「しゅご〜い♡」日本画が誕生した、明治大正の近代絵画…東京国立博物館
「なんだか仕事をする気がおきないなぁ〜」なんてことはしょっちゅうあるわけですが、そんな時に無理にヤル気スイッチを探してみたり、自分を叱りつけて仕事をしようとしても無駄なんじゃないかと最近思い始めました。ということで、平日に東京国立博物館(トーハク)へ、チョコッとだけ行ってリフレッシュしてみました。
久しぶり…という感じで、トーハク本館の1階にある、近代絵画の部屋へ行ってみると今週からでしょうか…展示替えされていました。今回の展示は3月16日までということです。
おすすめかどうか分かりませんが、わたしが好きなラインナップになっています。まっさきにチェックした、絵巻が展示されていることが多い長いケースを覗くと、《東海道五十三次絵巻》が以前来た時よりも少し京都寄りの場面に変わっていました。後でじっくりと見ようと先へ進むと、まずは六曲一双の下村観山の屏風絵《春雨(しゅんめ)》があり、その先の順番は覚えていませんが、小林古径の《住吉詣》、速水御舟の《萌芽》、今村紫紅の《風神雷神》などが続き、展示室の一番奥には、再び速水御舟の大きな大きな作品…《京の舞妓》が控えています。

下村観山筆|大正5年(1916)|絹本着色
そうやって奥へと歩いていく途中で、体も顔も大きく髭面のアメリカ人だかイギリス人だかが横山大観や下村観山の《東海道五十三次絵巻 巻51巻》を、京都寄りの方から東京方向へ熱心に動画を撮っていました。「邪魔だし方向逆だぞ」とも思ったのですが、わたしは先を急いで奥へと進みました。下村観山の大きな屏風絵《春雨(しゅんめ)》を見ようと、少し離れたところから全体を見ていると、さっきの外国人のヒゲ野郎が追いついてきて、《春雨(しゅんめ)》の目の前を歩きながら動画を撮り続けていると思ったら……突然振り返ると、連れの女性に向かって満面の笑みを浮かべながら「しゅご〜いよぉ〜♡」と日本語で一言。興味のなさそうな…つまらなそうにソファに座っていた女性は、英語で何かをヒゲ野郎に向かって応えると、ヒゲ野郎は「なんて美しい絵なんだ」みたいなことを、「もうワクワクが止まらないよ!」みたいな雰囲気で、言っていたような気がします(あくまで想像です)。
いや《東海道五十三次絵巻 巻51巻》もですが、下村観山の《春雨(しゅんめ)》も、彼が言うようにわたしも「しゅごい」と思いました。見るのは2度目ですが、前回も同じように感じたのを覚えています。外国人までワクワクするほどの絵って……何が良いんでしょう。
■下村観山の《春雨(しゅんめ)》
前回展示されていたのは、ちょうど1年前のことでした。この季節に展示する定番なのかもしれません。どうでもいいことなんですけど、《春雨》というのを、「しゅんめ」と読むのを今回知りました。パソコンで「しゅんめ」で変換しても「春雨」にはならず、さっきから「はるさめ」とか「はるあめ」と打ち込んでから変換しています。
この細部から全体にわたって統一された透明感を、わたしが写真で撮るのは難しいです。下村観山が絵を描いていた時代は、カメラや写真という新しい技術が登場し、もしかすると今よりも、絵師たちが「絵を描く意義」を意識しながら絵を描いていたのではないでしょうか。
それから100年以上が経っていますが、下村観山が描いた絵を、わたしがカメラで撮った写真は、絵を目の前で見た時の……外国人が素直な気持ちで、ある意味、衝動的に「しゅご〜い!」と発してしまうような、そんな衝撃的な下村観山の絵の足元にも及ばない……そんな事実が頭をよぎります。

下村観山筆|大正5年(1916)|絹本着色
描かれているのは、橋の上で交錯する4人の女性たち。右隻の1人は傘を傾けながら風上に向かって歩いています。風が強いのか、左手で傘の柄をギュッと握っていますが、彼女の表情を見ると、その力のこもった左手とは逆に、少し笑みさえも感じるほどになごやかな雰囲気です。

