、俺の母さんは交通事故で昔亡くなったんだ。君と別れた後にいろいろ調べたらわかったのだが、俺の母さん、学生時代は生徒会に入っていたんだ。君の母さんが言っていた勇太さんのことをつけてた女っていうのは、俺の母かもしれない」
 綾雪は何も声を発していないが、薄暗いコンビニから漏れる光でぼんやりと彼女の表情を見ることができた。彼女はしずかに俺の言葉を待っていた。あの日、天井裏の漆黒の闇の中で俺の話をただじっと聞いてくれたときのように。
「俺の母さんがストーカーをしていたという確証を得ているわけではない。だけど、今まで俺が得た情報からは、どうしても……母さんが勇太さんのことをストーカーしていたとしか思えない。これ以上調べると、俺、母さんが犯罪者という真実に辿り着く気がして……しかも、母さんがもしかしたら勇太さんのことを……」俺はそれ以上言葉を発することができなかった。声を出そうとするが、過剰のストレスから脳がストッパーをかけているようだった。
「それ以上はいいわ……」見かねて綾雪が俺を制止した。「たしかに自分の親を疑うって、とてもつらいことだと思うわ。きっと当事者しかわからないつらさがあると思う」
「……綾雪」
 彼女は俺からは目を逸らさず、まっすぐ、ただまっすぐと俺を見つめていた。初夏の澄み渡る夜空の下、彼女の凛とした瞳はそこにあった。はたして彼女は次にどのような言葉をかけてくれるのだろう。
「でも、いつまでもそうやってウジウジしないで。特に私の前で」
「え……」優しい言葉が返ってくるかと勝手に期待していた。
「ウジウジしたところで、過去の事実は何もかわらない。あなたのお母さんが過去にどんなことをしたか、それが、今のあんたに何か関係あるわけ? 過去の他人の行いを今の自分の行動の言い訳にするの正直ダサいわよ。そして何より、学校を休んで、心を閉ざしてみんなに迷惑をかける理由になんてならない」
「迷惑?」
「ええ、迷惑よ。あんたのことを心配してたなんて思われると癪だけど、少なくとも私も、なんであんたが学校来なくなったのって、ほんの少し、ほんの少しだけ考えたわよ。私でさえよ?」
「……」
「何? 『君が勝手に考えてただけだろ』って言いたいの?」彼女は黙っていた俺に対して依然強い語気で言う。
「別にそんなことは言ってない」
「さっき、そんなふうなこと言ったじゃない」
「……」俺は言い返す言葉もなかった。
「あなたのお父さんにも、間違いなく迷惑はかかっているわ。せっかくここまで一生懸命育てたのよ? 急に不登校になってバイト生活してたら、親も心配するわよ」
「それは、俺もわかってる」
「じゃあなんで、こんなところでいつまでもウジウジしてるのよ。とりあえず明日から学校には行きなさい」
「なんだよさっきから自分勝手に指図ばっかして。どんだけ俺が傷心しているかも知らないで」
「傷心? あんたが勝手に傷ついているだけでしょ。それにこんだけ言い返す気力があれば十分元気じゃない」
「たく、君はデリカシーのない女だ」
「はいはい。いくらでも言ってください……じゃ、明日学校で待ってるから、ちゃんと来るのよ。たく私あんたのお母さんじゃないんだけどな」
「だから勝手に決めるな」
「後、この鍵は責任を持って私が預かっておくから。あんたは、もうこの件にはかかわらなくてもいい」
 一転、彼女は優しい笑みを浮かべた。
「それを持ってどうすんだよ?」
「秘密。だってあんたにはもう関係ないんでしょ?」
「……ああ、そうだ。そうだったな。それは君にあげたものだ。好きに使ってくれ。もう俺には関係ない。そして君との関係も今日限りかな」
「ええ、せいせいするわ」
「悪いけど俺、バイト中だからいつまでも君の相手をしてられないんだ。戻るから」
 と俺が言うと、別れの言葉も告げずに、彼女は黙って、駅のほうへ走っていった。
 
