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雷舞ノ巫女 (ライブノミコ) 第16話「神様なんて信じないボーカルが、祈りに出会った日」

夕暮れの風が木々の葉を静かに揺らしていた。
夜魅は鳥居の前で立ち止まり、ため息をひとつ。

「…場違いもいいとこだよね」

私服姿の彼女は、いつもの黒を基調としたライブ衣装とは違い、淡いグレーのパーカーに細身のジーンズ、そして白いスニーカー。
その姿には、どこか年相応の少女らしさが残っていた。
だが、彼女の表情は、緊張と後悔の入り混じったものだった。

掌の中には小さなお守り。
布地の柔らかさが、汗ばんだ指に張り付く。
その感触が、昨日の言葉を思い出させてくる。

(嫌いなんて、言うつもりじゃなかったのに)

通り過ぎる風が、パーカーの裾を揺らした。
神社の境内は静かで、夜魅には場違いなほど澄んでいた。
お香の香り、木の葉の擦れる音、遠くで鳴く鳥。
どれも、彼女の世界にはなかった静けさだった。

「…やっぱ、アタシが来る場所じゃないよね」

声がかすれて自分でも驚く。
ステージでは叫びひとつで人の心を掴めるのに、ここでは小さな声ひとつ出すことも怖い。

(今さら顔出せない。あの子、きっとアタシのこと、嫌ってる)

鳥居の脇でうろうろと歩き回る。
参道を照らす灯籠の光が、夕陽と混ざり、夜魅の影を揺らした。
そのとき、背後から穏やかな声がした。

「お嬢さん、迷子かな?」

振り返ると、白い装束に身を包んだ老人が立っていた。
温かな眼差し。
皺の奥に、どこか人の心の奥まで見透かすような静けさがあった。

「えっと…あの…」

夜魅は少し言葉に詰まる。

「この神社の…人ですか?」

老人はゆっくりと頷いた。

「ああ、宮司をしておる。あなたは?」

「夜魅です。黒翼のレクイエムっていう、バンドで…」

言いながら、なんだか場違いな単語を口にした気がして俯く。

「バンド…ふむ」

宮司は目を細め、優しく笑った。

「音を紡ぐ人か。神さまも音は好きじゃよ」

夜魅は思わず口を開く。

「あの…陽菜って子、いますか?私、その子に…会いたくて」

声の端がかすかに震えた。
宮司はそれに気づいたようだった。

「陽菜の友達か。あの子なら、神楽殿におるよ」

そう言って、指先で境内の奥を示した。

「ちょうど夕拝の準備をしておる。静かに行くといい」

「あ、ありがとうございます」

夜魅は頭を下げ、指し示された方を見る。
木々の隙間から柔らかな光がこぼれていた。
その奥に鈴の音が、かすかに聞こえた気がした。

宮司はその背中に声をかけた。

「怖れずに行きなさい。神さまは迷ってる人の味方だ」

夜魅はただ小さく頷いた。
胸の奥の震えを抱えたまま、一歩、また一歩と、神楽殿へと歩き出した。

木の香りが濃い。
湿った風が髪の隙間を撫でていく。
ギターもマイクもない。リバーブもモニターもない。
こんな場所で、息の音すら吸い込まれていく。

(やっぱり、アタシには場違いだ……)

お守りを握る手のひらが汗ばんでいる。
胸の奥で、音にならない鼓動が鳴っている。
BPMにしたら、たぶん120。
焦りのテンポ。

風が止み、神楽殿の扉の隙間から、ひと筋の声が漏れた。
透きとおるような、真っすぐな声。
陽菜の声だ。

夜魅は神楽殿の前で立ち尽くしていた。
鳥居の朱が夕陽に染まり、空気がわずかに冷えていく。
木々の隙間から漏れる橙の光が、彼女の頬をかすめた。
ステージライトの熱とは違う。
もっと柔らかく、けれど心の奥を撫でるような温度だった。

(…何やってんだ、アタシ)

