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部室棟の天井裏には死体がある②元サッカー部女子マネージャーの証言|オーディオミステリー|#創作大賞2025

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第二話 元サッカー部女子マネージャーの証言

   1

 昨晩は親父から変な話聞かされたせいで寝不足だ。結局眠りについたのは深夜三時ごろだったか。早朝の現国の授業の傍ら、また昨晩の話を思い返していた。黒板の前では、太った男性教師が左手で板書しながらブツブツ言ってるが、内容は俺の耳を素通りしていた。
 親父の話をまとめると、サッカー部の部室の上には人が入れるくらいの狭い空間があって、そこには恐らく、父のかつての親友・勇太の死体があるとのことだ。いやいや、なわけあるか。部室棟は今も多くの生徒が使ってるんだ。当時の学校の有名人の死体が誰にも見つからず、20年近く眠ってるなんて、ありえない。
 正直、確かめる必要もない。だけど、念のため……念のためだ。

 放課後、俺は結局サッカー部の部室にやってきていた。
 今はサッカー部の連中はグラウンドで練習に出てる。この隙に済ませてしまおう。心臓が暴れ馬のように拍動する。
 落ち着け、勇太さんの死体があるわけないんだ。わかりきったことだ。部室棟の1階と2階の間にある空間を確認するだけだ。そこに何もないことを確かめて部室を出る。ただそれだけだ。早くしないと部員が戻ってくる。今のうちに。
 俺は部室棟の用具置きから脚立を持ってきて、部室の中央に立てた。ゆっくりと脚立に足をかけ、天井を隅から順番に叩いていった。
 確かに天井を叩くとポーンと軽い音が聞こえてきた。天井裏には何かしらの空間があるようだ。でもそこに勇太さんの死体があるかというと話は別だ。あるわけがない。

 天井を調べ始めてから10分ほど経過したか。脚立を少しずつずらして、だいたいすべての天井を押してみたが、びくともしない。親父はたしか壁際っていってた気がするけど……
俺はまだ触れていない最後の天井の角に手を添えた。そして力強く押し上げた。
「うんぐ……」
 やはりダメか、よしもう一度。
「んん……」
 そんなはずは、
「んぐぐぐ……」
 くそ、だめだ。
「これで最後、あと一回だけ」
 その時であった——
「あんた何してるの」
 よく通る腹から出た女性の声が俺の鼓膜を強く揺らした。同時に俺の心臓の暴れ馬が再び跳び上がった。
 水色を基調とするセーラー服に身を包んだショートボブの少女が部室の入口付近に立っていた。その薄桃色をした唇から今の声は発せられたと考えると恐ろしい。
 彼女は、その美貌から、学内でも何かと注目を浴びる人物で、言葉を交わしたことがないが、俺は彼女のことを知っていた。サッカー部の現役マネージャーの河合綾雪かわいあやゆきである。
「あんた完全に不審者よ。うちの部室で何してんの?」
 長いまつ毛を携えた大きな瞳で、冷たく刺すような視線を向け、「お前から目を逸らさないからな」という強い意志が顔から見て取れた。
「いや、部室のメンテナンスをと思って」
「間に合ってるわ」
「あの、いつから見てました?」
「3分前から」
「じゃあ、もっと早く声をかけてくれれば」
「あんた、明らかに怪しかったから。泳がせたのよ。現行犯逮捕しようと思って」
「それにしては結構泳がせましたね」
「ええ、私、人を追い詰めて、困る顔を見るのが好きなのかもしれない」彼女は瞑目した。「で、何の用なの? 入部希望なら多めにみてやらないことはない」
 こんなエキセントリックな入部希望があるだろうか。
「いや、入部希望では」
「っそ。じゃあ、とりあえず通報するわ。部室に不審者がいたって」
「ちょっと待て、話を聞いてくれ!」
 しかしマズイ。正直にすべて話すと余計不審者と思われる。言葉を選ばなくては。
「俺の父は実はサッカー部のOBで……」
「へー」
 彼女は真顔である。
「……」
 気まずい沈黙が続く、
「で?」
 二の句が出ない。
「うちの部室でアンタがこそこそやってたことと関係あるの?」
 まったくその通りだ。
「いや、その、なんか父が部室に昔、大事なものを忘れたって、それを探してたんだ」
 嘘ではない。父の親友のことを探しているのだから。
「ふーん、あんたの父さん何歳?」
「37歳くらいかな」
「へー結構若いのね。私の母さんと同じぐらい」
「そ、そうなんだね」
「で、20年近くも前のものが、部室にまだ残ってるとでも思ったわけ?」
「いや、残ってるかも知れないだろ」
「それで見つかったの? 探し物は?」
「いや、まだ……」
「あんた何かまだ隠し事してるでしょ、正直に言いなさいよ」
 ええい、もうどうにでもなれ。一つ重大な情報をくれてやろう。
「実は部室棟の1階と2階の間には人が入れるくらいの狭い空間があるそうなんだ。親父は、そこに大事なものを忘れたって」
「空間?」
「ああ、どうやらその入口がサッカー部の天井にあるらしい。親父いわく天井を押せば板が外れるって言ってたけど」
「で、入口は見つかったの?」
「え?」
 俺は彼女の意外な返答に困惑した。
「見つかったの?って聞いてるの」
「いや、まだ」
「探し方がわるいんじゃない?」
 と言って河合綾雪は、この小さい脚立に足をかけ、俺の隣に立った。
「ちょ、ちょっと危ないよ。この脚立は二人で乗るもんじゃ……」
「何よ、手伝ってあげるってのに生意気ね」
 彼女の吐息があたる。
「早く済ませましょ」
 汗まじりのシトラスの香りが鼻腔を抜けた。