  3
 
 翌日も俺は学校を休んだ。たく、なんであいつに指図されなきゃいけないんだ。あいつに俺の気持ちなんてわかるはずはない。やすやすと言いやがって……
 俺はいつものように夕方にバイトに入ったが、今日は客足がほとんどなかった。手持ち無沙汰だったので、頭の中ではさまざまな思考が巡った。
 あいつのせいで余計、学校に行きたくなくなった。あいつに指図される前には少しは学校に行こうと思っていたのに。あいつのせいでその気も完全に失せてしまった。
 しかしいったいあの鍵で何をするというのか……たしか、旧生徒会室とかなんとか言っていたが……いや、俺にはもう関係ないんだ。
 まさか旧生徒会室に勇太さんの死体があるなんて……ないよな。仮に俺が犯人だとしてそんなところに置くわけがない。いくら今は使われていないといっても、そんなとこに置いてたら誰かに見つかる。
 で、仮に。いや万一、死体があるとして誰が置いたのか。やはり俺の母が置いたというのか。一瞬、黒い女子高生の影が男性の学生を後ろからナイフでひと突きする映像が脳裏に浮かぶ。いかんいかん、こんなこと考えるべきでない。あれだけ考えないようにしていたのに、とうとうこんなことまで考えるようになってしまった。
 やはり俺の母さんが勇太さんを……もう疑念を抑え込むことは不可能であった。押さえ込もうとすればするだけに増幅した。
 だが、母が勇太さんを殺した犯人だとして、本当に一人で殺めることができたのだろうか。勇太さんは当時サッカー部のキャプテンでフィジカルも強かったはずだ。そんな勇太さんをどうやって。もしかして睡眠薬や毒薬でも使ったのか。それもどうやって飲ませる……もしかしたら……共犯者がいたのか。
 また俺の悪い癖が出た。俺はどうしても物事を悪いほうに考えてしまう。そもそも勇太さんはまだ殺されたかどうかすらわかっていない。ましてや俺の母が犯人と決めつけるのは早計だ。動機もわからない。しかし、今に限っては母が勇太さん失踪に関しての単独犯だったらよかったとさえ思い始めていた。なぜなら、母はもうこの世にいないから。一方、今、考えられる最悪のシナリオは母に共犯者がいた場合または母が犯人でない場合だ。その場合、犯人は今も生きている可能性が高い。
 いや待て、どうしてそれが最悪のシナリオなんだ?
 今日のバイトはいつも以上に長く感じられた。定時の22時がくるまで俺は何度も腕時計を見た。まるで、誰か時計の針をイタズラで戻しているのではないかと思うほど、時間がすすまなかった。綾雪がもしかしたら今日もコンビニに来るんじゃないかと期待したが、彼女は現れなかった。いや、なんで期待する必要がある。
 俺は上の空で手を動かしながら、バイトが終わるまで、早く、早くと心の中でず念じていた。なぜか久しぶりに心臓が馬のいななきのように高鳴っていた。
 
 その時刻はようやく訪れた。待ちに待った定時の22時。俺は一目散にコンビニを出た。真っ先に昨日綾雪が背をつけていた外壁をみたが彼女はそこにはいなかった。俺は、「遅いわよ」と彼女がまた声をかけてくれることでも期待していたのか。
俺はいつもは着替えてからコンビニを後にするのに、その日は制服のまま外に出ていた。しかし俺はコンビニの更衣室には引き返さず、その足のまま駅へ向かった。
 電車にまた乗り、一度繁華街の駅で降りた。意味もなく、付近の繁華街を探索した。ずっとどことない不安を感じながら、あたりをきょろきょろしていた。セーラー服を着た女子を探していたが、時間も時間であったのでそんな女性はほとんどいなかった。時折制服を着た女子も見かけたがうちの制服ではなかった。俺は1時間ほど繁華街を散策した後に、大人しく自宅へ帰ることにした。たく、俺は何をしてるんだ。
 電車に乗り、自宅の最寄り駅で降りた。時間はすでに深夜零時近くであった。自宅へと向かう道、普段この時間はほとんど人影はいないのだが、遠くのほう、俺の自宅付近で女性が立っていることに気づく。
 その女性もこちらを向いた。そして、俺に気付き小走りで向かってくる。俺はその女性が綾雪であればと心の中で期待していた。
 影が少しずつ近づいてきた。その影は本当に綾雪に似ていた。
 彼女は俺の前で止まった。肩で息をし、呼吸に伴う風切り音が聞こえる。息を整える間もなく、こう告げた……
「貴広くん。やっと見つけた。綾雪を助けて」
 俺の前に立つ黒髪の綺麗な綾雪に似た女性。それは紛れもなく綾雪の母であった。ただでさえ白い肌が、今日はより一層白く、顔面は血の気を引いていた。
「落ち着いてください。綾雪がどうしたんですか?」口から発した言葉と裏腹に、おそらく俺は彼女以上に動揺していた。
「綾雪が帰ってこないの。連絡もないし、電話もつながらない。もしかしたら貴広くんなら何か知っていると思って」
「いや、俺は……」知らないというつもりであった。しかし、そういったところで何も解決はしない。今できることがあるのであれば、やるべきだ。これは俺が撒いた火種かもしれない。今動くことで少しでも解決する可能性があるのであれば。
 そして考えるより先に、俺の足はすでにある場所へと向かっていた。

次話(6話)


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