『美山考』第9章〔盛郷〕田土・上吉田・林【260401】
南丹市美山町の地域史についての考察
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エリア地図03〔盛郷〕田土・上吉田・林

1033S1-1 祇園神社

所在地:盛郷(上吉田)
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:未詳
例祭:7月14日、区民の当番で実施する。
以下 4神社は、山水寺薬師堂に向かって右側の一段高くなった所に、正面をお堂に向けて右側から祇園神社、稲荷神社、三宝荒神、山王神社の祠が並んでいる。
1033S1-2 稲荷神社

所在地:盛郷(上吉田)
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:未詳
例祭:2月初牛日に、区民の当番で実施し、各家庭それぞれでお参りする。
1033S1-3 三宝荒神

所在地:盛郷(上吉田)
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:未詳
例祭:株で実施する。(株名は確認できていない)
1033S1-4 山王神社

所在地:盛郷(上吉田)
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:未詳
例祭:株で実施する。(株名は確認できていない)
1033T1 総持院

所在地:盛郷(上吉田)
山号:日盛山
宗派:真言宗
本尊:不動明王
創建:応安4<1371>、薬師堂と共に建立か
開基:未詳
由緒等:
・永禄2<1559>覚仙が現地に移築「大正郡誌」
・寛永年間<1624-1644>吉田・林・田土・庄田の各村に小庵あり
・寛文10<1670>吉田村の庵主没す
・寛文11<1671>庵寺を廃し、現在の場所に持仏堂を設立
・元禄2<1689>覚仙、山水寺 総寺院と号す「仏教誌」
・文化8<1811>孝順、住職となる
・文政4<1821>孝順、再建し中興開山
※覚仙の年代と事績が「大正郡誌」と「仏教誌」で異なる。
1033X1 山水寺 薬師堂