「結局、秘密の入口なんてないじゃない」
 俺は彼女と一緒に、あらためてほぼ全ての天井を力強く押したが、やはり板が外れる様子なんてなかった。
 天井を確かめていた間、薄い布数枚を通してずっと彼女の柔らかな感触を肌で感じていた俺は天井の穴どころではなかったのだが。
「そもそも、天井裏のスペースなんてないんじゃない?」
「いや、それはない。俺の親父は飲んだくれでたまにテキトーなことも言うけど、ここまで馬鹿らしい嘘をつくような人ではない。学生時代にちゃんと天井の空間および入口はあったはずだ」
「そ」と彼女はつまらなそうな顔をしている。
「きっと親父の他に、穴の存在に気づいた人がいて、塞いでくれたんだ」
 ああ、きっとそうに違いない。俺はその人のおかげで、勇太さんとの最悪の対面を果たさなくてよくなった。いやいやそもそも、勇太さんが部室棟の天井裏に眠ってるなんてありえないことだけど。まー、何はともあれ、これで昨日から俺を苦しめた悩みの種はもう考えなくてよくなった。以前この部室にあった穴はもう入れないこととがわかったのだから。
「……」彼女は何か無言で考えているようだ。数秒後彼女が口を開く、「仮に穴の存在に気付いたとして、ご丁寧に塞いでくれるお人好しなんているかしら」
「へ?」
「こう考えるのはどう? あなたのお父さん以外に、穴の存在にたまたま気づいた人がいた。だけどその人にとっては、穴の存在が不都合だったから塞いだとか」
「不都合?」
「うん。たとえば天井裏に何か誰にも見つけてほしくないものがあって、それを隠すために唯一の入口を塞いだとか」
「……」
「どう、面白くない?」
 なーにが面白いだ、この女。たった今解決しかけた悩みの種をまた掘り返すというのか。
「そう考えるとますます天井裏の正体を確認したくなったわ。きっと天井裏には誰にも見つけてほしくないお宝が眠ってるのよ!」
 やめてくれ、止まってくれ。
「はははは、変な推測はよくないよ」
「そうね、推測はよくない。それなら、もっと詳しい人に聞いてみましょ」
「詳しい人?」
「ええ、私のお母さん」
「お母さん?」
「母さん、この部活のOGなの」
「え?」
「学生時代に母さんもマネージャーをやってたの」
「もしかして俺の親父と同期だったりする?」
「多分そう。それに母さんは卒業後もサッカー部の後援会に入ってるから、うちの部活のことに関してはかなり詳しい。もしかしたら部室の天井裏についても何か知ってるかもしれない」
「それなら先に言ってくれよ。案外、君の母さんに聞いたら、この19年の間に部室棟に改修工事が入って天井の穴を塞がれただけだったりして」
「それだとつまんない」
 いや、俺にとってはつまらなくていいのだ。
「早速行くわよ」
「え、どこに?」
「私の家に」
「は? 部活は」
「一日ぐらい休んでもいいわよ……じゃ、向かいましょ」
 そして、俺は半ば強引に河合家に連行されたのである。

