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部室棟の天井裏には死体がある⑬《最終話》答え合わせ(下)|オーディオミステリー|#創作大賞2025

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最終話 答え合わせ㊦

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 俺はもう一人の人物にも、事前にこの計画について話をすることにした。ケジメとして彼女には伝えるつもりでいた。結局、今からの行動は自己満足だ。
 里崎の自宅に行った翌日の放課後、俺は彼女のクラスの3年5組にやってきて、教室の隅の机で大人しく座っている彼女を見つけた。里崎から暴行を受けてからまだ日は浅いが、すでに彼女が学校にやってきていることに俺は安堵を覚えた。彼女の右の頬に当てられたガーゼも理事長室で先日見たときより小さくなっていた。
 7限の授業が終わったばかりで、まだ喧騒の残る教室に入り、俺は綾雪の机の前まで行った。5組には親しい友人がいるわけでもないので、俺がここにやってくることはほとんどない。だから少し緊張した。俺が教室に入ると、周りがより騒がしくなった気がした。
 俺が綾雪の前に立つと、綾雪は目の前の俺を大きな瞳で見上げていた。彼女の視線にいつもは冷たい印象を受けるのだが、今日の彼女の視線はどこか暖かさがあった。これから非情なことを伝えるつもりでいるので、どちらかといえば、不都合であるのだが。
「綾雪、話がある。この後少しいいか?」
 俺はストレートに彼女に切り出した。
 授業終わりの喧騒の残っていた教室は一瞬、静まり返った。
「ごめん」彼女はゆっくりと答えた。
 正直、そのような答えには備えていなかったので、俺はドギマギしてしまった。前のめりになるばかりに忘れていたが、彼女は学年でもアイドル的な存在だ。最近親しくなったと思って少し調子に乗りすぎていたようだ。
「わ、わるかった」恥ずかしさを覚え、日を改めるため、一度5組から退散しようとした。
「ちょっと待って」綾雪は俺を呼び止めた。「実は今日から部活にも復帰しようと思ってるんだ。部活も引退間際で私の女子マネージャーとしての生活も残り少ないから」
「あ、ああ」と俺は適当に相槌を打つ。
「でも、部活終わりになら時間がとれる」と言い、彼女は俺の左手首をとり、上目遣いで言った。
 心なしか、教室は異様に騒がしくなって、みんなの視線がこちらに向いているような気がした。
「……それなら待ってる」と俺はしどろもどろで答えた。
「部室棟の前で待ってて。部活が終わったらすぐにかけつけるから」
「ああ約束だ」
「今日は約束破らないでよ」と悪戯っぽく彼女は言った。
 直後背後からは、「おーい、綾雪、部活始まるぞ、早くしろ」と同期のサッカー部員らしき男子が綾雪に声をかけた。彼と俺は一度目が合ったが、彼は不機嫌そうな顔をしてすぐ目を逸らした。
「うん、今行く」と綾雪は元気に答え、席を立ち、男子部員のほうにかけていった。

 夕方18時ごろ、俺は部室棟の前で、綾雪の部活終わりを一人待っていた。正直もどかしい。先ほどの綾雪は俺に対して冗談を言う余裕があったが、俺が彼女の両親に対して、人殺しの疑念を抱いていると伝えると、彼女はいったいどんな顔にかわるだろうか。暗鬱な考えが頭を支配していた。約束を破って、今このまま帰るほうがどれほど楽か。直前になって事の重大さを身に染みて感じ、鳩尾のあたりには不快さを覚えた。
 先ほどは彼女に対して、しどろもどろする態度をみせてしまったが、これからの話は毅然と振る舞う必要がある。彼女に残酷な考えを述べるのだから、俺も真剣に彼女に向き合わなければならない。それは義務であり礼儀だと思う。
 あれこれ考えていると、彼女がグラウンドのほうから部室棟へ駆け足でやってきた。もう考える暇はない。
 彼女は俺の前で止まった。
「おまたせー」彼女は少し嬉しそうな声で言う。
 これから伝える内容を考えると、いたたまれない気持ちになった。
「もう走れるようになったんだな」
「うん、あの日は全身に打撲を負ったけど、別に骨折や捻挫したわけじゃないから」
「それはよかった」
「で、話って何?」
「実はこれからの話は他の誰にも聞かれたくないんだ。よければこれから一緒に帰りながらしたいのだが、どうかな?」
「ごめん、実は私あの事件があってから、帰りはお父さんに車で送ってもらってるの。今日も送ってもらう予定だからむずかしい」
「そ、そっか」その可能性に、思いが至っていなかった自分に嫌気がさす。おそらく理事長は俺が真相に近づいていることにすでに気づいている。俺と娘が二人きりになる時間を減らすのは賢明だ。娘の安全を守る口実に毎日車で送り続ければ、俺と綾雪が二人で話す機会を潰せる。よく考えていればこうなることも予測できたはずだ。
「よかったら、恒松君も一緒に車に乗ってく? 多分お父さん恒松君も乗せてってくれると思うから、そこで話しない?」
「わるいが、君のお父さんにも聞かれたくない話なんだ」俺ははっきりと言った。むしろ理事長にはもっとも聞かれたくない。
「そう」心なしか、綾雪の頬が赤くなっていた。夕焼けが反射しただけだろうか。
 しかしどうしたものか。今日じゃないにしても、誰にも聞かれずに二人きりで話ができる場所などあるだろうか。外に彼女を連れ出すのはむずかしいだろうし、学校の中で、誰にも見つからない場所なんて……
「じゃあさ……天井裏、行く?」
 予想外の提案に俺はまたドギマギしてしまった。毅然に振る舞うつもりが早速中折れしそうだ。彼女の言う天井裏とは野球部の部室の上のことだ。とりあえず必死に体面を取り繕った上で俺は答えた。