そう感じる一方で、もしかすると彼女の心の中では、なにか硬い決意をして、どこかへ向かおうとしているのか、またはどこからか引き上げてきたところなのかもしれないなどとも思えてきます。はたまた傘の柄を体に引き付けてしっかりと握っていないと、自分が立っていられない、崩れ落ちてしまいそうなほどの心細さを表現しているのかもしれません。




右隻の端に描かれた橋の上の1人の女性も美しいのですが、その美しさを際立たせているのが、橋の欄干の描き方…表現の仕方なのかとも思えます。構造がシンプルな橋は、光が回っている手前の欄干であっても視界を邪魔することなく、単に「女性たちは橋の上を歩いている」という情報だけを見る人に伝えてくれています。
そして、雨で霞む橋の反対側の欄干の描き方が、わたしが言うのもなんですが、うまいなぁって思います。この霞ませ方が絶妙じゃないですかって。最近見た作品で言うと、先日noteした狩野元信さんの水墨画に通じるものを感じます。あの湖の対岸の様子を描いた霞ませ方……。陰と陽という感じでしょうか、暗い背景があるから明るい前景が際立ちますし、霞んだ背景があるから前景の女性が引き立っているようにも思えます。その霞んだほう、フォーカスがあっていない箇所の描かれ方に、不自然さがなく、どれだけ自然かが重要な気がします。


さて、この絵は右隻だけでも完成しているように思えるのですが、下村観山は左隻も描いています。その左隻には、おそらく右隻の女性とすれ違ったばかりだろう3人の女性が描かれています。改めて全体を眺めれば、右隻と左隻の一双で、作品が完成していることが分かります。もし左隻がなく右隻だけになってしまったら、それは単なる美人画です。逆に左隻だけだと……なんでしょうね……よく分からない絵になってしまいそうです。

下村観山筆|大正5年(1916)|絹本着色

というのも、左隻に描かれた3人の女性は、かわいそうなことに表情が描かれていません。3人のうち、わずかに表情のかわりに肌が見えているのは、1人の女性の首筋と、もう1人の傘を持つ左手だけです。



絵を見ていると、いろんなストーリーが思い浮かびます。おそらく見る人の、絵を見た時の気分によっても変わるでしょう。橋の上で4人で楽しく談笑したあとに、橋の左右に別れて歩き出したところだと言う人もいるでしょうし……いやいや右隻の女性は、左隻の3人の女性に侮辱的な言葉なのか表情を投げかけられて、不快な思いをした後なんじゃないだろうかと感じる人もいるでしょう。そもそも4人は知り合いではなく、互いに目を伏せて会釈をしながらすれ違ったのだけれど、左隻の2人が「あの方…◯◯はんやないでっしゃろ? いつも美しいわねぇ」と言いながら振り返っているのかもしれません。

