見出し画像

恋愛小説【第11話】あの日、何も持ってなかったけど(踏み込んではいけない夜)

【第2章】少し踏み込んだ景色

距離が縮まるたび、見えてくるものがある。
知らなかった笑顔も、触れられなかった心も──。

修学旅行を終え、ふたたび日常が始まった。
周りには夢や目標を語る同級生。けれど、自分には何もない──
その空白を埋めるように、陽翔の視線はいつしか菜桜を追っていた。
何気ない会話で、少しずつ近づく距離。
その中で交わされた言葉が、迷い続ける陽翔の胸の奥に静かに残っていく。



📖前回のお話(第10話)

菜桜の家で過ごした、穏やかな夜。
笑い声と灯りに包まれながら、陽翔は初めて見る菜桜の“怒った顔”に、
なぜか胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

帰り道、大輝と並んで歩きながら、陽翔は自分の進路に迷い、言葉を失う。
「落ち込むのは、真剣に向き合っている証拠だよ。」
そのまっすぐな言葉が、沈んでいた心に小さな光を灯す――。

夜風のなか、ふたりの距離が少しずつ近づいていく。
だが、その穏やかな時間の中で──
大輝の口から、思いがけない一言がこぼれた。

菜桜をめぐるその言葉をきっかけに、
静かな夜は思いがけない方向へと動き出す。

──踏み込んではいけない記憶、
 彼女の心に隠された“境界線”とは。


🧑‍🤝‍🧑登場人物紹介

🧁 長谷川 菜桜(なお):パティシエ志望の高校2年生。お菓子作りが得意。夢はフランスに行くこと。
🏐 西岡 陽翔(ひろと):バレー部。恋に不器用で、ちょっと奥手。友達は多く社交的。
🎮 長谷川 葵(あおい):菜桜の弟。小学4年生。ゲーム好きでやんちゃだが、姉想いな一面もある。
🌟中森 大輝(なかもり だいき):菜桜の幼馴染。バレー部部長。先輩としても信頼され、男女問わず人気がある。


【第11話】踏み込んではいけない夜(第2章最終話)

──少し踏み込んだ景色の、その先にあったもの。

あの夜、知らずに越えてはいけない境界に足を踏み入れた
彼女の心に触れてしまったことを、まだこのときの僕は知らなかった


🕯️ 夜道の沈黙、踏み込んだ問い


大輝の言葉が残したあたたかさが、まだ胸の奥でゆっくりと溶けていた。

夜風が頬をかすめ、ふたりの足音だけがアスファルトに響く。
どちらからともなく、口をつぐんだ。
話題が尽きたわけじゃない。
言葉にできない何かが、その沈黙を支配していた。