「天井裏つっても野球部員がいるだろ? それに怪我は大丈夫か? 天井裏に入るには結構体力が要る」
「それが今日は野球部の定休日なんだ。私の体は大丈夫!」
「とはいっても退院したばかりだ。何があるかわからない」
「それなら……」綾雪はもじもじしていた。「恒松君が私の手を引いて、天井裏に引き上げてよ。私を天井裏に連れてって」
 俺は綾雪の目を見た。そして、
「わかった」と、努めて毅然に答えた。
 
 俺らはすぐさま野球部の部室に入った。たしかに中には人がいなかった。しかし、隣の部屋では練習終わりのサッカー部員がいる。誰にも気づかれないように静かに素早く天井裏に忍び込まなければならない。
 天井裏の入口付近に机が置かれていたので、今日はそれに上って天井裏の板を外した。あの日のように漆黒の天井裏が姿を現した。俺はすぐに縁に手をかけて、中へ身体を入れた。直後に綾雪も机の上に乗り、天井裏の中の俺を見上げた。彼女が手を差し出したので、俺は手首をしっかりと掴んだ。彼女も俺の手首を強く掴んだので、そのまま俺は彼女を優しく引き上げた。天井の縁に彼女の体が触れた時に少し彼女の声が漏れたが、それでもなんとか彼女はこちらの空間に入ることができた。
 綾雪は、「ほら大丈夫だったでしょ」と得意気であった。
 俺も安心してしまった。本当の仕事はこれからだというのに。
 綾雪はスマホのライト機能をオンにして、ライトを上向きにスマホを地面に置いた。俺もそれにならって、スマホのライトをつけ、付近に置いた。二人のスマホはライトスタンドとなり、天井裏の中をぼんやりと照らした。俺は壁に背をつけて座った。綾雪はそれを見ると俺の隣に来て、俺に体を密着させて座った。前回ここに入ったときは、綾雪は対面の壁に背をつけたが今日は違っていた。
「今日は向こうの壁じゃないんだな」
「忘れたの? あの時は恒松くんが後から座って、向こうに座ったんだよ」
「言われてみたらそうだったかもしれない」
「それに、今からする話は誰にも聞かれたくないんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、近くで誰にも聞かれないように話さなきゃ」
 その通りだ。俺より綾雪のほうが冷静であった。
「で、話って?」綾雪が言う。
 ああ、早くそれを話さなくては。あと15分ほどで、理事長の迎えの時間がやってくるという。それまでに、すべてを伝えなくては。
「勇太さんの居場所に見当がついた」
「うそ……勇太さんは生きてたの?」
「いや、残念ながら勇太さんは、おそらくすでに死んでいる。19年前に殺されたと思われる。俺は勇太さんの死体が今どこにあるのかがわかったんだ」
「そ、そうだったのね……勇太さんは今、いったいどこに?」
「イチ高の旧生徒会室だ」
「旧生徒会室? そんなわけ、だって私が調べたとき、確かに中に何もなかった。死体が置かれていて気づかないわけない」
「旧生徒会室にはおそらくここと同じように天井裏があるんだ。俺は勇太さんがそこで殺され、今もそこで眠っていると考えている」
「天井裏……どうしてその考えに至ったの?」綾雪は落ち着いた声で言った。
「数週間前、綾雪とここに入ったときに見つけた物は実は、例の鍵だけじゃなかったんだ。俺の物だと言い張っていた成人誌は実は勇太さんが意図的にここに遺した物だったんだ」
「……」綾雪は平然としていた。
「成人誌の件、あまり驚かないんだな」
「まぁ、私もそんなところだろうと思ってたから」
「それなら話は早い。成人誌には当時の生徒会名簿が挟まれていた」
「え」と今度は綾雪が驚いた顔をする。
「こっちほうは驚くんだな?」
「いや、実は私も生徒会名簿を探してたんだ。そんなところにあったんだと思って。気にしないで、話を続けて」
「ああ、おそらく勇太さんが成人誌でカモフラージュをして、そこに勇太さんの居場所のヒントを遺していた」
「ヒントというのは?」
「生徒会名簿には日本国旗とドイツ国旗とサッカーボールのような落書きがしてあった。19年前は、ドイツW杯が開かれた年だから、最初は単に、サッカー好きの勇太さんが落書きをしたのだろうと思っていた。俺はドイツ国旗風のイラストが妙に気になり目を凝らしてみると、上に文字が書かれてたんだ。しかも黒縞の一番見づらい部分に……」
「なんて書かれていたの?」
「ここにいる、と書かれていた。旧生徒会の鍵は部室棟の天井裏で見つけた。生徒会名簿も同じ場所で見つけた。実はその二つは密接に関わっていた。その横縞の絵はドイツ国旗ではなく旧生徒会の外観を示す絵だったんだ。旧生徒会室は平屋建にしては妙に高い。もしかしたら天井裏があってもおかしくない。横縞と旧生徒会室の外観を重ね合わせると、ちょうど、旧生徒会室の天井裏らしき領域に『ここにいる』という文字が重なるんだ」
「だから、旧生徒会室の天井裏に勇太さんが眠っていると?」
「ああ、俺はそう考えている」
「それなら実際確かめるのが早そうね。お父さんに頼んで調べさせてもらいましょ」
「それはできないんだ」
「どうして?」
「勇太さんを殺した犯人も捕まえたいと思っているんだ。俺が勇太さんの死体に近づけば、きっと犯人は止めに来る。だから、犯人を引きつけるようなやり方で、天井裏に忍び込もうとしている」
「なるほど、それなら私も協力させて」
「待ってくれ、まずはすべてを聞いてから考え直して欲しい」
「どうして?」
「実は俺が容疑をかけている人物は綾雪と深い縁があるんだ」
 俺はついに綾雪にこれを話さなくてはならない。
「里崎って人でしょ? それなら大丈夫、むしろ私も捕まえたいと思ってたから。いくらでもあなたに協力するわ」