冒頭で書いた、これらの絵を見て、思わず「しゅご〜い♡」と言っていたゴツい外国人の男性は、この絵を見てどう思ったんでしょうか。もし彼が動画をYouTubeなどに挙げているのなら、それを見てみたい気がします。
■シン・日本美術院の画家たちによる競演
そういえば上述のとおり、今季も《東海道五十三次絵巻》が展示されています。同絵巻は、横山大観をはじめ下村観山や今村紫紅(35歳)、それに小杉未醒の4人が、1914年に再興された日本美術院の運営資金を工面するために、東海道を汽車を使わずに写生旅行して描いた作品です。旅をしては夜な夜な呑んだくれつつも絵を描いて完成させた絵巻……旅をしたのは大正4年……1915年のことでした。
前項の下村観山は、そのシン・日本美術院の再興メンバーだったわけで、旅をした1915年には、重鎮的な存在だったのでしょう。《春雨(しゅんめ)》を描いたのは、その翌年の1916年のことです。
今季のトーハクのラインナップを改めて確認すると、下村観山の《春雨(しゅんめ)》を筆頭に、今村紫紅や速水御舟など、シン・日本美術院(院展)に関連する人たちの作品が並んでいます……と言っても、まぁ詳細は分かりませんが、トーハクには院展に関連する人たちの作品……パトロンの原三溪に関連する人たちの作品が多いですから、特に今季が多いというわけではない気がします。
さて……トーハクの担当者が、どういう意図で展示場所(順番)を決めているのかは分かりませんので、今回は下村観山以外は、年齢順で並べてみたいと思います。とりあえず、下に生年月日と、日本美術院が再興された1914年時点での年齢を列記しつつ、それぞれの作品をザクッと紹介していきます。
島崎柳塢:49歳(1865年生まれ)
下村観山:41歳(1873年4月10日生まれ)
今村紫紅:33歳(1880年12月16日生まれ)
小林古径:31歳(1883年2月11日生まれ)
速水御舟:20歳(1894年8月2日生まれ)
■島崎柳塢(しまざき りゅうう)って誰ですか?
今回の展示メンバーの中で、最も年齢が上なのが島崎 柳塢(しまざき りゅうう)さん。ごめんなさい…「島崎 柳塢って誰?」って思ったのと、それほど好きな画風でもなかったので、今回の作品を撮ってきませんでした。でも調べてみたら…ついこの前までトーハクには、島崎 柳塢さんの大作《美音》が展示されていましたよ! あの作品は好きなのですが、noteする機会を逸していました。
※以下の《美音》は、2025年2月9日現在展示されていません

島崎柳塢筆
島崎柳筆|明治40年(1907)|絹本着色
島崎柳塢氏寄贈




島崎柳塢さんのことをWikipediaで読んだら、けっこう面白い出自だなって思いました。生まれは幕末の牛込(新宿あたり)で、祖父は大田南畝の弟さん(だから牛込なのか!)。さらに同じく牛込出身の夏目漱石とは小学生の頃に親しかったそう。そして若い頃にはお父さんから漢学を仕込まれて、明治18年(1885年)には『十八史略講義大全:鼇頭参説』を著している変態です。同時に詩や洋画や南画などをそれぞれ師について学び、川端玉章の「浜離宮秋景図」を見て感動して、画家になることを決意したそう。明治34年から翌年には同時代の女性を描いた画集『好美百態』を刊行していますが、国立国会図書館のデジタルアーカイブには、残念ながら粗いモノクロデータしかありませんでした。
ちなみに現在展示されている《おないどし》は、こちらです。美人画を描くのが好きだったようですね。『好美百態』は、こういう雰囲気だったのかもしれません。

明治41年(1908)
島崎柳塢氏寄贈
A-1388
画像出展:TNM
■遊び心溢れる今村紫紅の《風神雷神》
今村紫紅が若い頃に学んだのが「安雅堂画塾」という画塾でした。この画塾がすごかったのか、島崎柳塢も同門の先輩ですし、速水御舟も同時期にいた後輩で、切磋琢磨した仲です。

今村紫紅筆|明治44年(1911)|絹本着色
31歳前後
解説パネルには「明治以降は、紫紅や安田靫彦らが、それぞれの独創性を加味してこのモチーフ(風神雷神図)を手がけた」と記されています。
今村紫紅の名言のようなものに、「一度つきつめたら壊さないと駄目。壊せば誰かが作ってくれる。僕は壊すから君たちは建設してくれたまえ」と、後輩の速水御舟らに語っていたと言いますが、この《風神雷神》などは、まさに「ぶっ壊してやった」感がありますね。



■速水御舟(はやみぎょしゅう)の不思議な世界観
今村紫紅が1912年に《風神雷神》を描いた翌年の1912年に、弟弟子の速水御舟(はやみぎょしゅう)が描いたのが、《萌芽》です。なんか展示されているのを見てピンッと来なかったのですが、デジタルデータで見ると、独特の感じが面白いですね。次回、ちゃんと見てきたいと思います。

