雷舞ノ巫女(ライブノミコ)第29話「朝の器、夜の予兆」
【物語あらすじ】
神の声が届かない時代に、歌だけが神域へ届いてしまった。
現代アイドルと八百万の神々が交差する物語、第29話。
朝の正宮は、まだ人の気配が薄い。
空気は冷たく、でも、拒むような冷たさではない。
背筋を静かに伸ばし、余計なものを置いていけ、とでも言うような冷たさだった。
天野光は、息をひとつだけ吐いて、石段の前で立ち止まった。
凛と会った翌朝。
胸の奥が、まだ少しだけ落ち着かない。
――君は、何のために歌う?
あんなふうに、真正面から聞かれたのは初めてだった。
歌う理由。
そんなこと、今まで深く考えたことがなかった。
ただ、歌っていた。
おじいちゃんに褒められたから。
あたたかくなると言ってくれる人がいたから。
そして――器に選ばれてからは、歌わなきゃいけない気がしていた。
それだけだったはずなのに。
「……アマテラスさま」
手を合わせたまま、光は小さく目を閉じた。
「私なんかが、アマテラスさまの器でいいのでしょうか」
風が、木々をひとつ揺らした。
「私には歌や踊りの才能があると思えません」
「器として、何をしたらいいのかも分からなくて……」
返事は、すぐには来ない。
来ないはずなのに、光はそこに居る感じを知っていた。
高天原。
水鏡の向こうでアマテラスは腕を組み、どこか困ったように笑っていた。
「相変わらずじゃのう。おぬしは」
「……えへへ」
光は自分でも気づかないまま、少しだけ頬を緩める。
「才能があるから器なのではない」
「上手いから選ばれるのでもない」
アマテラスの声は、厳しくない。
だが甘やかしもしない。
「おぬしの歌で、人の息が戻る」
「それだけで、十分に朝じゃ」
光は、ゆっくりと息を吸う。
「でも、私、ちゃんとできてる気がしなくて」
「昨日も……天堂さんに会って、余計に分からなくなりました」
アマテラスは、水鏡に指先を触れた。
波紋がひろがる。
その揺れの奥に、ほんの一瞬だけ、遠い時代の気配が滲む。
「……過去にも、作為なき光を纏うものは何人かおった」
「数は多くないがの」
「声ひとつで、人の迷いを鎮めてしまうような者もおった」
鏡の底に、声だけで人を集め、争いの熱を静めてしまうような気配が、ほんの一呼吸ぶんだけ蘇った。
「分からぬままでもよい」
「分からぬまま届く光も、世にはある」
光は、それ以上問い返さなかった。
言葉は、まだ全部は分からない。
でも、少しだけ肩の力が抜ける。
「……はい」
手を下ろす。
朝の空気が、さっきよりも少しだけやわらかい。
*
大学へ向かう電車の窓から見える景色は、東京よりも低く、近い。
講義室。
ノート。
教授の声。
ペン先の走る音。
光は二限の講義で、きちんと前のほうに座っていた。
ノートを開き、教授の声を聞き、ペンを動かす。
その動作だけを見れば、いつもの大学生だった。
けれど休み時間になると、隣の席の女子がスマホを差し出してきた。
「ねえ天野さん、これ……出るんでしょ?」
画面には、デュオグランプリの特設サイトが映っていた。
色とりどりのロゴ。
エントリーページ。
煽るようなコピー。
その下に、シード枠として名前が表示されている。
《天野光》
光は、胸の奥が少しだけ跳ねるのを感じた。
「……うん。一応」
「一応って。ハロウィンナイトフェス優勝者でシードって、普通にすごくない?」
「そんなことないよ」
「あるって。しかもプリンセスオーパーツの二人も出るんでしょ? コードリリカルって、もう名前だけで強そう」
光は、昨日の凛の顔を思い出す。
まっすぐで、まぶしくて、でもどこか少しだけ危うい笑顔。
――君は、何のために歌う?
その言葉が、まだ胸に残っていた。
「ねえ、相方って誰なの?」
同級生が画面を覗き込む。
シード枠の下には、まだ空白がある。
《天野光/Partner:未発表》
光は、その文字を見つめた。
「えっと、まだ分からないの」
「え、そうなの? シードなのに?」
「うん」
曖昧に笑った。
言えない、というより、本当に分からなかった。
自分の隣に誰が立つのか。
そもそも、自分の隣に誰かが立てるのか。
講義開始のチャイムが鳴る。
同級生はスマホをしまいながら、まだ少し興奮した声で言った。
「でも楽しみ。天野さんの歌、なんか朝っぽくて好きだから」
光は、少しだけ目を伏せた。
「……ありがとう」
講義は続く。
でも、ノートの端に書いた文字が、いつもより少しだけ揺れていた。
Partner:未発表。
その空白が、妙に胸に残った。
*
その夜。
デュオグランプリの特設サイト。
派手なカウントダウンも、華々しいテレビ告知もない。
大手レーベルが主催するコンテストでもない。
神主催。
怪しい。
あまりにも怪しい。
それなのに、そのURLは業界とSNSを通して一気に広がっていった。
理由は、はっきりしていた。
現役最強アイドルグループ、プリンセスオーパーツから、九鳳院咲良と白鳥雫のデュオ、コードリリカルが出る。
そして、ハロウィンナイトフェスの覇者、天野光がシードとして待っている。
その二つだけで、空気は変わった。
一次審査は、ライブ動画の投稿。
プロもアマも同じ土俵。
いいね数上位四組が、決戦の地・厳島神社への切符を手にする。
――ここでコードリリカルに爪痕を残せば、名前が売れる。
――天野光の前まで行ければ、本物になれる。
――プリオパだろうが、神主催だろうが、食えるなら食う。
そんな熱が、プロとアマの境目をあっさり溶かしていった。
有名アイドルグループからの即席デュオ。
プロの最前線で活動する歌唱派ユニット。
地下から這い上がろうとする新人。
ダンス動画で数字を持つインフルエンサー同士のコンビ。
地方ライブハウスで鍛えた男女ペア。
アマチュアの双子ユニット。
みな、思惑は違う。
けれど目指す先だけは同じだった。
勝てば、見つかる。
勝てば、上がれる。
その熱の中で、器たちのデュオもまた、それぞれの場所で動き出していた。
陽菜と夜魅は、まだ少しだけぶつかりながら、雷のような一音を探している。
美沙と星は、笑いながら、誰でも真似できそうで真似できない革命のリズムを叩いている。
蓮は静かに座り、カグヤの声の揺らぎを聴いている。
完璧を少し崩す、その一拍のために。
咲良は画面の前で、もう完成しているはずの曲から、さらに余白を削り出している。
雫はその隣で、まだ名前を持たない一行を、言葉の底から引き上げようとしていた。
そして――
伊勢の夜。
大学の課題を開いたまま、特設サイトのトップ画面を見つめている少女が一人。
天野光。
シード枠として、自分の名前がそこにある。
《天野光/Partner:未発表》
その空白が、画面の中で静かに光っていた。
自分がどこに立っているのか、まだよく分からない。
それでも、世界のほうが彼女を中心に回り始めている。
光は、そっとスマホに触れた。
「……みんな、歌うんだ」
問いにもならない言葉が、静かな部屋に落ちる。
その瞬間。
遠く離れたどこかで、最初の一音が鳴った。
それは祈りか。
反逆か。
革命か。
観測か。
あるいは、まだ言葉にならない何かか。
いずれにせよ――
デュオグランプリは、もう始まっていた。