ふと隣を歩く大輝が、ポケットに手を入れたまま沈黙を切るように口を開いた。

「ヒロ、お前、菜桜のこと好きだろ?付き合ってんの?」

いつもの穏やかな声なのに、どこか逃げ場を許さない響きだった。
陽翔の胸が、どくんと跳ねた。
足が止まりそうになるのを、なんとか堪える。


「え、あ……付き合っては、ないです…長谷川は、俺のこと、クラスメイトとしか見てないです…」

うつむき加減でポツリと答えた。

「ふーん…で?お前は?」

静かに続いたその声に、喉がつまる。
本当の気持ちは、まだ自分でも輪郭がつかめない。
だけど――「違う」とだけは言えなかった。

沈黙が答えになる。
大輝が前を向いたまま、かすかに笑う。

「まだ、自覚してないんだな。」

その一言で、心の奥を見透かされた気がした。

気まずさを誤魔化すように、陽翔が話題を変える。

「あの…先輩。なんで停電のとき、あんなに焦ってたんですか?いつも冷静なのに…」

陽翔が勇気を出して問うと、大輝はしばらく黙ってから言った。

「あぁ、あれな…我ながら焦りすぎたなって思ったよ。
停電なんて、久しぶりだったからな。」

軽く夜空を見上げて大輝が言った。
その声が、いつになく低く聞こえた。

「長谷川、停電、苦手なんですか…?」

「んーいや、停電っつーか、暗闇、だな。」

「あぁ、だから肝試しの時、あんなに怯えて…にしても怖がりすぎだったような…」

陽翔が納得したように言ったあと、顎に手を当てて少し考えた。
夜の空気が、ふっと静まる。

「……肝試し?」

大輝の眉がぴくりと動いた。
一瞬、夜の空気がぴんと張り詰める。

「それ、どういう意味だ?」

低い声。
けれど、その奥に抑えきれない焦りが混じっていた。

陽翔が少し戸惑いながら答えようとした瞬間――
その視線の鋭さに、言葉が喉で止まった。

「何があったんだよ!?」

肩を掴まれた。
その力の強さに、陽翔は息を呑む。
いつも冷静な先輩が、今はまるで別人だった。

「え…?あ…修学旅行の時の肝試しで……」

陽翔は驚いて、大輝の顔を見つめた。
その瞳には、一瞬だけ、焦りと恐怖が混ざっていた。
けれどすぐに、いつもの落ち着いた色に戻る。
まるで、自分の感情を必死に抑え込んでいるようだった。

ふたりの間に、短い沈黙が落ちた。

大輝は小さく息を吐き、掴んでいた手を離した。

「……悪い、つい。そんなつもりじゃなかったんだ。」

「い、いえ……びっくりしただけです。」


大輝は目を伏せ、いつもの穏やかな声色を取り戻そうとするように言った。

「修学旅行か……ごめん、詳しく聞かせてくれないか?」

陽翔の肩を掴んでいた手が、
シャツを整えるように、そっと撫でた。


陽翔は、修学旅行の肝試しで起きたことを思い返しながら話し始めた。

暗い山道に取り残された菜桜のこと。
必死に堪えるように、ただ震えていたこと。
自分が手を握ったとき、ようやく息をしたこと。

大輝は一言も口を挟まなかった。

「……そんなことが、あったのか。」

小さく呟いた声には、悔しさが滲んでいた。
大輝はふっと短く息を吐き、
そのまま夜空を見上げる。

「楽しかった、って……あいつ、そう言ってたんだよ。」

唇の端に、苦笑が浮かんだ。
それは笑いではなく、自分への怒りのようだった。


🌒 暗闇の記憶、語られなかった夜


「あいつの…菜桜の親父さんのこと、聞いてるか?」

大輝の声が、少し重い雰囲気を纏っていたのが気になって、少し戸惑った。

「え?あ、はい、小さい頃に亡くなった、とだけ本人から聞きました。あと、パティシエだったって。」

少しの間、沈黙が流れる。

「これさ…多分、アイツは絶対自分から話さないから…言うけどさ。今から話すこと、アイツ…菜桜の前では絶対、触れんなよ?」

まっすぐに陽翔を見て言うと、すぐそばの公園に入っていった。
大輝は、自販機の前で立ち止まると陽翔に何がいい?と聞いた。

「あ…じゃあサイダーで……」

大輝はふっと笑うと、サイダーのボタンを押した。

缶が落ちる音が、夜の静寂に響いた。
ふたりはベンチに並んで座る。

缶コーヒーのタブをパキッと開け、大輝はひと口だけ飲むと、
少し間をあけて話し始めた。

「菜桜の親父さんさ、事故で亡くなったんだ。
…菜桜の、目の前でね。」

缶コーヒーを両手で握りしめて、その手を見つめながら言った。


「え………?」

缶を開ける音が、妙に乾いて響いた。
陽翔の指先が、冷えたサイダーの缶を握りしめる。

「菜桜が小学校にあがる前のことだ。
親父さんとふたりで高原の牧場に行ったんだ。
昔から動物が好きでさ。すげぇはしゃいでたらしい。」

陽翔にはその情景が、まるで映像のように浮かんだ。
小さな手を引いて笑う父と娘。
それから、菜桜がコタローを可愛がっていた時の表情を思い出した。

缶を握る大輝の手が、静かに強くなった。


「……帰り道で落石に遭った。
 ハンドルを切ったけど、避けきれなくて……車ごと、崖下に。」

大輝の声が、少しだけ震えた。
夜風が、言葉の隙間をすり抜けていく。


「奇跡的に菜桜は軽傷だった。
でも、親父さんは動けなくてな。
夜の山の中で、助けを呼ぶこともできず……
菜桜は、その隣で朝を待ってた。」


陽翔の喉が詰まった。
想像したくない情景が、勝手に頭の中に浮かんでしまう。
父の手が冷たくなっていく感覚。
その隣で、ただ泣くこともできずに座っていた小さな菜桜。
胸が痛い、というより、締めつけられるようだった。