   2

 俺と河合綾雪は学校から最寄り駅に向かい、電車に乗った。運良く二席分空いていたシートに、俺らは並んで座った。はたから見れば俺らはカップルに思われるだろうか。俺はそんなことを想像するが、隣の少女はきっとなんとも思っていないのだろう。彼女は俺の隣で目を瞑り、腕組みをしていた。
 彼女のことを俺は以前から認知していた。父と違って俺はサッカーをしていなかったが、入学当初、父がかつて所属していた部活がどんなところか気になり一度だけ入部見学に行ったことがある。その際に彼女も見学に来ていた。そこで言葉を交わしたわけでもないが、彼女は美人だったので俺は一方的に覚えていた。彼女にとって俺は視界にすら入っていなかっただろうが。結局、彼女は部活に入ったが俺は入らなかった。高校からサッカーを始めるのも難儀だろうし、親から自立したいと考えている俺にとってはバイトをして自身で金を稼ぐことのほうが有意義に思えたからだ。
 5駅分ほどで彼女は席を立って下車したので、俺も後についた。あたりは閑静な高級住宅街で立派な家が建ち並んでいた。その中でも一回り大きい白の外壁の邸宅前で彼女は足を止め、敷地に入って行った。手入れの行き届いた芝生が敷かれていて、母屋に隣接するガレージには黒塗りのアウディのセダンが停まっていた。ガレージにはもう一台分駐車スペースがあった。
「ちょっと待って、ここが君んなの」
「そうよ、早く来て」
 とりあえず俺は彼女に着いていった。彼女は俺にお構いなしに、玄関の石段を上り、シンプルなデザインのマホガニー製の扉を開け、中に入った。
 玄関の中は、大理石であろうタイルが敷き詰められていて天井は高かった。
「ただいまー」
 と河合綾雪が通る声で言うと、
「おかえりー、あら、今日は早かったわね、部活は?」
 と奥から母親らしき人の声がした。
「ちょっと用事があって帰ってきた」
 奥の部屋から女性の影が長い廊下をしゃべりながら、こちらに近づいてくる。
「ダメじゃない。あんたもっとマネージャーとしての自覚を……」
 玄関までやってきたその女性と俺は目が合い、同時に彼女の声が止まる。ロングの黒髪で家の基調色と同じく白のワンピースを着こなす娘と似た美人であった。
「……」
 母親は俺を見つめ、声は止まったままである。
「……あの」気まずい沈黙に耐えかね、先に俺が声を漏らす。
「あら、どうして」
 母親は依然、何かに驚いているような顔であった。
「こんにちは……」
「……何の用かしら?」
 娘と似た鋭い視線をこちらに向けてくる。娘が自宅に異性を連れてきたことに警戒しているのだろうか。うまい言葉がみつからず俺もしどろもどろしてしまう。
「彼が母さんに聞きたいことがあるって。いいかしら?」
 そんな空気を断ち切るべく、娘が助け舟を出してくれる。
「……」
 しかし、それでもなお気まずい空気が流れる。
「ごくり」
 今、生唾を飲む音が玄関に響いただろうか。
「……あがってちょうだい」
 しばらくして、母親が口を開いた。
「おじゃまします」
 俺は促されるまま靴を脱ぎ、用意されたスリッパに履き替え、河合邸のリビングに招かれた。

