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病院に行こうか悩んだときに読む話

ちょっとおかしい、と思った。
耳の下から、顎のあいだ。熱を持っている箇所がある。うすぼんやりと腫れている。

浅い知恵を総動員すると、「リンパ」と呼ばれる場所の近くのような気がする。
そしてここが腫れると高熱が出ることがあるーーーという話だった気がする。

でもまあ、いうほど激痛ってわけじゃないし、痛いけど圧倒的に耐えられるラインだし
強烈な倦怠感っていうのは、もう親しすぎる隣人のように、月に何度かわたしの身体を訪れて、しばらく滞在して帰ってゆく。
コロナと呼ばれた病になってから、この倦怠感がどうしても抜けない。
総じて、「いつものことで耐えられる痛み」という判断で、一日中アニメを見ながら過ごした。

翌日になっても痛みはひかなくて、相変わらず我慢できる程度の痛みではあるけれど、倦怠感がひどく仕事に行けない。
親しい隣人の、態度がデカイというか、滞在時間が長すぎるのも気になる。

いやでもとにかくだるい。
熱が出ればわかりやすいのに、っていつも思う。不謹慎だけど。
38度、いや37度後半まで熱が出たら、病院に行かなくてはいけない、という気持ちになるけど
なんとなく、今日寝たら明日にはよくなっているだろう。という幻想を抱いてしまう。

だってずっと、そうだった。

幼い頃は、アトピーと中耳炎がデフォルトだった。
小児喘息は、「子どものうちだけ」みたいに言われていたけれど、当時はおとなの自分なんて想像できなくて、永遠みたいに思っていた。
でも、それらは発症すると、自動的に病院に連れてゆかれた。

それ以外の、風邪とか傷っていうのは、病院に行かなくても放っておけば治った。
歩くのがへたくそで、とにかくよく転ぶ子どもだったのだけれど、捻挫も湿布を貼って放っておけば治る。
というか、それ以外にやることがない。

中学のときは2度、縫う怪我をしたけれど、それも縫ったあとは自然にくっついてゆくのである。
あれ、なんか薬を塗ったり飲んだりしたかもしれないかれど、覚えていない。

つまりは、病院に行くときっていうのは、いつもの病気にかかったとき
あるいは高熱、絆創膏が到底役に立たないような傷を負ったとき(誰が見てもヤバイ状態といえるとき)
その他、耐えられないような痛みに襲われたときに行く場所だった。

年齢を重ねるにつれて、いつもの病気っていうのはなくなっていった。
ひどい怪我もしなくなって、近年では「マジでヤバイとき」にしか病院に行かなくなった。
そして、熱を出さないわたしは、ほとんど「マジでヤバイ」を迎えずに過ごしてきていた。健康というわけではなくて、デフォルトとして不健康のヴェールを被って生きてきたのだ。いつものやつ、ってね。

数年に一度、そういうイレギュラーが発生するけど、基本時には寝れば治る。
風邪とか切り傷みたいに、時間経過と共に回復してゆくのだ。
と、思い込んでいる。

でも、そうではないこともある。ということを知った。
残念なダイエット記録みたいに、上下を繰り返して、「エッ? 最初よりは体重減ってるけど、2週間前より太った??」みたいなノリで、症状が悪くなる怪我と病気を、一度ずつ患った。

そして、病気にしても怪我にしても、身体にイレギュラーを抱える状態というのは疲れる。
はやく終わらせたい。
いまはデフォルトで、倦怠感くんが定期的に遊びにきていて、彼を追い出す術はない。
既にマイナスの状態から、もう一度マイナスを加える。
ゼロ地点が、うんと遠くなる。
ああ、考えただけで疲れる。

「病院、行こうかな」
午前中はそう言いながらうだうだしていたけれど、午後になって「病院、行く」と告げた。

エライ、エライぞわたし。
エラすぎる。

世の中には2種類の人間がいる。
それは、病院が好きな人間と、嫌いな人間だ。
あ、言い過ぎたかもしれない。
わたしはいま、これのどちらにも当てはまらない。
病院は嫌いだ。でも、病院に行くおとなへと進化したのだ。
何度でも言う。エライ。

具合が悪いときに、「病院行こうかな」って考えるのも正直面倒だ。
そんなに思考コストを払えない。
どこかで希望(寝ていれば治る)に賭けたくなってしまう。
今日もその幻想に何度も溺れ、最終的に「病院に行くか悩むことに飽きた」或いは「病院に行かなかったという事実で明日後悔したり、自己肯定感を下げるほうが面倒だ」という判断に至ったのである。

