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恋愛小説【第13話】あの日、何も持ってなかったけど(無いものより、あるものを)

【第3章】眩しさの裏で

あの日、何も持っていなかった僕は、
君と出会って、少しずつ世界を知った。

距離が近づくたび、心は揺れて、
手を伸ばせば届くと思っていた眩しさに、
いつの間にか、影が落ちていた。

届かなかった想いが、僕を変えた。
傷つくことでしか見えない景色がある。
眩しさの裏で、僕はようやく、自分の足で立とうとしていた。


📖前回のお話(第12話)

追試では目標点に届かず、
菜桜を遊びに誘う勇気も出せなかった。

県大会でも惜敗し、3年生が引退。
悔しさを抱えたまま迎えた夏の終わり、
陽翔の胸には、菜桜からもらったゼリーの味が残っていた。

蝉の声が、少しずつ遠ざかっていった。
――そして季節が変わるころ、
ふたりの距離にも、静かな変化が訪れようとしていた。



🧑‍🤝‍🧑登場人物紹介

🧁 長谷川 菜桜はせがわ なおパティシエ志望の高校2年生。お菓子作りが得意。夢はフランスに行くこと。
🏐西岡 陽翔にしおか ひろとバレー部。恋に不器用で、ちょっと奥手。友達は多く社交的。
🌟中森 大輝なかもり だいき菜桜の幼馴染。バレー部部長。先輩としても信頼され、男女問わず人気がある。
🎭佐々木 一生ささき いっせい陽翔の親友。ふざけてるけど、いいヤツ。
🎧松田 彰まつだ あきら陽翔&一生とつるむ落ち着き系ツッコミ担当。ニヤニヤしながら恋を見守る茶々入れ役。


【第13話】無いものより、あるものを


🖌️絵の具と笑い声の放課後に

9月の風が、蝉の声を遠くへ運んでいった。
夜には、少しだけ秋の匂いが混じりはじめたころ。
新学期が始まり、文化祭の空気に生徒たちは浮足立っていた。

陽翔たちのクラスはカレー屋を出すことになり、
放課後の教室には、絵の具の匂いと笑い声が混じっていた。

「貸して?俺、やるよ。」

ダンボールを切り抜くのに苦戦している菜桜に声をかける。
カッターを受け取ると、菜桜の指先が一瞬、触れた。

「ありがとう。ちょっと、固くて。」
カッターを渡しながら微笑む。

「こんなの、男子に任せておけばいいのに。」
段ボールにカッターをザクザク入れながら、言った。

「男子は部活に行っちゃう人、多いから。男手足りないの。」
陽翔の隣で別の作業をしながら、菜桜が笑いながら言った。

「西岡くんは、部活いいの?」

「ん?行くよ。少し遅れてだけど。」

「そっか。」

菜桜の「そっか」が、どうしてか少し遠くに聞こえた。
沈黙が、短く流れる。

堪らず、陽翔が話題を切り出した。

「あのさ、ゼリー、めっちゃうまかった。
疲れてたからさ、すげー染みたよ。ありがと。
…半分くらい、一生と彰に取られたけどな。」

「うん、だと思って少し多めに入れておいた。」

刷毛はけを動かしたまま、くすくす笑いながら言った。
その横顔に、陽翔は少し見とれていたが、
ハッとして、またカッターを動かす。

菜桜の横顔に見とれた瞬間、胸の奥が熱くなった。
その熱を隠すように、陽翔は慌てて声を弾ませた。

「ゼリーもうまかったけどさ、俺、やっぱりチーズケーキが一番好きだな。」

わざとらしいほど明るく言って、菜桜をチラリと横目で見た。
いつもみたいに、幼い笑顔で喜ぶと思っていた。


けれど、陽翔の手が止まった。


「え……ごめん…俺、変なこと、言った……?」


菜桜の手が止まり、目尻に光るものが見えた気がした。

「ううん。ごめんね、ビックリさせて…嬉しかったから。」

中指の腹で涙を拭うと、顔を上げて陽翔に笑顔を向けた。
嬉しさと悲しみが入り混じったその笑顔は、
複雑で、理由もなく綺麗だと思った。


🍰はじまりの味

「チーズケーキはね…私にとって、特別なの。」

菜桜が再び手を動かしながら、話し始めた。

「父が亡くなったことは、話したよね。」

少し息を吸って、菜桜は続けた。

「あれね、お父さんのレシピなの。」


陽翔の胸が締め付けられた。
大輝に聞いた亡くなったときの情景が、思い浮かぶ。

「亡くなった時、葵はまだ生まれたばかりで、お父さんのケーキを食べたことなかったの。」
「それが、可哀想だと思って…」

菜桜の声が重く響く。
陽翔はただ、黙って菜桜の話を聞いた。

同じ箇所を刷毛はけが何度も行ったり来たりしている。

「中学の時に、お母さんにお父さんのレシピのノートを貰ってね。
その中に、お母さんが一番好きだったチーズケーキがあったの…
葵に食べて欲しくて...お母さんに笑って欲しくて、作ってみたんだ。」