「いや、里崎先生は犯人ではないんだ。君にとっては信じがたいと思うが。むしろ彼には協力者になってもらう。さらにいうなら、彼から聞いた話により俺は勇太さんを殺した犯人が誰か辿り着くことができたんだ」
「……ねぇ、勇太さんを殺した犯人はいったい誰なの? もったえぶらないで教えてよ」綾雪は驚きつつも、ささやくような声で尋ねた。
「君の両親だと考えている」俺ははっきりと答えた。
 綾雪はそれを聞いた後しばらく黙っていた。30秒ぐらい、沈黙が続いた後で、隣の彼女は小さく震えているのがわかった。苦しかった。心が痛かった。
「俺が君の両親に疑いをもったのは里崎先生の証言を根拠にしている。仮にも先日君に暴力を奮った人間のいうことを俺は信じて、行動しようとしている。だから君にとって俺に協力する道理も義理もないよ」
 今思えば、綾雪には伝えず、さっさと行動に出るべきだったかもしれない。綾雪と今、けじめをつけなければ行動に移れなかった。俺は情けない。
「さぁ、そろそろ行くか。もう時間だ」部室棟の天井裏にもいつまでもいるわけにはいかない。河合理事長が不審がってここにやってくることだってありうる。
 俺は腰を上げようとする。今日の俺はとことん残酷だった。彼女に言いたいことだけ言って、ここを立ち去ろうとしているのだから。
「待って」綾雪は俺のシャツを掴んでいた。「私にも確かめさせて。お父さん、お母さんが本当に勇太さんを殺したのか。やっぱり私はあなたに協力する」
 薄暗い天井裏でもわかるほど、彼女の瞳はいつものように鋭かった。だけど彼女の手は震えているのがわかった。
「私は真実が知りたい。あの日だってここで真相を究明するって約束したでしょ。まだ君との約束は果たせてない」
 強がるなと俺は言ってやりたかった。そのほうが彼女のためであるとも思った。しかし彼女の覇気のこもった声と視線に俺は圧倒されてしまった。俺は本当にいいのか、ともう一度聞き返すような野暮なことをする余裕はなかった。ただ、「ありがとう」と彼女の言葉を受け取った。
 俺は本心ではこうなることをどこか期待していたのかもしれない。本当に卑怯なやつだ。
 
 俺と綾雪は先ほどのように互いに手首をしっかりと掴んだ状態で、綾雪にはゆっくりと野球部の部室のほうへ降りてもらった。無事に綾雪の足が机にかかり、俺は安心した。その後、俺も天井裏から降り、板を元通りに戻した。
 俺らは、部室でトークアプリのIDを交換した。彼女とはこの1ヵ月でさまざまな経験を共有したが、互いの連絡先すら知らなかった。
 俺は計画の詳細を後ほど連絡することを伝え、部室を後にした。
 
 俺は数日間、計画を入念に詰めた後、里崎と綾雪に計画の全容を伝えた。二人には次の計画の了承を得ることができた。
 まず、俺と綾雪は深夜に旧生徒会室に窓を叩き割り忍び込む。そこに里崎がかけつけ、綾雪が襲われるふりをする。ここからは相手依存のところがあるが、おそらく理事長は娘を助けに旧生徒会室にやってくるはずだ。今までの傾向からするに彼がやってくる算段が高い。そのためにも、綾雪には事前に理事長には計画を示唆して、当日に警戒をしてもらうことにする。また、理事長がかけつけるまでに里崎には十分にためを作ってもらう。
 理事長がかけつけたら、俺は理事長に娘を連れて外にでてもらうことを指示する。もし理事長が動かなければ綾雪に無理やりにでも理事長を外に連れ出してもらう。
 理事長がいなくなれば、とうとう本題だ。俺は旧生徒会室の天井をハンマーで破壊する。きっと旧生徒会室には天井裏があり、その中には勇太さんが眠っている。俺の予測だが、天井裏に忍び込もうとする最中に、寺島祐綾はやってくる。おそらく彼女は事件の主犯だから必ず最後は彼女が身を挺して止めに来る自信があった。こちらは俺と里崎の男二人体制でいるから、いざというときにどちらかが取り押さえればいい。華奢な女性一人と屈強な男二人では、向こうの分が悪いことは明らかだ。彼女を捕らえて、19年前のことを問いただす。
 それからこの計画の決行日を決めた。決行日は勇太さんが命を落としたまさに19年後、因縁の日に決着をつけることにした。
 
  7
 
 俺は旧生徒会室の天井裏で、純白の殺人鬼、寺島祐綾にすべてを説明し終えた。スマホのライトで照らし出されていた彼女の顔は終始笑顔だった。嬉しそうに俺の話を黙って聞いていた。
 俺が話終わると彼女は、澄み渡る声で、
「ありがとう」と言った。
 俺はその言葉を聞いてまた戦慄した。俺にとっては感謝される覚えなどない。
 彼女は手に持っていたナイフを俺の喉に突き立てた。微かに皮膚にナイフの頂点が当たり、肉が少し裂ける感覚があった。俺はこのナイフに毒が塗られていることを知っているためか、切先の当たる点で痺れるような感覚がした。
 本来であれば、俺のほうが彼女を取り押さえ、19年前のことを問いただす予定であったが、全く逆の立場となっている。今更ながら、あらゆる算段がまったくもって甘かった。殺人鬼とはいえ、ここまでも人を容赦なく殺すとは思ってもいなかった。
 彼女に人としての情などはない。まさに殺人鬼、人ではなく鬼だ。下で見張りをしていた里崎はまるで虫でも殺すかのように、瞬殺された。おそらく俺も例外ではない。
 また、この旧生徒会の天井裏はまさに勇太さんを殺すために設計された空間であることは身をもって理解した。天地が狭く、勇太さんと同じくタッパのある俺にとっては、著しく行動制限があった。まさに袋の中のネズミ。
「安心して、あなたのことはすぐに殺さないから、なんせ19年もこの日を待ってたのだから。すぐに殺しちゃうのはあまりにももったいない」