 牛革のソファに誘導され、俺らは腰を下ろした。母親はキッチンでアールグレイの紅茶を淹れ、付け合わせのフィナンシェと一緒に、ソファの前のガラステーブルに並べた。
 母も対面のソファに腰を下ろす。
「もう、母さん驚いたわ! まさか綾雪がボーイフレンドを連れてくるなんて」
 先ほどの空気とは打って変わってキャピキャピした声である。あの緊張感はどこへやら。俺はとりあえず安堵したが、今聞き捨てならないことを言ったよな。
「いや、僕たちはそういう関係じゃ」
「え、それ以上の関係? まさか『娘さんを僕にください』なんて言うんじゃないわよね。でもまだ夫が帰ってきてないから困ったわ」
 まるで恋バナで盛り上がる女子中学生だ。
「違うわよ。さっきも言ったけど、彼、母さんに聞きたいことがあるの。大した話ではないわ」
 河合綾雪がまた助け舟を出してくれる。しかし、そもそもこの家に来ようと言ったのはこのオカッパ少女で、俺は連れられて来ただけだ……まぁ、都合がいいから、黙っておくが。
「なーんだ。で、何を聞きたいの?」
 母はつまらなそうな顔をする。
「サッカー部の部室の件で、ちょっと……」
「部室? 見たところ、あなたうちの部活の子じゃなさそうだけど」
「実は僕の親父がサッカー部のOBなんです」
「OB?」
「はい、僕は恒松広樹の息子です」
 母親は大きな目を見開き、「うそ、あなた広樹くんのとこの?」と言い、瞳がキラキラと輝き出す。
「はい、そうです。恒松貴広といいます」
「そうだったの。どおりであなたの顔を見た時、どこか懐かしい気持ちになったの。合点がいったわ」
 なるほど、先ほどの沈黙は、俺の顔に旧友の面影を感じたが思い出せずにいた間だったのか。
「でも、懐かしいわ。まさか息子さんがやってくるなんて」
「で、部室の件、いい?」
 綾雪が本題に戻す。
「ああ、そうだったわね。私に教えられることなら。あ、でもその前に一つ約束してくれる?」
「約束?」
「ええ。貴広くん、綾雪のことを、生涯大切にしてくれるかしら?」
 は?
「いやいや、だから僕たちはそう言う関係じゃ……そもそも、なんで急にそんな話になるんですか?」
「私は綾雪を大切にしてくれるか、って聞いてるの? するの、しないの? 綾雪を大切にしてくれる気概がなければ、あなたに何かを教える義理はない」
 本当にどうしてこんな話になるのだろう、話が飛躍している。いや飛躍どころか、俺と河合綾雪の関係は部室の話の延長線上にすらないのだが。
「適当に話を合わせておけばいいのよ。ふざけて言ってるだけだから」と娘が耳元で小声で助言してくれる。しかし母が母なら娘も娘である。こんな小っ恥ずかしいことをふっかけられてどうして平然としていられる。まあいい、こうなれば、こっちだってとことんノってやる。
「ええ、もちろんですよ、お母さま。綾雪さんを生涯大切にしますとも」
 俺は眉間のあたりに少し力を入れ言う。
「……え」
 二人とも唖然としている。いいぞ、効いている。
「僕は、綾雪さんと苦楽を乗り越え、幸せな人生をともに築いていきたいです。そのためには、もし最愛の人に苦難が降りかかったときには身を粉にして守ることを誓います」
「そ、そう……」と母、
「は、調子に乗らないで! 誰もそこまでやれとはいってないし」と娘が返す。
 やばい、ちょっとやりすぎた。娘のほうは完全に引いている。しかし河合綾雪とは多分今日だけの関係だ。学内でもアイドル的な存在の彼女にそうやすやすと近づけるわけじゃない。今後校内ですれ違ったときは気まずい思いをするかもしれないが、その頃には向こうも俺のことを覚えていないだろう。
「ごほん。あなたの気持ちはよーくわかったわ。で、私に聞きたいことって何?」
 どうやらこの母親には、今のでよかったみたいだ。わるい空気を断ち切るべく、俺はすぐに本題を切り出す。
「実は親父から聞いた話なんですけど……サッカー部の部室の天井裏には人が入れるくらいの小さな空間があるらしいのです。ご存知ですか?」
「天井裏の空間?」
「はい、実は親父が学生時代によくそのスペースに入ってたと言うのです。サッカー部の部室の天井には一枚外れる板があってそこから入れたとかで……」
「そうなの? 一応、私は高校卒業後も部活の後援会に入って、長年部活をサポートしてきたけど、周りからそんな話を聞いたことはないわ」
 くそ、あんな恥ずかしい思いをしたというのに。やはり親父と勇太さん以外、穴の存在は知らなかったのか。
「そ、そうですか。では、お母様の部活引退後から今までに部室棟に改修工事が入ったことは?」
「それも聞いたことがない」
 でも、おかしいぞ。それならサッカー部の部室の穴は残っているはずだ。この19年の間にやはり誰か穴の存在に気づいて、故意に塞いだ者がいたということか。
「おかしいわね」綾雪が先に口を挟む、「今日、私と彼とで、サッカー部の天井をくまなく調べたの、天井裏への入口があるかどうか。しかしどんなに強く天井を押しても入口は見つからなかった」
「あなたたち、わざわざ調べたの?」
「ええ」
「それなら、サッカー部の部室を調べても無駄よ」
「「え?」」俺らの声が被る。
「野球部の部室を調べなきゃ」
「どうしてここで野球部が出てくるんですか?」
「私たちが卒業した後に、サッカー部の部室は野球部の部室と取り替えられたから。私が学生のころのサッカー部はかなりの強豪で、一番いい部室が当てられてたのだけど、ここ十数年ですっかり弱くなっちゃったから」
「つまり昔のサッカー部の部室は今の野球部の部室で、もしかすると野球部の部室には今も例の入口が残っているかもしれないと?」
