部室棟の天井裏には死体がある⑨臆病で卑怯なヒーロー|オーディオミステリー|#創作大賞2025

第九話 臆病で卑怯なヒーロー
1
『綾雪が帰ってこないの。連絡もないし、電話もつながらない。もしかしたら貴広くんなら何か知っていると思って』
自宅近くで聞いた綾雪の母の言葉は切実だった。俺が綾雪を助けなければ。俺は走った。深夜零時すぎ、もう終電の時刻をすぎていた。だから、全力で走って、学校を目指した。
彼女が今いるとすれば学校しかない。初めからなんとなく彼女の居場所に勘付いていたが、俺のプライドがずっと邪魔して学校には近寄れずにいた。
しかし、今はそんなこと言ってられない。綾雪さえ無事でいてくれればそれでいい。
息が切れる。今ほど、帰宅部じゃなくて運動部に入ってればよかったと思うことはなかった。イチ高へと向かう国道を俺はひたすらに走った。
30分ほど無我夢中で走ったか。俺は見慣れた鉄フェンスの前に立っていた。肺が潰れるかと思うほど息が上がっていたが、息を整える暇なんてない。俺はすぐさまフェンスに足掛け、ギシギシと音を立てながら登り、敷地に足を踏み入れた。
一目散に校舎へ向かう。
俺は、ためらう暇もなく、すぐに近くの石を手に取り、校舎の窓ガラスを一枚割った。割れた隙間から手を入れ、サッシについた鍵を解錠し、中へと入った。
遠くのほうから音が聞こえる。
男が叫んでる。
俺は血の気が引いた。まさかもう手遅れなんてこと……
いや、考えるより動け。一刻をも争う。
俺は廊下を、まっすぐ音の先へと向かって走った。
男の声は次第に大きくなる。
「…け」
「はけ」
「吐け」
俺は戦慄した。あたりは薄暗いが、男が誰かに馬乗りになって、殴りかかっている光景を見た。
そしてまもなく男の下にいるのが綾雪とわかる。
俺は咄嗟に、上に乗っている男にタックルをした。
男は2メートルほど横に吹っ飛んだ。
すぐさま俺は綾雪に覆い被さった。
そして、俺は男のほうに振り向いて睨んだ。
「なんで、お前が邪魔をするんだ」と男は吐き捨てるように言うと、すぐさま立ち上がって、近くの窓から逃げて行った。
俺はその男の声を以前聞いたことがあった。
しかし今はそんなことどうでもいい。
俺は綾雪の肩を何度もゆすって呼びかけた。
「綾雪、綾雪、頼む、声を返してくれ」
彼女の返事はなかった。
俺が今できることは、救急車を呼ぶことぐらいしかなかった。
もどかしかった。くやしかった。だけど、それが現実だった。
数分後、救急隊員がかけつけ、綾雪は担架で救急車内へ運ばれた。血圧と脈拍は低いが呼吸があり、命に別状はないそうだ。かすかに意識も取り戻していた。弱々しくも綾雪は隊員の呼びかけに答えていた。俺は救急車に乗って同行したが、俺にできることはもうなかったので、遠目で彼らのやりとりをただ漠然と見ていた。
病院に着いて間もなくして、綾雪の母がやってきた。俺は綾雪を学校で発見したこと、目出し帽を被った男に襲われていたこと、その男を追い払い、すぐに救急車を呼んだことを事細かに説明した。
「貴広くん、綾雪を助けてくれて本当に、本当にありがとう。どれだけ感謝していいかわからない」
心の底から綾雪母が感謝しているのが伝わってきた。しかし、俺には負い目があった。前日に彼女に、あの鍵を渡さなければこのような事態にはならなかった。彼女は多分鍵を使って校舎のどこかの部屋に入ろうとしたのだろう。おそらく旧生徒会室とやらに。あの男はその部屋で待ち構えていたのだろうか。綾雪から話を聞けない今、推測にしかすぎないが、俺の渡した鍵および旧生徒会室とやらが、きっとかかわっているはずだ。彼女をこんな目に遭わせたのは俺自身の責任で、助けるのはむしろ俺の義務だ。母に感謝されるようなことは何一つしていないのだ。
「本当に、どうやって貴広くんに、この恩を返したらいいか……」
