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『美山考』第9章 神社と寺院【260811】

南丹市美山町の地域史についての考察
改訂履歴



地理院地図上の⛩卍記号や郷土誌などから美山町域に存在する神社・寺院・小堂を洗い出し「別表B 美山地域の沿革」に記載した。「表9-1. 神社・寺院一覧」は、それら神社・寺院・小堂と、美山町域を13エリアに分けた地理院地図(エリア地図 01~13)との対応、並びに現地確認の状況を示すものである。

130以上にのぼる神社・寺院・小堂を一意に識別できるようにするため、所在する地名ID.の後ろに、神社は「S追番」、寺院は「T追番」を付加した 社寺ID. を設定している。

各社寺の由緒等の情報については、所在の確認がとれたものから適宜追記するとともに、現地訪問時に各エリアで目に留まった 地蔵堂、阿弥陀堂、薬師堂、観音堂などの小堂については 表9-1 と エリア地図 01~13 に順次追記していく。

エリア地図 01~13 上の各社寺のラベルについては、下記資料群、並びに地理院地図上に表記された⛩卍記号を参考にして記入しているが、縁起に諸説ある場合があること、集落境界と行政境界が一致せず現地で実際に使われている地区境界が不明なところが多くあること、現地で通用している小字名の位置と範囲が分からないことなどから、正確な地名表記と位置表記ができていない場合があることに留意されたい。

各神社・寺院の由緒等、各項目については、下記資料の要旨を集約して掲載する。原則として資料名の表記は省略し、特筆する場合は、資料名もしくは略称を表記する。史料の現代語訳にはAIツールを利用し、若干の加筆をしたものである。

【260811→】
寺院については、図9-1 に各宗派の分布を図示した。浄土真宗 十五ヶ寺(東 十四、西 一)緑、曹洞宗 十三ヶ寺 黒、日蓮宗 七ヶ寺 紫、臨済宗 七ヶ寺 青、真言宗 五ヶ寺 赤、浄土宗 一ヶ寺 オレンジ である。

図9-1. 寺院宗派の分布

近世期以前の寺院の分布と宗派は現在の様相とはかなり異なるものと思われ、かつ現在に続く各寺院についても成立時期や来歴はさまざまであり、由緒を詳しく把握することは難しいが、以下に主な寺院宗派の分布と動向について概観する。

曹洞宗の寺院は、鶴ケ岡の北端、大野の西端、宮島の南端に点在する一方、知井内に多くの分布が見られる。丹波地方は禅宗系寺院が多く、口丹波地域の曹洞宗は戦国から江戸初期に成立したらしい。だだ、十四世紀後半の古文書(棚野の土地売券)に曹洞宗の寺院と思われる「孤峰寺」の名が見えることから、当地において曹洞宗の寺院は、中世の早い時期から分布していたのかもしれない。「わかさ名田庄村誌2」によると、永禄十一年<1568>小浜 妙徳寺の怡山文悦が知井坂峠を越え、田歌、江和、北村などに曹洞宗を布教し、この地の多くの寺院を曹洞宗に改宗させた、とのこと。知井地区に曹洞宗の寺院の分布が多く見られるのはこのことが関係するのかもしれない。

天正年間<1573~1592>、織田信長の丹波平定の際、門坊寺(聞法寺)をはじめとする真言宗寺院が廃寺された。近世にかけて真言宗から他の宗派に改宗された寺院が多くあり、中世以前の美山町域には、少なくとも今より多くの真言宗寺院があったものと思われる。
廃寺も含め、もと真言宗であったと思われる寺院を分かる範囲で列記すると次の十ヶ寺がある。極楽寺(砂木)、知見寺(知見)、光明寺(大野)、加法寺(上司)、西乗寺(下平屋)、正覚寺(安掛)、昌徳寺(河内谷)、門坊寺(聞法寺、河内谷)、福正寺(南)、最勝寺(佐々里)

法華宗(日蓮宗)については、日蓮(1282年没)の直弟子である日像 <1268~1342> が、日蓮の足跡を辿って佐渡で法華経を布教した後、京都での布教を行うため、永仁元年<1293> 佐渡から能登を経て小浜に上陸、知井坂を越えて知見に入り、知美寺(真言宗)を本像寺(法華宗)に改宗、知見下に心蓮寺(日蓮宗)を創建したとされる。「大正郡誌」に記される本像寺の解説は 5031T2 正法寺を参照。
時代は下り天文四年<1535> 法華宗は延暦寺との対立(天文の法難)に敗れ、法華宗徒が多くいた上司・和泉・長谷・大野はその影響を受けたとされる。上司では、真言宗から法華宗になっていた加法寺の宗徒は一戸を残して京都に追放され、後に寛永十一年<1634> 加法寺は本妙寺(日蓮宗)となって再興した。和泉の信者は臨済宗に転じ、宗虎(1596年寂)が栄久院(臨済宗)を建立した。大野は難を逃れ、天正元年<1573> 菅原実相が、慶能法師後裔が建立したとされる光明寺(真言宗)を蓮乗寺(日蓮宗)に改宗した。長谷では、文禄三年<1594> 日堯が蓮華寺(日蓮宗)を建立した。