「警察が見つけたとき、菜桜は父親の胸に抱きついて眠ってたそうだ。
凍える夜に、ずっとそのまま。
最初、死んでると思われたけど……菜桜は息があった。」

声が途切れた。
沈黙が重たくのしかかる。

「……あいつ、父親に言われたらしい。
 “必ず助けが来るから、ここで一緒に待ってような”って。
菜桜の背中を撫でて。
それを信じて、じっと……ずっと待ってた。」

大輝は缶を見つめたまま、拳をゆっくりと握りしめた。

「……父親の手が、だんだん冷たくなっていったって。
その小さな手で、父親の手を握って、何度も呼んだけど、そのうち返事がなくなった。背中を撫でる手も動かなくなったって。」

「それでも、助けが来たら、父親も助かると信じてずっと、傍にいたそうだ。」


喉が痛い。
陽翔はサイダーの刺激で、無理やり涙を流し込んだ。

大輝はそこで一回、言葉を飲み込んだ。


「ヒロ、お前、想像できるか?自分の親がさ、自分の目の前で何もできずに段々弱っていく姿。
……俺には無理だよ。
菜桜の心の傷がどれだけ深いかなんて、俺には想像できない。」

「真っ暗な山の中でさ、父親の手が段々冷たくなるんだよ。
背中を撫でててくれた手が止まってさ、呼びかけに反応しなくなるんだ。」

大輝は自分の掌を見つめて、声が震えるのを押し殺して、話を続けた。

「だからあいつ、真っ暗な場所に行くとパニックになる。
中学までは夜ひとりで眠れなかったらしい。
……今も、停電とかがダメなんだ。」

「……そんなことが……」

陽翔はそれしか言葉が出なかった。

「……なのに、あいつは何も言わないんだよ。
 “楽しかった”って、修学旅行の話でも笑ってた。」


缶を見つめながら、大輝は小さく息を吐いた。
その横顔には、言葉にできない痛みが滲んでいた。

「……肝試しのとき、お前が理由を訊かなかったこと、
 あれ、あいつにとってはすごく大きかったと思うよ。」




🕊️ 宣戦布告と、何も持たない自分


風の音が一瞬止んだ。
大輝の声が少し和らぐ。

「俺はさ、別にアイツの幼馴染ってだけで、なんでもないんだけどさ……
葬式でさ、おばさん…生まれたばかりの葵を抱いたまま泣きじゃくって、大変だったんだよ。
なのに、菜桜は泣かずにずっと母親の手を握ってて…
俺なんて、ボロボロ泣いてたのにさ……
一番辛いの、菜桜じゃんな…?」

大輝の持つ缶コーヒーが歪な形になった。

「一度だけ、俺に言ったんだ。
自分のせいでお父さんが死んだって。
事故だから菜桜のせいじゃないって言ったけど…
きっと、そのあとも、菜桜は自分を責め続けてるよ。
…何も言わないけどな…」