やめてください。僕は感謝されるようなことは何一つしていません。むしろこのような事態を招いたのは僕です。僕が悪いんです。と正直にいいたいぐらいだった。だけど、俺は言えなかった。この母に嫌われたくなかったから。俺は卑怯なやつだ。
「ありがとうございます、別に気にしないでください」とだけ言って、俺は病院を後にした。
綾雪の母は、「ううん。必ず、お返しするから」といって、俺が見えなくなるまでずっと病院のほうから見送ってくれた。
心が痛かった。
2
俺は翌週から、学校に再び通うことにした。あのような事態を招いた責任を感じていた。これ以上彼女を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
俺は綾雪に暴行を加えた男がこの学校にいると見込んでいた。そして犯人の目処もついていた。奴がまた動く前に、真相を究明しなくては。
俺は綾雪のクラスの5組を覗いてみた、彼女は欠席のようであった。まだ、事件が起きた直後だ。彼女の身体も完全に回復していないのだろう。早く彼女が元気になることを俺は心の中で祈った。
俺は昼休みに担任に呼び出された。数週間学校を休んでいたので、いろいろな連絡や課題が溜まっていたようだ。担任はこんな俺に丁寧にそれぞれ説明してくれた。俺は彼に今まで迷惑をかけたことを心から謝った。担任は俺を快く許してくれた。さらに、「またこれから頑張ろう」と励ましてもくれた。本当にかたじけない。自分勝手な行動があらゆる人に迷惑をかけるということをあらためて実感させられた。俺はもう少し大人にならないといけない。
担任は、俺が休んでいた間に溜まっていた諸連絡を一通り終えると最後に、理事長が俺のことを呼んでいると告げた。
俺はその足のまま理事長室へと向かった。
理事長室の前に立つ。普通に学校生活を送っていれば、学生が理事長室に来ることなどまずない。しかし俺はここに呼び出される理由は理解できた。もちろん、先週、理事長の娘が巻き込まれた事件についての話だろう。俺もちょうど理事長と話をしたかったところだ。
俺は扉をノックした。
『どうぞ』と扉の向こうから声がした。
「失礼します」
理事長室に入って、真っ先に目に入ったのは、河合理事長ではなく、娘の綾雪だった。
来客用のソファにお利口に座っていた。右の頬には大きな白いガーゼがつけられていた。
綾雪もこちらを向いた。いつもは鋭い目線を向けるのだが、この日ばかりは俯き加減だった。
どことない気まずさを感じた。俺はコンビニで彼女に暴言紛いのことを吐いたんだ。それにあの鍵を渡しさえしなければ彼女がこんな危険な目に遭うこともなかった。
「ごめんなさい、私のせいであなたを危険な目に遭わせてしまって」
彼女は本当に卑怯だ。いつも俺より先に、俺の言いたい言葉をとってしまう。こっちが謝りたいのに……
「よかった、無事で……もう大丈夫なのか?」結局、俺は謝ることができなかった。
「ええ、まだ完全には回復してないけど、日常生活には支障がないわ。来週には学校にも復帰する」
短い言葉をかわしているだけなのに、感慨深いものがあった。
「本当にありがとう。私あなたがいなかったら今頃……ここにはいなかったかもしれない」
「やめてくれ、らしくない」本当に俺は感謝されるようなことは何もしてない。
「私のほうからも、感謝を伝える。恒松くん、本当にありがとう」
奥のほうに座っていた河合理事長も深々と頭を下げた。
「理事長までもやめてくださいよ」
本当にむず痒かった。娘をこんな危険な目に遭わせて、お礼を言われるのは筋違いだ。こんなのまるでマッチポンプじゃないか。本当は俺が彼らに謝りたかったが、臆病で卑怯な自分は何も言うことができなかった。
「でだな、恒松くんと綾雪……」
俺が逡巡していたところ、理事長は話を続けた。
「は、はい」
「今日君たちをここに呼び出したのは他でもない……先日の事件のことを詳しく聞かせてもらいたい」
俺はここに呼び出された理由の予想はついていたが、それでも今の言葉を聞いて身が引き締まった。