 19年待っていた? いったい彼女は何を言ってるのだ。
「いいねー、その顔。勇太くんと同じ。使命感に燃えていたのに、最後は悶え死んだ勇太くんのことを思い出すとぞくぞくするの。私のためにここまで最高の舞台を用意してくれてありがとう。私のために動いてくれて」
「俺は、お前のために動いた覚えなどない。今日俺は自分の意思でここにやってきた」
 殺人鬼というだけあって、彼女には妄想癖でもあるのか。まさか今日俺がここに来たのは俺が彼女に殺されるために来たとでも思い込んでいるのか。
「あら、おめでたい人。それも勇太くんと一緒。まっすぐで正義感はあるけど、心の底では自分がヒーローだと思っているから、周りが見えてない。自分がこの世界の主人公だと信じ込んで罹っちゃってるのよ。でもそれでいいの。それでないと殺し甲斐がないから」
 俺は彼女が言っていることがまださっぱりわからない。
「いいわ。勘が悪いから、教えてあげる。あなたが部室棟の天井裏で見つけた鍵と生徒会名簿、それはいったいいつ見つけたの?」
「……さっきも言っただろ、今から2ヵ月前、それはちょうどお前と会った日だ」
「そう、あなたにとってはたかだか2ヵ月前。だけど私がその二つの存在を知った日は今から19年前のこの日。勇太くんを殺した日に、この二つを見つけた。そしてあなたが生まれたときから、あなたがここに来るのをずっと待っていた」
「な、何を言っている」
「まだわからない? でも安心して、あなたにも理解できるようきちんと説明してあげるから」
 彼女の顔から笑顔は消えた。寺島祐綾は静かな声でゆっくりと語り始めた。
「当時、誰よりも献身的に勇太くんに寄り添っていたのは私だった。勇太くんがサッカー部で活躍したのも、みんなから羨望の眼差しがあったのも全部、私のおかげ。私が勇太くんに尽くしたから、影で勇太くんを支えていたからに他ならない。それから私だけが、勇太くんの一番かっこいいところを知っている。なんてったって勇太くんはサッカーに真摯に向き合っている時が最上級にかっこいい。高潔で誰にも汚されるべきではない。私は影からそれを見守るだけでも十分だった。私のかけがえのない楽しみだった。あの女さえいなければ、勇太くんは不潔にはならなかったし、勇太くんはきっと、私たちを全国大会にも連れてってくれた。最高の感動と恍惚を与えてくれたに違いない。そして、きっと引退後に私と勇太くんは結ばれる運命だった。しかしあの女がすべてをぶち壊しにした。サッカー部の部内恋愛禁止をいいことに、勇太くんの現役中に禁断の果実を貪った。あの女は私たちに侮蔑の限りを尽くした。私は勇太くんを守ってあげられなかった。私は何度も勇太くんにあの女から離れるよう忠告した。だけどもあの女は本当にしつこく勇太くんにつきまとい、勇太くんを騙し、愚弄した。だから、私は勇太くんを守るため、生徒会にも入ったし、勇太くんの帰り道も毎日ついていった。それぐらいしないと勇太くんはあの女から守れないと思ったから。だけど無駄だった。勇太くんはあの女に騙され続けた」
 語る寺島祐綾の顔は狂気じみていた。スマホのライトはまるで般若を照らし出すようであった。
「勇太くんを正気に戻すにはもっと激烈な感情を想起させる必要があると私は思った。それほど勇太くんはあの女に罹っていたから。私の真の覚悟を勇太くんには見せる必要があった。だから、私は、殺す、と勇太くんに伝えた。あの女から離れなければ殺すと。私も本心ではなかった。こんなことは言いたくなかった。目的は勇太くんに正気に戻ってもらうことだったから。だけど、勇太くんにも私の心のうちを見透かされてか、取り合ってもらえなかった。私がまさか勇太くんを殺すわけないと勘づかれてしまった。私も反省した。勇太くんに本気を見せられてなかったと。もっと勇太くんの脳裏には鮮烈なイメージを焼き込まないといけないとそこで理解した。だから私は、勇太くんの処刑場として、この部屋を作ることを決意した。実際に勇太くんをここに呼び出し、脅せば、勇太くんの病気もきっと治る。別に勇太くんを殺すまでもなく、この処刑場さえ見せれば、勇太くんは元の清潔な彼に戻ってくれると思っていた。この部屋を作るために学校の権力者、河合武志に私は体を売った。河合武志はJK好きと聞いていたが、まさかあそこまでのチンパンジー野郎と思わなかった。あいつの愛撫は本当にしつこくて気持ち悪かった。未だにあいつのことは生理的に拒否反応がある。ただ今日のために、ずっと我慢してきた。しかし、とうとう今日カタルシスを得ることができる」
 目の前の般若はぎこちない笑みを浮かべた。
「当時勇太くんは学校の看板でもあったのに、勇太くん殺害計画に河合武志はノリノリだった。勇太くんがいなくなれば私の本命になれるとでも思ってるみたいだった。それがまた気持ち悪かった。ただあの男のおかげで、この部屋は順調につくることができた。まさかここまで願望通りに行くとは思わなかった。勇太くんが生徒会長になる直前に、めでたくも勇太くんのための生徒会室は完成した。せっかくだから勇太くんにはまずは生徒会室としての機能を存分に味わってもらった。まさか自分の処刑場として作られた部屋とも知らずに勇太くんは心底この部屋を気に入ってくれた。やっぱり勇太くんは愛らしい。勇太くんにこの部屋の真の姿をお披露目するのが楽しみだった。勇太くんの生徒会引退直後、とうとう私は勇太くんをこの場所に呼んだ。勇太くんはサッカー部の天井裏によく入っていたようだから、ここに入るぐらいはお手のものだった。ここにやって来なければ、岩倉未貴を殺すと脅したら、勇太くんはすんなりやってきた。私にとってはその事実も少し憎たらしかったのだけど」
 そうか、寺島祐綾は当時から部室棟の天井裏のことも知っていたのか。