菜桜の筆が止まった。

小さく息を吐いて、顔を上げる。
陽翔を見るその目は、柔らかく、けれど泣きそうな笑顔だった。

再び視線を手元に戻して、話を続けた。
陽翔は、菜緒の横顔から目を逸らせなくなった。

「お母さん、お父さんの味だって泣いて喜んでくれて。
葵も、すごく喜んでくれて。
お父さんが大事にしてたもの、こういうことなんだって…」

菜桜の声がわずかに震えた。
涙を必死に堪えているようだった。

「お父さんのお店、La Fleurラ・フルールっていうの。
フランス語で“花”って意味なんだ。
花束を贈るように、お菓子で人を幸せにしたい。
大切な人と、大切な時間を過ごしてほしい。
それが、お父さんの願いだった。」

菜桜の声が小さくなっていく。
すぅっと息を吸い込む音が微かに聞こえたあと、
芯の通った声が響く。

「だからね、私もパティシエになろうって思ったの。
あの時の、お母さんと葵の笑顔が嬉しかったから…
私も、お父さんみたいな人になりたいって、思ったの。」

手を止めて、ゆっくりと顔を上げて陽翔をまっすぐに見つめた。

「…だから、チーズケーキが一番好きだって言ってくれて、嬉しかった。
ありがとう。」

菜桜の瞳が、光を含んで揺れていた。


その笑顔を前に、陽翔は言葉を失った。


ー何か重いものを背負っている気がするのー

ー菜桜には絶対言うなよー

祖母と大輝の言葉が頭を駆け巡る。


🌼陽だまりの言葉


「…強いな」

「え?」

小さくこぼれた声に、菜桜が顔を上げた。

「小さい頃に亡くしてさ、それでも前向いて目標に進んでいくのがさ、すげーなって…」

誤魔化すように、カッターを大げさに動かした。


「俺なんて、夏の試合、まだ引きずってる。
大輝先輩たち、引退させたの…俺だから。
ほんと、情けないよ。」

自分の格好悪さに嫌気が差して、この場から消えたくなった。
自分よりも努力している人に、”好き”どころか、遊びに誘うことすらおこがましく感じた。


「…強くないよ。」

少し間を置いて、菜桜は続けた。
「私もまだ、引きずってること、あるよ。
それにね、私が西岡くんだったら、多分、同じように引きずってると思う。」


陽翔には、菜桜の“引きずっているもの”がわかっていた。
暗闇――それは、彼女が今も触れられずにいる過去。
けれどその事実を、陽翔が知っていることを、菜桜は知らない。


陽翔の胸が、締めつけられた。

どうして、こんなにも真っすぐに生きようとする人が、
そんな痛みを抱えていなきゃいけないんだろう。
自分が引きずっているものなんて、比べものにならない気がして、
ただ、情けなくなった。


菜桜が話を続ける。

「でもさ、西岡くんが3年生になって、同じように後輩のミスで負けて引退することになっても、ここまで努力してきた後輩を、責めたりはしないでしょ?」

陽翔が顔をあげると、菜桜が陽翔をみて笑いかけていた。

「大輝くんも同じだよ。西岡くんのこと、恨んだりしてないし、引退したことも、気にしてないみたいだよ。
むしろ、『アイツは強くなる』って褒めてたしね。」

菜桜はくすくす笑いながら言った。

「あ、これ言うなって言われてたんだ。…まぁ、いっか。」

とまた楽しそうに笑った。

「引きずってる、ってことは、それだけ本気だったってことでしょ?」
柔らかな眼差しで陽翔を見つめる。

「それでいいじゃない。その後悔が、きっと強くしてくれるよ。」
にこっと笑って、また刷毛はけを動かす。


「お父さんが亡くなって間もない頃はね、無いものばかり数えてた。
お父さんもいなくなった、お店もなくなった、おうちも変わってしまった…
それが辛くてしかたなかったけど…」


「でもね、はじめてチーズケーキを作った日に、やめたの。」
一呼吸置いて、菜桜が微笑んだ。



「無いものを数えるより、あるものを数えよう、って。」


菜桜の言葉が、静かに胸の奥に染み込んでいく。

「私にはお母さんがいる、葵もいる。
大輝くんも、大輝くんのご両親もいる。
レシピもある。お菓子を作れる。お金はないけど、体力はある。じゃあ働けばいいんだって。」


「ね?未来が明るく見えるでしょ?」



そう言って笑った菜桜の笑顔は、陽だまりのように柔らかくて、あたたかった。
初めて見る、笑顔だった。
なぜか、陽翔が泣きそうになってしまった。


「ありがとう…俺、頑張るよ。」

「うん。」


最後の一太刀を入れて、段ボールをくり抜いた。

「できた。まだある?」

「ううん、ここまでできればあとは色つけるだけだから。
部活行って大丈夫だよ。ありがとうね。」

「悪りぃな。じゃあお言葉に甘えて、行かせてもらうね。」

「うん、行ってらっしゃい。頑張ってね。」

菜桜のその一言で、陽翔の心にじんわりとあたたかくなるものを感じた。

「……行ってきます。」


ウジウジ悩むのはやめよう。
今の自分に自信がないなら、なりたい自分になるために努力すればいいんだ。
いつか菜桜に、自信をもって好きだと言えるように。


陽翔は目の前に広がる道が明るく見えて、一歩踏みだした。
外の空には、秋の風と、どこか遠くから届く笑い声が混じっていた。


過去記事

1話はこちら▼

祖母との回想はこちら▼

大輝との回想、菜桜の過去はこちら▼


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