「警察でも散々聞かれたと思うが、私もこの学校の理事長として話を聞いておかなければならない。そして君たちをもう危険な目に遭わせないようにする責任がある」
学校に迷惑をかけたのはむしろ俺のほうだ。なのに、このような言葉をかけてくれる理事長に畏敬の念を禁じ得ない。彼がこの大きな組織を統べるのは必然なのだと理解した。
「はい、僕の知る限りすべて情報を提供できればと思います」今は理事長の言葉に身を任せるしかない。彼は俺らを守ってくれる。
「わかったわ、お父さん」綾雪が俺の言葉に続いた。
「ありがとう」理事長が重く低い声で言う、「ではまずは綾雪に話を聞きたい。どうしてお前はあの日学校に入った? そしてそこで何をしていた?」
「……」綾雪は沈黙している。
「言っておくが、別にお前を責めるつもりはない。お前をこれ以上危険な目に遭わせないために状況を把握したいだけだ」
「ごめんお父さん……正直に話すわ」綾雪はゆっくりと口を開いた。「あの日、私は、門限以降になっても校舎を出ず、ずっと女子トイレに隠れてたの。深夜ごろまで。目的は旧生徒会室に入るため。あの日はお父さんが海外出張中だったし、深夜なら、警備員も巡回に来ないだろうって思ってたから」
やはり綾雪は旧生徒会室に入っていた。
「何のために旧生徒会室に入ったんだ? それに、どうやって?」
「この前、自宅でもお父さんに話した通り、私は勇太さん失踪の真相を調べたかったの。だから旧生徒会室に入った。ごめんなさい。たまたま旧生徒会室に入るための鍵をもっていたからそれを使って……私もその鍵を実際使うまで半信半疑だったけど……だけど、その鍵を使ったら本当に解錠できて……」
「うーん。私にはまだ不可解な点がいくつかある。まずどこでその鍵を手に入れた? 次になぜそれが生徒会室の鍵とアタリがついた? そして何故生徒会室に佐村くん失踪の手がかりがあると思ってたんだ?」
綾雪が口籠る。
「一部僕の口から説明します」おそらく綾雪は俺に気遣ってあの日の部室棟のことを言うのをためらっているのだろう。背に腹は変えられない。「実はその鍵は部室棟で僕が見つけたんです。今の野球部の部室、昔はサッカー部が使ってたみたいなんですが、その部室の天井裏には人が入れるほどの空間があるって僕は父から聞いたんです。数週間前、ちょうど理事長とお会いした日、実は僕と綾雪で夜中に部室棟に忍び込んでいたんです……すみません……」
「いい。今は遠慮するな。話を続けたまえ」
「ありがとうございます……そして、野球部の部室の天井を押したところ、本当に天井裏への入口を見つけたんです。僕は綾雪より先に中に入って、先ほどの鍵を見つけました。19年前、当時その天井裏の存在を知っていたのは父と勇太さんだけと聞いていましたし、綾雪にも伝えてありました。おそらく綾雪はその鍵を勇太さんが残したものと考えたのだと思います……」
「どうだね、綾雪?」
「ええ、彼の言う通り。私はその鍵は勇太さんが残したものだとなんとなく思っていた。また、旧生徒会室が校舎で唯一旧式の鍵を使っていること、勇太さんが当時その生徒会室を使っていたことからきっと旧生徒会室には、何か勇太さん失踪に関わる手がかりが残っているのではないかと思った。それにお父さんがあれだけ、旧生徒会室には近づくなと言ってたから……正直あの時は、お父さんが何か隠してるんじゃないかと思って。鍵は前日恒松くんから私が預かった。そして、やっぱり鍵は旧生徒会室のものだった。」
「あれは本当にお前に危険な目に遭って欲しくなかったから言ったのだ。あの部屋は老朽化がすすんでいるし、安易に入るような場所ではない。それで、旧生徒会室には、お前のお目当てのものがあったか?」
「お父さんの言うとおり、勇太さんの失踪の手がかりになるものはなかった。それどころかほとんど何もなかった」
俺は『ほとんど』という言葉に少し違和感を覚えた。
「だけど……一つ奇妙なものを発見した」
奇妙なもの?
