ずっとそこにあったのに、見えていなかった ~あるものに気付くって❔マウスとの別れと、古い大木の夢
昨日、5年ほど使っていたマウスが動かなくなった。
電池を替えても動かない。
センサーを吹いてみると、少しよくなった。
「あ、動いた」
と思ったら、また動かなくなる。
そして、センサーの光まで消えた。
「えーーー。マウスの寿命?
note書けないじゃん」
そこから私は、新しいマウスを買いに行くことになった。
今まで使っていたものと違って、クリック音が静か。
カーソルの感覚も少し違う。
最初は、
「使いにくいね」
なんて、新しく来たばかりのマウスに文句を言っていた。
でも、そのあとだった。
私は、前のマウスのことを思った。
5年間、ずっと私の手の下にいた
考えてみたら、そのマウスとは5年くらい一緒だった。
一日8時間くらいパソコンを使う日もあった。
公正証書のこと。
離婚のこと。
これからの生活のこと。
苦しくて、どうしたらいいのか分からないこと。
私は、たくさんのことをパソコンに打ち込んできた。
そして最近は、noteを書くようになった。
自分の中で起きたことを言葉にして、文章にしてきた。
その全部の時間、マウスはずっと私の手の下にいた。
でも、私はそんなことを考えたことがなかった。
マウスは、ただの道具だった。
動かなくなったら、買い替えるもの。
それだけだった。
ところが、新しいマウスを使ってみて、
「前のほうが慣れていたな」
と思ったとき、初めて気づいた。
ああ。
「ずっと一緒にいたんだ」
別れるときになって、初めて見えた
前のマウスは、私が一番苦しかった時期もずっと一緒にいた。
何度も悩みを打ち込んだ。
何度も調べものをした。
何度も文章を書いた。
私が言葉を外に出していくことを、ずっと手伝ってくれていた。
それなのに、壊れるまで私は気づかなかった。
「ずっとそこにあったのに、見えていなかった」
そう思った。
そして、急に寂しくなった。
もう、このマウスを見ることはないんだ。
そう思ったら、
「ありがとう」
という気持ちが出てきた。
ただの買い替えだったはずなのに。
でも、違った。
私にとっては、
苦しい時期を一緒に通ってきた相棒との別れだった
そして、ようやくここまで来た私を見届けて、
新しい相棒にバトンタッチしてくれたような気がした。
今まで支えてきてくれて、ありがとう。
大騒ぎしたから、気づけた
しかも、この日はマウス一個で大騒ぎだった。
新しいマウスを買ってきたら、今度はレシーバーがパソコンに入らない。
「えーーー!」
となって、結局もう一度お店まで行った。
店員さんに見てもらったら、
「前のものと同じなので、入るはずですよ」
と言われた。
そして、パソコンを立てて、レシーバーを穴に真っすぐ入れてみたら……
入った。
……入るんかい。
二度目の大騒ぎである。
でも、もし何事もなく新しいマウスに交換できていたら、
私は前のマウスをただ捨てていたかもしれない。
「壊れたから、さようなら」
それだけだったと思う。
この大騒ぎがあったから、私は気づいた。
最後の日に、マウスが大きな仕事をしてくれた。。。
「私、ずっとここにいたよ」
と教えてくれたみたいだった。
ずっとそこにあるものは、見えなくなる
そう思ったら、身体のことも浮かんできた。
骨。
私は普段、骨のことなんて考えない。
でも、見えない骨は24時間、私の身体を支えている。
見えない。
当たり前すぎる。
だから気づかない。
でも、確かにそこにある。
そう考えると、私の暮らしの中には、
『ずっとそこにあったのに、見えていなかったもの』
が、まだたくさんあるのかもしれない。
もの。
身体。
人。
そして、自分自身。
私は今まで、苦しいことや
「何とかしなきゃいけないこと」に目が向いていた。
だから、その周りにあるものを見る余裕がなかったのかもしれない。
でも今は少しずつ、
「あれ?」
と立ち止まれるようになってきた。
苦しさの中にも、暮らしはあった
そして、母のことも浮かんだ。
ここは、きれいな話にはしたくない。
私は母とのことで、苦しかった。
憎いと思ったこともある。
離れたいと思ったこともある。
だから、その苦しさをなかったことにするつもりはない。