てゆーか、悩んだときには行っとけ。
人生それで、だいたいなんとかなるから。
いつかの自分の声が頭上にガーンと響いたときには、パジャマのズボンを脱いで外用のチノパンを探していた。

今は、コンビニより内科が近い立地に感謝している。
決意して家を出れば、どれだけズタボロでもたどり着く距離なので、診察券と保険証を握りしめ、自動ドアを開ける。

「このあいだ来たときは、喉でしたよねぇ」
見覚えのある看護師さんが言う。

そう、このあいだも来たのだ。エライから。
あのときは、信じられないくらい喉が痛くて、龍角散の飴を舐めていないと呼吸ができなかった。
夜中に泣きながらコンビニに行って、朝になって絶望しながら病院に行った。
2週間ほど前の出来事だ。

「今日は耳の下のところが痛くて、すごいだるくてしんどいので、見てもらいたいです」
すごい痛いってワケじゃないんですけどね、あはは〜〜〜というのを忘れなかった。

心のどこかで、「耐えられる痛みなのに病院に来てスマン」っていう思いが、消えていない。
でももし、本当にリンパが腫れているならば薬を処方してもらったほうがはやく治る。ということもわかる。
それを判断してもらうために、病院に来ているのだ。

そう、病院というのは「耐えられない痛みが発生したら来る場所」ではない。
線引きは人それぞれだと思うけど、「イレギュラーの気配」を感じたら、行ったらいいと思う。

そうそう、友達にも言うじゃん。
「なんかあったら相談してね」って。
でもそれって本当は、「なんでもなくても連絡してね」だし、そもそも君と話すのが好きだ。
考えがまとまってなくても、愚痴みたいになっても、ヤバくなる前に話してよ。
ていうかわたしは友達に、「ヤバくなったオマエを救う根性はないから、ぜひともヤバくなる一歩、いやそれ以上手前の段階で相談してくれたまえ」って言われてたんだ。
身体の不調も、そんな感じで考えていい?

「腫れてますねえ」と言われて、ほっとする。
自分が病院に来ても大丈夫な存在であった、と認められたような気がする。
やっぱり、思い違いじゃなかったんだ。

「熱は、ないんですよね?」と言われて、頷く。
家でも、病院でも測った。36,2度だった。
「38度くらい出てもおかしくないんですけど」
「もともと、あんまり熱出ないタイプで……」と、もじもじと答える。
幼いときのことは知らないけれど、自分で熱を測って病院に行く年齢になってからは、38度以上の発熱は1度きりだ(コロナだった
「ここが腫れると、8〜9割くらいの人は、熱が出るんですけどねぇ」
えっ、わたしって1〜2割のほうの人種だったんだ…
自分の熱耐性アビリティの強さに驚いてしまうのであった。

治らなかったらまたきてください、と言われる。
佐藤先生は、いい先生だ。
看護師さんも、丁寧だ。診察の前にヒアリングを丁寧にしてくれて、いつも最後に「他に気になることや、先生に聞いておきたいことはありますか?」と確認を取ってくれる。

そしてわたしは、安心して病院を出た。

病院は、安心を買うところだ。
金で買える健康は、買ったほうがいい。
聞き飽きたセリフだ。本当にそうだと思う。

もし、大切な人が体調を崩していたら、「病院に行きなね」って言う。
っていうか、言って欲しい。必要なら付き添うから。

でも、自分のことはなんだか後回しになっちゃう。
「寝てれば治るし」って思っちゃう。

気になることがあったら、すぐに病院に行こう!って言いたいわけじゃないんだけど。
もういいおとなだし、本当に寝れば治るかどうかというか、「寝ても治らなかった」とか、過去の経験と照らし合わせて、ヤバイかどうかっていうのも、多少はわかるようになってきた。
あと、他人に心配をかけるのはよくない。とか
そうそう、そういうこと。

ねる、35歳。
病院との正しい付き合い方を見つける。

エライ、エライぞ。
これからは、「病院嫌いだから行かない」っていうフィルターを、ちょっとずつ薄くしていこうーーー本当は消したほうがいいのだろうけど、好きじゃないから仕方がない。
行かなければ行けない、と思っていた産婦人科系の検査にも、気軽に行けたらいいな。と思う。

健やかでな、願っているよ。
だからね、「まだ我慢できる」って、その理由で病院行かないのは、とにかく辞めよう。そういう時代ではなくなったのだ。世の中もあなたもわたしも。

この、「病院に行った」というだけの物語が、どこかの病院嫌い同志の懐に、すうっと入り込んだらいいと思って、3000字を投じて投稿することにした。





※病院についての、忘れれられない思い

※仕事に行くか悩んだとき、行けなかったときはこちら




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