「旧生徒会室の天井にはビデオカメラのようなものが設置されていたの」
俺は初耳だったので驚いた。
「ああ、私も驚いたよ。事件後、私たちも旧生徒会室を調べた。そのときに確かにお前のいうビデオカメラのようなものを発見した。すぐさま撤去したが」
「あれはお父さんが設置したものではないのね?」
「ああ、もちろんだ」理事長が強い口調で言う。「何のためにあんな場所にビデオカメラを設置する必要がある……お前ももう少し俺を信用してほしい」
たしかに理事長も娘にそんな疑いはかけられたくはないだろう。少し同情した。
「違うのお父さん。お父さんが設置したものではないのなら、誰が設置したということになるでしょ?」
「ああ」
「おそらくだけど、私を殴ったあの……」綾雪の言葉は尻切れになった。あの日のトラウマを思い出そうとしているのだ。そうなるのも仕方ない。
「お前に暴行を加えた男が設置した」かわって父親が言葉を補う。
「……ええ」責任感の強い綾雪は、しばらくしてまた話出した。「きっとあの男がビデオカメラを通して、中を見張っていた。そして、私が旧生徒会室に忍び込んだことにおそらく男が気づき、かけつけた。私はビデオカメラを見つけて身の危険を感じて、すぐに生徒会室を出て、廊下を走った。廊下の中腹ぐらいで、窓から校舎の外に出ようとした時、肩を掴まれ、校舎内に引きづりこまれた。それから……」また、綾雪は声を出せない状況となった。見ているこっちが痛ましく感じた。
「もういい」父親が制止する。
俺も安堵のため息をつく。
「今の話から考えるに、その男は学校内部の人間ではないかと考えている。警察の捜査によると、当日、恒松くん以外に外部からあの時間に校舎の中に入った者の痕跡はなかったようだ。おそらくお前と同じように男はあの時間まで、校舎に忍び込んでいた。きっと内部の人間だったから、そのようなことが可能だった。それから、誰にも気づかれず、旧生徒会室に忍び込んでビデオカメラを設置できる者はやはり内部の人間としか思えない」
俺は理事長の考えに同感であった。そして俺はもう一つ重大な手がかりを知っている。あの日、男の声を聞いたんだ。男の声はつい先日聞いたことがあった。
「理事長……」
二人は驚いた顔でこちらに視線を向ける。
「俺には心当たりがあります。男の正体に……」
「ほ、本当か……いったい誰だね?」理事長は重い声で尋ねる。
「3年の現国教諭の里崎先生です」
そう、少し男の声を聞いただけだが、俺には確信があった。数週間前に面と向かって彼と長話をしたからだ。その声を忘れるわけがない。
綾雪は呆然とした顔をしている。おそらく里崎教諭とは接点がないのでピンと来ていないのだろう。里崎教諭は3年1〜3組の現国を受け持っているが、綾雪の5組は担当が異なる。ほとんど彼の声を聞く機会はないはずだ。
「……やはりか」理事長はつぶやいた。
意外な返答だった。
「やはり、というのは?」
「実は彼には前例のようなものがあるのだ。学生時代、私の妻と里崎くんは同級生だった。そして、当時、彼は妻にストーカー行為をはたらいていたんだ」
俺は唖然とした。綾雪の顔は怖くて見れないが、おそらく俺以上に驚いているだろう。綾雪母が言っていたストーカー男がまさかイチ高の現教師だったとは。
「里崎くんは、妻をストーカーするような男だ。その娘が綾雪と知ってか知らずかわからないが、娘にもそのような行為をするのは当然ありうる事態だった。私の出張中にあのような犯行を犯すとは本当に卑劣なやつだ」
「……」俺は思考がすぐに追いつかずにいた。いろいろなことを聞きたい。
「しかし、すべての非は私にある。これは紛れもなく私の招いた事態だ。まず、なぜ彼をこの学校に置いていたかということだが……」
そう、まず俺が気になっていたところはそこだ。そんな危険な人物をなぜ採用した。人事の決定権は理事長にあるはずだ。
「実は里崎くんが佐村くん失踪の犯人だと私は踏んでいるんだ」
俺はまた衝撃を受ける。
「さ、里崎先生が勇太さんを?」
「ああ、決定的な証拠を掴んでいるわけではないが、彼が佐村くん失踪に関わっている可能性は高い。なんせ佐村くん失踪の直前まで、彼らは一緒にいたという目撃証言があるから」
それは里崎から以前聞いた話と一致している。
