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『美山考』第9章〔平屋〕上平屋・下平屋・又林・長尾・安掛・野添・深見・荒倉・内久保【260401】

南丹市美山町の地域史についての考察
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エリア地図10〔平屋〕上平屋・下平屋・又林・長尾・安掛・野添・深見・荒倉・内久保

エリア地図10〔平屋〕上平屋・下平屋・又林・長尾・安掛・野添・深見・荒倉・内久保


4010T1 教誓寺

4010T1 教誓寺(2026.01.04)

所在地:上平屋
山号:不動山
宗派:真宗大谷
本尊:阿弥陀如来
創建:延宝2<1674>
開基:律教
由緒等:
・大正11<1922>大火により類焼、一時平林寺に移る
・昭和3<1928>現堂宇再建
・昭和13<1938>書院新築
・昭和36<1961>梵鐘鋳造
「大正郡誌」に教誓寺の沿革について記された古文書を載せており、当時の様子を伺い知ることができる興味深い内容のため、その現代語訳を以下に紹介する。(原文は割愛)
文中の表現から1850年頃に書かれたものと思われる。

丹波国桑田郡上平屋の里に真宗(浄土真宗)の教えが広まった経緯を振り返ってみると、かつて蓮如上人が若狭国へ向かわれる際にこの道を通られた頃、初めて専修念仏の門弟子となったのであろうか。しかし、この里に仏閣を建てて本尊を安置したのは延宝年間<1673〜1681>の頃だといわれている。それ以前は、浄教あるいは浄念という者が小庵の道場を建立し、門徒が集まって報恩感謝の勤めを行っていたということである。
ここに、丹後国から三雨という僧がやって来てこの里に住み、宣如上人の時代<1614〜1658>に「方便法身」の尊像(阿弥陀如来像)を願い受けて道場に安置し、長く住持した。宝暦元年<1751>までで、およそ100年余り前のことである。当時の道場は湯谷の西の山際にあったが、後に吉右衛門という者の所有地となり、小さな石塔が後世まで残されているのは、かつて道場の本尊が安置されていた跡である。
当時の道場の門徒はわずか5、6人ほどであった。平井氏「鳥羽屋」が3軒ほどあり、湯谷株が1軒、場株が1軒で、いずれも若狭国遠敷から来た者たちであった。この頃、近江国の鋳物師(金屋)の一族が不慮の災難により近江を逃れ、丹波へ来てあちこちに居住した。桑田郡下平屋に住んだ金屋の一族は西乗寺の門徒となり、船井郡上林に住んだ金屋の一族は丹後の瑞光寺の門徒となり、同郡和知篠原村に住んだ金屋の一族7軒が、この道場の門徒になったという。これによって宗風が盛んになり、道場を立派に整えようという機運が生まれた。
この三雨という僧は、安掛の長竹氏から妻を迎えて道場に長く住み、そこで往生した人物である。また、その子孫は還俗して門徒となり、現在の岩井氏と近澤氏の2軒がこれにあたる。
その後、遠江国出身の僧で贈顔という者が来て住み、門徒を教導して仏法の灯を掲げる功績を挙げた。常如上人に願い出て、延宝9年<1681>6月に「教誓寺」という寺号を賜った。寺号許状の証文があり、宝暦元年から遡ると71年前のことになる。さらに3年を経て、同じく常如上人の代である天和3年<1683>閏5月に、木彫の阿弥陀如来像を賜った。
この頃、この里の禅宗(仏心宗)の信徒に谷久助という者がいた。彼は自らの宗派を離れて浄土真宗に改宗し、熱心な信者となった。当時は禅宗が盛んで浄土真宗は存在すら危うい状況であったが、過去の善根に導かれたのか次第に信者が増えていき、この谷氏の一族は後に「中庵株」と呼ばれた。
貞享元年<1684>頃、豊後国出身の回山という僧が不思議な縁あってこの地に来て寺務を司り、貞享4年<1687>秋頃、湯谷の山際にあった道場を、同じ里の東坪の内という場所に五間四方(約9メートル四方)の規模で再建し、大きな功績を立てた。
岩井氏の娘が隣村へ嫁いだ際、その夫婦もこの寺の門徒となった。これが太田株である。回山は近隣の野々村氏から妻を迎え、ついに享保の末に当寺で往生した。その子孫もこの寺の門徒となり、小島株となった。
享保20年<1735>頃からは、同国の産(桑田郡荒倉村の出身)で珠元という者が、瑞光寺で剃髪して僧となり、当寺の住職となった。彼は五尊(五幅の掛け軸)を始めとして多くの仏具を整え、当寺の中興の祖というべき人物である。この僧から現在に至るまで、実子が代々住職を継承している。この僧の兄には無相文雄という大変な学者がおり、晩年にこの寺へやって来た。村の奥の谷にある墓地には、弟の珠元が建てた兄・文雄の石碑がある。
享保の末(1730年代後半)、丑・寅・卯の3年間のうちに隣村から来て門徒となった者が3軒あった。この頃、ようやく門徒の数も20軒ほどに達したという。あるいは、隣村の信心深い施主が蓮如上人の名号(御染筆)を寄附したことから、本尊の脇に掛けるようになったということである。
上平屋の戸数変遷
延宝の初め<1673~>5〜6軒ほど
享保の末<~1736>20軒ほど
大正元<1912>60軒
大正10<1922>53軒
(以下省略)