でも今、少し違う角度から見えるものがある。
私は、親から離れて自分の人生を歩くこともできた。
でも、選べなかった。
一人で行く覚悟ができなかった。
自分で決めて、
自分で歩いて、
自分の人生を生きていく。
その覚悟が、まだ私の中にはなかったのだと思う。
だからあの頃の私が離れられなかったことを、
「弱かった」
と責めなくてもいいのかもしれない。
苦しかった。
それでも、そこで暮らしていた。
家族として生活していた。
そこには、支えてくれていたものもあった。
だから私は、そこにいたんだ。
そして今は、
「あのときの私は、あの場所で生き抜いてきたんだ」
と思えるようになってきた。
そして、それは夫とのことにもつながっていた
今になって思う。
これは夫とのことも同じだったのかもしれない。
もちろん、苦しかった。
それは消えない。
でも、その関係の中で私は生活していた。
暮らしていた。
そこにも「暮らし」があった。
だから離れるということは、
苦しい相手から離れるだけではなく、
それまでの自分の暮らしから離れて、自分の人生を選び直すこと
だった。
私は、そこから出ることを選んだ。
だから今がある。
そう思うと、
「なぜもっと早く離れなかったんだろう」
と過去の自分を責めるより、
『あのときの私は、あの暮らしの中で生き抜いてきたんだ』
と思える。
そして今、私はここにいる。
翌朝、古い大木の夢を見た
その翌朝、私は不思議な夢を見た。
電車を待っているところから始まった。
友達と一緒にいたのだけれど、
立っている場所の足元がとても狭くて、前に落ちそうだった。
友達がそこを選んだから、私はそこに立っていた。
でも、あまりに怖い。
そこで私は、駅員さんのような人に聞いた。
「ここじゃなきゃダメですか?」
「降りてもいいですか?」
すると、
「降りていいよ。違うところで待っていていいよ」
と言われた。
私はジャンプして、そこから降りた。
自分が怖いと感じた場所から、別の場所へ移った。
そのあと電車の中では、私が座りたい席を誰かに取られていた。
その人は、
「私の席だ」
と言った。
私は話をしたあと、
「次の日は絶対、私があの席を取ってやる」
と思った。
ここは私が座りたい。
私はそう思っていた。
「私はこれが好き」と言える
その後、私は電車を降りて集合場所へ向かって歩いていた。
黒い帽子をかぶって、ポシェットを下げていた。
自分のお洒落が気になった。
「いい感じ」
と思っていた。
途中で、
「髪を洗ってなかった。ヤバッ」
と気づいたりもした。
完璧ではない。
でも、そのまま歩いていた。
途中でポシェットが売っていて、
「今のもいいけど、これもかわいいなあ」
と思った。
そして最後に、ハンドメイド作家のお店に入った。
日本風の柄がついたものが並んでいた。
その柄が気に入って、一つ選んだ。
でも、そこで私は店員さんに、
「あ、やっぱりもっと綺麗なのを選んでいいですか?」
と声をかけた。
そして、
「すごくこれに一目ぼれしちゃって」
と話した。
夢の最初では、
『ここじゃなきゃダメですか?』
と聞いていた私が、
夢の最後では、
『私はこれが好き』
と言っていた。
古い大木の中で、親子が暮らしていた
そして、夢の中で一番印象に残った場面があった。
道の途中に、大きな古い木の幹が横たわっていた。
その穴の中に、イノシシのような動物が入っていった。
気になって中を覗くと、そこには動物のお母さんがいた。
親子で暮らしていた。
赤ちゃんもたくさんいた。
その大木は、もう倒れて横たわっている。
古くて、少し異様だった。
中には水も溜まっていた。
動物たちは、ぬいぐるみみたいにきれいではなかった。
生々しかった。
でも、
そこに生活があった。
親がいて、子どもがいて、
そこで暮らしていた。
私はそれを見て、
「ここにまた来よう」
と思った。
そのとき私は、
「命なんだ」
と思った。
命は、きれいに整った場所だけにあるわけじゃない
この夢を思い出して、私は自分の家族のことを少し思った。
家族も、きれいに整ったものではなかった。
苦しかった。
憎いと思ったこともあった。
でも、
そこに生活があった。