「その可能性はあるわね」
 困ったな。この話を聞いたばかりに野球部の部室まで調べなくてはならなくなった。一度落ち着いたかに思えた俺の心臓はまた騒ぎ出す。
「てか、うちのサッカー部、昔は強かったの?」
「そーよー。当時はほんとに強くて、私たちが3年生だったころにはあと少しで全国大会にも行けそうだったのよ。本当におしかった。今はもう見る影もないけど」
 と言って、母親はテーブルのティーカップを手に取り、アールグレイを一口含む。俺もタイミングを合わせてカップに口をつけた。
「そうだ、せっかくだから昔話を少ししましょう。綾雪にもあんまりしたことがなかったし」
「いいわよ。私、昔の話なんて、興味ないし」
「お母様、ぜひその話を聞かせていただけないでしょうか?」
 身を乗り出して俺は言った。天井裏のことも気になるが、父と同じ学生時代の話を他人の視点で聞けるのも貴重な機会だ。今後、河合家に招かれることなんてないであろうから、今のうちにぜひ聞いておきたい。
「お、聞きたいか少年。それなら教えてしんぜよう」
 この母親も、俺の父と一緒で学生時代の話となると目が輝き出す。俺の父の話もたまに聞くぐらいならいいのだが。
「私たちの時代のサッカー部には、二人のスーパースターがいたの。一人は広樹くん」
 俺の親父。
「そしてもう一人が……」
「勇太さん」先んじて俺が言うと、
「あらよく知ってるじゃない」と母が驚きつつ返す。
「はい、親父からよく話を聞いてますから」
「勇太? 誰それ?」
 いやいや、この女はうちのサッカー部のマネージャーだというのに、勇太さんのことも知らないのか。
「広樹くんはセンターバックで、勇太くんはボランチ。当時の二人の連携はほんっとーにすごかったのよ。二人が主軸となって攻撃でも守備でも試合を作ってた。今でもイチ高はカウンターサッカーを持ち味としてるけど、その流れを作ったのも彼ら。当時は恐怖のイチ校カウンターって言われるぐらい他校がびびってたんだから。それに二人ともイケメンでかっこよかったな」娘に構いもせず、母はうっとりとしていた。
 親父が褒められると、どういうわけかむず痒くなる。
「そういえば当時、広樹くんと勇太くんのコンビをヒロヒロコンビなんて呼んでたわね。懐かしいな」
「ヒロヒロコンビ? うちの親父は広樹だからわかりますが、勇太さんに『ヒロ』の要素なんてありますか?」
「勇太くんは当時は本当にヒーロー的な人気で、名前も勇太だし、中にはヒーローと呼ぶ生徒もいたの」
「広樹とヒーローでヒロヒロコンビってわけ? なんかダサい。本当に人気があったの?」と綾雪が言う。
「何言ってるの。当時本当に二人の人気はすさまじかったのよ。勇太くんなんて県外からの追っかけがいるくらいだったんだから」
 さすが勇太さん。親父から聞いた通りの人気ぶりだったようだ。にしても、あだ名でヒーローとまで呼ばれていたとは。
「それに私にとって勇太くんは本当の意味でヒーローだったんだけどね」
「それはどういう意味ですか?」
「勇太くんは正義感が強くて、いつもみんなのことを助けてくれた。あの時だって……」
 母の顔が少し引き攣った気がする。
「あの時?」
「私ね。学生時代、少し怖い思いをしたことがあるの。帰り道、ほぼ毎日、ある男の同級生に後をつけられてた。いわゆるストーカーってやつ?」
「ストーカー?」
「ええ。振り返ると、私の背後百メートル以内に必ず彼がいたの」
母はゆっくりと衝撃のエピソードを語り出した。俺は先ほどまでの話との落差で身じろいでいた。
「最初は私もただの思い込みだと思ってたわ。だから、試しに帰る時間や帰る道を何度か変えてみたのだけど、やっぱり私の背後にはその男がいたの。振り向くと、慌てたようにしていつも彼は物陰に隠れてたわ」
 さっきまで隣でつまらなそうにしていた娘も聞き耳を立てている。娘にとってもこの話は初耳なのだろう。
 しかしこの話と勇太さんは何が関係しているのか。
「そしてある日のこと、いつものように背後につけられる気配がした。振り返れば彼はいつものように逃げていくと思って、その日も恐る恐る後ろを見たの」
 母の顔は完全に引き攣り、血の気が引いていた。
「そしたら真後ろにその男が立っていて、ぎょろっとした大きな目で、私のほうを見つめていたの。そして、手を伸ばして私の体に触ろうとしてきた。その時は本当に身の危険を感じたわ。全力で走った。彼もその日は走って後をつけてきた。正直焦った。心臓が張り裂けそうなくらい息を切らして走った。喉の奥からは鉄の味がして、今でもその嫌な味を覚えてる。三駅分ほど全力ではしったかしら。どうやらそのストーカーもそこで諦めたようで、もう追っては来なかった。でも早く家に帰らないといけないから、なんとか脚を動かした。本当に怖かったけど、家には辿りつくことができた。後から気づいたけど白のソックスが赤黒く染まってた。がむしゃらに走ったせいで、ローファーがくるぶしを強く擦って出血してたみたい。それからもう、ずっと放心状態で。ずっとおびえながら過ごしてた。もうあんな経験だけは二度としたくない」
 と一気呵成に母は語った。実年齢より若く見える彼女もその時ばかりは年相応にみえた。
「それは大変でしたね」
 俺は誰かにストーカーをされた経験などないが、当事者の恐怖は計り知れないことだけはわかった。ただまだ勇太さんが出てきていない。
「そのストーカー、同級生なんでしょ?」
「ええ、同級生だから、もちろん学内でも彼を見ることがあったわ。このまま放っておくとただならないことが起こるかもしれない。あの日以降、生きた心地がしなかった」
 その時、母がどこか切ない目をした。
