「高市鬱」を載せた東京新聞さん、もはや“病巣”は権力ではなく自社の倫理観では?
人の名前に病名をくっつけて嘲笑するコラムを、ドヤ顔で載せてくる新聞社。
それが「東京新聞」です――そう紹介されたとしても、残念ながら今のコラム内容を見る限り、反論はかなり難しい。
「高市鬱」。
うつ病で苦しむ人たちの病名を、お手軽な政権ディスりのスパイスに使い倒すこのセンス。
ここまでくると、もはや権力監視ではなく、言葉の暴力依存症と言った方がしっくりくる。
正直、「廃刊レベル」と言われても同情の余地は薄い。
新聞を装った“政権ヘイト同人誌”と言われても、今の東京新聞なら違和感がないのが悲しいところだ。

「高市鬱」という造語、その時点でアウトどころかレッドカード

冷静に考えてほしい。
「高市鬱」という造語が意味するのはこうだ。
高市という存在そのものが、人を鬱に追い込む“有害物質”である
これが新聞紙面に堂々と載る。
そしてそれをチェックするべき編集部が、「いいね!本音出てるじゃん」とばかりに通してくる。
病気で苦しんでいる人の現実を踏みにじり、対象の人格を病原体扱いする表現を、「本音のコラム」として誇らしげに並べる。
ここまでやってまだ「私たちは正義の側」と思えているなら、相当重症だ。
うつ病当事者から見れば、「ああ、俺たちの病気は政権叩きのネタにちょうどいいんだな」と突きつけられたのと同じだ。
高市氏から見れば、「あなたの存在は人を病ませる毒そのもの」と新聞社お墨付きでレッテルを貼られたに等しい。
それを「風刺」「表現の自由」と言い張るなら、いっそ
表現の自由=好きな相手は守り、嫌いな相手は病名つきで殴る自由
と看板を掛け替えてくれた方が、読者としても分かりやすい。
「ネットで飛び交っている」という魔法の言葉で、少数派の悪ノリを“世論”に昇格させる技

極めつけは、「選挙後、『高市鬱』という言葉がネット上を飛び交っている」という一文だ。
その“ネット”とはどこのどなたのタイムラインなのか。
政権アンチの一部界隈?
コラム筆者とその周辺?
「東京新聞を褒めてくれる人」だけを集めた極小バブル?
まさか、自分のタイムラインで数件見たレベルを「ネット上で飛び交っている」に変換したのだとしたら、それはもうジャーナリズムではなく自分の界隈日記である。
本当に「飛び交っている」と言うなら、
どれくらいの規模で
どんな層が
どんな文脈で
使っているのか、最低限の検証は必要だ。
それを一切示さず、「ネットではこう言われている」と語り始めるのは、昔ながらの
「みんな言ってる」「世間が怒っている」を盾に、自分の主張を水増しするトーク術
に他ならない。
ネットの一部の悪ノリを、自分の主張に都合よく借りてきて“世論”の仮面をかぶせる。
その手口を報道機関が率先してやっている時点で、「マスコミ不信」を加速させる燃料投下にしかなっていない。
差別表現にうるさい“人権派”が、うつ病は安売りするという壮大なブーメラン芸

思い出してほしい。
「武漢肺炎」「中国肺炎」という呼び方はやめろ
病名や地名で人をラベリングするな
マイノリティへの配慮を
と、散々説教してきたのは、他ならぬ大手メディアだったはずだ。
ところが今回はどうか。
政権を叩くためなら、うつ病の名前を持ち出して人に貼り付ける。
当事者の尊厳? 知らん。
「権力者」なら、何を言ってもいい。
このダブスタっぷり、もはや芸の域だ。
自分たちが好む相手には過剰なくらい配慮を求め、
嫌いな相手には病名+人格攻撃でボコボコにする。
それを「リベラル」「人権派」と名乗ってやるのだから、自分の看板に対する風刺としては完璧である。
ただし笑えない方向で。
批判とイジメの区別もつかない新聞に、偉そうに「教育」や「いじめ問題」を語る資格があるのか