浄土真宗寺院は、蓮如<1415~1499>以降に多くが成立した。帖外御文六十(蓮如上人御文)の記述から、文明七年<1475>に越前吉崎から小浜に上陸し、丹波経て摂津に至ったことが分かる。名田庄側から知井坂を越えて知見に下り、河内谷を経由して弓削方面に抜ける街道があり、奇しくも日像と同じ足跡を辿ったのかもしれない。

帖外御文六十
去文明七年乙未八月下旬の比、予生年六十一にして越前國坂北郡細呂宜郷の内吉久名の内吉崎の弊坊を、俄に便船の次を悅びて海路はるかに順風をまねき、一日がけにと志して岩狹(若狭?)の小濱に舟をよせ、丹波づたひに攝津の國をとをり、この當國當所出口の草坊にこえ(略)
※當國當所出口の草坊:枚方市出口の 淵埋山 出口御坊 光善寺

蓮如上人御文全集

このときのものと思われる蓮如伝承が、光瑞寺(元真言宗、内久保)、福正寺(元真言宗、南)、最勝寺(元真言宗、佐々里)、最尊寺(棚)に残る。『美山考 第十一章 伝承と人物』参照。
浄土真宗寺院の分布は美山町域の中心部に多くを占める一方、東端で弓削と接する佐々里 最勝寺が、真言宗から真宗寺院として再興されたのは興味深い。美山町域以南の蓮如上人の足跡は分からず、真宗寺院を広めた形跡はないらしい。小浜に上陸し美山町域に真宗寺院を広めたのは、単なる偶然ではなく、京都の真宗勢力に対する後方支援の拠点地域として布石したのだろう、と某日行われた歴史勉強会の講師の御説。なるほど十六世紀における一向一揆等、真宗勢力の動向を見ると納得できる。これまで、蓮如上人がなぜ美山町域での布教活動を精力的に進めたのだろう…と疑問に思っていたことが腑に落ちた次第。

十六世紀に当地を治めた川勝光照の菩提寺の光照寺は臨済宗であり、現在の臨済宗七寺院の分布は、川勝氏が支配していた地域の範囲を示唆するものかもしれない。当時、大野より西側地域は松平石見守兵部(経歴未詳)、知井の東側地域は天竜寺など、川勝氏とは別の土地支配者がそれぞれの地域を治めていたと思われる。
【→260811】

本章で参考にした資料(【】内は略称)は次の通り。
・美山仏教誌【仏教誌】
・日本歴史地名大系【地名大系】
・京都府北桑田郡誌【大正郡誌】
・京都府北桑田郡誌完【明治郡誌】
・河合の里の中村 あの日あの頃の思い出【河合の里の中村】
・ふるさと鶴ケ岡
・長谷区史
・大野区誌
・丹波第10号「丹波川勝氏関連史料集」【丹波10号】
・丹波第11号「丹波川勝氏の中世城郭」【丹波11号】
・究極の田舎 京都美山鶴ケ岡 第2部 暮らしのてびき編【鶴ケ岡暮らしのてびき】
・伝承野々村誌【野々村誌】
・平屋ウォーキングマップ~野添・安掛編~

表9-1 神社・寺院一覧(現地訪問は 2026年3月6日現在)

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エリア地図別 神社・寺院由緒:

01 福居(山森・熊壁・脇・庄田)

02 豊郷(洞・名島・神谷・松尾)

03 盛郷(田土・上吉田・林)

04 鶴ケ岡(船津・川合・殿・棚)= 字鶴

05 高野(砂木・栃原・今宮)

06 大野A(樫原・向山・小渕・音海・肱谷)

07 大野B(三埜(川谷・小笹尾・岩江戸)・大野)

08 宮島A(萱野・上司・長谷・和泉・静原・島・下吉田)

09 宮島B(宮脇・板橋・原)

10 平屋(上平屋・下平屋・又林・長尾・安掛・野添・深見・荒倉・内久保)

11 知井A(北・南・知見・下・中)

12 知井B(河内谷・江和・田歌)

13 知井C(芦生・白石・佐々里)


今後の考察課題

  • 主な仏教宗派(真言宗、日蓮宗、曹洞宗、浄土真宗等)の動向と美山町域寺院への影響

  • 大原神社の樫原から三和町への遷座の視点から樫原地区と天田郡の関係性


第10章 行事と食文化】に進む

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