「妻をストーカーしていたぐらいの男だ、佐村くんに対しても何か危害を加えた可能性だってある」理事長が話を続ける。「私は彼がうちの高校の採用試験を受けたときは驚いたよ。正直私も恐怖を感じた。なぜ彼がうちの高校を受けるのかって。だけど、同時にチャンスだと思った。彼を私の管轄下におけば、何か佐村くん失踪の手がかりをつかめるかもしれないと。娘に危害を加えられた今、思い返せばこんな決断をすべきではなかったのだとも思う。だが、当時、私も佐村くんに報いたいという気持ちが強かったんだ。うちの町の警察も佐村くん失踪に関しての捜査は初め真剣に行っていたが、世間の興味が薄れるに従って、少しずつ手薄になっていった。正直もはや期待していない。だから、私が真相を究明してやるという強い思いがあったんだ」
そういうことがあったのか。里崎が綾雪の授業を持たないのもおそらく父親が遠ざけていたのだろう。
「しかし、彼はしっぽを見せなかった。私に対してもまるで模範教師のように振る舞った。だんだん私も疑心暗鬼になっていった。うちの元学生で、ここまでよく働いてくれる教員を疑っていいのか。彼が本当に犯人なのかって。同時に、世間や警察と同じように、私も佐村くん失踪の件に関しての熱意は年々薄れていっていた」
まさか理事長も、勇太さん失踪の件を調べていたとは。
「綾雪から、佐村くんのことを調べてると聞いた時は正直驚いたよ。だが、恥ずかしながら、私はその時はすでに佐村くん失踪の件にほとんど無関心になっていた。里崎くんへの警戒も大分薄れていた。今更だが、初心を忘れず綾雪にはこの件にかかわらないよう、もっと強くいうべきだった。しっかりと遠ざけておくべきだった」
「だからお父さんが旧生徒会室に近づかないように言っていたのね」
「ああ。ただ、私は旧生徒会室に佐村くん失踪の手がかりがあるとは正直思っていない。なんせあの部屋には何も置いてないわけだから」
「ええ、たしかにお父さんの言う通り、あの部屋には何もなかった。でもなんで、里崎って教師はそこまであの部屋に執着していたのかしら。ビデオカメラを設置するまでして」
「私も全く見当はついていない。ただ里崎くんがあのビデオカメラを設置したという事実だけは確実だ。そして今はそれより重要なことがある……」というと理事長はおもむろに席を立った。理事長は真剣な表情をする。
「綾雪、それから恒松くん、本当にすまない。君たちをこんな危険な目に遭わせて、すべての責任は私にある。本当に申し訳ない。あの男を危険な人物とわかっていたにもかかわらず、野放しに学校においていたのが間違いだった。心から謝罪する」
いつものようにやめてくださいと言いたかったが、その謝罪は娘の綾雪にも向けられたものであるから、俺からは何も言えなかった。
「やめて、お父さん。お父さんの忠告を無視して、あの部屋に入ったのは私だから」綾雪は理事長にかけより肩に手をおいた。ゆっくりと父は頭を上げた。
「本当にすまない綾雪……あとはわれわれ大人に任せてくれ。今警察も里崎くんを犯人として警戒している所だがまだ決定的な証拠をつかめていない。我々も徹底的に警察に協力して、里崎くんの正体をあばいてみせる」
「お父さん……」
「あと、お前はもう佐村くん失踪の件には一切関わるな。私からの改めての忠告だ。もちろん旧生徒会室にも近づくでない」
少し考えてから、綾雪は「はい」と一言だけ言った。
「ただ、お前のおかげで、佐村くん失踪に関しても何かわかるかもしれない。お前の行動の何かが里崎くんの行動を引き起こすトリガーとなったはずだ。期待しすぎてもよくないが佐村くん失踪の件についても何か進展があるかもしれない」
父親はうれしそうだった。綾雪もにこやかだった。彼女が払った犠牲は、きっと無駄ではなかった。
「それから恒松くん。私からの恐縮なお願いなのだが……」
「は、はい」そんなこと言われると逆にこっちが恐縮する。
「里崎くんのことだが、もちろんわれわれ大人たちも彼に対して十分に警戒している。ただし、完全には彼のことを見張れない可能性がある……もし、君の近くで里崎くんが綾雪に変な真似をするものなら、娘を助けてやってほしい」
なんだ、そんなことか。それなら言われなくてもわかっている。俺は必ず綾雪をどんな凶悪な奴からも守ってやる。全力で。それは俺の使命と思っていた。
「もちろんです」
そう言って俺は理事長室を後にした。
俺は一度校舎を出て、旧生徒会室とやらがどんなものか外から眺めた。理事長の忠告通り近づきはしないものの、あんな話が出ると、さすがに気になった。