足が前に出ない。
ライブハウスならどんなに大勢の前でも一歩で踏み出せるのに。
この静けさの前では、自分の足音さえ場違いに思えた。

格子窓の向こうから、聞こえる陽菜の声。
澄んだ音。
音というより、空気そのものが震えたような感覚だった。

夜魅は思わず息を止め、格子にそっと指先をかけた。
中では、陽菜が白い衣装の裾を揺らして舞っていた。
舞というより、祈り。
ひとつひとつの動きにリズムがあり、呼吸があり、音が宿っていた。

(BPM……たぶん60前後。でも違う、テンポが生きてる)

夜魅の頭の中で、自然と分析が始まる。

「一定じゃない」

小さく呟き、苦笑した。

(息のリズムが、拍を揺らしてる。心臓と同じ、命の拍だ)

声が伸びるたび、周囲の空気がわずかに温かくなる。
揺れる木々の葉が、まるでリバーブのように音を返してくる。
その響きは、ホールでもステージでもない生の音響。

(…こんなの、聴いたことない)

夜魅の喉が、鳴る。
それは音楽的感動でも、職業的嫉妬でもなかった。
もっと原始的な、胸の奥を直接掴まれるような震え。

陽菜の声はどこかで風と混ざり、木々と呼吸を合わせていた。
その姿は光というより祈りの残響だった。
地に足をつけたまま、空へ届こうとするような。
そんな、儚い強さ。

(何だよ…神頼みだけじゃなかったんだな)

夜魅は唇を噛んだ。
ステージで感じたあの真っ直ぐな目。
あれは、信仰の無防備さじゃない。
自分の中の恐れと向き合って、それでも前を向こうとする人間の目だった。

風が吹き抜ける。

木々の葉が一斉にざわめき鈴の音が小さく鳴った。
その瞬間、陽菜がふとこちらを向いた気がして夜魅は反射的に身を引いた。心臓が痛いほど鳴っている。
手の中の桜色のお守りが、かすかに温もりを返す。

(…アタシ、どうしたんだろ)

視界の端で、陽菜の舞がまだ続いていた。
その姿を見ているうちに、夜魅は気づいた。
彼女の声は祈りじゃない。生きようとする意志そのものが音になっていた。

それは、神の力ではなく、

「人が神に届こうとする、その距離に宿る光」だった。

風が止んだ。

夜魅は格子窓からそっと視線を外し、深く息を吐いた。
胸の奥で鳴り続けていた鼓動は、もう音楽のテンポではなかった。
自分でも知らない感情のリズム。
静寂に溶けきれず、どこかでまだ、光を探しているような。

そのとき。

神楽殿の扉が、かすかな音を立てて開いた。
木の建具が軋み、外の空気が静かに流れ込む。
夕陽の余韻が差し込み、舞台の奥に白い影が揺れた。

陽菜だった。

舞の後の名残か、頬にはまだ紅が残り、額には細い汗が光っている。
手には扇を持ったまま。
その瞳が、光の残る境内に立つ夜魅を捉えた。

二人の間に、風がひと筋。
鈴の音がかすかに鳴って、時が止まる。

夜魅は言葉を探そうとしたが、喉が音を拒んだ。
陽菜も、ただ見つめ返すだけだった。
驚き、戸惑い。
それでも、どこか嬉しそうな微笑みが、彼女の瞳の奥に浮かぶ。

夕陽が沈みきる前、二人の影が、境内の石畳で重なった。

夜魅の手の中で、お守りがほんのりと温もりを帯びる。
陽菜の白衣の袖が、風に揺れた。

そして言葉よりも先に、夜魅の胸の奥で、ひとつの音が鳴った。

それは、ステージの照明にも、神の光にも似ていない。
ただ人と人が出会った瞬間の、息の音。

ふたりは何も言わずに見つめ合った。
空気の粒が、やがて夜に溶けていく。

祈りが、再び声へと還ろうとしていた。


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全話まとめ


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