「そんな時に頼れるのは勇太くんぐらいしかいなかった。勇太くんは優しくて、いつも周りの人を助けてたから」
 ここで勇太さんが出てくるのか。
「ただ、勇太くんはみんなの人気者で、常に多忙だったから相談をためらう自分もいた。個人的な問題に勇太くんを巻き込んではいけないって」
「下手したら命の危険だってあるんでしょ? 背に腹は変えられないんだから早く助けを求めなきゃ」じれったそうに娘が言う。
「その通りね。当時の私は臆病だったの。命の危機だってあるのに世間体を気にしてやせ我慢してた。でも、結局、私から声をかける必要はなかった。勇太くんのほうから声をかけてくれたから」
 もはやあっぱれというべきか。勇太さんは正真正銘の人格者で聖人君主だったんだな。勇太さんがより尊い存在に感じられた。
「せきを切ったように私は勇太くんにすべてを打ち明けた。私が抱いていた嫌悪感や不安、恐怖をすべて。そしたら勇太くんは優しく包み込むように話を全部聞いてくれて。そしたら、あの男を、『もう君に近づけないようにする』とだけいって、勇太くんはすぐに例のストーカーと直接話をつけてくれたみたい。以降、私を悩ませたストーカー被害はパッタリと止んだ。多分、ほかの誰でもなく、みんなの憧れの勇太くんが言ったからこそ、ストーカーも勝ち目がないと思って引き下がった。勇太くんに敵対するということは学校全体に敵対するということだったから。きっとほかの教師やクラスメイトが言ってたら逆効果だったとお思う。勇太くんが私を助けてくれた。勇太くんだからこそ私を救うことができた」
「そんな過去があったのですね」
 勇太さんがいなければ、もしかしたらこの母はこの世にすでにいなかったかもしれない。隣の娘も生まれないことになる。一連の話から俺は想像を膨らませていた。そう考えると勇太さんの存在はさらに尊く思えてきた。
「てか母さんもしかして、勇太って人のこと好きだったの?」
「そりゃそうよ。私だけでなくイチ高の女子のほぼ全員が勇太くんのこと好きだったわよ」
「じゃ、付き合えばよかったのに」
 母も母だが娘も大概デリカシーのないやつである。
「無理よ。当時、部内恋愛は禁止されてたのだから。私自身も勇太くんのサッカーの邪魔をしたくなかったし。本当に勇太くんは純粋にサッカーを楽しんでたから。マネージャーの私がそこに水をさすような真似はしたくなかった。それに私なんか勇太くんに相手にもされないよ」母はもじもじしていた。
「そんなことはないと思いますよ」
「え?」
 俺がいうことでもないが、それは本心だった。この人は隣の河合綾雪の母親だけあってかなりの美人だ。勇太さんほどではないにしても引けをとらないぐらいモテただろうに。彼女は、幼い頃から母のいない俺にとってはどこか魅力的に映った。
「貴広くんたら言ってくれるじゃない」母が頬を赤らめる。「綾雪も貴広くんを逃しちゃダメよ、ちゃんと結婚までこぎつけなきゃ」
「ちょっとお母さん。隣に本人がいて言うことじゃないでしょ」
「そ、そうですよ、そもそも僕たちはそんな関係じゃ」
「あら、さっき私の前で誓ってくれたじゃない、早速反故にする気?」
「あれは半分冗談で」
「……ほん……」横で河合綾雪が何か小さくつぶやいたような気がした。
「あら、私嘘をつく男は嫌いよー」
「もーお母さん、いいから」
「話を戻しましょう。今は勇太さんの件でもう少し聞いてもいいですか?」
 変な方向に話を持っていったのは俺の責任なので、軌道を修正する。
「ええ」
 今は、俺と河合綾雪の関係なんてどうでもいいんだ。それより、
「勇太さんの失踪については何かご存知ですか?」
「失踪?」
「はい。勇太さんは19年前に行方不明になったと聞いています」
「その件ね……確かに勇太くんは突然私たちの前から姿を消したわ」
 やはり父の話と同じだ。
「勇太くんは、私やみんなのことを守ってくれたのに。私はそんな勇太くんを守ってあげられなかった」
「守ってあげられなかった? 勇太さんの失踪に関して何かご存知なのですか?」
「勇太くんの失踪に直接関係しているかはわからないけど……」
「大丈夫です。ぜひとも聞かせてほしいです」
「……」
 先ほどまで饒舌であった母が急に押し黙った。どこか俺の親父の癖と似ている。
「どうしたんですか?」
「どうしたのよ母さん」
「実はこの先の話を、あなたたちにすべきかどうかを迷ってるの」
 もしかしたら、この人は勇太さんの失踪について何かただならぬことを知っている。なんとしてもここで聞かないといけない、そんな直感がした。
「これから私が話すことを聞いてどんな結末を迎えるとしてもあなたたちは聞く覚悟はあるかしら?」
 結末、覚悟? そこまで大げさな話なのか。
「特に貴広くん!」
 母親は真正面に俺を見つめて言う。思わず見惚れそうになる。俺? どうして俺なのか。この母とは今日が初対面だというのに、何か関係があるというのか。
 なぜか鼓動が速くなる。いかん。こんなところでマゴマゴしてはいけない。動揺を見せては向こうの気もかわるかもしれない。
「私は覚悟があるわ」と河合綾雪が機先を制す。「今の話を聞いて勇太って人、ただの他人ではない気がするの。実際、私の母さんの恩人で救世主でもあるわけだし。もっと彼について知りたい。できれば見つけ出してあげたい。で、あんたはどうなのよ? 早く答えなさいよ」
「お、俺か?」
 助けられたという安堵と、同時に彼女に先を越されて悔しいという感情が込み上げてくる。
「もちろん覚悟はあるよ」負けじと俺も強く言う。「お願いします。お母さま、僕たちに教えてください。勇太さん失踪に関する重大な話を」

