『ダークソウル』はなぜミニマップなしで遊べるのか――高低差が世界を身体に書き込む
『ダークソウル』や『SEKIRO』を遊んでいる時、階段を昇り降りしたり、やたら勾配のある地形を移動した記憶ってないだろうか。私はある。火継ぎの祭祀場から城下不死街の勾配のついた道などなんど坂を登ったかわからないほどだし、『SEKIRO』の葦名城の正面の入口の階段などは未だにふと思い出すほど印象深い。
階段以外にも、これらのフロム・ソフトウェアによるいわゆる「死にゲー」タイトルを遊んでいると、そのマップの印象は常になんらかの勾配、高低差がつけられている。どこか高いところを目指して登ったり、下へ下へと降りたり、上下に移動するケースが非常に多いのである。
これらのタイトルは、いずれも広大なマップを探索しながらプレイするタイプのゲームだが、メイン画面にミニマップというものが存在しない。マップがあまりにも広大な『エルデンリング』ではさすがに全体マップは存在したものの、ミニマップは変わらず搭載しなかった。
しかし、不思議とマップがなくても遊べてしまうのが『ダークソウル』なのである。遊んでいるうちに世界全体の構成が自身の内側に自然と構築されていくのがこれらのゲームのあまり言及されることのない隠れた特徴なのである。
『ダークソウル』系タイトルのマップに高低差が多く設けられていることと、ミニマップが存在しなくてもどうにか遊べてしまう理由は、実は密接な関係がある。人の記憶に残りやすいマップを作る上で、高低差は非常に重要な役割を果たしている。
例えば、広い平面上のA地点からB地点へと移動し、その後またB地点からA地点へと戻ったときA→Bの移動とB→Aの移動は、体験としてほぼ同じだ。周囲のビジュアルに変化があったとしても、平面上の移動という点においてこの往復運動に大きな変化はない。
だが、AからBへの移動に高低差が存在していたとすればどうか、AよりBが高い位置にあった場合、A→Bの移動は「登る」という行為になり、B→Aの移動は「降る」という行為に変わる。マップに高低差が存在するというだけで、シンプルな往復運動の体験の質が大きく変化する。

平面を移動するとき、前後左右という方向は、自分の身体が基準となるが、上下移動をする時、自分の身体と世界の基準が一致する。重力のあるこの世界において、頭上は空を指し、足元は地面を向く。だからこそ上下の移動は、平面移動と違い、世界の基準、世界の構造が身体に直接書き込まれる。東西南北はコンパスのような器具がないと把握できないが、空と地面は身体を持つ誰もが把握可能なのだ。
この移動の原理をフロム・ソフトウェアは最大限利用する。全体的にモノトーンで、表層的には同じような見た目の背景が続くにも関わらず、その世界を探索する道程の記憶がプレイヤーの身体に深く刻まれる。もしあなたが『ダークソウル』や『ブラッドボーン』をかつて熱心に遊び、そしてしばらくプレイを止めていたのであれば、久しぶりにプレイしてみると驚くだろう。城下不死街が、ヤーナム市街地が、自分が思っている以上に身体が覚えているということに。事実、私はそうだった。
『ダークソウル』や『SEKIRO』にミニマップや全体マップが存在しないのに、その世界を問題なく探索することが出来て、かつその記憶が消えない理由、それは、上下の移動が、自分と世界に共通する基準によって、記憶を身体に直接書き込むからだ。