「さすがの勇太くんもここに来た時には怯えていた。私は今あなたにやってあげているように勇太くんの喉元にもナイフを突き立て、こう告げた。今すぐあの女と別れろと、金輪際会うなと。さもなくば勇太くんも岩倉未貴も惨殺すると。そしたら勇太くん、なんて言ったと思う? 『お前は正気じゃない。昔の祐綾に戻ってくれ』だって。はぁどっちが?って話よ。私は勇太くんの病気は末期だと思った。勇太くんはもしかしてもう救えないのではないかと悟った。私は最後の望みをかけて勇太くんと約束した。一週間後、岩倉未貴と別れた状態でもう一度、ここに来てもらうことを。勇太くんが岩倉未貴と絶交さえすれば、勇太くんにも岩倉未貴にも危害を加えないこと、この部屋の入口も完全に塞ぐことを私は誓った。ただ岩倉未貴との縁が残っていたり、この天井裏のこと、ここで話した内容を口外したりした場合は、岩倉未貴だけでなく、真実を知ったものを含め皆殺しにすると伝えた。勇太くんは受け入れ、最後には『祐綾、お前のことを信じている』と言ってくれた。だから私も勇太くんを信じた。勇太くんも男らしく、岩倉未貴とすっぱりと別れて一週間後ここにやってくるものだと思っていた」
 寺島祐綾の声は震えていた。
「だけど、最後の一週間の勇太くんは本当にみっともなかった。一週間、何度も勇太くんは岩倉未貴と会ってたし、部室棟の天井裏でも何かこそこそやっていた。私がその空間の存在を知っているとも知らずに。一週間が経って、勇太くんはこの処刑場にやってきた。『約束通り、未貴とは別れた』って。念のため、『もうあのストーカー女に恋心はない? 嫌いになった? あの女から逃れたい?』と聞くと、本当に苦しい表情を浮かべて勇太くんは『ああ、彼女から逃れたい』と声を漏らした。その表情から勇太くんは多分形だけ岩倉未貴と別れたんだと思ってたし、サッカー部の上に何か手がかりを残してきたのも知っていた。勇太くんにはすべてのしがらみを捨てて、私に潔白の愛を誓ってほしかった。変な保険を張らないでほしかった。残念ながら勇太くんは不合格。私はその場で勇太くんを殺すことを決めた。勇太くんは私のことを多分信じていた。最後は私が考えを改めると。いや、勇太くんは自分を信じていたのかもしれない。自分なら、祐綾を更生させられると。つまり私は最後まで舐められていた。勇太くんのシナリオの一舞台装置だと思われていた。ナイフを突き立てても勇太くんはヒーロー気取りだった。みじろぎ一つしなかった。憎いから私はナイフを喉の肉に食い込ませた。それでも勇太くんは私を説得しようとしてきた。最初の数秒は痩せ我慢できていたけど、ナイフが深く入るにつれ、勇太くんは震えながら苦悶の表情を見せた。うまく気管と頸動脈を避けて、ナイフを勇太くんの首元に差し込み終えた後、私は、ナイフを勢いよく抜き取った。勇太くんはその場で、うずくまり、後はのたうちまわった。勇太くんは私の足元で、結局最後は『助けて助けて』と命乞いしたけど、もう命は助からないことは知っていた。ナイフにはたっぷりと神経毒が塗ってあるから。やがて毒は体内を周り、勇太くんの命は尽きる。勇太くんの命は助けられないが魂だけは救えるのだ。あの女から解放されて、私のものになる。きっと私の心の中で生き続ける。そしてそれが勇太くんのあるべき姿。勇太くんが果てる瞬間。私も味わったことのない絶頂を感じた。私ははじめて勇太くんと一体化することができた」
 俺は今の話から寺島祐綾に情状酌量の余地など微塵もないことを改めて実感した。同時にこの部屋の背後で眠る父勇太の悲惨な最期を知り、無念の気持ちで溢れていた。この女に殴り掛かりたい気分だった。だが、この空間での俺はただただ無力だった。
「私は、勇太くんを本来の姿に戻してあげた後は、いろいろとやることがあった。まず、勇太くんがサッカー部の上に遺したと思われる手がかりを回収しようと思った。私は当時のサッカー部の部室で、天井裏の入口を見つけ出した。勇太くんがよく出入りしているのは知っていたけど、入るのはそれが初めてだった。中を隈なく調べて私は二つの遺物があることに気づいた。一つは旧生徒会室の鍵で、もう一つはエロ雑誌に挟まれた生徒会名簿、2ヵ月前にあなたが見つけた物よ。あなたも同じ感想を抱いたかもしれないけど、勇太くんは本当に回りくどい手がかりを残していた。私が勇太くんに一連の件を誰にも口外するなと言っていたが、勇太くんは少しばかりは真に受けてたんだなと、しみじみ思った。その時ばかりは勇太くんを殺したことを少し後悔したけど、殺しちゃったのだからもうどうしようもなかった。私は勇太くんの思いに免じて、遺物をそのまま遺すことにした。サッカー部の天井裏の存在を知っている人なんて、ほとんどいないだろうし、天井裏に気づいたところで、一見すると、どこのものともわからない鍵とエロ雑誌が落ちているだけ。いったい誰がこれだけのヒントで生徒会室の天井裏に辿り着けるだろうか。唯一可能性のある人物としては広樹くんが考えられたけど、広樹くんは何らかの理由でサッカー部の天井裏を避けているようだったし、臆病でビビリな彼が旧生徒会室の天井裏に辿り着けるとは思えなかった。また誰よりもサッカー部員思いの彼が私のことを疑えるわけがないと知っていた。たとえ彼は私が犯人だと勘付いても、自分自身のほうを捻じ曲げるような甲斐性なしだから」
 寺島祐綾は俺の首元に突き立てていたナイフを一度下ろした。