  3

「実は、勇太くんもストーカー被害に遭ってたの」
「勇太さんも⁉︎」
「ストーカーって、犯人は、母さんをつけてた男?」
「違うわ。別人で、勇太くんにつきまとってたストーカーは女性。もしかすると例の男と何か関係があるのかも知れない。だけど正確なことはわからない」
「女性ってことは、単なる勇太さんのファンだったわけでは? 勇太さんには相当数のファンがいたんじゃ……」
「彼女の行動は完全にファンや追っかけの域を越えていた。彼女は、勇太くんの自宅までも、しょっちゅうつけていた。さらに、勇太くんのいる生徒会に入ってまでつけまわすほど執着していた」母親の目は潤んでいた。「勇太くんは失踪するまでその女性のことについてほとんど何も語らなかった。だけど失踪する前、勇太くんは私にだけ、その女性についてつらい胸の内を漏らしてくれた。あの女から『逃れたい』と。普段はけっして他人のことを悪く言わないあの勇太くんが。苦しそうな表情を浮かべて。きっと、勇太くんは、あの時、本当は私に助けを求めてたんだと思う……でも私は勇太くんを助けてあげられなかった。勇太くんは私を助けてくれたというのに」涙を溜めた目を俺らに悟られないように、母はうつむき加減に言った。「ほんと私のバカ」
「お母さん……」
 母親の無念は痛いほど伝わってきた。だけど、一つ確認しておかなければならないことがあった。
「もしかして勇太さんはすでにこの世にはいないのですか?」
 数秒の沈黙の後、
「……わからない。でも勇太くんは今もどこかで生きていると信じたい」と母は呟いた。
 この話からは確信にせまれないのか。ただ、勇太さんのことをつけていたという、その女は、勇太さんの失踪に明らかに一枚噛んでいる。
「もう少し、そのストーカーをしていたという女性の情報を教えてくれませんか? もしかしたら、僕たちがその女性をつきとめ、勇太さん失踪の手がかりもつかめるかもしれない」
「正直なところ、私は、あなたたちがこの件に深追いすることをすすめない。それに彼女は……もうこの世にいない」
 俺も綾雪も同じような表情になった。
「勇太くんが失踪した数年後、彼女は亡くなった。もしかしたらその女性が勇太くん失踪に直接かかわっていたかもしれないし、何か証拠をもっていたかもしれない。だけど、彼女が亡くなった今、探るのは困難になった。だから私の教えられることはここまで、これ以上、勇太くん失踪に関する手がかりはないわ」
 うつむき加減であった母が無理に笑顔をつくる。
「ちょっと、私余計なことをしゃべりすぎたかもしれない! ごめんなさい、貴広くん」
「なんで僕に謝るのですか?」
「ううん、なんでもない。でも間違いなく私はあなたにわるいことをした。ささ、もういい時間だからそろそろ貴広くんも帰りなさい」
 綾雪母の言う通り、少し長居をしすぎた。スマホの時計をみると、日が沈み出す時刻であった。
「綾雪、せっかくだから最寄り駅まで貴広くんを送ってあげなさい」
「いや、いいですよ、俺、男ですし」
「ダメよ。なんせ貴広くんは私の同期の子なのだから最後まで丁重に見届けないとバチがあたるわ」
「そーそー、遠慮すんなって」
 綾雪もまんざらではなさそうだ。
 そして促されるまま、俺らは河合家を出た。

 外に出ると、やはり日は沈みかけていた。
 貴重な話をいろいろ聞けたが、正直消化不良だ。結局、勇太さんが生きているのか、死んでいるのか、勇太さんは今どこにいるのかはわからなかった。
 しかし例のストーカー女が勇太さんの失踪の鍵を握る可能性は高い。彼女はもうこの世にいないとのことだが、もしかすると学校に何か手がかりが残っているかもしれない。
 たとえば例の部室棟の天上裏とか。その女が、天上裏で勇太さんを殺して、そこに遺体を隠した可能性だって考えられる。っておいおい、昨日まであれだけ、部室棟の天上裏には勇太さんの死体が眠ってる説を否定してたじゃないか。すっかり俺も毒された。
 ところで、河合綾雪の母はどうしてこの件に深追いするなと忠告したのだろう。特に初対面の俺に対して。
「おーい!」
 うら若き少女の声が耳をつんざく。
「さっきから女子と一緒に帰るという一大イベントが発生してるのに、だんまりやめてくれる?」
「いや、ちょっと考え事をしてて」
「へー、隣にこんなに可愛い子がいるってのに? あ、もしかして私のこと考えてた?」
 よっぽど自分に自信がないとできない発言だ。
「違うよ」
「ふーん。どうせ勇太って人のこと考えてたんでしょ」
「え?」鋭いやつだ。
「図星?」少し膨れた顔で彼女は言う。「でも、実は私も考えてた。あんな話聞かされたらね」
「ああ」
 夕日が照らすひっそりとした路地を俺らは肩を並べ、しばし無言で歩いた。
「ねえ、今から学校戻らない?」
「どうして?」
「野球部の部室の天上を調べましょ」イタズラっぽい笑みを浮かべて彼女が言う。「今の野球部の部室に天上裏への入口が残ってるかもしれない。それに、その天上裏にもしかしたら勇太って人の失踪の手がかりもあるかもって」
 察しのいい女だ。ただ失踪の手がかりどころか、死体が眠っている可能性すらあるのだが。
「この時間なら、部活が終わって部員も帰った頃。だから、今がチャンス」
「君はいつも唐突だな」
「よく言われる……あと、綾雪でいいよ。それもみんなそう呼んでるから」
「お、おう」
「で、行くの行かないの?」
「奇遇だ。俺も天上裏をこの目で確かめたいと思ってたんだ。後押しをしてくれてありがとう。綾雪」