校舎から増築された平屋建ての建物で、隣接する校舎の二階中腹ぐらいまでの高さがあった。普段気にもとめていなかったし、こんな建物があることもよく知らなかった。だが、まじまじ見ると違和感を感じた。どこがと言われるとうまくは説明ができないが何かがおかしい。いや、違和感という表現は少し語弊がある。どちらかというと既視感というべきか。なんとなくどこかで見たことがある気がする。でも、それがどこで見たものなのか全くもって思い出せない。だから奇妙な感じがした。
ま、気のせいか。
3
午後の授業を終え俺は帰宅した。今日はバイトを休んだ。学校に行くだけで全てのエネルギーを使い果たした。久しぶりだったのでかなり疲れた。だけど、心なしかすっきりしている。今日、学校に行って心の底からよかったと思っている。コンビニで綾雪に言われた通り、いつまでもウジウジしていないで、早く学校に行くべきであった。
そして、理事長室でのことを思い返す。
まず何より、綾雪が無事でよかった。教室にいないときはさすがに心配していたが、理事長室で彼女の姿を見れてよかった。今日学校に行っていなければそれもできなかった。綾雪はまだ本調子ではなさそうだったものの、時間が解決してくれるだろう。
ただ一つ、俺には心残りがあった。理事長にはすべて情報を提供するといっておきながら、黙っていたことがある。それは勇太さんが天井裏に残した例の雑誌のこと。より正確にいうと中に挟んであった生徒会名簿のこと。俺は母への疑念から少しでも遠ざかるため、都合よくその記憶を消していた。そんなことできるわけないのに。
俺は自室の机の引き出しを開ける。ぱっと見、そこには何も入っていない。しかし、引き出しの内側には板が敷かれていて、それを無理やりひっぺがすと、例の成人誌があらわになる。中にはもちろん当時の生徒会名簿が挟まれている。板はボンドで頑丈に固定してあった。
例の鍵はまだ取り出せる位置に置いていたが、この雑誌だけは記憶からも物理的にも抹消してしまいたいと思っていた。この名簿には母の名前が書かれている。だから、こんな煩わしい真似をしてまで封印してあった。それほど俺は母が勇太さん失踪の犯人と行き着くことに恐れていた。
しかし、もう話が違う。実際に綾雪があんな危険な目に遭ったんだ。もはや俺だけの話ではない。肉親にどんな過去があろうと俺にはそれを明らかにする義務がある。そうしないと今俺にとって一番大事な人に取り返しのつかない事態が起こるかもしれない。いや、もう起こったのだ。次はない。一刻も争う。
俺の推理はこうだ。勇太さんは、おそらく里崎と俺の母の共犯で殺された。数週間前に里崎は俺の顔を見て何かに気づいた。里崎は俺が恒松広樹の息子だということは俺の苗字から知っていたのだろうが、岩倉未貴の息子ということはもともと知らなかった。しかし、俺が露骨に勇太さん失踪の件を聞いたばかりに、俺の顔を見て、岩倉未貴の息子だと言うことに勘付いた。
動機はまだわからないが、当時、里崎には勇太さんに対して何かしらの恨みがあって、殺害した。また当時勇太さんのストーカーをしていたと思われる俺の母の協力があった可能性がある。どちらから話を持ち出したかは不明だが、おそらく利害が一致し、共犯で殺害した。ここまで失踪を隠し通せているのはおそらく、二人で入念に計画して行った犯行だからであろう。里崎はさらに周到な性格で、この犯罪を完全に隠し通すために、学校の教員にまでなった。俺の母がこの世にいない今、彼が近くで見張りをするほかなかった。
そして俺が数週間前に里崎に勇太さんの話を持ち出したばかりに、おそらく里崎は19年前のことを想起し、警戒状態になった。旧生徒会室に近づく綾雪を不審に思い暴行を加えた。
では、なぜ里崎はそこまで旧生徒会室に近づかれるのを恐れたのか。おそらく勇太さん失踪のとてつもなく重大な手がかりが旧生徒会室にある。そうでも考えない限り、里崎があそこまでの行動を起こす理由がわからない。さらに生徒会室にビデオカメラまで設置して。
しかし綾雪と理事長の話によると、中にはビデオカメラ以外何も置いてないという。なのになぜ、中を監視する必要があった。なぜ……
いかん。ここまでの情報で推理するにはまだ情報が不足している。母がどのように勇太さんの失踪に関与したかもわからない。里崎が勇太さんを殺したというのも当て推量にすぎない。やはりもう少し情報を集めなくては。