「もう一つ私には重要な仕事が残っていた。それは岩倉未貴を処理すること。本当は勇太くんを殺した直後に、あの女もこの処刑場に誘い込んで、殺すつもりだった。しかし二つの理由で私はすぐに実行に移さなかった。まず岩倉未貴と勇太くんは本当に生前に別れていたようだったから。勇太くんは生前にあの女と何度も会っていたからてっきり二人は私を騙す計画を練っていると勘繰っていたけど、直後あの女は広樹くんと付き合ったことを知り、勇太くんの最期の一週間に本当に二人は別れ話をしてたんだと思った。ただ岩倉未貴は本当に節操がない女だとは思った。あの女は結局サッカー部でイケメンの勇太くんに恋してただけで、同じようなスペックなら誰でもよかったんだと思った。本当に勇太くんが不憫に感じられた。全部、あの女のせいで、勇太くんは悲惨な運命を辿ることになった……本来なら私と結婚して幸せな家庭を気づくはずだったのに。ただ、勇太くんだけは健気にも私との約束を守ってくれていた。勇太くんが約束を破ったことを理由に岩倉未貴を殺すつもりだったのだけど、その理由で殺すのは筋違いになったから、すぐには岩倉未貴の殺害を実行に移せなかった。もう一点、すぐに岩倉未貴を殺せなかったのは、奴をこの生徒会室の天井裏に呼び出す口実がなかったから。世間では勇太くん失踪が取り沙汰されていたし、岩倉未貴は間違いなく私のことを警戒していた。勇太くんのときは岩倉未貴を殺すと脅迫すれば簡単に勇太くんを処刑場に呼び出せたが、岩倉未貴の場合にはそうはいかない。勇太くんを口実に生徒会室の天井裏に呼び出すことはむずかしいと思っていた。なんせ、勇太くんがいなくなった直後に他の男と付き合うような人間だ。下手に行動をすると、不利な情報を与えるだけで、私の足がついてしまう」
 寺島祐綾は目を瞑り、一呼吸おいた後に、俺の目を力強く見た。
「しかし」金切り声で彼女は叫ぶ。「それらは。ぜんぶ。ぜんぶ。ぜんぶ。私の勘違いだった。すべてが私を騙すためのフェイクだった。勇太くんも岩倉未貴もこざかしい真似をして私を騙し、愚弄した。私はお前の両親が、心底、憎い」
 寺島祐綾は手に持っていたナイフをもう一度俺の喉に突き立てた。ナイフを握る手にはかなりの力が入っているのがわかる。喉に接する金属片が電極となり、彼女のうちに秘めた殺気がダイレクトに伝わってきた。
「結局、私は在学中に岩倉未貴を殺すことはなかった。一方、岩倉未貴は在学中に妊娠が発覚し、休学をした。かすかに嫌な予感があったが、さすがに広樹くんとの子供だろうと高を括っていた。私は岩倉未貴をその後も追跡し、新年度の4月にあなたが生まれたことを知った。計算が合わなかった。岩倉未貴と広樹くんは勇太くんの失踪直後、夏の初めに付き合い始めたはずだ。それにしては若干あなたが生まれるのが早かった。出産後、退院し、病院の玄関から出てきた岩倉未貴の笑顔と生後間もないあなたの顔を見た瞬間のことを今でも鮮明に覚えている。あなたの顔に勇太くんの面影を感じてしまった。直後私は、あらゆることを悟った。岩倉未貴と広樹くんは私を騙すためだけに、夫婦のふりをしていたこと。私は勇太くんと真剣に向き合っていたのに勇太くんと岩倉未貴はやることをやってたこと。サッカー部の上に遺した手がかりは、まさか自分の子供にあてたものだったのではないかと。彼らはいずれ私に復讐をしようと思っているのではないかと。その時点で私は岩倉未貴もあなたも皆殺しにしてやると決心した。生徒会室の所有者で河合武志の協力は必要だと思い、私は彼と結婚した。そう、あなたたちへの復讐のために私はあいつと結婚した。あなたと同級生の娘も偶然生まれたわけじゃない。すべてはお前たち一家への復讐のため」
「な、なんだと……」
「岩倉未貴の殺害はすぐに実行に移した。あれはあなたが2歳半になったころだったかしら。その頃はあなたの顔はもっと勇太くんに似てきていた。私はあなたが勇太くんの子孫であることはそこで確信した。だからもう岩倉未貴を殺すことに躊躇いなんてなかった。『子供を殺されたくなかったら、一人で生徒会室に来い。口外したら、子供も広樹くんも皆殺しにする』って言ったらあの女はすぐにやって来たわ。本当に誰にも言わずに一人でやって来たみたい。悲劇のヒロイン気取りで、それが勇太くんと少し重なって気に食わなかったけど。彼女を生徒会室に呼び出してから、『実は天井裏に勇太くんがいるから最期に会わせてあげる』といったら、あの女、本当にノコノコついてきて、この天井裏にも思いのほか簡単に入れることができた。こんなにも簡単ならもっと早く実行しておけばよかった。この処刑場に呼び出した直後私は彼女を滅多刺しにした。勇太くんのときには刃先に毒薬を塗ってたけど、彼女の時はそんなことはしなかった。心臓を避けて彼女をブスブスした後、後は時間をかけて彼女が果てていくのを待った。1時間ぐらいかかったかしら、彼女はじっくり時間をかけて息を引きとった」
「ふ、ふざけるな」
 話の途中から、ずっと勘繰っていた。寺島祐綾が俺の母を殺したのではないかと。心の奥底で違う結末をかすかに期待して彼女の話を聞き続けたが、儚い希望であった。母がそんなにも苦しい最期を迎えたと思うと、吐きそうになる。
「ふざけるな。お前が母さんを殺したのか。勇太だけに止まらず母までも」
「ええそうよ。でも半分あんたが殺したようなものよ。あなたさえ生まれてこなければ、岩倉未貴は死ななかったかもしれない。あなたという人質がいたから生徒会室におびき寄せられたのよ。ただあなたはママに感謝しないとね。彼女の死があったおかげであなたは18年間のうのうと生きてこれたのだから。あ、でも今から死んじゃうから結局は同じか」
「どこにいる?」
「え?」
「岩倉未貴は今どこにいる?」
 そう、まだ岩倉未貴の死体は見ていない。今の話はすべて寺島祐綾の虚言で、実は俺の母・岩倉未貴は生きているかもしれない。単に寺島祐綾は極限状態の俺が一番苦しむストーリーを拵え、楽しんでいるだけかもしれない。俺はかすかな望みにかけた。
