これ考えた人天才 ~『写ルンです』から内視鏡へ、知財が繋ぐ「光の技術」の物語~
私がまだカセットテープが全盛の大学生だった頃、写真というものはとても敷居の高い存在であった。カメラは重く、現像代も馬鹿にならない。そんな時代の常識を軽々と打ち破ったのが、富士フイルムの『写ルンです』である。「買って、撮って、お店に出すだけ」という、シンプルさの極致。カメラではなくレンズ付きフィルムとして発売された。初めて手にした時の、「これ考えた人、天才だ!」という心からの驚きは、今でも忘れられない。手のひらサイズの「手軽さ」という名の発明は、一気に私たちの生活に入り込み、私の青春の記録を色鮮やかに残してくれた。
そして、その『写ルンです』の「手軽さ」という天才性が最大限に発揮されたのが、私と妻の結婚式であった。
私たちの結婚式の当時、参列者が皆スマホを持っている時代ではない。ましてやガラケーすら普及途上にあり、思い出を残すカメラは、限られた人が持つ高級品であった。そこで私たちが考えたのが、「写ルンですを各テーブルに配り、参列者全員にカメラマンになってもらう」というアイデアであった。今の時代では、ゲストが自由に写真を撮るのは当たり前だが、あの時代、これは『写ルンです』という安価で手軽な発明があってこそ実現できた画期的な試みであった。
結果は予想以上のものだった。プロのカメラマンには撮れない、ゲストならではの飾らない表情、テーブル越しのユーモラスなやり取り、そして新郎新婦が知らない間の「決定的瞬間」が、無数の『写ルンです』の中に凝縮されていた。私たち夫婦が、今でもたまに当時の写真を見ては、「これは○○さんが撮った写真だね」「あの時、こんな表情してたんだ」と、参列者目線の生々しい思い出を振り返って盛り上がれるのは、まさに『写ルンです』のアイデアのおかげである。あの時、あの天才的な発明が、特許制度によって市場を確立し、大量生産・低価格化が可能になっていなければ、私たちの結婚式の思い出は、今のように多様な角度で残ることはなかったかもしれない。
時が流れ、私も50代となり、健康診断で思わぬ「要精密検査」の通知を受け取った。大腸内視鏡検査が必要だという。周囲から「痛い」「苦しい」という前評判を聞き、正直なところ不安でいっぱいになった。診察室で、私の不安を察した医師は優しく笑った。「今の内視鏡は昔と違いますよ。スコープの硬さを調整して、痛みを大幅に減らす工夫がされているのです。これ考えた人天才ですよ」
その内視鏡のメーカー名を聞き、私は衝撃を受けた。「え、また富士フイルムさんか!」
青春の記録という「光」を切り売っていた会社が、まさか命を守る「光の技術」で、患者の苦痛まで和らげてくれているとは。調べてみれば、この内視鏡は、単に細いだけでなく、腸のカーブに合わせて硬さが先端から手元にかけて徐々に変わる独自の構造(硬度勾配)が特許で守られ、さらに病変の早期発見を助けるレーザー光や画像処理技術も、すべてフィルム時代に培った「光と色のノウハウ」の進化形だということが分かった。
これこそまさに、企業の「二の矢、三の矢」の天才的な連鎖である。『写ルンです』という「手軽さ」の発明で得た揺るぎない財産が、次なる時代に、全く畑違いの医療分野で「苦痛の軽減と早期発見」という社会貢献性の高い発明へ投資し、実現させるための原動力となったのだ。年代的には、別の発明者であると思うが、企業の魂と技術のDNA、そして次の挑戦に必要な「資金力という名の知財の果実」は、確実に特許制度によって受け継がれていたのだろう。
青春の思い出を多様な視点で残してくれた「天才」の技術は、今や私の人生を長く保つための「命の光」へと進化している。「#これ考えた人天才」という言葉は、一つのひらめきだけでなく、そのアイデアを守り、育て、社会貢献へと繋ぎ続けた企業の知財戦略全体に贈られるべき最高の賛辞だと私は思う。
おまけ1
自著本「『がんの本』を読み解く本」にも違うタイプの内視鏡は登場します。
おまけ2
この記事を書いた半澤和洋ポートフォリオと和洋ブックス公式サイトはこちら