   4

 学校に着いた頃には日は完全に沈んでいた。正面の校門はすでに閉じていたので、俺らは近くのフェンスをよじ登って敷地に入った。その後まっすぐ部室棟へと向かった。
 部室棟には、意外とすんなり入れた。1階に位置するサッカー部の部室には施錠されていない小さな採光窓があった。俺らはそこから部室棟に侵入し、部室棟の共通廊下を通って、隣の野球部の部室までやってきた。

サッカー部の弱体化にともない、部室が取り替えられ、今は野球部に一番いい部室が当てがわれているとのことだが、たしかに先ほど通ってきたサッカー部の部室より野球部は一回り大きかった。

「まさかこんなに簡単に入れるとはな」
「ええ、部室棟の正面玄関はしっかり施錠するけど、誰も部室一つ一つの窓が閉まってるかまで確認しないから。忘れ物した時のためにサッカー部の窓はいつも鍵かけてないの」
「ザルな警備だな」
「でも、たまに部室棟にも警備員が巡回にくるから覚悟しておいてね」
「まじかよ。こんな時間に部室棟に忍び込んでるのがバレたらただじゃすまないぞ」
「私たちは、これから重大な事件の真相を調べるんでしょ? じゃあ、そんなみみっちい心配はやめましょ」
「警備員の件は綾雪が言い出したことだろ。それに勇太さんの失踪はまだ事件と決まったわけではないし……」
 いずれもどんな大義名分が俺らにあろうが、学校側は知ったことではない。見つかれば何かしらの懲罰は免れないだろう。
「それなら早く天上を確かめましょ。見つかる前に済ませればいい話よ」
「それもそうだな」
「脚立は持ってきた?」
「ああ、部室棟の用具置きから拝借した」
「でも天上裏の入口って、本当に存在するのかしら。これでなかったらショックね」
「親父の口ぶりからすると、天上裏に入口があったことは、まず間違いないだろう。しかし、例のストーカー女が入口を塞いだ可能性がある」
「その根拠は?」
「いや、これはあくまで俺の推測だから明確な根拠なんてものはない。ただ、今まで言ってなかったが、父いわく、当時、天上裏の存在を知っていたのは俺の父と勇太さんだけらしい。勇太さんは天上裏に、失踪に関する何か重大な手がかりを残したかもしれない。一方で、先ほどの綾雪の母さんの話によると、勇太さんは例の女に相当しつこくつきまとわれていたようだ。そこまで執念深くストーキングしてたなら穴の存在にも気付いた可能性がある。かつ彼女にとって都合の悪い情報が穴の中にあるとしたら……」
「たしかに穴を塞ぐわね」
「そういうことだ」
「でも、穴が塞がれていた場合は困るわ。天上を壊さなければならないから」
 綾雪はそこまで考えているのか。
「とりあえず、一度確かめてみましょ」
「ああ、案ずるより産むがナンタラだ。警備員が来る前に、早く済ませよう」
「ところでなんか天上の隅のあの辺、少し変色してない?」
 綾雪が天井の一角をスマホのライトで照らした。たしかに白の塗料が塗られた天井の一部が薄黄色に変色しているように見えた。室内は薄暗かったからこれが錯覚なのか本当に黄ばんでいるのかはわからない。
「ほんとだ少し色が違う気がする。あそこが天上裏の入口なら楽なのだがな」
 おそらくそう簡単にはいかない。
 俺は脚立に足掛け、手始めにその一角を勢いよく押した。
「おりゃ!」
 俺の肘はそのまま伸び切った。勢い余って俺の足は脚立から離れそうになる。直後部室内に、カラン、と乾いた音が響いた。板は外れ、天井の奥の空間へと落ち込んでいた。
 本当にあったとは……驚くほどあっけなく、天上裏の入口が姿を現した。部室の中は、窓から外の光が多少差し込んでいたため、辺りを薄ぼんやりと視認できた。一方、穴の奥は漆黒の闇であった。スマホのライトを向けると、光は穴の闇に吸収されていくようであった。
「驚いたわ。本当に入口があるとは」
 俺の心臓はまた、激しく鞭打ちされた馬のように拍動を始めていた。しかも今までの胸騒ぎとは比べ物にならない。全力失踪した直後のような不快さが込み上げてくる。ここに勇太さんの死体があるかもしれない。
「中を確認しましょ」
 ああ、でも綾雪に勇太さんの死体と対面させるわけにはいかない。俺が先に確認しなくては。
「綾雪はここで待っててくれ、俺が先に行く」俺は冷静を装うも、足元の脚立はカタカタと音を立てていた。
「ちょ、ちょっと」
 俺は自分を奮い立たせ、穴のヘリを掴んで天上裏に体を捻り込ませる。
「さぁ勇太さん迎えにきましたよ」自分に発破をかけるように呟いた。
「俺があなたの無念、はらしてみせます」
 でもまさか、ここであんなトンデモナイものを見つけてしまうとは。

つづく

続き(3話)↓


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