「あら、あなたの後ろにあるじゃない」
「後ろ?」
「ほら、後ろに箱が置いてあるでしょ? その中にあるわよ」
「い、いや……それは勇太の骨だろ」
「私一言もそんなこと言ってないわよ。あんたが勝手に思い込んでただけでしょ。それは紛れもなくあんたの母親・岩倉未貴の骨よ。よかったわね、会いたかったお母さんに対面できて」
 俺は全身が震え上がった。先ほど俺が抱え上げた骨。ずっと勇太の遺骨だと思っていたが、あれは俺の母・岩倉未貴の遺骨だったのか。たしかにどことなく骨は小さく感じた。俺は今まで、人骨を見たこともなければ触ったこともないので、そんなものかと思っていたが、違う。勇太ではなく母の遺骨だったから小さかったのだ。
「勇太はここにいないのか?」
「ええ。ここは処刑場で勇太くんの居場所じゃない。私はこの下で河合武志に何度も汚された。そんな不潔な場所に勇太くんを置いておくのは失礼。この部屋にはあの女を置いておくぐらいがちょうどいいのよ。勇太くんはもっと神聖な場所にしまってある。勇太くんが本来いるべき場所に」
「勇太はどこにいる。教えろ」
「いやよ。教えてあげない。何でも自分の思い通りになると思ったら大間違い。勇太くんは私だけの知る場所で今も眠っている。ただ、あなたも命が尽きた時になら、対面させてもいいかも。私の聖域に迎え入れてあげる」
 謎が解けて俺はいい気分になっていた。旧生徒会室の天井裏の存在に勘付いてから、ずっと俺は勇太がここにいると思っていた。実際にこの空間をみつけ、さらに人骨も見つけたときには自分の考えに一切の疑いなんてなかった。寺島祐綾の言う通り、俺は主人公気取りだった。俺の希望や願望は最期には現実となると信じ込んでいた。頑張りさえすればハッピーエンドで幕が閉じると思っていた。
「こんなはずじゃなかった。自分は主人公のはずだったのに、なんて思っているかしら?」
 この女は俺の心まで見透かしているのか。
「でも、本来主人公ってそういうものなのよ。RPGの主人公だって結局はプレイヤーに操られている。総理大臣や大統領だって、政党や国民の支持のもと動いていることにはかわりない。結局、人間は誰かに操られ生きているのよ。あなたのプレイヤーは私だっただけ。私の紡ぐ脚本の中ではあなたは紛れもなく主人公よ。おめでとう。あなたが生まれた時、私はあなたがいつかこの場所にやってくると信じていた。勇太くんが私への復讐のために遺した手がかりを逆に利用してやろうと思った。私は勇太くんを殺したときに、人生で最大のエクスタシーを味わったが、またその快感を味わうことができると思い、あなたが生まれたときから私の脳からはよだれが垂れ続けていた。何かと都合がいいかと思ってあなたにはヒロインとして綾雪も用意してあげた。あなたが生まれた直後に仕込んで、まだ雪のちらつく、3月に彼女は生まれた。女の子が生まれて来て心底うれしかった。そこからすべてのシナリオが私の思い通りにすすんだ。あなたは勇太くんそっくりに男前に育ってくれて、イチ高にも入学してくれた。サッカー部に入らなかったのは残念だったけど、いつか部室の天井裏には気づいてくれるとは思っていた。なかなか気づいてくれなくてハラハラしたけど、2ヵ月前、とうとうあなたは天井裏の存在に勘付いてくれた。私の自宅にあなたがやってきたときは本当に驚いたわ。待ち遠しすぎて、あなたにはほぼ答えを教えてあげた。思い通り、あなたと綾雪はその日のうちに天井裏に行ってくれた。念のため河合武志に視察に行かせたけど、しっかりとあなたは勇太くんの遺物を回収してくれたようで安心した。ここまでうまく行ったのだから、いずれあなたは旧生徒会室およびその天井裏にも気づいてくれるだろうと思った。ただ少し物足りなさがあった。何が物足りないかというとやはり、主人公感、ヒーロー感があなたには足りなかった。あなたのメンタルが弱すぎて不登校になったときには流石に心配した。だけど娘の綾雪がいい役割をしてくれたわ。里崎もずっと目の上のたんこぶだったけど、あの日だけは役に立った。彼らが悲劇の舞台を作り上げてくれて、あなたは晴れてヒーローになった。やっと私の待ち望んでいたヒーローになってくれて、私は心の底からあなたに感謝した。そこからはとんとん拍子だった。あなたはナルシズムに酔って、自分だけは疑わず、主人公だと信じて、今日この場所にやってきてくれた。私に殺されるためにここまで。18年間本当にお疲れ様。そして私のためにここまでやってきてくれて、ありがとう」
 俺は諦めた。すべてを諦めた。最初から叶うはずなどなかったのだ。俺は神に抗おうとしていたのだ、彼女は神なのだ。俺より一次元上の世界の。俺は18年間ずっと彼女に操られてきた。終止符を打つのも彼女であるのは道理である、神なのだから。むしろ彼女には感謝しなければならないのかもしれない。彼女のストーリーの主人公として生かしてくれて、そして悲劇的ではあるがこんなに華々しいまでのエンディングを用意してくれて。ここまで可憐に散る最期を迎えられる人間は世界にどれほどいるだろう。おそらく俺だけだ。
 俺は目を瞑り、息を止めた。あとは楽園に行くだけだ。もしかしたらこの先には俺が行きたかった場所が待っているのかもしれない。そこには父・勇太と母・未貴が待っている。純白の殺人鬼はそこに連れてってくれるのだ。

 遠くから女性の声が聞こえて来た。天使だろうか。天使の声はどこか聞き覚えのある声だった。俺の好きな人の声。天国とは浮世で得た自分の好きなものをかき集めて再構成された世界なのだろうか。なるほどなぜ人間は直接天国には生まれず、一度混沌の浮世を経験するのか。それは自分にとって何が好ましいものか選別する場なのだな。それにしても現世と天国はここまでもシームレスなのか。何の痛みや衝撃もなく、天国へとやってくることができた。よくできたシステムだ。ありがとう世界。