陽翔は何も言えなかった。
言葉を出せば、崩れそうだった。

菜桜が背負っているもの、陽翔にはとてもじゃないが計り知れなかった。

 
祖母の言葉が頭をよぎる。

―あの子、何か重いものを背負ってる気がするの―


「先輩、こんな話し、なんで俺なんかに…」

陽翔は戸惑って訊いた。
大輝は陽翔の顔をみて、ふっと微笑むと

「俺は、葬式の菜桜を見て決めたんだ。
あいつと葵を、俺が守るって。
兄貴代わりのつもりだった。
……最初はな。」

「…最初、は…ですか……」

「あぁ。今は、一生かけてアイツを守りたいと思ってるよ。」

その瞬間、大輝の目が真っすぐ陽翔を射抜いた。
火照った空気の中に、冷たい覚悟だけがあった。

「だから――これは宣戦布告。」

サイダーの泡が弾ける音が、やけに遠くに聞こえた。

「宣戦…布告…?なんで、俺なんかに…?」

「さあな?多分、お前は俺の障壁になる。」

「はぁ…?」

陽翔は大輝の真意がよくわからなかった。

自分なんて大輝の足元にも及ばない。
菜桜を想う覚悟も強さもまるで違う。
そんな人に、勝てる自信もないし、
そもそも胸を張って”好きだ”とも言えなかった。

そんな自分に心底嫌気が差した。

「…仮に、俺が障壁になるとしても、この話をする理由がわかりません。」

大輝は少し間をあけて、缶をくいっと傾けた。
コーヒーの苦みが、沈黙の中に広がる。

「なんでだろうな。俺にもよくわかんねぇ。」

そう言ってから、少し笑う。

「まぁ、あれだろうな、フェアじゃない、って思ったんかな。」

「フェア……?」

「いや、違うな。どっちかっつーと、見せつけたかったんだと思う。」

「見せつけ……?」

「そう。
 “俺は菜桜のことをこんなに知ってる”って。
 “お前にあいつの痛みが受け止められるのか”って。
 そう言いたかったんだ。
 ……つまり、優位に立ちたかった。
マウントだよ。イヤな奴だよな、俺。」

缶を上に傾け、残りを飲み干した。
喉を通る音が、夜の静けさに溶けていく。

陽翔は少し考えてから、ゆっくり口を開いた。

「でも…本当にイヤな奴なら、こんな話、俺にしないと思います。
それに……それを“マウントだ”って言葉にできる人、そう多くないです。」

大輝は、ふっと小さく笑った。

「…はぁ…だからお前は、障壁になりそうなんだよ。」

缶コーヒーを両手で持ったまま、肘を膝の上において、前かがみになり、陽翔の顔を覗き込んだ。

「はぁ……?」

大輝がなぜ、ここまで自分なんかを気にするのかわからなかった。

「いいよ、わからなくて。
…俺は、菜桜のこと諦めたりしないから。さ、帰るか。」

そう言って立ち上がると、缶をゴミ箱に放り投げた。

「あ、ここで大丈夫です。
この公園、犬の散歩で来たことあるので、あとはわかります。」

「んーそうか?それならいいけど。
気を付けて帰れよ?じゃあ、また部活でな。」

「あの、ジュース、ご馳走様でした!先輩もお気をつけて!」

陽翔は、大輝に向かって勢いよくお辞儀した。


それをみた大輝はぷっと吹き出して、

「練習試合にでも来たのかよ。おやすみ。」

と言って、来た道を引き返していった。


その背中を陽翔は見えなくなるまで見送った。
しんと静まり返った夜の公園。
ざわざわと風に吹かれて木々が鳴った。

その様子に、陽翔は肝試しの菜桜の様子を思い出していた。

あの時の怯え方は普通じゃないと感じていた。
でも、ここまで菜桜の心の傷が深い出来事があったなんて、誰が想像しただろうか。

葵が見せた落ち着きも、
全部“姉を守るため”だった。


【一生をかけてアイツを守りたいと思ってるよ】

大輝の言葉が頭のなかで反芻される。

「くそ…めちゃめちゃカッコいいじゃんか…だれが敵うんだよ…俺なんか…」


あの人は、自分とはまるで違う。
持っているものも、積み重ねてきたものも、何倍も重い。
自分には何もない。
夢も、覚悟も、形になる努力も。
誰かに誇れるようなものが、ひとつもない。

夏の始まりの風は生ぬるくて、少し気持ち悪かった。
まるで、自分のようだと思った。


だけど、そんな自分にも、変わりたいと思う瞬間がある。
菜桜の笑顔を思い出した。

どこか業務的な笑顔、
時々見せる幼い笑顔、
お菓子を褒められた時の嬉しそうな純粋な笑顔。

でもその笑顔の裏に、菜桜の抱えている闇があるのなら…
陽翔はもっと深くまで触れたいと思った。

そして、自分が思っていたよりも、菜桜のことが好きだったと気づく。


「まいったなぁ……俺…とんでもない人、好きになったみたいだ……」

陽翔は空を見上げた。

東京の夏の夜空は星が見えない。
それとも自分の目が涙ぐんでいるせいなのか。
けれど、滲むような光が確かにひとつ、そこにあった。



過去記事

1話はこちらから

肝試しの話は第4話

祖母とのエピソードは 第2話


いいなと思ったら応援しよう!