権力批判は大事だ。
しかし、今回やっているのは、「政策への批判」ではなく
嫌いな政治家に病名あだ名をつけて盛り上がるノリだ。
小学校で先生が止めるやつである。
ところがそれを、まっとうな大人のはずの新聞社が本紙面で推奨している。
子どもに「あだ名で人をバカにするな」と言いながら
大人の世界では「高市鬱」とニヤニヤしている
そんな社会で、「いじめをなくそう」「ハラスメントを許さない」と言っても、説得力は地の底まで落ちるだろう。
教育現場がどれだけ頑張っても、メディアが「気に入らない相手には病名つけて笑ってOK」と手本を見せてしまっているのだから。
その新聞が、またどこかで「いじめ特集」「ハラスメント問題」とかをやり出したら、ぜひ紙面の端にこう書いてほしい。
※ただし、ターゲットが自分たちの嫌いな政治家の場合は除きます
ここまでやっても自浄できないなら、「廃刊論」が出てくるのは当然の流れ

「表現の自由だ」「コラムは個人の意見だ」と言って逃げることもできるだろう。
確かに、法的にはギリギリアウトにならないかもしれない。
しかし、「新聞社として存続する資格があるか」は別問題だ。
本来、新聞には最低限の自制が必要だ。
病気や弱者をネタにしない
不必要に分断と憎悪を煽らない
批判はしても、人格の尊厳までは踏みつけない
この「あたりまえの線引き」を、自ら壊してしまったのが今回の件だ。
その結果、
当事者の苦しみを軽視し
特定個人を病原体扱いし
自分たちの「人権」看板に巨大なブーメランを突き刺した
これだけやらかして、「少し反省して、はいおしまい」で済むなら、世の中のいじめ加害者も楽でいい。
新聞社という看板を掲げる以上、「廃刊レベル」と言われるくらいの覚悟で、自分たちの病巣をえぐってみせるべきだ。
それができないなら、いっそきっぱり「政権ヘイト専門紙」として再出発した方が、読者への誠実さは上がるだろう。
読者にできる一番の「お灸」は、お金と信頼を引き上げること

東京新聞がこういうコラムを「本音」として載せるのは、
これでウケる
読者が喜ぶ
とどこかで計算しているからだ。
逆に言えば、
こういうやり方にはもう乗らない
病気や人格をネタにするメディアには財布も時間も預けない
という人が増えれば、さすがの東京新聞も「これはマズかった」と学ばざるをえなくなる。
一番効くのは、静かに、淡々と
「そういうノリ、こっちはもう要りません」
と示すことだ。
新聞社が本気で恐れるのは、炎上よりも、静かに進む「信頼の損耗」と「購読者離れ」だからだ。

おわりに
『高市鬱』という言葉を載せたコラムが世に出た瞬間、東京新聞は二つのものを同時に失った。
ひとつは、うつ病で苦しむ人々への敬意。
もうひとつは、「差別はいけない」と言い続けてきた自分たちの言葉の重さ。
「差別はダメ」を語る資格は、自分が差別をやめた日から始まる。

📚 参考にしたニュース・情報源
東京新聞「本音のコラム」選挙後の症状 斎藤美奈子(2026年2月18日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/469449野村修也氏のX(2026年2月21日)による批判
https://x.com/lawyersuzuki/status/2024483134033842622note「『高市鬱』という言葉がネット上を飛び交っている、というデマ・誹謗中傷を行う東京新聞」
https://note.com/long_snipe9433/n/n54af45d48271YouTube「【驚愕】東京新聞さん、高市嫌いが漏れて『高市鬱』創作→検索した結果www」レガシーメディア研究所(2026年2月20日)
https://www.youtube.com/watch?v=qP9yPG-gSj4
📚 関連記事
▶ その報道、本当に信じていいですか?総裁選で問われたメディアの信頼性
https://note.com/hal4684/n/nb31f07ccc4e3
▶「支持率下げてやる」発言が暴いた、日本ジャーナリズムの深刻な問題
https://note.com/hal4684/n/nbc407c6fc9bd
▶ メディアの暴走!参政党vs報道特集が教える「誰がメディアを監視するのか」
https://note.com/hal4684/n/nddac46a31b1d
▶ なぜ「石破辞めろ」4000人デモは報道されないのか?
https://note.com/hal4684/n/n63cd1e765396
高市鬱
東京新聞コラムで使われた造語。高市早苗首相の名前にうつ病をくっつけた表現。
偏向報道
特定の立場や意図に基づき、事実を一方的に報じること。
ダブルスタンダード
自分と相手で異なるルールや基準を使い分けること。二重基準。
ジャーナリズム
事実を調査・報道し、社会の公益に資することを目的とした報道活動全般。
メディアリテラシー
メディアの情報を批判的に読み解き、主体的に判断する能力。
公人
政治家や官僚など、公的な立場にある人物。名誉毀損の法的基準が一般人より高い。
放送法
テレビ・ラジオに「政治的公平」などを義務づける法律。新聞には適用されない。