「やめて、お母さん」

 俺が天国と思った世界に、その声はこだました。強い腹声が俺の鼓膜をつんざいた。
 いや、ここはけっして天国なんかじゃない。地獄だ。現世という名の地獄なのだ。現実逃避をしてはいけない。俺が殺される刹那、綾雪がこの処刑場へ入ってきた。俺の中ではやめろ綾雪であった。変な真似をするんじゃない。
 殺人鬼は俺の喉元からナイフを下ろし、天井裏への入口付近で立つ、綾雪のほうへ振り向いた。
「あら、あなたどうやってここに? 河合武志があなたを取り押さえているものと思っていたわ」
「お父さんは、この部屋にも暗視のビデオカメラを設置していた。この部屋はあまりにも暗くて気づかなかったと思うけど、あそこにカメラが設置してある」
 綾雪は持っていたスマホでこの部屋の角を照らした。
「有線で外部のモニターとスピーカーに繋がれていたから。中の様子を監視できた。お父さんは私にもその内容を見せてくれた。だから途中からすべてお母さんが話す内容を私も聞いていた。本当は何かあったときのために、お父さんが駆けつけてお母さんを守るためにつけていた。だけどお父さんの気もかわったよう。今はモニター室で廃人のようになっているわ。私がここへ駆けつけようとしたとき、お父さんは止めようともしなかった」
「へー」寺島祐綾は感心するように嘆息した。「で、あなたは私の邪魔をするの? 私の舞台装置にすぎないあなたが。それともフィナーレに華を添えに来てくれたのかしら」
 俺はまずいと思った。当初、寺島祐綾はまさか娘の綾雪にまで危害を加えるはずないと思い、この一連の計画に綾雪に協力してもらった。しかし、この殺人鬼にもはや常識など通用しない。たとえ娘であろうと邪魔者は虫ケラのように排除するだろう。
 殺人鬼は切先を娘のほうに向けた。殺人鬼が少し腕を伸ばせば、綾雪の新雪のような肌は赤く染まる。俺は後ろから止めに入りたかったが、その行動が命取りとなる可能性を孕んでいた。後ろから殺人鬼を取り押さえたとしても綾雪の肌のどこかには刃先を入れることができる。刃先には毒が塗ってあるので少しでも体内に入ると致命傷になる。
 しかし、もう俺はやるしかなかった。望みは低いが、無惨に綾雪が散るくらいなら、小さな希望にかけるしかない。
 俺は少しずつ殺人鬼の背後に近づいて行った。
 まだこちらに気づいてない。
 失敗は許されない。
 「……あ」
 俺は思わず声をもらしてしまった。
 直後、殺人鬼の顔は俺のほうを向いた。
 俺は、殺人鬼ごし、天井裏の入口に、もう一人の影を見た。
 俺は今まで、その影の酔っ払った姿をみるのが日常だった。
 彼がここまでも俊敏な運動神経の持ち主だとは思ってもいなかった。子供のころから、彼の自慢話を嫌というほど聞かされてきたというのに。
 彼はあっという間に、天井裏の中へと入ってきて、低い姿勢のまま殺人鬼と綾雪の間に入った。
 そして、体で殺人鬼の刃先を受け止めて、そのまま、寺島祐綾に覆い被さった。18年間、俺に対して一身に愛情を注いでくれた人が。
「おやじ……」俺は声を張り上げたかったが、声はかすれた。喉の近くの神経には少し毒が回っていたようだ。
「祐綾、やっぱりお前だったか……俺はお前をずっと信じていた。お前がここまでも修羅だと思いたくなかった。でもそう信じるのは俺の傲慢だったとやっと気づいた。お前を疑えなかったばっかりに、勇太も未貴も救えなかった。もう勇太と未貴は助けることはできないが、最愛の貴広を失うわけにはいかない。貴広にとって最愛の人も同様だ」
 広樹の下の殺人鬼は必死にもがいていたが、広樹は体を挺して押さえつけていた。
「貴広ごめんな。俺がお前をこんな危険な目に合わせてしまって。危うく、勇太と未貴が俺に授けてくれた宝物を壊されるところだった。俺のこの世で一番大切な人をまた奪われるところだった」
 広樹の声は震えていた。声を発するのもやっとだということがわかる。
「……早く逃げろ、は…………や………………く」
 父の声から徐々に生気は失われていく、俺はここを立ち去りたくなかった。俺にとっても広樹はこの世で最も大切な人だ。こんな幕切れなど嫌だ。
「何してるの! 早くいくわよ」
 横に綾雪がやってきて俺の手を引いた。
「みんなの思いを無駄にする気? いったいどれほどの大人たちがあなたを守ってきたと思ってるの。あなたのやるべきことは今ここに残ることじゃない」
 その通りだ。綾雪はやっぱり強い。そして俺も強くならなければならない。
 今日殺される予定であった舞台の上から、俺は飛び降りた。勇太と未貴と広樹、三人の親に別れを告げて、俺は処刑場を後にした。
 処刑場の下にも血溜まりができており、そこには里崎が目を見開いて倒れていた。俺は里崎の顔に手を覆い、彼の瞼を下ろした後、すぐさま警察を呼ぼうとした。しかし、その必要はなかった。すぐさま先ほど俺が割った窓から警察の機動隊が入ってきて、天井裏へと数名の隊員が入って行った。広樹か綾雪が事前に呼んでくれていたのだろう。後は警察に任せよう。
 悲劇は幕を閉じた。俺はさまざまなものを失い、ヒーローにはなれなかったが、俺の役割はヒーローになることではない。みんなが繋いでくれたこの命を大切にすることだ。今生きている人と時に助け合い、寄り添って生きていくことだ。自立とは決して孤高のヒーローになることではないことを俺は身をもって実感した。里崎と俺の三人の親が命を挺して教えてくれた。

次話


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