今村紫紅は、《東海道五十三次》の旅から帰ってきた翌年、1916年に亡くなります。その時の死に顔を速水御舟が描き、後に《デスマスク》として発表しています。なんとなく、速水御舟さんって、展覧会パンフレットなどを見ると、きれいな…良くも悪くも癖のないきれいな作品が多い気がしますが、フッと…不思議な世界観の作品もあるようです。今季に展示されている大作《京の舞妓》も、そうした一点でした。

徹底した細密描写が注目をあびました。空間処理よりも着物や畳などの質感描写に執着し、大正期の写実的傾向を示しています。モデルは君栄という舞妓で、祇園の茶屋「吉はな」で写生した後、2年がかりで完成しました

1920年の院展に出品した作品です。もうちょっと可愛らしくに書いてあげようよ…って思いますけどね。だって、舞妓さんですよ。
高橋由一の《花魁(おいらん)》も、「たいがいにしろよ」って思いましたけど、速水御舟もね…。昨年、東京藝術大学で開催された『大吉原展』に、幕末だか明治初期だったかの花魁の写真が展示されていましたけど、現代の感覚で言っても、かなりカワイイ女性でした。なのに画家たちは、なんでこんなふうに描いちゃうかなぁ…って思いますね。高橋由一の《花魁(おいらん)》のモデルがそうでしたけど、速水御舟の《京の舞妓》のモデル、君栄(きみえ)さんもギャン泣きだったろうなぁ。
それにしても、先ほどの下村観山の《春雨(しゅんめ)》もでしょうが、舞妓や花魁など色街の女性を描いた作品が、この時代は多いですね……この時代も引き続き多い……という方が正確ですかね。思うんですけど、この時代の人とは、アダルトの意味合いが現代とは全く異なったんだろうなと。そうでなければ、こんなに描かないだろうなと。重要文化財に指定されている芸妓や芸者がなんと多いことか。それに初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、外務大臣の陸奥宗光、画家で挙げれば黒田清輝もだし…なぜか後妻が多いとはいえ、これだけ多くの時の権力者や権威者が、芸者や芸妓を妻にすることもないだろうと思うのですが…あまり書くと不快に感じられる方もいるかもしれないので、このへんで…。
甲斐荘楠音さんは、かなりきれいに描かれていたなという印象が残っています。まぁちょっと怖い絵も複数ありましたけどね。
でも、顔以外の質感については、ほんとうにビビるくらいに写実的です。こういう着物の生地を絵に貼り付けていったんじゃないか? ってくらいに、生地の質感が表現されています。なでしこの花もきれいですね……でも、なんで顔は、こんなことになっちゃったんだろ?




■“青色”がきれいだった小林古径さんの《住吉詣》
最後に小林古径さんの《住吉詣》。日本美術院が再興される1年前の大正2年(1913)に描いた作品です。






■3月18日からの展示ラインナップ
気が早いですが、来季のラインナップもトーハクのサイトに載っていたので、ここにメモ的に残しておきます。
異端(踏絵)1幅小林古径筆大正3年(1914)A-10546
梨に双鳩1幅菱田春草筆明治31年(1898)A-11815
比叡山1幅速水御舟筆大正9年(1920)A-10528
釈迦十六羅漢2幅横山大観筆明治44年(1911)A-1222
花下躍鯉1幅飯島光峨筆明治7年(1874)A-339
朧月桜花1幅木島桜谷筆昭和時代・20世紀永井佳子氏寄贈 A-12201
円山公園・平安神宮6曲1双竹内栖鳳筆明治29年(1896)有沢忠一氏寄贈 A-11781
維盛高野の巻1巻前田青邨筆大正7年(1918)A-10558
まぁ「そんな感じだよね」…という感じのラインナップですけど、京都画壇の木島桜谷(このしまおうこく)さんの作品も、トーハクに所蔵されていたのかぁと思いました。木島桜谷さんと言えば泉屋博古館というイメージが、わたしのなかでは強いのですけれど、とても美しい絵を描いた方なので、ちょっと見るのが楽しみです。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございます。チップよりも「スキ」ボタンが励みになります。noteはユーザー登録しなくても「スキ」できます!