【大正郡誌 平屋村上平屋戸数姓氏増減沿革(教誓寺所蔵)の現代語訳】

4010T2 平林寺

4010T2 平林寺(2026.01.04)

所在地:上平屋
山号:奥谷山
宗派:臨済宗
本尊:地蔵菩薩
創建:享保11<1726>
開基:(妙心寺)千巌丈開山、寛政年間に笑山園が中興開山
由緒等:明治15<1882>現堂宇再建


4020T1 西乗寺

4020T1 西乗寺(2025.10.23)

所在地:下平屋
山号:遠慶山
宗派:真宗大谷(はじめ真言宗)
本尊:阿弥陀如来
創建:天文20<1551>
開基:祐道
由緒等:阿弥陀如来及両脇侍坐像については、明治7<1874>下平屋(堂の前)にあった真言宗西方寺の老朽廃寺にともない当寺に移したとし、「美山町誌 上巻」に詳しく解説されている。
その他、歓楽寺、或いは門坊寺から移したとする説もあり伝来は未詳。
江戸末期~明治初期に下平屋戸長の小林源兵衛らにより再建されたとする。


4050T1 正覚寺

4050T1 正覚寺(2026.01.04)

所在地:安掛
山号:大雄山
宗派:真宗大谷
本尊:阿弥陀如来
創建:文禄5<1596>
開基:了善
由緒等:
・明治初頃、本堂再建
・昭和45<1970>梵鐘新造
「仏教誌」は沿革未詳としながら、もと真言宗だったが徳川のキリシタン禁制により寛文4<1664>以降、宗門改役により真宗になったとしている。


4060S1 妙見神社

4060S1 妙見神社(2025.10.09)

所在地:野添
祭神:(三十番神)
創建:元和元<1615>
氏子:未詳
例祭:未詳
由緒等:長久寺と同時に創建され、境内の大きな杉はもともと長久寺に植えられるものだった。
三十番神:1ヶ月30日を毎日交代で国家や国民を守護する30柱の神々のことであり、日蓮宗などで重視される神仏融合思想に基づく信仰である。


4060T1 深見寺

4060T1 深見寺(2025.10.09)

所在地:野添
山号:白峨山(北桑田三十三所霊場第十七番)
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
創建:天正元<1573>
開基:南庭桂叔
由緒等:
・天正元<1573>牛山班隆が深見にあった光明山極楽寺(沿革不明)の住僧となり、(園部徳雲寺)南庭桂叔を勧請開山として深見寺を創立
・文禄4<1595>野添の現地に移転し、牛山班隆が開創開山
・享保16<1731>本堂再建
・宝暦4<1754>(徳雲寺)雪山悟白が伝法開山、境内に白山権現勧請
・宝暦8<1758>山門建立
・天明6<1786>境内に秋葉権現・金比羅権現勧請
・寛政5<1793>境内に伏見稲荷勧請
・安政2<1855>観音堂建立
・昭和27<1952>梵鐘再鋳
・昭和44<1969>鐘堂新築


4070S1 八幡大明神

4070S1 八幡大明神(2025.10.23)

所在地:深見
祭神:未詳
創建:未詳
氏子:未詳
例祭:未詳
由緒等:「大正郡誌」に次の記述が見られ、当神社もこれに含まれるものと思われる。

七、社寺名勝
(一)上平屋長尾及び深見に無格の社祠ありていづれも八幡大明神をまつれり。されど本村は前項にも説けるが如く佛法獨り盛にして敬神の事衰へたりし時期ありしと見え、社殿多くは荒廢に歸しその起源沿革等一も詳ならず。

【大正郡誌 第三篇 第九 平屋村】

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