一緒に暮らしていた。
家族として生きていた。
そして、そこで私は生き抜いてきた。
だから今がある。
そう考えると、古い大木の中にいた生々しい親子が、急に近く感じられた。
大木は、きれいな家ではない。
水も溜まっている。
古くて、倒れている。
それでも、その中で親子は暮らしている。
命は、完璧な環境になってから始まるものではない。
もう、そこにある。
私たちは、その中で生きていく。
最後に「愛が流れている」と言われた
夢の最後には、心のセミナーの主催者の人が出てきた。
話を聞いている人たちを見て、
「皆、普通の人だけれど、皆の中に愛が流れているのが見えますよ」
というようなことを話していた。
私は、それを聞いていた。
普通の人。
特別な人ではない。
覚醒した人でもない。
ただ、そこにいる人たち。
その中に、愛が流れている。
この言葉を聞いたとき、
命は、今も流れ続けているんだ
と思った。
誰かだけが持っているものじゃない。
何かを達成したら与えられるものでもない。
みんな、もう持っている。
だから、
「命を見つけなきゃ」
ではない。
そこにある命が、見えるようになってきた。
それだけなのかもしれない。
生き抜いてきた。だから、これからどう生きようか
ここまで考えて、私は思った。
私は今まで、
「どうやって生きるか」
を必死に考えてきたのかもしれない。
どうすれば怒られないか。
どうすれば嫌われないか。
どうすれば家族を守れるか。
どうすれば関係を壊さずにいられるか。
どうすれば何とかやっていけるか。
そうやって、生き抜いてきた。
そして今、少し違う場所に来た。
生き抜いてきた。
だから、
これからは、
「どう生きようか」
を考えてもいいのかもしれない。
何が好き?
どこにいたい?
何を選びたい?
誰と暮らしたい?
どんな毎日を送りたい?
休みたいときは休む。
嫌な場所から降りる。
座りたい席があれば、取りに行く。
今のものも大切にしながら、新しいものを選ぶ。
「これが好き」と言う。
そんな小さな選択の中で、
自分の命と一緒に暮らしていく。
そこにあったものが、少しずつ見えてきた
これまで生きることに精いっぱいで、見えなかった。
当たり前すぎて、見えなかった。
別れのときになって、初めて見えたマウスちゃん。
身体を24時間支えている、見えない骨。
家族という暮らしの中にあった、支え。
夢の中で見た、古い大木の中で暮らしていた親子 。
そして、普通の人たちの中を流れている愛。
私は今、
今まで見えていなかったものが、少しずつ見え始めている。
その中にある命も、少しずつ見えてきた。
そして、
「ああ、ここにあったんだ」
と思えるようになってきた。
命のことを、まだ私はそんなに大きく考えているわけではない。
ただ、そこにあるものを、
「あった」
「いた」
「支えてくれていた」
と、見つけ直せるようになってきた。
そして、そんな小さな気づきの先で、
これから、どう暮らしていこうかな。
そんなことを、少しずつ考え始めている。
マウスちゃんへ
最後に、やっぱりこれだけは言いたい。
5年間、私の手の下にいてくれてありがとう。
公正証書のことも。
離婚のことも。
いろんな悩みも。
たくさんの文章も。
一番苦しい時、長い時間一緒にいてくれた。
お別れは少し切ない。
でも、この子と一緒に過ごした時間まで消えるわけじゃない。
そして最後に、
「私はずっとここにいたよ」
と気づかせてくれた。
本当にありがとう。
今日からは、新しいピンクのマウスさん。
まだ少し慣れないけれど、
これから一緒にnoteを作っていこう。
いままで一緒に歩いてくれたマウスちゃんから、
新しい相棒へ。
バトンタッチ。
そして私はこれから、
別れを待たなくても、
「あ、ここにあったんだ」
と気づける私でいたい。
今まで見えていなかったものが、見え始めた。
ここから、
私はどう生きようか。
と、少しずつ考え始めている。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました🍃
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