所在地:盛郷(上吉田)
山号:日盛山
本尊:薬師如来座像
創建:和同3<710>
開基:行基創立とするが未詳
祭礼:1月6日、上吉田・林・田土が共有管理し15年毎に開扉式(「鶴ケ岡暮らしのてびき」では、50年に一度開帳としている)
由緒等:
「ふるさと鶴ケ岡」に掲載されている下記 縁起帖 から、
・和同3<710>行基が 日盛山山水寺 を引尾(場所不明)に建立し自ら刻んだ薬師如来像を安置した
・大治元<1126>現在の場所に遷し大伽藍であった
・明治38<1905>現在の規模の堂宇に縮小された
ことが読み取れる。
※「仏教誌」の著者は、「大正郡誌」が同時期同地区に総寺院と山水寺薬師堂を建立した、とすることを疑問視している。
抑モ当山御堂ノ由来ヲ尋スルニ人皇四十三代元明ノ御宇和銅三庚戌年行基菩薩諸国修行ノ折柄当地ニ行脚セラレ此所ニ一夜ヲ明カセ玉フ時夢中ニ光明輝キテ天降リ玉フト拝シ奉リシニ條ケ薬師如来ノ尊体験シテ日汝衆生ノ為ニ此ノ所ニ堂宇ヲ建立セヨト告ゲ玉フヤ夢覚メテ歓喜ノ心ラ生ジ直チニ施ヲ勧奨シテ当寺ヲ建立シ即チ夢中ニ拝シ玉イシ薬師如来ノ尊像ヲ作リ玉ヒテ爰ニ安置シ奉リ玉フ則チ日盛山山水寺ト号スト云フ
然ルニ薬師如来東方浄瑠璃国土ノ教主ニマシマシテ十方無辺法界衆生ノ罪業病障ラ愍ミ苦与楽ノ薬味ラ施シ給フ御誓願ノ深重ナルコト十二大願ニ明カナリ故ニ大恩教主釈迦牟尼如来ハ薬師如来ノ本誓二依リテ十二神ヲ説示セラル衆生ニ教へ玉フ誠ニ広大無辺ノ慈悲ナリ何人カ其益ラ蒙ラザランヤ今斯ニ安置シ奉ル薬師如来ノ尊像ハ行基菩薩衆生ノ為ニ一刀三礼ノ御作ナリ今ヤ参詣ノ善男善女詣デ礼拝ヲ遂ゲラレヨトアルヲ以テ見レバ和銅三年二引尾(上首ヨリ知井村へ通ズル峠)ニ建立セラレ共後大治元年ニ至リ現在ノ場所ニ遷サレタルモノ是ナリ引尾ノ名称起レリト云フ
是山水寺ノ堂宇ハ大治元年丙午二月八日大工藤原家次統領トナリテ着手同年八月ニ上棟同十月八日大供養ノ式ラ挙グルニ至レリ当時ノ堂宇ハ七間四間ノ大伽藍ナリシガ其後維持経営ノ困難ヲ来シ遂二明治三十八年十月現今ノ堂宇ニ縮少スルニ至レリ
《訳》そもそもこの山の御堂の由来を尋ねると――
人皇四十三代、元明天皇の御代、和銅三年(庚戌・710年)、行基菩薩が諸国を修行して巡っておられた折に、この地へお越しになり、一夜を明かされた。その時、夢の中に光明が輝いて天から降りてこられたので、拝み奉ると、まさしく薬師如来の尊いお姿を体験された。そして薬師如来が、「汝、衆生のためにこの地に堂を建立せよ」とお告げになった。夢から覚めた行基菩薩は歓喜の心を生じ、すぐに人々に勧進を呼びかけ、この寺を建立した。そして夢で拝んだ薬師如来の尊像を自ら刻み、この地に安置された。これを「日盛山山水寺」と号するという。
さて、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であり、十方無辺の法界に生きるすべての衆生の罪や病をあわれみ、苦しみを除き安楽を与える薬を施すと誓われた。その御誓願の深さは十二の大願に明らかである。ゆえに大恩教主である釈迦牟尼如来は、薬師如来の本願に基づいて十二の神々を示され、衆生に教え導かれた。まことに広大無辺の慈悲であり、誰人もその利益を受けないはずはない。
ここに安置される薬師如来の尊像は、行基菩薩が衆生を救うために、一刀ごとに三度礼拝しながら刻まれた御作である。参詣する善男善女は、ぜひお参りして礼拝を遂げられるべきだろう。これによれば、当寺は和銅三年に引尾(上首から知井村へ通ずる峠)に建立されたが、その後、大治元年<1126>に現在の場所に遷されたと伝えられている。引尾という地名は、これに由来するといわれる。
この山水寺の堂宇は、大治元年丙午二月八日、大工の藤原家次が棟梁となって着工し、同年八月に上棟、さらに十月八日に大供養の法要が営まれた。当時の堂宇は七間四間の大伽藍だったが、その後、維持や経営が困難となり、ついに明治三十八年<1905>十月、現在の規模の堂宇へと縮小されるに至った。
1034S1 天満宮

所在地:盛郷(林)
祭神:菅原道真
創建:文政3<1820>
氏子:田土・上吉田・林
例祭:8月25日(現在は上げ松の翌日に実施か)、30年毎に万燈会を行う。
由緒等:もとは総寺院境内にあったものを明治25<1892>に現在地へ遷宮した。
「ふるさと鶴ケ岡」に下記記述がある。
同文中の天満宮は、当宮のことと思われるが、近くまで行くことができないため、文中各神社については現地確認ができていない。
昭和初期に廃村になったとされる大及村住民の移住先が読み取れる。
林の元塚には一ヶ所に四社が祭祀されており、天満宮のほかに鈴波神社、山王神社、山の神さんである。山王さんは上吉田の大秦株で祭祀されており、鈴波神社は大及村の氏神であり、元大及村住民であった藤田、佐野、そして殿の小林らによって祭祀されている。山の神はもと川向い(現在の国道)の湯ケ谷にあったものを移転した。また佐野土蔵宅上に通称「森さん」といっている小さな祠がある。
1034S2 明森八幡宮

所在地:盛郷(林)
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:佐野株
例祭:10月に株で実施
由緒等:佐野株の氏神
1034X1 観音堂

所在地:盛郷(林)
本尊:普賢菩薩
創建:未詳
開基:未詳
祭礼:春秋の彼岸と8月23日、檀家持ち回りで毎月17日に観音講を実施、8月は観音堂でお参りする。