まず話を聞くべきは親父だろう。父は以前、俺に対して、『お前に言っておかなければならない真実がある』と言っていた。俺はおそらく母親が勇太さんの失踪に関与しているという話だと勘付いたが、怖くて聞けていなかった。父はどれほどこの件について知っているのだろう。
もう躊躇っている暇はない。父からはすべてを聞かなくては。
それからもう一人話を聞かなくてはならない人物がいる。それは綾雪の母である。どうして綾雪の母が俺に対して、ストーカー女性の話をしたのかずっとわからないでいた。しかも綾雪母の口ぶりからすると、その女性が俺の母であったことはわかっていたようだ。どうして俺にわざわざ言ったのか。
多分、綾雪母は勇太さん失踪の犯人が里崎と俺の母の共犯であることをすでに勘付いていた。そして、里崎と娘が同じ学舎にいる今、綾雪母は里崎に対する警戒を怠っていなかった。綾雪母が未だにサッカー部の後援会に入っているのもそのためなのかもしれない。
綾雪母も本当は容疑者の息子である俺にストーカー女性の話などしたくなかっただろう。実際、綾雪の家に行ったときも綾雪母はその話をするのをかなりためらっていた。しかし、娘の命を前に綺麗事をいってられなかった。娘に何かあってからじゃ遅い。だから綾雪母は俺に対して彼女のトラウマを含めすべてを打ち明けてくれた。だから俺に娘を大切にするということを目の前で誓わせた。里崎から娘を俺に守らせたかったのだ。綾雪母の一連の言動にはそういう意味があったと今更ながら気付かされた。おそらく最初俺と会ったとき、綾雪母は俺のことをかなり警戒していたのだと思う。それは勇太さん失踪に関与した容疑者の息子なのだから当然だ。
だけど、綾雪母はそんな俺を信頼してくれた。綾雪が事件に巻き込まれた日なんて、わざわざ俺の自宅までかけつけて、綾雪母は心の底から俺に綾雪を助けてくれと懇願してきた。そこに迷いなんてなかった。こんな俺を信頼してくれたからこそ綾雪を助けることができた。綾雪母の勇気があったからこそ、俺は綾雪を助けることができた。
やはりこの件は俺だけの問題ではない。俺には真相を究明する義務がある。ごめん母さん。俺は心の中で自身の母の岩倉未貴に対してつぶやいた。
そして、もう一度、手に持っていた生徒会名簿を眺めた。
やはり今でも母のことを疑うのがつらい。
だけど俺は今、周りにいる大切な人のため、真実を明らかにする。
俺はただ漠然とその一枚の紙を眺めていた。

「あれ……?」
ふと俺は生徒会名簿に勇太さんが描いたと思われる落書きに目が止まった。そこにはサッカーボールと日本国旗、ドイツ国旗が描かれている。ちょうど19年前はドイツW杯が行われた年だ。それ以上の意味を俺は考えていなかった。
横縞のトリコロールをよく眺めると、黒縞の部分に何か文字のようなものが書かれていた。黒地に黒で書かれていたので気づかなかったが、たしかに何か書いてある。
俺は少し紙を傾け、さらにその文字の上を優しくなぞりながら、読み上げた。

「こ……こに……い……る」
ここにいる? どういうことだ? 勇太さんはもしかしてドイツにいるということか? いやでもそんなわけはない。当時勇太さんは学生で未成年だったはずだ。今の今までドイツにいるとしたら長期ビザが必要だしそんな20年近いビザをやすやすと取得できるわけない。親の同意だって必要だ。
それにどうしてわざわざ一番見づらい、黒縞の部分に文字を?
数秒遅れて俺はある可能性に思いが至った。もしかしたら俺がずっとドイツ国旗と思っていたものは何か違うものを示していたのかもしれない。サッカーボールと日本国旗が書かれていたことから、これはドイツ国旗だと俺はずっと錯覚していた。しかし、カラーではなくあくまで黒ペンの濃淡で描かれたイラストなので、これがドイツ国旗と考えるのは早計であった。
まさか……
俺は勇太さんの死体のありかについて気づいたかもしれない。
俺は部室棟の天井裏で見つけたあの鍵とこの名簿についてここまでの関係性に気づいてなかった。しかしこの二つは密接に関連していた。この落書きについて今まで注意をしていなかったせいで気づかなかった。
俺はすぐにある計画を思いついた。でも、その前に親父にまずは話を聞かなければならない。
思いついた計画はかなり大掛かりなものだ。しっかり裏を取って準備をしてから行動したい。
次話(10話)
